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日長石

※赤焔


「なまえ、ちょうどいい所に」
「フェルディナント様? 如何なさいました」
「次の作戦でのことで確認したいことがあってね。今構わないだろうか?」


 主人の頼みを断る従者が果たしてどこにいるのだろう、なんて出てきた余計な考えを頭の隅に追いやってこくりと頷いた。

 我がアドラステア帝国が仕掛けた変革のための戦争は日を追う事に激しさを増していた。
 我々の一番の標的である中央教会、それを囲い守るファーガス神聖王国。帝国によって割れぬようにと奮戦する同盟──は私たちの仲間になったけど──、それから、帝国内部の膿であったもの。
 いくつもの勢力が絡み合い混沌の様相を示していたけれど、私がやることに変化はない。どのような立場であっても、何を攻め入ることになっても、私は私の主であるフェルディナント様を第一に動く。
 命令されたからとか、家のためとか、そういうものでは無い。きっかけはそうだったかもしれないけれど、今の私はそういうものによって動いていない。
 私は私のために彼に尽くすのだ。

 書類に視線を落とし、今作戦の話をするフェルディナント様の横顔を盗み見る。長いまつ毛は陽の光を反射して柔く煌めいていた。普通の人ならばその美しさに息を吐きそうなものだけれど、あいにくと私はそういう気持ちにはなれない。今は、今だけは。


「……という感じなのだが、なまえ、どうだろうか?」
「……些か難しいかと」
「む……そうかね? 私としては問題がないように見えたのだが……」


 フェルディナント様ははっきりとしたお声で喋られる。声量も大きくて、少し離れたところでも聞き取れたり、しまいには見つけられたりするから従者としてはとてもありがたい。ありがたい、のだけれど。今はそれが逆に酷くからからとして聞こえてしまう。
 どこが良くないだろうか、と極めて明るい声で私に尋ねるフェルディナント様。彼の顔はいつも通りのように思える。いっそ丁寧すぎるくらいにいつも通りすぎる。意識しているのかしていないのか、フェルディナント様がどう考えていらっしゃるのかは分からないけれど、無自覚であるならば余計に質が悪い。

 フェルディナント様は常日頃から快活なお方だ。太陽と思えすらするその眩しさが彼の取り柄である、のだ。それが鬱いだ時には知らぬ内に己すら殺してしまうことを自覚しているのであれば。
 ──であるならば、それを認識させるのが従者たる私の役目なのだろう。


「フェルディナント様が、です」
「……私?」
「……あんなことがあった後で、いつも通り動けるとお思いですか」


 フェルディナント様の表情が凍った。いつも携えている微笑みが、急激に頬から落ちていくのを見た。
 そっと周りに視線を巡らせる。こちらを見る目は無くほんの少しだけ安堵した。フェルディナント様のこういうお姿を、他の誰かに見せたい訳では無いのだ。


「それ、は……」
「……フェルディナント様」


 書類を持つ手が震えている。気がついてはいけないことに気がついてしまったような声音に私は眉を下げた。ああ、やはりこの人は無自覚だったのか。
 主人になんて顔をさせているのだろうと思わなくもない。ないけれど、これをできるのは私しかいない。
 いつも堂々と振る舞うあなたが自分自身を焦がしてしまわないようにと、恐れ多くともやらねばならない。そうして朽ちてしまうのを私は黙って見ていられないのだから。


「……私には、フェルディナント様がどれほど悩まれたのか分かりません。貴方の苦悩を推し量れるとも思っておりません」


 伝え方を間違えたくはなくて慎重に言葉を選ぶ。選んだ言葉で私は私が無力であることを思い知って苦しくなった。
 分からない。分かるはずがない。自分の親を己の手で殺めることになることの辛苦など、分かるはずがない。

 現帝国と敵対する勢力の中には、惨いことにフェルディナント様のお父上──ルートヴィヒ=フォン=エーギル様がいらっしゃった。
 ルートヴィヒ様はルートヴィヒ様なりに帝国を憂慮していらっしゃったのだろう。けれどそれはエーデルガルト皇帝にとっては赦しがたく、また交われない道でもあった。詳しいことは私には分からないが、確かに六大貴族が行ってきたことを考えるとエーデルガルト様にとっては仇のようなものでもあるのだから、仕方ないと言えば仕方がない……のかもしれない。本当に詳しいことは分からないから、軍の内部から見える話だけで考えると、だが。


「ですが、私は貴方様の従者です。貴方様がどれほど普段通り振舞っていらっしゃっても、それがそう在ろうとしているからだということは分かります。意識的であれ、無意識的であれ」


 結論を述べると、ルートヴィヒ様は征伐された。それも他ならぬフェルディナント様の手によって。
 フェルディナント様は貴族だ。それは身分や出生というだけでなく、心もそうあろうとしてるからこその貴族で在られる。無論その心がけの中には相応の責任感も持ち合わせており、故に自らの手で終わりを齎した。
 覚悟はしていらっしゃったのだろう。けれど、その傷は果たして覚悟と責任感だけで拭えるものなのだろうか?
 ──否。


「……すまない、なまえ。君の慧眼にはいつも驚かされるよ」
「いいえ、私は私がそうしたいから理解出来るだけです」


 そうであれば、今のフェルディナント様はこんな顔をしていないだろう。
 覚悟だけでどうにかなるものか。責任感だけで隠せるものか。いつかは時間が癒すものだろうが、今の私たちにそんな余裕は無い。ならば多少の荒療治になろうとも、誰かが触れなければならない。
 ……それが私以外だと嫌だ、と思うのは、私の小さくて幼稚な我儘なわけだけど。


「確かにここ数日、肩に力が入っていたのかもしれないな。君に指摘されて、力が抜けて……ようやく自覚した」
「……人を導く立場である以上、それも必要なことでしょう。ですが、それを加味して作戦を立てなければならないのも事実ですから」


 精神的負荷により作戦が失敗に終わることだって無い話ではない。フェルディナント様はいつだって何事にも真摯に向き合うから、尚更肩に変な力が入ったまま向かわせたくはない。
 力なく笑ったフェルディナント様の手から書類を奪い一度目を通す。……確かに普段の作戦ならばこれで構わないと私も言っただろうけれど、万が一があっては困る。
 彼は太陽だ。彼の輝きを受けて何百もの星々が輝く。彼がいるからこそ輝けるものがある。その輝きを絶やす訳にはいかない。


「……君は眩いな」
「そう見えるのであれば、それはフェルディナント様が私に齎してくれた輝きのおかげです」


 貴方が主だからこそ、私も全力を尽くして貴方に仕えるのだから。その手が、あまりにも重い業に苦しんでいるのだとしても。



いつだって全力なあなた




日長石-Sunstone-
石言葉:情熱、勇気、リーダーシップ


2023.01.15
Title...反転コンタクト