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曹灰針石

 呑まれる。皮膚を覆う水流が容赦なく体を攫っていく。
 抗うことが出来ないその奔流に、意識までもが流されていく。いっそ暴力的なまでのそれが体を打ち付けた。

 失態だった、と薄い意識の中で思う。
 仲間を庇い刃を受け止めたまではよかった。そうしなければ彼の首は今頃繋がっていなかっただろう。
 だが、反撃をするべきではなかったのだ。あの場所は川の近くで、連日の雨で地面が緩んでいたことも知っていたのに。
 刃を受け止め、反撃に転じる。受けた勢いをばねにして敵へと飛び掛かった、のだが──。


(川に落ちることだって、予想できた、はずなのにな──)


 敵に飛びかかった。それを敵が防御することは必然だ。そして、そのためにその場に足を縫い留めることも。
 それがいけなかった。雨で緩みぬかるんだ地面は、その衝撃を耐えられる程堅くない。
 ずるり。嫌な音を立てて地面は川へと崩れていく。
 防御に徹していた敵も攻撃だけを考えていたなまえも、突然の出来事に対応することはできない。
 そのまま、なまえの体は川へと落下していった。

 連日の雨で増水していた川は、激流となってその体を打つ。鎧に身を包んだなまえが、それに抗う程の力で泳げるはずもなく。
 誰かが伸ばした手を見て、それを掴もうとしたのは覚えている。しかし川の流れは思っていたよりも早くて、それに届く前に自分の体は流されていった。


(いき、が──)


 ごぽ、と自分の口から空気が抜ける音がする。
 どれだけの時間をこうして流されていたのだろう。随分長い時間揺られていたような気がするが、きっと気のせいだ。人間が、そうも長く水の中で生きられるはずもない。
 それとも自分は、すでに。
 そんなばかばかしい、けれども一蹴することが出来ない考えを嗤う。たとえどうであったとしても、最後に生きていられなければ皆、同じだ。






 ずきりとした痛みで意識を引き上げられる。
 痛みによって生きていることを自覚した。あれだけの激流に落ちて生きているのは運がよかったのだろうか。

 痛みと自分の生命の次に知覚したのは熱と音だった。
 自分の意識が沈む前に感じていたあの水の冷たさが今はない。濡れた衣服が肌にじっとりと張り付く気持ち悪さはあるものの、辺りにある空気は暖かなものだった。
 ごうごうとした水の音もしない。代わりに聞こえてくるのは何かが爆ぜるようなぱちぱちという小さい音と、それから。


「ユラリ……ユルレリ……」


 歌、だ。
 聞いたことのある歌、聞いたことのある声。だけれどそれがどうして今聞こえるのかはわからない。
 自分が幻聴を聞いているのか、それとも。その判別がつかなくて、瞳を開け身体を起こそうとした。
 答えは、なまえが身体を起こすよりも先に降ってきたが。


「なまえ、まだ起きてはいけませんよ」
「っ……シグレ?」


 歌が止まり優しい声が落ちてくる。暗い天を映していた視界に入り込んできたのは濡れたような水標色。
 こちらを気遣うように覗き込む黄金色は、よく見知ったものだ。


「はい、シグレです。……目を覚ましたんですね、よかった。本当に……」


 心の底から安堵したような声が聞こえてくる。心配させてしまうなんて申し訳ないことをした、と反省した。不可抗力だったとはいえ、自分が事前に考えて行動出来ていたのならばこのような心配もかけなかっただろう。
 大人しく彼の言葉に従うことにした。心配をかけたのに、これ以上迷惑をかけることはできない。そう思って身体から力を抜く。
 身体が重い。水を吸った衣類を身にまとっているからだろうか。それとも疲れているのだろうか。その両方かもしれない。
 気を抜けばまた意識が夢に引きずり込まれそうで、何か口にできる言葉はないだろうかと脳内で探す。出てきたのはいくつかの疑問だ。


「……ここは……? それにシグレ、どうして……」
「川のほとりの洞穴です。貴方が落ちたのを見て、いてもたってもいられず……といったところですかね」


 自分もだが、シグレも軽率だ。そう思うと力のない笑みが零れた。王族である彼が、そんな理由で自分のことを探しに来たなんて。
 なまえはともかく、シグレは軍にいなければならない人間だ。だというのに、彼は。自分の命の価値を分かっているのだろうかと少々心配になる。
 でも、それがシグレだ。気取らず、飾らず、驕らない。彼はそういう人で、だからこそなまえは彼を慕っているのだから。


「寒くないですか? 一応、火は焚いていますが」
「……ん、大丈夫」
「そうですか、よかった。本当はすぐに連れ帰るべきだったのでしょうけれど……、天馬で空を駆けるのは冷えますから」


 気遣いが細部まで行き届いているな、と思う。
 火を起こすのだって魔術師ではない彼にとっては一苦労だったはずだ。それでもすぐに連れ帰ることを選ばずに、ここで付き添ってくれることを選んだ。濡れた身体のなまえが、天馬に乗り空を駆けて身体を冷やし、病を患うことを忌避したのだろう。

 辺りに天馬の気配はない。
 シグレのことだ。愛馬にはきっと、軍に自分の無事を伝えさせているのだと推察できる。
 本当によく考えてくれている。そして同時に再び申し訳なさが去来した。


「……ごめんね、シグレ」
「俺がそうしたいと思ったから、そうしたんです」
「でも……」
「でも?」
「……んん」


 ふる、と首を小さく振った。これを言うのは野暮かもしれない。

 きっとシグレは隠そうとしたのだろう。けれど嘘が下手な人だった。
 彼の髪は少しだけ濡れていた。少し濡らしたのではなく、濡れたものを乾かし残したといった具合に。
 恐らく水の中でどこかに引っかかっていたなまえを、彼は泳いで助けてくれたのだろう。流されていたなまえが上手く岸辺にたどり着くとも思えない。

 それを悟らせないようにしていたのが何故なのかの想像もつく。
 今のなまえに気を遣わせたくないのだ。それを悟ったなまえは、きっと気に病むだろうと思って。
 結局それは見破ることになってしまったが、なまえは隠されたフリを続ける。優しさに応えたかった。


「きっと、すぐに皆さん来てくれます」
「……うん。シグレの愛馬、いい子だもんね」


 はい、と告げられる。なまえの想像は間違っていなかったようだ。

 ぼんやりと天を見上げる。洞穴の天井は殺風景で物悲しい気分になってしまった。
 体力が落ちているのだろう。天井を見るだけで寂しい気分になるなんて。
 このままでは気分は落ちる一方だ。どうにかしてこの気分を紛らわせなければと考えを巡らせる。

 思い出したのは、目覚めの時に聞いた歌のこと。


「……、シグレ、皆が来るまで……ちょっとだけ、歌ってほしい……」
「? 構いませんが……どうかしましたか」
「寂しくて……でも、ちゃんと話するには頭がまだ回っていないから……」


 思ったままを告げる。きっと普段では恥ずかしくて言えなかっただろう。
 それでも言えてしまうのは二人きりだからだろうか。
 なまえの言葉を聞き届けたシグレは少し驚いたような顔を見せた後、ふっと口元に笑みを描いた。
 それから、なまえの傍に座り直す。


「わかりました。なまえのためだけに歌いますね」
「……ふふ、特等席だ」
「俺としては、なまえのお願いならいつでも聞いてあげますが……」


 ゆらり、ゆるれり。
 彼が紡ぎ始めた旋律は、洞穴に反響して神秘的な響きを孕む。
 震えた空気があまりにも優しくて甘いから、願ったのはこちらだというのに。


「…………」


 誘われるように目を閉じる。睡魔がそこまで来ていた。
 自分から願ったというのに寝てしまってはシグレに失礼だ、と無理矢理目を開こうとしたものの。


「……ぁ、」


 視界が覆われる。それがシグレの手によるものだということに気が付くのにそう時間はかからない。
 温かな手、暗い視界。聞こえる優しい歌は子守唄のようで、寝てもいいのだと示されているようにすら感じる。
 そしてそれはきっと真実だ。優しいシグレがこちらの体調に気を使っていてくれているということすらわかってしまう。だから、なまえは。


「──おやすみなさい、なまえ」


 聞こえてきた声を最後になまえの世界は閉じる。
 夢の向こう側でまで聞こえたシグレの歌声は、どこまでも澄み渡る青だった。


優しい青に包まれて



曹灰針石-Larimar-
石言葉:愛と平和


2020.04.28
Title...反転コンタクト