※男主
あの人の歌は叫びのように聞こえた。
きっと俺以外の誰もがそうは聞かなかったのだろう。だって実際には流れるような歌を歌っているのだから。
だからこれは俺の勝手な思い込みで勘違い。或いは、思い上がり。
歌う。あの人は歌っている。
白夜領地の泉の近くで、白夜的ではない響きを持った歌を歌っている。
その姿は儚くて、何かを間違えれば一瞬で消えてしまいそうに見えて。
……でもきっと、それすら俺の勘違いなのだろう。
それは、わかっているけれど。
歌が終わる。終わりたくないというような名残を残す歌は、いつも寂しげに消えていく。
俺が、俺だけがそう思っている。誰にも理解されないのかもしれないな、なんてことが頭を過った。
「ごめんなさい、なまえ」
「ん? ……なんでです?」
「いつも、付き合わせてしまっているわ」
あの人──アクア様が視線を落として言う。心から「申し訳ない」と言いたげな顔だ。
別に気にすることないのに。きっとそんなことを伝えても、この人は納得しないのだろう。
この人は人一倍気を配る。特に俺みたいに、白夜王城に仕えてる人間には。
……当然だ。アクア様は優しいから、自分の立場を弁えてしまえるくらいに優しくて聡明だから。
──人質の自分に優しくすることなんてないのに、と思っているのだろう。
俺にとっては、そんなのどうでもいいことなのに。
「いいんですよ、別に。俺のことなんか気にせずに、貴方は自由でいてください」
「でも……」
「俺が好きでやってるんですよ、アクア様の護衛」
さすがに「好きでやってる」と言われては、アクア様もそれ以上何かを言うことが出来ないのだろう。
まったく、と小さくため息を吐き出されはしたものの、謝罪が降ってくることはなくなった。
歌は終わった。けれど、アクア様はここを動く気配がない。俺もそれに倣ってとどまったまま。
……俺を煩わしく思っているような態度をとられていないのは、幸いと思うべきか。ひとりになりたいのだとしたら、俺の存在は邪魔でしかないというのに。
奇妙な沈黙が俺たちの間に降りる。この光景もなれたものだ。
少なくとも俺は、これを嫌だとは思わない。
彼女が本当のところどう思っているかなんて俺が知るはずもないが、……本気で嫌なら、男と二人きりの沈黙の時間なんて耐えられずに俺を回顧でもするだろうし。
だから、少なくとも嫌われていないのだろうと思えるこの時間が嫌いではなかった。
けれど世間がそれをどう見るかはまた別の話。
アクア様が男と二人きりでいるところを見て、騒ぎ立てる輩がいないと言い切れないのも事実だ。
それは、よくない。
アクア様はこの白夜王国の王族だ。……たとえ、他国からの人質だったとしても。
だから早々に帰るべきだ。今までもそうしてきた。
やましいことなんて何もないけれども、だからこそ謂れのない悪意にアクア様が晒されるのが嫌だったから。
いつも通り口を開く。アクア様、帰りましょう──。
俺がそんな言葉を紡ぐよりも早く、アクア様の美しい黄金の目がこちらを向いていることに気が付いた。
いつも通りの日々の、いつもと違うアクア様の表情。思わず俺は、それに見とれてしまって。
「ねえ、もう少し……いいかしら」
「……ええ、アクア様がそれを望まれるならば」
……珍しい。
俺が知っている限りでは、こうした申し出は始めてだ。誰かが変な噂を立てることだけは気にかかったが、疚しいことはないのだし毅然と対応すればいいか、と自己解決。
ありがとう、と呟いたアクア様に微笑みで返した、その時に気が付いた。
「……アクア様?」
「……? どうかした、なまえ」
「……泣いておられ、ます」
「えっ?」
どうやら自分でも気が付いていなかったらしい。
アクア様の頬に一筋、涙が伝っている。透明で薄く、注視しなければ分からないほどだけれど。
俺の言葉でそれに気がついたアクア様は手のひらで頬を擦る。そんな乱暴にしたら傷がつくでしょう、と手拭いを差し出した。
「……ご、ごめんなさい……私……」
「……お疲れだったのでしょう」
アクア様が泣いている本当の理由なんか知るはずもないので、そうとしか言えない。けれど、休んで欲しいと思う気持ちは本当だ。
護衛は必要だ。この方が危ない目に合わないために。
けれど、俺の存在すらも気にせずに休んで欲しいと思う時だって多々ある。
人に、気を遣うから。わざわざ線引きをして踏み込んでしまわないようにする程に。
自分は人質だから、きょうだいではないからと、タクミ様達にすら遠慮してしまう方だから。
それをさせてあげられない自分が憎くなる。
護衛だと言い訳をしてここにいる。俺は自分の自我のために、彼女の休息を邪魔しているのだ。
──ああ、でも、それでも。
「……叫ぶように歌うほどに」
「……っ、」
俺がこの人の歌を聞かなければ、誰がこの人の叫びに気づいてやれるのか。
自惚れだと笑ってくれていい。気色悪いと蔑んでくれていい。
けれど俺は、この人の歌に確かに叫びを聞いたのだ。
「……凄いのね、なまえは」
ぽつりとアクア様が呟いた。
その目は少し光を戻していたけれど、いつものような強い目ではない。
……知っているとも。
彼女は強いけれど、王女だけれども、それでもただの少女だ。
何かに苦しみ、泣き叫ぶことすらできなくなったただの少女だ。
傷を恐れ、痛みに惑い、それを隠すことが出来るけれど。
「身体を守るためだけに護衛やってるんじゃないんですよ」
歌にそれを混ぜてしまう程、弱い人だ。
……ああ、俺の勘違いじゃなくてよかった。
アクア様が俺を見上げる。
その目に少し信頼のようなものが見えたのは……俺の気のせいなのだろうか。
「なら、貴方は」
守ってくれるのね、と問われて笑いかける。
「……たとえ仕事じゃなくたって俺はそうしたいと思ってましたよ」
言いたかったことをようやく伝えられて、肩の荷が下りた気がした。
今度は、空いた肩でこの人を守れたらいい。支えでも。アクア様が、叫ばずに歌えるようになる日のために。
私を傷つけないで
(ええ、俺でよければ)(貴方がいいの。気づいてくれるでしょう?)
砂漠の薔薇-Desert Rose-
石言葉:愛と知性
2020.04.17
Title...反転コンタクト