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火瑪瑙

※名前付きモブが出ます。
※蒼月を想定していますが銀雪でも構いません。



 戦争が終わりしばらく経つ。生活に困窮した者も減り学びの場を求める民草が増えた頃、士官学校は再開した。

 再開を希望したのは多くの民だったが、それを最終的に決めたのは大司教だった。
 彼──大司教はかつて士官学校で教師を務めたという経歴を持つ。それ故学びの大切さを知っていて、だからこそ学びの場を提供することを望んだのだろう。
 大司教の言葉に反対するものは──少なくとも大修道院内には──いなかった。そのお陰か、士官学校の再開は迅速に行われる。

 そしてなまえはその士官学校に勤めることとなっていた。
 大司教が大司教になり、また戦争前に教師だった者たちが各々の道を行ったことで教師の席が空いてしまったためだ。

 声をかけられたのは偶然ではない、となまえは考える。
 なまえは大司教が教師であった頃、彼に直接教えを貰っていた生徒だった。その頃から自分の指揮能力について一定の評価をもらっていたし、戦争中に兵士の指揮や指導も任されていた。
 だから、これは偶然ではなくて大司教が考えて指名してくれたのだろう。

 ならばとなまえはそれを承諾した。断る理由もなかった。
 加えて言うのなら──自分が大司教の、先生の力になれるのならばいくらでもと思っていたのだ。

 あの人は、なまえらを生かしてくれた。先の見えない戦争で前に立ち人々を導き、勝利を齎してくれた。
 彼に報いることが教師という形で出来るのならば、それはまたとない機会だ。
 それが嬉しくて二つ返事で了承した。憧れたあの背が、今は自分を頼ってくれている。

 ──教師となったなまえの目の前で剣戟が繰り広げられる。木製の武器同士がぶつかり合う音がした。
 なまえは声をあげる。導くために。


「──カテリーネ! 中途半端はどちらも怪我をする、恐れず踏み込め!」
「っ……はい!」


 カテリーネと呼ばれた女子生徒はなまえの指示通りに一歩踏み込んだ。
 危うかった剣先は今度こそきちんと相手の男子生徒の中心を捉える。男子生徒はそれを得物で受けとめ、流す。
 まだまだ未熟な身体の運びだが、その未熟さが眩しく思えてなまえは目を細める。

 自分にもあのような頃があった。危なっかしいと思われたことも沢山あったはずだ。
 それでもあの人は──先生は文句を言わずに指導し、自分の成長を認めてくれた。
 仕事だったからというのは当然そうだったが、それでもなまえはそれが嬉しかった。

 そして今は自分がその立場にいる。生徒の成長が喜ばしい。
 先生はあの頃、今のなまえと同じように生徒の──自分たちの成長を喜ばしく思ってくれていたのだろうか。

 そうだったらいい。そうあってほしい。
 思考が過去を回顧する。かつての自分はあそこにいて、剣を振るって──。
 過去へと飛び始めたなまえの思考を現在へと引き戻したのはひとつの声だった。


「──精が出るな、なまえ」
「ッ、せんせ……大司教猊下!」


 聞こえた声に背を伸ばす。振り返った先には鮮緑色が揺れていた。
 思わず昔の肩書きで呼んでしまったが、それではいけないと改める。
 そんななまえの様子がおかしいのか、どこか面白そうに大司教──ベレトは微笑んでいた。

 先生、大司教。それはなまえの恩師を表す肩書き。
 勿論、彼は大修道院に身を置いている。故に大修道院の中にある士官学校に顔を出すことだっておかしなことではない、のだが。
 彼は多忙の身である。戦争によって傷ついたフォドラの大地において、大司教という立場がどれほど重要なものなのか、なまえもなまえなりに理解している。
 それなのに、なぜ。


「猊下、どうしてこんなところに……」
「無理して猊下だなんて呼ばなくていい。……なまえにとっては、自分は『先生』だろう?」
「……生徒の目もありますから」
「お前の生徒は、そんな小さいことを気にする子ばかりか?」
「……先生の意地悪」


 自分がかつてベレトに指導を受けていたのは周知の事実だし、今更彼を「先生」と読んだところで生徒は気にしない。
 そんなことはわかっていたけれどなんとなく格好つけたかったのに、この先生は。きっとそれすらわかって発言しているのだろうと思うとなんだか悔しくなった。
 そして同時に、話を逸らされたことにも気が付いている。


「じゃなくて! どうしてこんなところに? お仕事は?」
「…………」
「目を逸らさない!」
「休憩、だ。……身体を動かさないと鈍ってしまいそうで……」


 目が泳いでいる。休憩ということは嘘ではないのだろう、けれど体を動かしに来たのは大司教補佐に伝えてないと見た。
 まったく、補佐に怒られても私は知らないぞ──そんなことを思いながら小さくため息を吐き出した。
 身体を長く動かしていないと精神的負荷がかかるのも、間違いではないだろうし。……と、それを許してしまうなまえも甘い。

 咎める気配を見せないなまえの態度を許可と捉えたらしいベレトは表情を緩ませ、訓練所備え付けの訓練用剣を手に取った。
 本当に生徒に混ざって体を動かすつもりだろうか、大司教が──とまで考えたところで、ベレトの目がこちらを向いていることに気が付いた。嫌な予感がする。


「……あの、先生? その目は……」
「教えてばかりでは、実際の立ち回りを忘れてしまうだろう」
「……大司教、あの!」
「手合わせ願う、『なまえ先生』」
「もー!」


 どうしてそう突拍子もないことを!
 自分の立場を分かっているのか分かっていないのか、ベレトは突然そんなことを言い出した。
 訓練とは言えど、大司教という立場にあるベレトに刃を向けていいものなのか。それも、生徒たちの前で。
 それは流石にどうなのか、と言ってくれる生徒が一人くらいはいてくれるのではないか──と一縷の期待の元生徒に目を向けた。

 生徒の目は、期待に輝くばかりだ。


「……、カテリーネ?」
「私、先生と大司教の訓練、見てみたいです……!」


 学習意欲が高いことはいいことなのだが、この時ばかりは彼女を恨みそうになった。生徒に責任は無いし、恨むべきでもないのでそんなことはしないが。
 なるようになれ、と半ば自棄になって同じように訓練用の剣を取る。お手柔らかに、と言ったが、あのベレトの表情は手加減などしてくれないだろう。







 鈍る、などと言ったのはどの口だったか。
 その剣の冴えは戦争中と変わりなく、師としてあるべき姿のもの。
 なまえとて鍛錬を欠かした日はなかったが、彼の剣はその上を行く。


「──冴えているな、なまえ」
「すっごーい嫌みにしか聞こえない……」
「そう言わずに」


 悪気なく言っていること自体は十分にわかっているが、それでも。
 彼の背に手は届かない。教師として同じ舞台に立てたかとは思ったが、どうやらまだまだらしい。


「大司教様、すごい……」


 生徒たちの感嘆が聞こえてくる。生徒らはなまえの敗北よりもむしろベレトの勝利に目を見張っているようで、なまえは少し安堵した。
 己の醜態をそこまで注視されていない。それに凄く安心している。


「……信頼されているな、なまえ」
「えっ?」
「信頼されていない先生なら、『大司教に負ける先生に教えてもらいたくない』という声もあがるはずだけれど」


 それがないから、とベレトは生徒たちを見ながら言った。
 そんな声が上がっていたらどうするつもりだったのか、自分を解雇するつもりだったのかと問い詰めたくなったが、その時はきっと『なまえも精進するように』と進言したのだろう。見捨てるのではなくて、共に成長しようと手を取ってくれたのだろう。

 本当に、この人は先生だ。なまえにとっては、ずっと。


「……私が信頼されているのなら、それは先生のおかげです」
「……自分の?」
「私にとっての『先生』は、先生だから」


 その背を追い続けてきた。憧れて、焦がれて、追いつきたいと走ってきた。力になりたいとすら思った。
 戦争が終わり、その後に迷い、それでもこの教師という道を選べたのはベレトの声があったから。


「私が知る『先生』が貴方だから、私は『先生』になれたんです」
「…………」
「先生がろくでなしのぽんこつだったら、私だって信頼される先生にはなれませんでした」


 きっとその時は、なまえが教師の道を歩むこともなかったのだろう。
 けれど違う。自分はベレトの背を見て、ベレトのような先生になりたいと思った。故にこの道の在り方は、ベレトのお陰だ。
 それを、彼は知らないかもしれないけれど。


「貴方の教えという火を受け継ぎたくて、私はこの道を歩むことを決めました。貴方に教えられたことを、この子たちに灯したかったから」
「自分はそんな、大層なことをした覚えはないけれど」
「教師ってそういうものでしょ。……先生、私、きっともっと素敵な先生になるから」


 貴方に負けないくらいに素敵な先生に。
 まだまだ未熟なのはなまえもだろう。だがそれでも、彼に憧れたなまえは火を灯し続ける。
 そうしてこの大陸に優しい教えの火が灯って、皆が幸せになればいいと思った。
 果てしない道だ。けれど、大司教と共にであれば出来る気がしてしまう。

 彼の顔を見上げる。優しい鮮緑は、変わらず『教師』のまなざしのままだった。



その火は消えない
(ねえ、先生。私、素敵な先生になれたら伝えたいことがあるんです)(……まだ、内緒ですけどね)



2020.04.15
Title...反転コンタクト