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黄色緑柱石


「……っ、」


 足に負った怪我が私の歩みを阻む。けれど立ち止まってはいけないと無理矢理足を動かした。
 幸いにも致命傷は避けている。それでも、このまま戦場にいても足手纏いになるだけだ。
 それはだめだ。私たちは今戦争の最中で、負けることは許されない。私たちが負けることで、私たちの暗夜王国の民がどれだけ苦しめられるか分からないのだから。

 だから私は離脱する。負けたからではなくて、勝つために。
 治療をしてくれる者たちが前線に出なくていいように、後ろで治療できるように。

 ──だけど。


「……遠い……」


 普段ならなんともない距離だ。しかれども、足に怪我がある私にとっては途轍もない距離に感じる。
 足が鉛のように重い。思うように動いてくれないのだから当然だ。
 それでも足を止めてはいけない。無理矢理引きずってでも、私から治療兵のもとに赴かなくては──。


「……あ……?」
「肩、貸すよ。歩けるかな」


 突然体が少し浮いた。自分の手が誰かに掴まれて、その上肩に手を回されていると知る。
 聞こえてきた声に顔をあげる。前を向いているようで下を見ていた私の目に、光がようやく入ってきた。

 暗夜の空を背景に微笑む彼は、しかし太陽のようにも見えた。


「……あなた、は、……ラズワルド……?」
「僕のことを知っているの? 嬉しいな」


 知っているもなにも。マークス様の臣下なのだ、暗夜王城に務めている人間が知らないはずもない。
 彼の声が間近でして、ようやく何が起こっているのかを把握した。私、彼に肩を貸されている。
 そんな畏れ多い、と彼を跳ね除けようとした手に力は入らない。思いのほか負傷がひどかったようだ。


「無理をしないで。こういうときは素直に力を借りていいんだよ」


 私の傷響かぬようにと、優しい色で囁かれる声。その中には何故だか優しさのほかの感情が渦を巻いているようにも思えた。
 けれどそれは一瞬のことだった。次に見た彼は、ぱっとした花の咲くような笑顔を見せている。


「ほら、笑って。暗い顔をしていたら、体が勘違いして酷くなっていくよ」
「……痛みに引きずられて、とてもじゃないけれど……」
「あはは……まあ、そうだよね。じゃあ、早く治療役のところに行かなくちゃ」


 再び歩けるかな、と私に問いかけた彼の顔はとても優しい。彼が噂通り女好きのナンパ師で、私が女性だから助けてくれた……というわけでもないのだろう。この顔は。
 それくらい彼は優しい顔で──そして、雲に隠れた太陽のようにさみしく笑っていた。







 ラズワルドのお陰で私は迅速に治療をしてもらうことが出来た。お陰で傷が化膿してしまったり、壊死してしまう……という最悪の事態は免れた。
 だが、自分が把握していたよりも傷は深くてしばらくの出陣はなしになってしまった。こればかりは仕方がない、無理をして悪化させてはいけない。

 そんな私に襲い来る敵がある。「暇」だ。
 普段の私は訓練や戦闘で忙しい日々を送っていた。そんなものだから、体を動かさない日々というのは久しぶりで──とても、難しい。
 学も必要だろうと書庫に行ってみても、心を惹かれる書物がない。ならば食堂に行って料理の練習でもと思っても、何を作ってみればいいのかがわからない。

 そんなこんなで、私は「暇」という怪物に苦戦していた。
 これが形あるものならば私はいくらだって剣を振るってみせるけれど、形の無い悍ましいものはどうしようもない。

 今日もまた、「暇」を倒せなかった。
 随分長い時間を一人で過ごしたような気になってなんだか物悲しくなる。

 こうして私は何日無駄にするのだろう。こうしている間に暗夜の民は苦しむのかもしれないし、私だって皆に置いていかれてしまう。
 鍛錬も出来ない私は、きっと弱くなっていく。
 それは嫌だ。私は、きちんとこの暗夜王国のために働きたいのに。

 そこまで考えてようやく、気分が落ち込んでいることに気が付き首を横に振る。
 ……暗い顔をしていては体が勘違いしてしまうとラズワルドも言っていたのだし、こんなのでは治癒も遅くなってしまう。
 八方塞がりな気分を変えるために立ち上がった。きっと散歩くらいなら誰も咎めたりしないだろう。





「……?」


 真夜中の中庭。普段ならば、たまの巡回にしか人が来ないであろう場所。人に気を遣われたくないからと足を踏み入れたこの場所に、人影があった。
 こんな時間に誰が、と言う疑問の次に出てきたのは侵入者だろうかという警戒心。でも、その一瞬の警戒はすぐになりを潜めることになる。

 その人影は踊っている。
 死んだような静寂が広がるこの中庭で、音もなしにそれは踊っている。
 踊り子──ではない。そんな人間が暗夜王城に雇われたという話は聞いたことがない。
 ならば誰が、と目を凝らす。月明かりに照らされて、見えた顔は──。


「……ラズワルド……?」


 数日前、私を助けた人。花の咲くような笑みを浮かべた男。
 彼だ。一瞬見間違いかとも思ったけれど、それは何度見たってラズワルドだった。
 マークス様の臣下がこんな夜更けに──という疑義も勿論浮かんだ。でもそれ以上に私は、彼のその踊りに目を奪われている。そうして彼を見続けていたから。

 ぱちり。目が合った。


「……!」
「わーっ!? き、君、見ていたの!? いつから!?」


 彼は踊りを中断してしまった。残念に思う私の気持ちは押し留めて、中庭の中央へと向かっていく。
 さっき来たところと言葉を継ぎ足すと、彼は少し居心地悪そうに私から目を逸らした。申し訳ないことをした、という気持ちになるけれど、私だって散歩をしに来ただけだし。


「は、恥ずかしいな……。まさか見られていたなんて……」
「気にすることないと思うけれど……」


 とても綺麗だったと告げる。それは心からの感想だ。だから素直に伝えたのだけれど、彼は顔を真っ赤にしてしまった。
 ……そんなに恥ずかしがり屋なのにナンパ師なんだ、と少しおかしく思ってしまう。変な人、と思わず漏れた笑みを咄嗟に隠すことが出来ない。


「ううっ……、……けど、笑えるようになったんだね、よかった」
「えっ?」
「君、王城で見かける時も笑顔が少ないように見えたからさ」


 ……見られていたのか。
 私は私のことしか考えられていなくてラズワルドの存在に気が付かなかったけれど、彼はそうでもなかったらしい。情けないところを見せてしまった、と身を縮こまらせてしまう。
 私のその醜態を、彼はマークス様へ話したのだろうか。

 不安を他所に、ラズワルドは続けた。


「笑顔は大事だよ。それがなくなれば、人はきっと生きていけないから」
「……そうなの?」
「そうだよ」


 そう言って笑う彼は、その容姿よりも随分大人びて見えた。まるでそんな世界を実際に見てきたような顔をしている。
 それがどうにもおかしくて、さみしくて、この太陽のような彼には似合わないと思ってしまって。
 思わず暗い顔をしてしまったのか、私の顔を見たラズワルドは少し眉根を下げた。


「ねえ、君……えっと」
「なまえ」
「なまえ。よかったら、話を聞かせてほしいな」
「私の?」
「うん、なまえの」


 どうしてと問いかける。そうすればまた彼は笑って、私に言った。
 君が暗い顔をしているから。
 ただそれだけを答えて、彼は私をじっと見る。……見つめられると恥ずかしがる、らしいのにそちらから見る分には問題ないのだろうか。
 それに、私が暗い顔をしているからってどういうことだろう。ラズワルドを見上げる。その瞳の奥に、何か思いのようなものがともっているように見えた。


「今夜の僕は、君の話を聞く僕になるよ。そうして、悩みも何も吐き出したら……また笑える君になるはずだから」


 太陽のような笑顔で笑った彼は、まるで私の心の内を見透かしたみたいに。
 温かい笑顔で私を照らして、私の奥底を温かなもので満たしていく。




今夜、太陽は月に従う
(僕が笑って君が笑って、そうすればきっと君に照らされる人だって出てくる)(僕は君に肩を貸したときから、君の笑顔が見たかったんだ)



黄色緑柱石-Heliodor-
石言葉:希望、輝く日々



2020.04.12
Title...反転コンタクト