孔雀石
※友情夢のつもりで書きましたが、筆者が同性愛も嗜む人間なので、見方によってはそのように見える場合があります。苦手な方はご注意ください。「──ルキナ!」
声がした。聞き慣れた幼馴染の声。けれども、その声には焦りが含まれていて。
一体何事か、と思案する間もなく自分の目の前に何かが躍り出たのを認識した。
それがなまえだと理解することに、そう時間はかからなかったけれど。
「……なまえ!?」
思考が認識に追いついた。しかし事態を好転させるには速度が足りない。
振り下ろされた刃が自分を狙っていたものだと気が付くのはその数秒後の話で、なまえは己をその凶刃から庇って倒れたのだと気がついたのはその更に後だった。
†
彼女はよく無茶をする。
それを悪いことだとは思わないし、咎める気もない。自分たちが生まれ育った世界は、無茶無しでは生きていけなかったのだから。
屍兵が跋扈し、人々が踏みにじられる世界。戦えるものは戦わなければならない世界。
そこがルキナの──そして幼馴染であるなまえが生まれ育った世界。
そんな世界で育ったのだから、彼女にとって無茶というのは標準装備になっているのかもしれない。ともすれば、ルキナも。
けれど、その無茶は確実に人の体を蝕むものだ。
そんなことくらい、なまえだってわかっているだろうに。
「っ……つ、あ……」
「! なまえ……」
小さなうめき声が聞こえて、ルキナは声の主を見る。重く閉じていた瞼はうっすらと開き、宝石のような輝きを少しばかりこちらに向けていた。
彼女を覗き込む。焦点がこちらに結ばれて、彼女はへらりと力なく笑った。笑っている場合でもない。
「……無事? ルキナ……」
こんな時まで自分に気を回さずにいるのか、と少しの腹立たしさを覚えた。
なまえが何を思ってあんなことをしたのか理解はしているが、だからと言って自分の身をまったく顧みない彼女の歪んだ自己犠牲精神を、ルキナは好きになれない。それは確かに、彼女の美徳でもあるのだろうけれど。
何も応えずに、眉根を下げてなまえを見下ろす。無言のままだったが、それを肯定と受け取ったらしいなまえがまた口元に笑みを描かせた。
「……無事そう……ね、よかった」
「よかった、じゃありません……!」
語気が強くなったことに自分自身気が付かなかったわけではないが、それを謝る気にもなれない。
彼女自身、そうされることを理解していたのだろう。半ば怒鳴るようにしていたルキナの様子に戸惑うことなく、ただ申し訳なさそうに笑っている。
申し訳ない、と思うのであれば、もう少し考えた行動をとってほしいとは思うが──きっと、言ったって仕方がないのだろう。
「貴方はいつも……そうやって、自分の体を大事にしない……」
「……けれど、王女たるルキナが傷つくよりはずっと、いいでしょう?」
「……ッ、命に貴賤など……、」
あるはずがない。あっていいはずがない。
そう答えられたらよかったのに、今のルキナにはとてもではないがそう言えなかった。
彼女は、事実を語っている。どうしようもないくらいに、残酷な事実だ。
命に貴賤はない──平時ならば。
けれど今は平時とは言えない。この絶望に満ちた世界で、幾人もがルキナを庇い、命を落としていった。
誰ひとりとして、失ってはいけない命だったのに。
それでも、彼らは──そしてなまえは、己の命を投げうってルキナを守る。それは、自分がこのイーリス王国の王女だからに他ならない。
命に、貴賤はない。例えルキナがそう思っても、大半の人間にとってはそうではないのだ。少なくとも、自分の命とルキナの命の価値を比べてしまうくらいには。
だからルキナはそれを言い切れないでいた。今それを言ってしまっては、自分のためと命を落とした人々があまりにも報われない。
今のルキナは、今だけは──それを言ってはいけない。
「……貴方は意地悪です、なまえ……」
彼女はそれを分かってて言った。否定できないことを理解した上でそんなことを言ってのけた。自分の正当性を主張するかのように紡がれたそれは、あまりにも惨い事実だ。
意地悪だ。そして、冷静だ。すべてわかっていてそんな言葉を投げてくるのだから、残酷なくらいに冷静だと思う。
それを彼女自身はどう思っているのだろうと、ルキナはなまえの顔を盗み見る。変わらない表情で、力なく笑ったままだった。
「……そんな顔をしないで、ルキナ。私は、生きてる」
「生きていればいい、なんて思ってませんか」
「思ってる」
きっぱりと、真っ直ぐな言葉が返ってきた。そんな言葉が欲しかったわけではなかったのに、否定してほしかったのに。
眉間に力が入ったのが分かった。なまえも、そんなルキナを見て困ったように表情を変える。
奇妙な沈黙が二人の間に降りて、ルキナは拳を膝の上で握った。
……そもそも、自分が強ければよかったのだ。そうしてあの刃に気が付けばよかったのだ。そうすれば、彼女は自分を庇うことなく、倒れることもなかった。
自分が、強ければ──。
「ルキナ、だめ」
「──え」
そっと自分の手の上に彼女の手が重ねられた。寝具に横たわっていた彼女の体は、いつの間にか上体が起こされている。
何がだめなのか、どうしてだめなのか。その答えがわからなくて、ルキナは彼女の目を見る。その目はいつになく真面目な顔をしていて、あの申し訳なさそうな力の無い笑みは浮かんでいない。
その真剣な目に意識が吸い込まれそうになって、ルキナは思わず息を呑んだ。
「貴方は、王女」
「……それは……」
「王女が、そんな顔をしてはいけない。……それに、手も。それ以上力を入れたら、剣を握れなくなってしまう」
諭すような言い方で、あやすような声音。落ち着かせるような話し方のそれは、ルキナの心に染み入るような。
こちらの緊張がほぐれたと見たらしいなまえは、再びその唇に弧を描いた。先ほどまでの力のない笑みではなくて、優しい顔だ。
「私は優しくないから、ひどいことを、重い責任を口にしてしまうけれど。……貴方は王女。この国の象徴。貴方が不安な顔をしていては、民草にそれは伝わってしまう」
「……それは、その通り……ですね」
「貴方の欠落は、もっといけない。……残酷なことかもしれないけれど、今のこのイーリスは指導者を必要としていて、それは貴方しかありえない」
分かる。分かっている。
だから命に貴賤はある。自分が今いるこの立場は、自分以外では務められないから。同じ血を持つ弟や、従弟であるウードでも出来はしない。
だから、守ってくれた。なまえは、そして今まで命を落としていった人たちは。
分かっていて、けれどその責任が重くて目を逸らしたくなっていた。
けれどそれをなまえは許してくれない。──残酷なまでに優しいから。
「……今はいいよ。私と二人きりだから、泣いてもいいし悔やんでもいい、許してあげる。でもここから出たら、それは許してあげない」
「……はい」
「私が、貴方の盾になるから」
ここで笑っていろと言う。
ここで民を導けと言う。
それはなんて無慈悲で、寂しい願いなのだろう。
なまえと視線を合わせる。その瞳の奥に、何か悲しい色が混ざっているのを知った。
彼女は優しい。残酷な真実を躊躇いなく告げ、しかしそれを苦しむ力があるくらいには優しい。
ならば、それに応えるにはルキナも強くなるしかない。けれど。
「……私は」
「うん?」
「貴方のことだって死なせたくありません、なまえ」
「盾は壊れないから仕事が出来るんだよ、ルキナ」
壊れたら守れないでしょ。
痛みに無理矢理貼り付けたような笑顔で、なまえは言った。
盾になる人
(貴方が盾ならば、私は剣)(貴方と共に歩む未来を、切り開きましょう)
孔雀石-Malachite-
石言葉:危険を伴う愛情、保護
2020.04.06
Title...反転コンタクト