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優しいキスで眠りにつくの

 後ろ暗い仕事をしているクリスティアを城の中に置き続けることは好ましくない。ディミトリは彼女の肩書をどうとも思わないが、城の中にいる者達が皆そうだとは限らなかった。
 そもそも彼女についてを詳しく話している相手はそう多くない。しかしそれでも渋い顔をされることは少なくないのである。

 自分たちとて血濡れた道を歩んでいたのに理不尽だ、と思う気持ちがある反面、納得もしている。
 フォドラの地は戦争を終えたばかりで、まだ不安定な情勢と行っていい。そんな中で勝戦国の王であるディミトリが城の中に暗い仕事を抱えるものを入れていると知られたら世論は一気に傾くだろう。
 それに加えて──ディミトリはそんなことはないと思っているが──クリスティアがディミトリに刃を向けるのではないかと危惧する声もある。当然の危機管理ではあるのでそれを咎めようとは思わないが、やはりその警戒心は互いに負担になってしまうのだ。
 そしてそれらは恐らくクリスティアも感じ取っていただろう。暗黙のうちにディミトリとの間に共通の認識として存在していたと言っても過言ではないと思う。

 だから彼女は姿を消した。
 丁寧に仕事が見つかった、という書き置きとわずかばかりの金貨を残して。

 驚きはなかった。いずれそうなるだろうという、ぼんやりとした、しかしはっきりと実像の見える想像がディミトリの内にあったからだ。むしろ書き置きを残しておいてくれた方に驚いてしまう。金貨は宿泊費用のつもりだろうか。
 挨拶もなしに行方を眩ませるなんてと怒る者もいたが、ディミトリはそれでよかった。面と向かって挨拶をされてはどういう反応を返せばいいか分からないし、挨拶を聞いた他のものが翳す感情をうまく処理できるとも思わない。
 唯一ドゥドゥーだけはなにか思った様子で彼女を探すかと問うてくれたが断っておいた。それはクリスティアへの愛想を尽かしたとかそういう無関心からくるものではなく──。


「あいつとはまた会える、多分な。……それに、居場所の目処はついている」


 書き置きをひらひらとドゥドゥーに見せたディミトリは、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。





 静謐な空間を夜の黒が見守っている。
 満足な明かりがついているわけではないが、月の光と僅かな燭台の灯火が照らす建物の内部は目を凝らさずともよく見えた。
 一歩、一歩、足音を鳴らしてその場に踏み入る。崩れていた天井は修繕されたのか、空が見えることはない。戦争の最中よりは学生時代を想起させる、とぼんやり思った。

 足音に気がついてかこちらを見る人影がある。驚いた様子は特になく、此方への声かけの代わりにひとつあくびをしたのが見えた。
 思わず失笑した。身分を驕るわけではないが、それにしたって自分を相手にあくびをする者を見るのは久しぶりだ。信頼されていると喜ぶべきか、軽んじられていると悲しむべきか。恐らくは王という立場ではなくて己という個人を見てくれている証拠なので喜ぶべきなのだろう。
 どちらにせよ、それが人影に向かうのを止める理由になったりはしなかった。むしろ少しの安堵感すらあったのだ。
 ある程度人影に近づいて足が止まる。窓から入る月明かりに照らされた人影の輪郭が浮かび上がっていた。


「大司教の侍女が聖堂であくびとはな。セテス殿に見つかったら怒られるんじゃないか、クリスティア」
「……それは勘弁願いたいけれど、あなたしか見ていないじゃない? ディミトリ王。というか、驚かないのね」


 歩みを再開する。暗闇に溶けていた姿が近づくたびに鮮明になっていく。そこにいる彼女は──クリスティアは、郊外で再会した時と似たような表情を浮かべていた。
 あくびを殺して平常を装うクリスティアだったが、その目の下にやや薄く隈ができているのを見逃さない。


「あの書き置きに使われていた紙、大修道院で使われているものだろう。立ち去るときに自らの痕跡を残さないお前がそんなわかりやすい示唆を残しているんだ、わからない方が不義理じゃないか」
「それにしたって、よ。あれからもう何節経ったの? 覚えていなくて当たり前だと思っていたのだけれど」
「一年だ」
「……道理で長いはずだわ」


 思ったままを告げればやれやれと言いたげに肩を竦められた。けれども表情は暗いものではない。例えるならば家族に向けるような、そんな親しみの込められた顔だった。

 一年が経った。
 再びの外遊でガルグ=マク大修道院に足を踏み入れたディミトリが、初日の夜に足を伸ばしたのが大聖堂だ。
 確信があった。クリスティアはここにいる、という確信が。それは彼女に提示したようにあの書き置きが理由だった。
 裏稼業を生業としているクリスティアが軽率に存在の跡を残すのであれば、それはその書き置きが暗示となって場所を示しているのだろうと推測できる。
 昼間の休憩に来るのではなくて夜だったのはこの方が彼女に出会えると思ったから。
 しかして目論見通り、ディミトリはクリスティアと会うことが叶ったのである。


「眠れていないのか」
「……どうして?」
「あくびと、隈。流石にわかる」
「あくびはともかく隈もか……」


 思い出したようにクリスティアの口からあくびが溢れる。目元に雫が輝いたのを見て小さく息を吐いた。
 眠そうだ。本来人間が眠る時間だから、という理由だけではない。あれから一年経って、その内の何日を彼女は優しい眠りで過ごせたのだろうか。
 足を進め彼女に近づく。少し驚いたような顔はされたが逃げられたりすることはなかった。そのまま彼女の手を取れば、今度こそ吃驚したように目が見開かれる。気が付かないふりをして、いつかしたように手を引いた。そう遠くに行くつもりはなく、目的地はすぐそこの数人がけの椅子。

 どうせ言っても聞かぬだろうと思ったので有無を言わせない。不躾だ、と自分自身に内心文句を言いながらもクリスティアの身体を抱き寄せた。流石に抗議の声が聞こえた気がしたがそんなものは耳に入らない。そのまま彼女を抱えて椅子に座らせる。
 そうしてやや雑に隣に座り、衣服を整え。呆然とその一連をされるがままになっていたクリスティアの肩を寄せ、己の膝へと転がした。
 ぱちぱちと何度かクリスティアのまぶたが瞬く。それから困ったように眉が下がって、同じように何度か開閉した口がようやくといった様子で言葉を紡いだ。


「……ええと。私、身分によって態度を変えることはあまりないけど、いくらなんでも国王に膝枕してもらうのは……無いと思うわ。世間の目もあるし」
「椅子にそのまま転がされるよりはいいだろう」


 自然とディミトリを見上げる形になったクリスティアの顔を見下ろす。瞳の赤の奥に、戸惑いと気恥ずかしさと、それから多少の居心地の悪さが揺れていた。
 そんなこと知るものかと目を伏せながら、クリスティアの髪に触れる。指を通せばやや絡まっていたので梳いてやればクリスティアは少しだけ身動ぎした。自分のものとは違う、と当たり前のことを考える。


「あまりに寝れていないと仕事に支障が出るだろう」
「大きめの仕事の前はちゃんと寝ていたわよ。けど、最近そういうのもないから」
「ない?」
「あなたとベレトの頑張りのおかげで、少しだけ治安が良くなったっていう話」


 クリスティアの言うとおり、最近大きな暴動や反乱、また何かに扇動された者たちの発起というものは減っていた。あまり考えて驕ってはいけないと思っていたが、彼女が言うのならば確かなのだろう。自分たちの行いが結実していると知って少し安堵する。
 目があった。しかしそれはディミトリを見るための目ではない、と直感する。どこか遠い所を見ているような、そんな瞳だった。
 困るなぁ、と呟いたのを聞いた。それはきっと治安が良くなることではなくて。


「だから今は侍女業ばっかり。私はそういうのガラじゃないってベレトには伝えてるはずなのにねえ」
「先生のもとでは眠れないのか」
「そうやって寄り添うには互いに血生臭すぎるもの」


 それを言うなら自分も、と思ったが余計なことは言わないでおく。
 今の彼女には眠ることにも理由が必要なのだろう。それを見失ってしまったクリスティアはさながら迷子のようですらあった。力なく笑う姿が少しだけあどけない。
 自分が理由のすべてになれるとは思わないが、欠片にでもなれるのならば奪うべきではない。少なくとも一年前はそうなれたのだから。


「あの夢はまだ見るのか」
「頻度は減った、と思う。見たとしても多少は起きるのが辛くなくなった。けど……」
「けど?」


 再び視線が合う。今度はきちんとディミトリを見ている気がした。
 それから、悪戯な笑みを口元に描いた。


「あなたがいないのは少し残念ね、と思うようになったかもしれない」
「…………」
「なんてね」


 クリスティアはくすくすと冗談めかして笑う。だがそれは冗談にするにはあまりにも実感が伴ったような温度をしている。
 それがどういう意味なのかわからないほど愚かでもないのだ。



「ふぁ、……本当に眠くなってきちゃった。ねえ、そろそろ解放してちょうだい、このまま眠るわけには……」
「なぁ、クリスティア」
「なぁに」
「外遊が終わったらファーガスに来ないか」


 やや微睡みはじめていた瞼が開かれる。今度の瞳は少し丸くなっていた。
 一年前から思っていたことだ。今こうやってクリスティアと話すことでそれを確実なものにしたいと思っただけで。今しかない、と頭の中で鐘がなったから今口にしただけで。


「……私の安眠のために?」
「ああ、そうだ」
「私がなんのために城からいなくなったと思っているの……」
「後ろ指を指されないように、だろう」
「分かってるじゃないの。だったら私はそう何度も、ファーガスには……」


 なら、と付け足す。
 少しだけ緊張しているのか、彼女の髪を梳いている手が止まっていた。緊張を悟られないようになんとか手の動きを再開させる。


「いるだけの理由を作ればいい」
「正式に雇うの? それこそ非難轟々だと思うのだけれど──」
「共に生きないか」


 静寂が鳴った。
 時間が停滞したような空白の中、見下ろすクリスティアの表情がみるみるうちに変わっていくのが見える。こんな表情もするのかとやや場違いなことを考えていると、それは、と小さく囁くような声がした。


「……そういうの、良くないわ。あなた王様でしょう」
「王だからその立場を利用するんだ。王妃が俺の側にいてはならないなどという馬鹿げたことを言うやつはいない」
「王様だから王妃選びは慎重になるべきよ……」
「適当なやつに膝枕するとでも思っているのか、お前」


 口ごもるのが見えた。正論を突きつけられて次に言うべき言葉を見失ったのだろう。
 それからややあって、はぁ、と息が吐き出される。そのまま観念したように目を伏せて、クリスティアは呆れたように笑みを作った。


「……今は眠くて頭が回らないわ、返事は明日でもいいかしら」
「お前な……」
「……きっと、悪い返事じゃないから」


 声に滲む色がやや嬉しそうなものだったのは気のせいではないだろう。あぁ、と小さく肯定を返せば安心したように身体を横にした。顔が腹の方に向けられたせいで表情がよく見えなくなったが、二人の間に否定的な感情は流れていなかった。
 そのまましばらく頭を撫でているとすぅすぅと規則正しい音が聞こえてくる。よかった、と小さく呟いて彼女の姿勢を変えてやった。仰向けにした彼女の顔を真っ直ぐに見つめてディミトリは身体を屈める。


「おやすみクリスティア、どうか良い夢を」


 触れた肌はとても人間らしい、優しい温かさを持っていた。



優しいキスで眠りにつくの





2023.03.11
Title...シュレーディンガーの恋