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怖いだなんて言わないで

 大修道院での会合も随分と日を重ねた。
 学生時代とは勝手が違うとは言え一年近くここで暮らしていたこともあり、この日常に慣れることは難しくなかった。無論自国とは違う環境にあるため思い通りにならないことも多々あるが、ベレトとの仕事はやりやすかったし──恐らく向こうがディミトリに合わせてくれているのだろう──それが精神負荷になることはない。
 それにベレトの傍で侍女の真似事をしているクリスティアも、存外いい働きをしてくれる。本人は侍女の真似事を気に入っていないらしいが、その動きは板についている。嫌がる様子を見せいるわりに執務には忠実だ。こちらが何か言う前にこちらの言いたいことを汲み取り行動してくれる。たまに本職の仕事をしているためいなくなってしまうのが惜しいと思わせるくらいに、彼女の働きは素晴らしい。

 そして今日は、クリスティアがいない日だ。
 いつもと違うのは──。


「先生も知らないのか、彼女の居場所」
「ああ」


 薄い表情のままに頷いた彼は、それでも何かを思案するような顔をしている。

 クリスティアの居場所をベレトが知らない。それは珍しい、異常と言ってもいい事態だった。
 彼女は律儀だ。それは嫌々ながらも行っている侍女業でも発揮されており、彼女の業務中、ベレトへの連絡を怠った様子を見たことはない。ベレトの近くにいることが多いディミトリですら彼女の行動のだいたいは把握できているほどだ。
 だというのに、今日はそうではない。これまでそういうことがあったか否かディミトリが知ることはできないが、少なくともディミトリが滞在している間では初めてのことだった。


「クリスティアは本職は『そちら』だし、咎めるつもりはないんだが……。居場所を把握できないというのは、少し。恨みを買いやすい仕事だし」
「探そうか、先生」
「ディミトリに任せるのは悪い、自分が個人的に……」
「彼女がいなくなって困るのは先生だろう」


 本当は自分が気になっているだけだ。
 適当にとってつけた建前だったが、ベレトは少し目線を逸らして頷いた。どうやら間違ってはいなかったらしい。
 安堵を悟られないように口元を結んで、手元の書類を軽く片した。


「迷惑をかけてすまない、ディミトリ」
「気にしないでくれ。俺がやりたくてやっていることだから」
「クリスティア、いい子だろ」


 いい子、とは。
 ベレトが零した言葉の意味が分からず、思わず顔を上げた。勿論、表情の薄い彼の顔からその言葉の意味を汲み取ることなどできはしなかったのだけれど。
 二、三度目を瞬かせ彼に目線でどういう意味だ、と問う。今度はベレトが首を傾げてしまった。


「言葉のままの意味だが……」
「いや、そうではなくて……」


 どう説明したものか。
 一瞬悩んだもののその答えが出てくる気配を感じ取れなかったディミトリは、ひとつ誤魔化すような咳ばらいをした。





「……いい子、だろうか」


 いい子はこんなところで、そんなふうに蹲っていないとは思うのだが。
 出てきた言葉を背に隠して、ディミトリは辺りを見渡した。

 彼女の姿を見つけること自体はそう難しいことではなかった。
 巧妙に隠そうとしていたようで痕跡は殆どなかったし、当てずっぽうで捜索するとしても普通の人なら「そこ」の可能性は排除するだろう。
 が、ディミトリは「そこ」も可能性として視野にいれることが出来た。

 大修道院付近にある封じられた森。禁忌の地として伝えられる禁足地。普通の人間ならば踏み入ろうとすることすらしない場所。
 誰もが「そんなところにあの侍女がいるわけがない」──そう思いかねない場所。

 だがディミトリはそこの可能性を排除しなかった。それは「彼女が真面目だから」とかいう信頼感より出るものではなく、ディミトリもかつてこの地に足を踏み入れたことがあるためだった。
 士官学校生徒としてベレトの仇敵を彼と共にここで討った。故にディミトリはここがどういう場所かを知っている。封じられた、と言ってはいるが、特に聖域のようなものがあるわけでもなく、故に再び足を踏み入れることに抵抗はない。
 だからここに来た、それだけのこと。まさか本当にいるとは思っていなかったのだが、事実クリスティアはここにいた。

 いた、のはいい。当初の目的は果たしたのだから、それでいい。
 だが──。


(この、光景は……少し、な)


 ディミトリの頭を痛ませるのは偏にそれだった。

 彼女は蹲っている。
 人の屍の上で。
 彼女は蹲っている。
 積み重なった人の屍の上で。
 彼女は蹲っている。
 血の海に積み重なった人の屍の上で。

 今更人死にに嫌悪感など抱かない。己とて妄執に囚われていた頃は幾人も殺したのだ、その嫌悪などとうの昔に捨て置いた。
 だが、それが一般的には受け入れがたいものだという理解もある。だから他人に見られる前でよかった、とも思う。

 息を吸った。嗅ぎ慣れた鉄さびのような匂いが肺を満たすのを感じる。
 一歩踏み出す。なるべく気配は殺さないで。そのお陰か、彼女はディミトリの目論見通りこちらに気が付いた。
 彼女の虚ろな目がこちらを向く。赤い瞳はまた血の色を携えていた。

 また一歩進める。彼女はこちらに拒絶の意を示さなかった。
 それを受け取ったディミトリは、そのままずかずかとクリスティアに歩み寄って屈み、彼女と視線を合わせる。


「どうして殺した?」
「…………」


 誰ではなく何故を問う。横たわった沈黙は暗に彼女が殺したのだということを指し示していた。
 沈黙を寝かしつけるようにクリスティアの頭を撫でる。ふと見下ろした彼女の手は少し血に濡れている。
 頭を撫でる手でそのまま頬も撫でてやった。陶器のような肌はどことなく冷たい。


「……仕事、だったから」
「それだけか?」
「……違う、私……」


 視線が宙をうろついた。言葉を必死に探している様子を見るに、私情もあったのだろう。
 言葉を待つ。聞かないという選択肢もあったが、それは問題から目を背けている気分になるので聞こうとした。


「……彼らは……ディミトリ王とベレトの抹殺を計画していた地底の民で……」
「…………」


 予想をしていなかったわけではない。
 自分は賢君ではない。見様によっては戦乱の世で人を虐殺した大罪人とも言える。
 そしてそれは──ディミトリよりは遥かに奇麗なのだが──ベレトも同じだ。
 軍を率い、戦場に立ち、刃を揮った自分たちが恨まれるのは当然のことだ。

 つまり、今回のこのクリスティアに殺された者達はあの戦争によって自分たちを恨むことになった者である可能性が高い。
 その遠因は恐らく、自分やベレトにある。クリスティアではない。


「私の仕事はベレトを守ること……でも」
「でも?」
「……今回のはちょっと、範囲越えちゃったかな……」


 あはは、と嗤う彼女にかつての己の面影を見る。
 上手く笑えているだろうか。そんな疑念を孕んだ笑みだ。


「ねえ、ディミトリ王」
「なんだ?」
「私のこと、こわい?」
「どうして」
「殺し屋、だから」


 クリスティアの手が力なく下ろされた。
 つられて視線を落とすと、彼女が座っている屍が目に映った。その屍は顔の損壊が特にひどく、最早見る影もない。
 個人を識別することは叶わなそうだな、そんなことを思いながら口を開く。


「俺は職で人を判断しない」
「…………」
「それで、そう問うた理由は?」
「……これ、私が殺し屋になった理由」


 何を指しているかは聞かずともわかった。この損壊のひどい躯のことだ。
 やはり、と一人納得をした。これだけ顔を執拗に破壊しているのだから、なんらかの理由があると思っていたのだ。間違いではなかったらしい。
 クリスティアに視線を戻す。赤い瞳は少し落ち着きを取り戻していた。


「殺さなきゃベレトとディミトリ王が、って思って……そっから正直あんまり覚えてないや。気が付いたら、こう」
「お前という奴は……」
「……私を罰する?」
「なぜ」


 自分でも驚くほど自然に出てきた「なぜ」の言葉に少し目を見開いたが、自分よりもクリスティアの方が驚いた様子だった。


「人殺し、だし」
「俺も先生も、似たようなものだろう」
「……む」
「殺しに重いも軽いも違いもない。あるのは、人を殺し、人が殺されたという事実だけだ」


 正当化するつもりは毛頭ない。彼女が罰されるというのならば自分もそうなるべきなのだろう。
 故にディミトリは彼女を裁けないし裁かない。無論彼女が敵に回るというならば、その時は相応の行動を起こさねばならないのだろうが。

 クリスティアを怖いと思うには遅すぎた。それほどまでにディミトリは、血に濡れているのだから。


「お前は仕事をした。俺や先生を守った。それで、今はいいだろう」
「そう、かなあ」
「お前も俺も、裁かれるのはまだだ。……そう思おう、クリスティア」


 そうでなければ、王も護衛も、務まらないだろう。
 クリスティアの瞳に映った自分を覗けば、その顔はどこか暗鬱な色を灯しているようにも見えた。



怖いだなんて言わないで





2020.08.01
Title...シュレーディンガーの恋