×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



一瞬で楽にしてあげる

 クリスティア=ラグランジュの捜索を始めて数日が経った。未だに彼女の所在は掴めていない。
 私的な感情が含まれた捜索のため大々的に国の兵力を投入しているわけではないとはいえ、ここまで正確な情報が出てこないのは彼女の情報隠蔽能力が高いということだろうか。
 「クリスティア=ラグランジュ」の情報が一つも出ていないわけではない。ただ、そのどれもが「彼女は修道女である」やら「彼女は商人である」やら「彼女は浮浪児だった」やら整合性のないものばかりで、彼女の正体を明らかには出来ていなかった。

 結局その姿を再び捉えることは今日まで叶っていない。
 非現実的ではあるが、自分に殺しの依頼があれば見つかるのだろうか。
 とはいえ、だ。殺しの依頼があればよろしく、とは言われたもののそんなものが易々あるわけないし、その手段が必要になるときも来てほしくないとすら思っている。
 助けられた礼はまだきちんと出来ていない。彼女が自分にとって排除するべき対象になってしまう前に、せめてきちんとした礼を言っておきたいのだが。

 見つからないものは仕方がない、と諦めるべきだろうか。
 そう思いながらディミトリは公務に励んでいた。今日はガルグ=マク大修道院にいる大司教、かつてのディミトリの教師であったベレトとの会合だ。
 殺しを生業にしている者を探している、などと彼に知れたら説教をされてしまいそうだ、とディミトリは人知れず苦笑した。今は彼女を忘れ、きちんと仕事をしよう。

 大修道院に着いたディミトリは真っ先に大司教の執務室に向かう。
 最低限の荷物を持ち、護身用のナイフだけ携帯して。
 護衛の者は連れて行かない。あまり大人数で行っては、大司教を守らんとする修道士たちに訝しがられる可能性があるからだ。ベレトは自分を殺そうとするはずがないのもわかっているので必要ないと思っているということもある。
 ベレトの方もそれを分かっているだろう。ディミトリとベレトを守るに足る実力を持った人間を執務室に入れると聞いてもいた。
 だから油断せず、慢心せず、ただ昔馴染みに再会できる喜びを少し抱えて仕事に向かった。
 その足取りはきっと傍から見れば王のものではなく、恩師との邂逅を心待ちにする学生のようにも見えただろう。実際、ディミトリの気持ちとしては王の責務を感じながらも個人として楽しみにしているのも否定できない。

 失礼すると声をかけながら扉を開いて認識した世界に、ディミトリは少しだけ息を呑む。


「……は?」
「ああディミトリ、久しぶり。今資料を片付けるから少し待っていてほしい」
「ベレト様、私が片しておきます。ディミトリ王を待たせぬよう」
「なら頼む」


 執務室の中、ベレトの傍には一人の侍女がいた。
 それは何らおかしいことではない。侍女が護衛を兼ねるということもあるし、それを踏まえれば彼女が護衛なのかもしれないと思うのは当然のことだ。
 けれど、その見た目が見覚えのあるもので。だからこそその似合わなさが妙に目について。
 侍女のどろりとした血のような赤い瞳が、ゆるりとこちらを向いた。

 ぞっと思考が巡回する。
 彼女の名前。彼女がここにいる意味。ベレトの傍。彼女の装備。

 殺しの依頼。


「──クリスティアッ?」
「……? ディミトリ?」


 ベレトがこちらを見ている。クリスティア──に見える侍女──は赤い目をきょとんとさせたままだ。

 最悪の想定が脳内を駆け巡っていた。
 クリスティアがなぜここに。今の今まで見つからなかった彼女が今になって。
 仕事としてきたのか。ならば、彼女の仕事内容は、仕事の標的は──。

 巡る思考を止めるように、ベレトの声が聞こえた。


「……長旅で疲れたのか、ディミトリ」
「……いや、俺は──」
「クリスティア、お茶を頼めるかな」
「……畏まりました」


 ベレトが侍女に告げた瞬間の彼女の表情が、とても冷たい。
 ベレトは彼女をクリスティアと呼びかけた、ならば彼女はやはりクリスティアなのだろう。であればその表情の意味は。
 嫌な思考ばかりが浮かぶ。殺しを生業としている彼女が入れるお茶、と聞いて連想するものがいいものではないのは必然だろう。
 息を整える。吸って、吐いて、唇の微かな震えを抑えてから口を開いた。


「先生、彼女は……」
「クリスティアのこと?」
「大司教、失礼します!」


 扉を叩く音の後、忙しなく入ってきたのは修道士の恰好をした男だ。
 慌てた様子で入ってきた彼は一度ディミトリの方をちらと見る。あ、と不味そうな顔をした辺り、こちらに聞かれては良くないことなのだろうか。それとも、自分たちの会合中に来てしまったことを申し訳なく思ったのか。
 自分の考えはベレトも思い至ったようで、「構わない」と彼に言ってから続きを促す。
 ちらと侍女クリスティアを見る。底冷えする目がこちらを見ていた。


「少々、お耳に入れたいことが……」
「言いにくいことか?」
「はい、ですので、少し……失礼いたします」


 部屋の敷居を跨ぎ、扉を閉める。その動作は静かなもので、怪しいものには見えなかった。
 自分の横を通って彼はベレトの元へ歩んでいく。足取りはしっかり、しかしどこか焦りを孕んでいるような。
 いったい何があったのだろうか、と思案する。ここに来るまでに各国に不穏な動きはなかったはずだし、だとすればいったい何が。そうして視線を修道士に移したその時。

 袖口に何かが煌めいたのを見た。


「──先生ッ、そいつは……!!」


 手を伸ばす。届かない。普段持っている長柄武器はここにあらず、速度も足りない。
 ベレトならばきっと寸でのところで躱す。そう信じていても焦る心は言うことを聞いてくれはしなかった。
 袖口で煌めていていたのは刃だ。あんなもので的確にベレトを殺せるとも思えないが、それでも。
 どうする、どうすれば──。


「っづア!?」


 修道士の叫び声がした。何が起こったのかと顔を上げる。

 ぽた、ぽた。修道士から流れ落ちるのは水だ。
 修道士を見ると湯気が立っていて、その向こう側にはクリスティアがいた。よくよく見るとクリスティアの手にはカップがあり、その中身を彼にぶちまけたのだと推測する。
 そして、そのままクリスティアは足を振り上げた。


「ふッ──!」


 ごん、と鈍い音がする。彼女が振り上げた足は的確に修道士の顎を捉えていた。
 クリスティアの一撃をもろに喰らった修道士はそのまま後ろへと倒れこみ、そのまま何か次の行動を起こすことは出来ない。

 一瞬の出来事だった。
 部屋に静寂が満ちたころ、ベレトがそっと口を開く。


「……どう考える、クリスティア」
「計画犯ではないよ。教え子との会合で気が緩んでるだろうって睨んで突発的にやってる。でも、『奴ら』の一味。それは違いない」
「そうか」


 気心知れた仲間のように会話を交わす二人を見て呆気にとられる。
 なぜ、どうして。クリスティアは恐らくあの日に見たクリスティアその人で、ベレトはそのクリスティアと会話をしている。
 意味が分からず、思わず縋るようにベレトを見る。そのディミトリの視線に気が付かないベレトは言葉を続けた。


「情報は……」
「だめ、出ないよ。下っ端も下っ端。敵地のど真ん中に来るんだからね。何も知らされてない。事前に調査してたけど、部屋にも何にも」
「……抜かりないな、相変わらず」
「まあ、そういうわけで。彼、楽にしてあげるね」
「…………」
「ちょっと、渋い顔止めてよね。私への依頼はそういうことだって、ベレトがよく知ってるでしょう」


 よいしょ、と言いながらクリスティアは修道士を担いだ。見た目からは想像できないが、男一人を担ぐだけの力はあるらしい。
 呆気にとられるようにぽかんと二人を見ていたディミトリが、彼女がこちらに──扉に向かっていることに気が付いたのはすれ違う直前だった。
 すれ違って数拍。背後で扉が開く音がして、思わず振り返り彼女の名前を呼んだ。


「クリスティア──ッ」
「ごゆっくり、ディミトリ王?」


 にたりと笑うその顔に、あの冷たさはない。
 彼女に手を伸ばすその前に扉は閉じられ、外界と隔絶された。
 やり場のなくした手を下ろし、改めてベレトの方を見る。ベレトは苦笑いを浮かべていた。


「……先生、彼女は……」
「傭兵時代の知り合い、色々と評判だったんだ。人を『楽に』することに関しては特に。……今は……」


 腑に落ちた。この大司教は教師になる前、傭兵として各地を点々としていた。
 クリスティアが傭兵団所属だったのか、それとも傭兵として赴いた先にいたのかはわからないが、そういう繋がりであればこの教師が血なまぐさい知り合いを持っていてもおかしくない。
 けれどベレトが次に口にした言葉は、ディミトリの予想になかったものだった。「大司教」や「教会」は身近過ぎて思いもしなかった。


大司教じぶんの元で働いている……護衛、といったところかな。それにしては、少々暗いかもしれないけれど」


 自分のまつげは見えない、とはよく言ったものだ。


一瞬で楽にしてあげる






2020.05.19
Title...シュレーディンガーの恋