あなたはここから出れないの
「やぁドゥドゥー、くたばっていないわね?」
「陛下は」
「大司教猊下と共に隠したわ。殲滅までは余裕でこなせるでしょう」
血に濡れた剣を眼前の敵兵に振り下ろした。切るというよりも叩きつけるような感覚が手に伝わってクリスティアは顔を顰める。手入れを怠っていたわけではないが、流石に長く使いすぎたようだ。
対してクリスティアの言葉を受け取ったディミトリの臣下、ドゥドゥーは表情を変えることなく斧を振るっている。大振りなように見えて芯の通った、強い一撃だ。
はじめに彼の依頼を受けた自分は間違っていなかった、と改めて思う。
裏稼業には危険が常について回る。標的に反撃され殺害されることも当然だが、クリスティアがなによりも危惧するのは依頼主の立ち回りについてだ。
裏稼業は信用によって成り立つ。それは請負人であるクリスティアらも勿論だが、依頼主にとってもそうだ。質の悪い依頼主だと前払い分しか払わずに逃げる奴もいるし、裏切られ背後から刺されることもある。そういった者からの依頼を受けないために依頼主の素性は徹底的に調べ上げるのがクリスティアの仕事のやり方だった。そこで篩にかけられた相手の依頼は受けないし、クリスティアから信用を得られたものがようやくクリスティアに仕事を依頼できる。
その点、このドゥドゥー=モナリロという依頼主は信用に値したし、彼を信用したクリスティアの目も狂いはなかった。
初めはベレトからの紹介だった。
ベレトが寄こした人間なのだから信用できないということはそうないとは思ったが、それでも彼の素性を調べるのは染み付いた癖のようなものだった。それを事前に伝えていたが、彼は嫌がる素振りも見せなかった。
ダスカー征伐の生き残り、ファーガス神聖王国国王ディミトリの臣下。そして先の戦争にてベレトの元でファーガス軍の将として戦った者。
それらの肩書を携えた彼が自分に寄こした依頼は「ディミトリを害する集団の排除」だ。
恐らくディミトリに命じられて行った依頼ではなく彼の独断だろう。あの王がこんな仕事をしている自分を積極的に使うとは思えない。
「前みたいにおとなしくしていてくれたら楽だったのだけれど」
「……報告にあった集団か」
「殆どは帝国兵だわ。それから帝国の……ディミトリを恨む暗殺集団に……」
「…………」
こちらの手段が殺しだと知ったドゥドゥーはやや考える素振りを見せたが──ベレトも説明してくれていればいいのにと思った──最終的には依頼を正式に出し、クリスティアはそれに答えた形になる。
初めの仕事はディミトリと出会った日の事だった。ひとり取り逃がしてしまったのは落ち度だったので苦言を呈されたが、結果的に依頼の成功には違いなかったので大きな問題にはならなかった。
だがひとつ誤算があった。
あの時始末した者たちの身元を調べていて知る。確かに彼らや帝国兵たちが所属しているのはディミトリに恨みを持つ暗殺集団ではあったが、その背後で糸を引いていた存在がいたことを。
「──アガルタの民」
同時にそれがクリスティアの復讐相手であるということを、その時に知ってしまう。
彼らが行っていることの詳細は知らないし知りたくもない。ただ彼らにクリスティアの平穏を壊されたということは変えようもない事実で、復讐するには十分な理由だった。
それからは彼らのことを調べ上げた。と言っても詳しいことを知ることはできなかったが。
しかし彼らがファーガス神聖王国と共にセイロス教を憎んでいることを知れた。と言うよりも力関係的には、セイロス教を憎む故に、それに強い繋がりのあるファーガス神聖王国を敵対関係として認識している、というのが正しいのだろか。
クリスティアの推測混じりにはなるが、恐らく彼らはセイロス教とそれに与するファーガスを打倒するため、同じく打倒セイロスを掲げ、そして王国に止められた帝国兵を焚き付けて、こうして襲撃を目論んだのだろう。今回のことも、それより以前のこともそうだ。
その割におかしなところもあるが──思考が逸れ始めたことに気がついてクリスティアは小さく首を振る。練度の低い旧兵に遅れを取るつもりはないが、だからといって油断して首をとられては情けないどころの話ではない。
彼らの目的であるディミトリとベレトはアビスと呼ばれる地下都市に隠した。彼らが出てきたりでもしなければ問題はない。あそこの頭と話をつけておいてよかった、と心底思う。そのために懐が少し寂しくなったが、ことを楽に進めるためにはそれでいいだろう。
状況把握のために視線を巡らせる。
この場にいる兵士はそう多くない。邪魔者の排除は精鋭達で行い、残りの兵はベレトとディミトリを探しているのだろう。自分たちを片付けたあとにそちらに合流しようとしている。
悪くない手だとは思う。こちらがディミトリの臣下と殺しの専門家でなければの話だが。
「ドゥドゥー。南へ誘導できるかしら」
「何故」
「恐らく人探しをしている隊もその辺りにいるわ。彼ら姿を晦ましたのは南だから。だから合流させてほしいの」
「……反撃の可能性は」
「そうね。でも、その方が早く殺せるわ」
ドゥドゥーの瞳が僅かに眇められる。
初めて依頼の話をしたときもそうだった。こちらが殺しという言葉を使うと、彼は微かにその表情をするのだ。その言葉の重みを知っている者の顔だな、と思う。
それでもこの手段を飲み込むのは、結局のところこれしかないと理解してしまっているからだ。
だからクリスティアは口にする。彼を納得させるだけの理由を。
「一度復讐の坩堝に囚われた人間は、それが成されるまで、そして成されたとしても簡単には出てこられない」
「…………ああ」
「見逃していては何度も焚き付けられて、何度も苦しんで、何度も同じことをする。非効率的というのはもちろんだけれど、悲しいじゃない、そういうのって」
自分にも言い聞かせているような言葉だった。
クリスティアが事実そうだ。己の安穏を奪った直接の原因は殺したが、それで復讐心が消えるわけではなかった。原因だけに向いていたはずの殺意が、アガルタと言う民全てに向けられるようになったと気がついたのはついこの前のこと。勿論──前は例外として──仕事に私情を挟むつもりはないが。
彼らもそうだろう。巻き込まれた、操られた帝国兵には悪いと思う気持ちはなくはないが、仮に見逃しても恐らくまたベレトやディミトリを狙う。そしてそれが成された後、膨れ上がった焔はセイロス教の敬虔な信者やファーガス神聖王国の民に向く。
その憂いを断つためには、殺しきらなくてはならない。
「……分かった。やろう」
「ありがとう。貴方の依頼、受けてよかったわ」
「此方からも、お前に依頼してよかったと思わせてみろ」
「もちろん」
そのために今ここに立っているのでしょう、とドゥドゥーに笑ってみせた。赤い瞳が少し揺れていたのに、彼は気がついたのだろうか。