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悪夢はようやく終わりを告げる

 明晰夢、というものがある。
 これが夢である、と夢の中で自覚している夢のことだ。経験者曰く、明晰夢の中では「自分」はなんでも出来る、夢の状況を好きなように変化させられると言う。
 ならば今見ているこれはどうなのだろうか。

 意識はある。夢だという確信もある。けれど「思い通りにできる」なんていう全能感はない。
 どちらかと言うとこれは──。


(過去の風景を見ている、ような)


 自分で状況を言葉に変換して、ああ、と腑に落ちた。
 そうだ、これは見ているだけだ。
 父がいる。母がいる。幼馴染がいる。幼い自分がいる。
 幸福そうな笑みを浮かべたそれらを、自分は外から見ている。
 体験している訳では無い。けれどそれでも有り余るくらいの幸福だった。手放すのが惜しいと思ってしまうくらいの幸福だった。
 出来ることならばこの光景を瓶に詰めてずっと見ていたいとすら思う。もう二度と手に入らないからこそ失いたくないと思う。
 夢だと理解している夢というものがこんな風に心を抉ってくるとは知らなかった。確かにこれは目覚めたくなくなるかもしれない。


(……それでも、)


 自分は知っている。そんなことを思っても無意味でしかない。
 夢を見ている自分は結局のところ夢を見ている自分でしかない。今を死にものぐるいで歩いている自分ではない。
 この夢の優しさを不要だと断じることはできない。そう思いたくもない。けれど、少なくとも今の自分がここに閉じこもっていいわけではないと知っている。

 行かなければ。
 父に遺されたこの国を守るために。幼馴染が守ってくれたこの命に報いるために。
 それに、と一呼吸置く。


(偉そうに説教をした俺が夢に囚われていては、な)


 説得力も何もあったものじゃない、と己を奮い立たせる。
 彼女の顔を思い浮かべる。彼女と同じものを見ているかはわからないが、きっと近いものを見続けていたのだろう。
 そして恐らく、これを跳ね除けるだけの胆力も環境も彼女にはない。辛さに溺れながら悲しみに詰まりながら、彼女はそれでも生きるしかなかった。
 理解できるわけではない。他人のことなど十全にわかるはずもない。それでも寄り添えるならと思う事自体はやめられそうもない。
 とんだ傲慢だ。


「……それでも、きっと間違っていない」


 振り返った誰かが笑った気がした。


 目を開ける。
 いつもどおりの朝に、いつもどおりの頭痛。しかし悪夢に起因しないそれが少しだけ心地よかった。
 自分はこの世界で生きている。





 昼を過ぎてもクリスティアは姿を現さなかった。
 彼女が昼過ぎまで寝ているというのは以前の体験から知っていたし、それ自体を不思議に思うことはない。しかし彼女が黙っていなくなる可能性はあるので確認しに行かないわけにはいかず、かと言って知らずに起こしに行った誰かが寝起きのクリスティアに襲われる可能性もあるのでそれは避けたい。
 どうするか、というのは決まっているようなものだった。

 昼休憩の時間、ディミトリは一人で扉の前に立っている。
 ドゥドゥーに「クリスティアを起こしに行く」と言ったら着いてくる素振りを見せたが断っておいた。彼女がディミトリに刃を向け、それをドゥドゥーに見られたとしたらどうなるかは想像に難くないからだ。
 とても心配されて良心が痛んだが、これは譲歩できないと首を振り続けていたら最終的にドゥドゥーが折れてくれた。

 部屋の扉は沈黙を守っている。
 いつかベレトがしていたように三回叩いてみた。しばらく待ってみたがその静寂が破られることはないらしい。
 本当にいなくなっていたら、と少しだけ考えてみる。寂しいが、彼女を止める権利などこちらに有りはしないと気がついて気分が重くなった。


「クリスティア」


 名前を呼ぶ。……返事はやはりない。
 一から十まで数字を数える。その間に空気が動く気配もしなかった。
 仕方がない、と取っ手に手をかける。女性が眠る部屋に入るなんてと考えるとやや気乗りはしないが、だからといって他人に任せる気にもなれない。再三にはなるが襲われても困る。
 取っ手を握る手に力を込めた。慣れたはずの重みだが、心なしかいつもよりも開けるのに時間がかかってしまった、ような。

 開いた扉の向こうにクリスティアの姿を探す。
 以前のように床に散らばる書類と共に寝落ちているかと思ったが、それらしき書類も塊も見つからない。本当にいなくなっているのか、と一抹の不安を抱えて視線を動かす。

 寝台でおとなしく眠っている。
 一瞬それがクリスティアだと認識できなかった。まさか普通に大人しく、そこに有るとは思っていなかったのだ。
 寝息はわずかに聞こえている、気がする。少し深く息を吸い込んでから一歩を踏み出した。
 一歩、二歩。足音は立てて、自分がいると示すように。


「……?」


 あのとき反応した距離に近づいてもクリスティアが目を開く気配はない。わざとらしく足音を鳴らしているのにだ。
 まさか体調が悪いのでは、と良くない想像が頭を掠めて鼓動が少し早まった。自分が王城に招いたことがクリスティアにとっての重圧になってしまったのでは。
 逸った足と呼吸を整え、再び彼女の眠る寝台へと近づく。手を伸ばせば届く距離まで近づいて顔を覗き込んだ。
 呼吸は整っている。魘されてもいない。顔色は休めていないらしい時よりも幾分か整っている。よく眠っている、だけなのか。
 ……どうやら早とちりだったらしい。安堵して思わず膝から崩れ落ちた。


「まったく……」


 安らかに眠る彼女の顔をもう一度見た。
 その表情に苦痛はない。こちらの思いを知ることなく静かに佇んでいる。
 昼も過ぎて結構な時間が経つ。よく眠っている彼女を起こすのは忍びないが、流石にそろそろ起こしてやらないと日中の活動に支障をきたすだろう。


「クリスティア」
「……ん、」


 ゆっくりとした速度で目が開かれる。まぶたの奥に隠されていた赤色は血の色を携えず、優しい炎のような色をしていた。
 微睡みの淵から意識が戻ってくるように光が宿っていく。曖昧だった視線がこちらを向いて、焦点を合わせるように何度か瞬きをした。


「……ディミトリ王」
「おはよう。よく眠れたようだな」


 のそりと体を起こしたクリスティアの顔を見る。窓から入る日差しに照らされた彼女の顔は、やはり昨日と比べると随分いいように見えた。
 緩慢に首が振られたあと、その赤い相貌がじっとこちらを見ていることに気がついた。いったいどうしたのだろうと不思議に思っていると、同じように不思議そうな顔をしたクリスティアと目が合う。


「……どうした?」
「……本当にいた、と思って」
「どういうことだ?」


 彼女の言うことはいつも回りくどいが、今回のものはもっとわからない。
 ここは王城で、この城の主はディミトリだ。いることはなにも不思議ではないはずだと思う。自他の評価にずれが存在しなければ、だが。
 それともこの部屋にディミトリがいることがだろうか。それなら確かに頷かざるを得ないとは思うが。


「……他の奴らが来て襲いかかられても困るからな」
「それは……まぁ、そう。でも今日起きなかったわね私」
「そうだな。どうしたんだ?」
「ディミトリ王の気配に慣れたのかも。……いや、でもそうじゃなくて」


 しれ、と流すように言われた言葉に目を丸くした。
 慣れた。自分の気配に。最初の頃は気配で飛び起きられたのに、首を獲ろうとすらされたのに。
 それは信頼の証なのか、安息の証なのか、あるいはそのどちらもか。

 よかった、と思う。どういった理由であれ、それは悪感情ではないだろう。
 自然と上がる口角を隠すために咳払いをした。何事もなかったかのように続きを促す。


「そうじゃないならいったい?」
「夢見ていたときにディミトリ王の声がした気がするから」
「それは……俺が声をかけたから?」
「多分」


 夢、と言われて心臓が少し強く跳ねた。
 彼女にとっての夢は昨日話したあの夢に違いないだろう。おそらく今日自分が見た夢と似通ったところのある夢だ。
 穏やかそうに見えたあの寝顔の奥に、やはり彼女はあの夢を見ていたのかと知ってきゅっとした痛みが胸を走る。苦手な夢を何度も見る苦しさは、種類は違えど知っているつもりだ。


「……不思議な気分ね」
「不思議?」
「いつも、夢の中で出会う声は現実で会えないから。でも、今日は違ったじゃない?」


 眠そうだった瞳は徐々に覚醒しているのかしかとこちらを見ている。声もはっきりとした発音になっていて彼女の起床を知らせているようだった。
 こちらを覗き返す輝きは曇っていない。それどころか少しやさしげな色で咲いている。


「……約束守ってくれてありがとう、ディミトリ王」
「……俺は起こしに来ただけだが、そう思ってもらえるのなら来た甲斐があったな」
「あなたの声がしたから起きてもいいかなぁなんて思ったのよ」


 お互い様だ、と小さくつぶやいた。クリスティアは目を丸くしている。
 クリスティアが待っていると思ったから、クリスティアを置いていってしまうのは良くないと少し思ったから、自分だって目を開いた。そんな戯言は彼女に背負わせるつもりはないから黙っておこう。



悪夢はようやく終わりを告げる





2023.02.28
Title...シュレーディンガーの恋