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お願い、一人はもう嫌よ

 地下に広がる謎の都市に押し込まれていたため詳しいことは何もわからない。何もわからないままにすべてが終わっていた、というのがディミトリの視点だ。
 あの後暫くしてからクリスティアが自分たちのことを迎えに来た。一体どうなったのか、と彼女に聞くと「終わったことは気にしない方がいいわよ」と躱されてしまった。何故か共にいたドゥドゥーに聞いても問題はありません、という返答だったのでどうしようもない。
 結局ディミトリに分かったのはあの地下都市の長らしき男とクリスティアが旧知の仲らしい、ということだけだった。

 釈然としない思いを抱えたままあの日から一週間が経つ。
 セイロス聖教会との会合も今日で終わりを迎えることとなった。本来なら三日前に終わる予定だったのだが襲撃のせいで延びてしまったというのが実情だ。
 恩師との積もる話はまだまだ山のようにある。だがそれにしがみついていられない。ただでさえ長く国を空けている上に既に不可抗力とは言え予定していた日取りを過ぎている。
 まったく、この立場で困るのはこれだな──と己の身分に悪態をついた。そして目の前に立つ女に目線を巡らせる。


「それで、なぜお前が」
「ベレト様のご命令です」


 侍女──にしてやけな身軽な姿をしたクリスティアはおそらく抱え込んでいるであろう不平不満をおくびにも出さずそう言ってのけた。立場に縛られているのはどうもディミトリだけではないらしい。

 帰国の際に彼女が付けられると聞いたのは先程だ。
 あれから怪しい影はなく、あれらが帝国に連なる者である以上、王国への帰途で危険に晒されることはない。しかし万が一ということもある、として自分の護衛としてクリスティアが付けられることになった。
 何もこちらだって一人でガルグ=マクに来たわけではない。ドゥドゥーや他の面々だっている。それでも彼女がつけられたのはどういう了見なのだろうか。
 そんな思いでクリスティアを見ていたのが勘付かれてしまったらしい。居心地悪そうに視線を逸らされてしまった。


「……元々、契約にはあなたが帰国するまでのあなたの身の安全を守ることが含まれているの。だからこれも元あった仕事のうちよ」
「先生の護衛なんだろう。なのに……」
「それは主立った仕事。別の仕事もあるのよ、私」


 別の仕事、と復唱をしてみる。応えは特に返ってこなかったが、それもおそらくは後ろ暗いものなのだろうと推測できる。そうであるならば深く聞いたところでまともな返事がないのも予想出来たのでこれ以上の追及はやめておいた。
 どちらにせよ、ディミトリにとって今気になるのは彼女の仕事云々と言うよりも──。


「……クリスティア、顔色が悪い。何処か体に不調でもあるのか?」
「…………」


 声を掛ければクリスティアはゆっくりとした動きでこちらを見た。その顔からはいつも然程無い血色が更に無く人形の様相を思わせる。
 今日のクリスティアはどうも調子が良さそうに見えない。自分について行くという名目上朝から活動させられているのでそれが理由かとも思ったが、それにしたって気分が悪そうに見える。
 そんな彼女に無理をさせたいとは思わないのだが、クリスティアは小さく首を横に振るだけだ。


「休息が足りていないだけ。……あなたの護衛を終えたら仕事は一段落つくし、ちゃんと休むわよ」
「だけ、とは言うが……」


 休息が足りないということの苦しみはよく知っている。かつてのディミトリもそうだったからだ。
 それならばやはり自分に着いてくるなんてことは止めさせて今すぐにでも休息を取らせたいと思うのだが、どうやらクリスティアはそれを良しとしないらしい。


「駒のひとつにまで気をかけていては民の一人を救い零すかもしれないわよ、ディミトリ王」
「……駒、だなんて」


 お前だって民の一人に変わりはないだろう、と言いさして言葉を飲み込む。それを言うには、自分はあまりに彼女のことを知らなさすぎる。





 結論から述べるなら何事もなかった。
 奴らからの襲撃もなく、すれ違った民から罵声を浴びせられるということもない。平和そのものと言っていい帰り道だった。
 この様子であればクリスティアを着けてもらう必要もなかったな、とそんな考えが頭の中を掠めたくらいに。
 ならせめて彼女をゆっくり休ませてやろう、とクリスティアに声を掛けようとして気づいた。

 クリスティアの姿がない。
 王城に着く直前まで彼女の存在を認めていた。王城について、それから人と話して──その隙に行方を晦ましたのだろうか。
 共にガルグ=マクに向かった者たちに問うても明確な答えは返ってこなかった。ただ一人、ドゥドゥーだけは気になさらぬようにとだけ答えられたが。

 そういえば初めて出会ったときもクリスティアはすぐにその行方を晦ましたなと思い返す。というよりも、本来の彼女はそうすることが常なのだろう。
 裏の社会に生きるもの。表社会を担う国王と道が交わるはずがなかったもの。それがたまたま、自分を狙うものの台頭によって噛み合ってしまっただけ。
 偶然によって出会った自分たちだ。探そうとしていては見つからず、また偶然が繋ぎ合わせることもあるのかもしれない。


「……と、確かに思ってはいたがな。まさか本当にそうなるとは思っていなかったよ、クリスティア」
「……あら、ディミトリ王」


 王城に戻り数週間。
 どうにかこうにかクリスティアの行方を掴もうとしていた時には見つかる気配は全くしなかったのだが、彼女のことをまったく考えていない視察中に見覚えのある形を見つけてしまう。行動をともにしていた護衛たちを置いてきてしまったのであとで小言を言われそうだと思わなくもないが、考えるより先に足が動いていた。
 そうして辿り着いた路地の先、王都の郊外にて発見したのは最後に見たときと殆ど変わらない姿をしたクリスティアだ。


「こんなところで何をしているのかしら。私みたいなのと逢引しているのが露見したら問題じゃない?」
「茶化してくれるなよ。こんなところで何をしている、はこちらの台詞だ」


 礼も挨拶もなく姿を消して心配していたというのに向こうはそんなこと素知らぬフリだ。心配していたのは此方の勝手なのでそんなところを糾弾するつもりはないが。
 何って、と呟いてからクリスティアは眉を下げた。何か困っているような仕草にため息が出そうになる。


「……特に何も?」
「戻らなくていいのか、先生のもとに」
「また雇われるまでは自由の身だもの。部屋を与えられているとはいえ、穀潰しみたいになるのもねえ」


 自由の身、と不図呟く。
 であるならば休息は十分に取れているはずだ。仕事が一段落つくと言っていたし、他に振り回される理由も思いつかない。だと言うのに。


「顔色、戻っていないぞ。……休息を取っていないな」
「……そんなにわかりやすいかしら、私」


 どちらかというと此方が目敏いだけだろうが黙っておく。下手に隠されても困る。
 いつかしたようにわざと足音を立てて近づく。クリスティアもいつかと同じように逃げ出したりはしない。その代わりにあの時とは違ってふいと目を逸らされた。


「夢をね、見たの」
「夢……」
「私が一人でなかった頃の夢」


 尋ねたわけではなく、促したわけでもない。けれどクリスティアはディミトリの聞きたいことを口にした。それは此方に寄せる信頼の証と自惚れてよいのだろうか。
 ただその返答はややディミトリが想定していたものではない。それはどちらかというと、自分の見るものとは毛色の違う──どちらかというと、幸福な夢なのではと思う。


「苦手なのよね、そういうの見るの」
「……幸福な夢が、か?」
「幸福な夢だから、目覚めたくなくなってしまうの」


 クリスティアの瞳がやや伏せられる。そのまぶたの奥で思い描く風景をディミトリは共有できない。
 だがクリスティアの言う目覚めたくなくなってしまうというのは少し理解できる気がする。幸せな頃の夢を見て、どうしようもない現実から逃避したくなる気持ちというのはきっと筆舌に尽くし難い苦痛となるのだろう。
 もしも同じような夢を見たら自分は、自分だってそう思ってしまう。程度に差はあれど、きっと。


「だから眠りたくないのか」
「そういう感じ、ね」


 誤魔化しはなかった。本心の全てと言えるかはわからないが、少なくとも嘘をついているとは思わない。
 悪夢を見ても吉夢を見ても悩む人間は贅沢な生き物だと思う。それでもそれぞれが相応に苦しんでいるのだからままならない。
 しかしだからと言ってそれでいいとも到底思えない。このままではクリスティアの顔色が良くなる兆しも理由もなく、いつ倒れてもおかしくないとすら感じる。
 どうしたものかと暫し考える。眠りたくない理由、目覚めたくない理由。それはひとえに彼女が感じる孤独が起因であるならば。


「……クリスティア、行くぞ」
「何?」
「王城の一室を貸してやる。そこで休め」
「話聞いてた?」


 何か囀るクリスティアの手を引いて王都の中へと向かう。最初は一応抵抗の素振りを見せていたが、紋章由来のディミトリの力量には抗えないと悟ったのか次第に大人しくついて来てくれた。
 傍目に見れば誘拐かもしれないなと思うと少し肝が冷えるが、今更冷静になったところで変わりはない。なので無視してこのまま進んでいくことにした。


「眠るのが苦手だとしても、いつかは眠らなくてはならない。人間の体はそう出来ている」
「それはそうだけど……」
「だったら目覚めが一人でない場所の方がいいだろう。一人だから目覚めたくないと思うのであれば尚更」


 気休めにしかならないことはわかっている。クリスティアが夢に見る空白を埋めることが己ではできないことくらい、ディミトリだって理解している。
 それでも、少しでも彼女の気が紛れるならそうするべきだと思った。目覚めが少しでも怖くないものであってほしいと願うから。
 それは同情かもしれない。同時に、同族へとかける祈りでもあった。


「……ありがたい申し出だけど、私は裏稼業屋よ。理由なく王様と一緒にいるべきでは……」
「友人の安眠の手伝いに理由が必要か」
「友人って。……ベレトもだけど、あなたも大概お人好しよね……」


 まったくもう、と呆れたような声がする。その声が嫌そうに震えることはなかった。



お願い、一人はもう嫌よ





2023.02.20
Title...シュレーディンガーの恋