「みょうじくん。僕と付き合ってほしいんだ」
高校二年生ともなると付き合うとか付き合わないとか、そういうのはよくある話になってくる。それこそ彼氏、彼女を持つこと自体がステータスになる程度には。
だから私だってあこがれはあった。いつか好きな人と付き合ったり、デートしたり、そういうことしたりするのかなぁ、みたいなあこがれは。
けどまさか、そんなお誘いがあるなんて思わなかった。それも神代くんから、なんて。
神代くん。
この神高の変人……と呼ばれる二人のうちの一人で、フェニランのワンダーステージというところでショーを作っているキャスト兼演出家でもある。
同じクラスということもあって全く見知らぬ人、というわけじゃない。
寧ろこちらからはちょっといいなぁとか、目立つ行動はあるけどだからこそ目が惹かれるなぁとか、彼のこともっと知りたいなぁとか、あと街頭パフォーマンスを見たりとかそういうのはあったし、それからちょっと目で追いかけたりとかもしてた。
けど、でもだ。それだけ。特にいっぱい話したり、親しくなっているわけじゃない。ものを落としたら拾ったり逆に拾ってくれたり、挨拶したり。そういう他愛のないことばっかりが私達の接点だ。
だから彼からの告白だって何かの間違いじゃないかとか、人違いじゃないかとか。たくさん考えたけど、顔を見てみょうじって呼ばれながらだから人違いはとりあえず無いかなと結論付けた。
変な人だなと思うことはあるけど、こちらに迷惑をかけてくるわけではないし(同じく変人と呼ばれてる天馬くんは神代くんといるときによく叫び声を上げてるけど)、顔はとても整っているし、やっぱりいいなぁとは思う。
それでも話したことはあんまりないので、どうして彼が私なんかにそう言っているのだろうという疑問は尽きない。
尽きない、けど。断る理由も特になくて、受け取る好意を気持ち悪いとも思わなくて。
「わ……私で良ければ……」
「! 本当かい?」
ぱ、と花が咲いたような笑みを浮かべる神代くんにちょっと罪悪感が募る。口にしたことを少しだけ後悔した。
お友達からよろしくお願いしますとか、もっと互いのことを知ってからとか、そういうきれいなことを言うべきだったのかもしれない。でも、せっかく向けてくれた好意を無駄にできるほど強くはないみたいだ。
互いのことはこれから知っていけばいいかも、なんて考えは甘いのかな。そんな私の悩みは解消されることなく、私と神代くんのおつきあいは始まった。
†
「みょうじくんのお弁当は野菜がいっぱい入っているねえ……」
私のお弁当を見ながら前に座った神代くんは苦い顔をして言った。彼の手元にはたまごサンドがある。
そんなに多いかな、と自分のお弁当を見る。ささみときゅうりの和物、玉子焼き、小さなグラタンに、彩りのために添えられたプチトマトとブロッコリー。特段多くないはずだけど、どうも神代くんの目には多く映るみたいだ。
もしかして、と頭の中に浮かんだ想像を口にしてみる。
「神代くんはブロッコリーとか苦手?」
「ブロッコリーに限らず野菜全般がダメだね」
すっぱりと迷うことなく、至極当然のように答える。そう聞かれることを予想していたのかと思うくらいの速さだった。
野菜全般がだめ……。高校生になると多少の好き嫌いは克服できたりして、野菜が嫌いな人もひとつふたつ食べられるものもできる頃合いなんだけど、それでもだめなんだ。
外食とかで野菜を跳ね除けるのは苦労するだろうなぁ、とか意味のないことを考える。今持ってるたまごサンドもそういうことか、と納得した。
「野菜を食べなきゃ大きくなれないって言うけど……」
「世の中の常識を否定したいわけじゃないけれど、その説に関しては僕自身が反例になってしまったようだ」
確かに神代くんは身長がかなり高い。クラスの中でも高い方だし、私との身長差も結構ある。
そういえば、彼が町中でパフォーマンスをしていた時もそんなことを思った。
身長が高いから目立つし、やることも派手だからもっと人の目を引くし。それに乗せられてまんまと最後まで彼のパフォーマンスを見ていたこともあったな、なんて。
あのときのパフォーマンスは確か神代くんが一人でやってたんだったっけ、ドローンとか使って。でも今の彼はそうじゃなくて……。
「類! 今回の台本のことについて話があるのだが──と、すまん、食事中だったか」
「おや、司くん」
噂をすれば影が射すというかなんというか。
神代くんに話しかけてきたのは隣のクラスの天馬くんだった。彼は神代くんと同じくフェニランでショーキャストをしていて、その中でも二人は同じステージに立つ仲間だ。ワンダーランズ×ショウタイム……通称ワンダショとして親しまれる彼らのステージを、私も何回か見たことがある。
確かワンダショの脚本は神代くんが作っているんだっけ、だから天馬くんがその内容についての話をしに来たのだろう。私は部外者なので壁の花に徹することにしよう。
「……うむ、分かった。ではここはそういう風に……」
「あぁ、頼んだよ。それからこっちは……」
真剣にショーの話をする二人の邪魔にならないようにおとなしくしながら神代くんの横顔を見ている。
神代くんの表情は真剣そのものだ。それでいてどこか楽しそうで、天馬くんと奇行(というとアレだけど変人と呼ばれる所以だから仕方ない)している時の表情とどこか似ている。つまりあの変人行動もショーの演出に必要な行動だったりするのかなぁ。
変な感じだ。
今までも神代くんのことはちょっと見ていたつもりだったけど、こうやっておつきあいするようになってからの方がもっと彼のことわかる気がする。
少女漫画とか、よくある恋愛小説とか。そういうのは相手のことをよく知ってから相手のことを好きになって、それから告白する……みたいな、そんな順番が定番なのに。私のこれはそういう定石の真逆を行っている……ような気がする。
そういうのってどうなんだろう、やっぱり変なのだろうか。考えても答えなんて出ないものではあるけど、神代くんの横顔を見ながらそんなことを思案した。
「──よし、だいたいこれでいいか。食事中すまなかったな類」
「いやいや、気にしないでおくれよ」
「ではまた後でな。みょうじもすまなかった」
「え? いや……」
突然話を振られてびっくりしてしまった。私と神代くんが一緒にいる理由とか聞かれないのかとちょっとだけ身構えてしまったけれど、そんなこともなくて天馬くんはそのまま去っていってしまった。
嵐みたいな人だなぁとぼんやりその背中を見送っていると、神代くんの目がこちらを向いていることに気がついた。
「な、何……?」
「司くんを見る目がとてもおもしろいものを見る目だったからねえ」
「面白いもの、というか……」
びっくりするものというか。変人ワンツーなんて呼ばれている二人が目の前にいて身構えないはずがないというか。
でもなんだかんだ二人とも真剣な顔をしていたし、いい仲間なんだろうなということは分かる。
「でも……司くんよりは僕を見てくれると嬉しいかな?」
「……か、神代くんってそういうことも言うんだね?」
「フフ。意外かい?」
流石にそういうことを言われるとは思っていなかったのでどきりとした。顔がいいからそういうセリフも似合っちゃうんだな。
照れてしまってごまかすようにプチトマトを口に入れる。神代くんはそれをちょっとだけ渋い顔で見ていた。
†
あれから数日経ったけど特に何か変わったことはあんまりない。お昼ご飯はよく一緒に食べるようになったけど、それだけだ。いやそれだって随分な進歩だとは思うんだけど。
改めて恋人って何するんだろう、と教科書を片しながら考える。
付き合って、デートして、キスして、……そういうことして。うん、だいたい前から思っていたとおりのことしか出ない。いやでもなんかいきなり難易度高くないかな、付き合うの次にデートとかって。
一緒にお昼ご飯は食べた、けど。あとなんか、何かしらの段階を踏みたい、気がする。
「……神代くんてどういうとこ行くんだろ」
「気になるかい?」
「はい?!!」
後ろからぬるりと現れてそんなことを言われた。同じクラスなんだから当然いつ話しかけられたっておかしくはないのだけど、それでもあまりに突然だったから素っ頓狂な声を上げてしまう。
気になるか、と問われれば確かに気になる。神代くんの行くところ、やること、何を考えているのか。こういう関係になって数日経つのに、私は神代くんのことをあんまり分かっていない。
それが少し、寂しいから。
「そうだねぇ……なら、これから連れて行ってあげよう。あぁ、もちろんみょうじくんの予定が立て込んでいなければ、だけど」
「今、から?」
「今日はショーの練習もないからね」
初めてのお誘いだった。神代くんはいつも放課後はフェニランに行ってショーの練習や公演を行っているので、一緒にお出かけとかそういうのはしたことがない。
……これは、俗にいう「放課後デート」というやつでは。段階を、と思っていたのに急に飛んでしまって動悸がすごい。でも休日にデート、とか、そういうのをやるよりは現実的な気がする……!
「い、行く!」
「決まりだね」
そうして、私は神代くんの隣をついていく。
傍から見れば何の変哲もない高校生二人なのかもなぁ、なんて思いながら。
でも私は今何喋ったらいいのかわからなくてすごくテンパってるんだけど。神代くんが喋ってくれてることにうまく返せてるかもわからないくらいテンパってる。
訳のわからないままに足を動かし、連れてこられたのは──。
「ショッピングモール?」
「普通だろう?」
シブヤのど真ん中、私達もよくくるショッピングモール。
普通だろう、と言われて思わず頷いてしまった。ほんのちょっとだけ、なんか、普通じゃないところにつれてこられるかもとは思っていたのだ。たとえば廃材屋、とか。
でも実際はそんなことなくて、普通にショッピングモールで。いよいよ本当に、普通のデートみたいだ。
「いつもならショーに使う小道具を探したりするんだけど──」
「今日は違うの?」
「せっかくのデートだからね、みょうじくんが楽しいと思うことをしよう」
デート、と面と向かって言われて思わず顔が熱くなる。私だけがそう思っているわけじゃないんだと理解して嬉しいような、恥ずかしいような。
それに私を優先しようとしてくれているという事実が嬉しかった。神代くんがやりたいことをやってくれたって構わないのに、それでも私を楽しませようとしてくれているのだ。
「といっても、僕はこういうことに疎くて……みょうじくんは何がしたい?」
「私は……」
「あー! 類くんだー!」
「え、類?」
神代くんと美味しいもの食べたい、なんて言おうとしたら後ろから大きな声とそれについてくる女の子の声がした。突然のことできゅっと体が縮こまる。
そろ、と振り返る。ピンクの髪の女の子と緑の髪の女の子がこちらに歩いてくるのが見えた。二人とも見たことある、どちらも神代くんと一緒にいるところ、が、あったような気が。
神代くんのショー仲間だったっけ、と思い返している間にも彼女たちは近づいてくる。
「こんにちはー!」
「遊びに来てたの? 珍しい」
「えむくん、寧々」
神代くんが口にした名前ではっとした。
えむちゃんは何故かたまに学校内にまで来てる宮女の生徒で、寧々ちゃん……も、神代くんと一緒にいるところを見たことがある。
……幼馴染、だったっけ。私の記憶違いじゃなければ。
二人とも神代くんの仲間で、天馬くんの時と同じように私は部外者だ。だったら私はまた壁の花に徹するべきだな、と神代くんの後ろに隠れた。
「あたしたちはね! UFOキャッチャーをしにきたんだー!」
「おや、センター街の方のゲームセンターではなく?」
「こっちしかない限定のプライズが欲しくて……」
神代くんの後ろから、神代くんの表情を盗み見る。その表情はとても穏やかで、難しいことなんか何もないような顔で。
ああ、それが仲間に向ける顔なんだ、と思うと少し浮かない気持ちになる。そりゃもちろん、私は今まで神代くんとろくに話したこともなかったから、そんなことを思うのはお門違いなのかもだけど。
寂しいな、とか。彼女だなんて立ち位置についたからかずいぶんと強欲になってしまったようだ。神代くんにああやって言われるまで私はそんなこと思わなかったはずなのに。
(……あれ、)
思い返す。私、神代くんに告白されたときなんて言われたっけ。
付き合ってほしい、とは言われた。けど、好きとは言われていない。一言も、一度だって。
これは──私は、勘違いで浮かれていたのかも、と情けない想定が頭をよぎる。
そんなことないと思いたいけども、そもそもそこまで関わりのなかった私達がそういう仲になるにはあまりに唐突すぎる。だったらそう考えたほうが自然じゃないだろうか。
色々考えていると惨めになってきた。どうしよう、邪魔にならないように下がっちゃおうか。神代くんの考えていることはよくわからないけど、そうした方が良さそうな気がしてしまう。
すっと一歩後退する。そのまま踵を巡らせてその場から逃げようとした。
「……え」
神代くんの手が私の手を掴んでいる。
視線は二人に留めたまま、それでも私がどこかに行ってしまわないようにと言うように。
それに気づいたらしい緑髪の子──確かこちらが寧々ちゃん──がピンク髪の子──えむちゃん?──に邪魔しちゃ悪いから、と撤退を促した。
不思議そうにするえむちゃんだったけど抵抗することもなくばいばーい、と手を振って去っていった。神代くんもそれに応えるように反対の手を振っている。
しばらくして彼女たちの姿が人混みに紛れたとき、神代くんの瞳がこちらを向いた。
「どこに行こうとしたんだい?」
「えっと……邪魔にならないように、って」
神代くんは確認するようにこちらを見ている。何処か弱っているようにも思えた。
それから何かを探すように考え込んで、ぽつりと言う。
「……不安にさせてしまったかな?」
ふあん。そう言われればそうなのかもしれない。
好かれているという実感とか体感とかそういうのがなくて、自分以外に見せる表情か自分に向けてくれるそれと違うということに気がついてしまって、だから余計にこの立場にいる意味がわからなくなってしまっていて。
全部分からないから不安になってしまって、だから逃げ出そうとした。
神代くんの言葉をきっかけに自分の中の感情が言語化されて、それがどうしようもなく自分勝手なものだから手に負えない。あさましいな、と思うとちょっと泣きたい気分になった。
どうやらその気持ちまで顔に出ていたらしい、神代くんまで眉を下げてしまった。困らせたいわけじゃないのに、こんなことしかできないのはとても苦しい。
「すまないね、……さっきも言ったけど、僕はこういうことに疎いんだ」
「神代くんは悪くないよ、ほんとに……」
「……今日はね、」
神代くんが私の手を離す。少し名残惜しい、と欲深い考えが一瞬頭を掠めた。
私は私が思っている以上に神代くんのことが好きなのかもしれないな、とようやく気がついた。
ドラマチックな出会いとか、段階を踏んで好きになるとか、そういうのはないかもしれないけど。それでも好きなものは好きだった。漠然と、緩慢に、それでも好きなんだ。
「少しでもみょうじくんと近づけたらいいな、と思ってデートに誘ったんだよ」
「……?」
再び手を取られる。今度は両手で包み込むように、私を繋ぎ止める動きではなくて、私に縋るような動きにも見える。
神代くんの言っている意味が少し飲み込めなくて、困った顔のまま神代くんを見上げた。
こちらを見る神代くんはまた眉を下げていて、でもそれは困っているというよりは、なんというか──大事なものを手にした子供のような顔。
「恋というのは……どうも難しいね。失わないようにと焦って行動して、みょうじくんを不安にさせてしまって……」
「恋、」
「うん、初恋だよ」
そういう彼の声はとても優しかった。天馬くんに向けるものでも、えむちゃん寧々ちゃんに向けるものでもない、違った色を乗せた声だ。
初恋。神代くんの初恋、が、私。
にわかには信じがたい話だったけど、神代くんの表情は嘘じゃないように思えた。いや、彼はショーキャストで、演技だってできる人で、だからそれは演技だって思うこともできるけど。
優しい声のまま彼は続ける。
「気は逸ってしまうし、物語のようにうまくはいかなくて……本当は告白する前にもっと仲良くなろうと思っていたんだよ? けれど、口が回ってしまったというか……」
少し恥ずかしそうに目を逸らしながら言う。
口が回ってしまった? あの神代くんが? クラスの中でも飛び抜けた頭を持つ神代くん、が?
目を白黒させる私に神代くんは照れたように笑った。
「僕がぐずぐずしているせいで誰かに貰われてしまったら、と思うといてもたってもいられなくて。だから順番を間違えてしまったんだ、許してくれないかい」
「ゆ、許すって言われても……」
「思わず勢いで告白して、……それで、君からいい返事がもらえて、僕がどれだけ嬉しかったことか」
破顔する神代くんのなんて幸せそうな表情。そんな顔を向けられる価値が果たして私にあるのか、と不思議に思ってしまう。
なんと言えばいいのかわからなくなって視線が泳ぐ。しばらくその光景を眺めていたであろう神代くんが、私に顔を少しだけ寄せて言った。
「順番が前後してしまったけど、ちゃんと話したいと思っているよ。君を好きだと思う気持ちに偽りはなくて、君と一緒にいたいと思っていること、君を知りたいと思っていること、全部、話したいんだ」
「神代くん、」
「なまえくん。こんな僕だけど、これからもよろしくしてくれるかな」
「……な、名前……」
名前を呼ばれる。みょうじくんじゃなくて、なまえくん、と。天馬くんを司くんと呼ぶように、えむちゃんと寧々ちゃんのことを呼ぶように、私に向けられる音が家を指すものではなくて個人を指すものになる。
その呼称の意味がわからないほど私だって馬鹿じゃなくて、私は類くんに小さく頷いた。
即席ガールフレンド
2023.03.05
Title...ユリ柩