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「#幼馴染」のBL小説を読む
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03

「ドゥドゥー!」
「……! ……エヴァか」


 彼の後ろ姿は士官学校に入る前に何度か見ていたこともありすぐに判別できた。異国を感じさせる浅黒い肌が、エヴァの目に映った。

 ドゥドゥー=モリナロ。
 エヴァよりも遥かに大きな体躯を持つ彼は、ディミトリの従者でありダスカー人である。
 四年前、ダスカー人はファーガス神聖王国国王ランベールを襲撃した。今では『ダスカーの悲劇』と呼ばれるその事件の報復として行われたダスカー征伐の際、彼はディミトリに命を救われたらしい。
 その時から彼はディミトリの従者となった。故にエヴァは彼と何度か顔を合わせたこともある。

 だが、そこには善悪様々な感情が入り混じる。
 彼はダスカー人であり、ダスカー人とはファーガスにとって仇敵のようなものだ。前王をダスカー人が殺した、という話が出回っている以上無理もない。
 そして、その事件の際エヴァは両親を殺害されていた。決して良好とは言えない仲ではあったが、その事件の際に肉親を殺されたという事実だけは永遠に付きまとう。

 無論、エヴァもドゥドゥーが憎いわけではない。
 彼が直接エヴァの両親を殺したわけではないし、ドゥドゥー自身もダスカー征伐の際には被害者に回っている。彼の家族はその時に殺されたと耳にしたことがあるし、悲惨さで言えば自分よりも彼の方がひどいのだろう。
 故にエヴァはドゥドゥーを恨まない。と、決めている。

 それでも世界はそんな簡単に出来てはいない。
 多くのファーガスの国民はダスカー人を恨み、差別し、疎む。そしてそれは、自分の幼馴染であるイングリットもだった。
 イングリットはあの事件の折に婚約者を殺されていた。故にイングリットは多くのファーガスの民と同じようにダスカー人を受け入れられないでいる。
 その姿をエヴァはずっと見てきた。他のダスカー人ではなく、ドゥドゥー自身がそういう人間ではないと知っていたのにも関わらず、イングリットのその苦悩を思うと彼はそのような人ではない、などと言えなかった。
 これでは偽善者だと気づいていてなお、何も言えなかった。

 そのエヴァの態度はドゥドゥーにはどう伝わっていたのか、エヴァが知るすべはない。
 ともすれば気まずく思っているのはこちらだけで、彼は一切気にしていないのかもしれないが、それでもこちらから気まずいと思ってしまうこと自体は止められない。
 少しだけ視線を外して、エヴァは彼に駆け寄った。


「救護班よ、怪我人はどこ?」
「ここだ」


 ドゥドゥーが守るようにして立っていたその陰に、姿勢を低くして待機していた人影が揺れる。
 灰色の髪、色素の薄い肌。この野外実習中に何度もこちらを助けてくれたアッシュ=デュランその人の姿で間違いない。
 こちらに気づいたアッシュが自分を見上げて少し安堵したような顔を見せた。怪我というのはそれだけで人の精神を蝕むのだな、と改めて思う。
 同じように姿勢を低くし、アッシュの怪我の様子を診るその前に、エヴァはドゥドゥーに視線を移した。ドゥドゥーが不思議そうにこちらを見ている。


「ドゥドゥー、ここは私が請け負うわ。貴方は私のところまで騎士団の人を呼んで頂戴」
「……騎士団の人間を? 何故……」
「あまり時間をかけたくないの。お願い」


 聞いてもらえなくても仕方がないと半ば諦めている願い事だ。
 彼はディミトリの従者であり、エヴァの願い事を聞く義理などどこにもない。それどころか、お前を呼んだ殿下はどこだ、と詰め寄られても文句は言えないなと感じている。
 それでもエヴァにとってはそうする他ない。彼の怪我を見てから騎士団の人を呼ぶのでは手間がかかりすぎる。

 幸いにもドゥドゥーはエヴァの真剣な表情を認識しそうすることを選んでくれたようだった。視線が騎士団の人間を探し、足が動いたことを確認して安堵の息をついた。
 お願いねと彼の背中に声を投げながら、今度こそアッシュのもとに駆け寄り膝をつく。


「大丈夫、アッシュ? 止血は……」
「一応、応急処置だけど」


 事前にディミトリに言われていたように足を見る。
 そこには確かに切り傷があった。赤く口を開けた傷は見ていて痛々しい。
 彼の言う通り止血はされている。一応とは言われたものの、その正確さは目を見張るものがあった。
 彼自身が行ったのかそれとも誰か行ってくれる人がいたのかはわからないが、これならすぐに治癒できるだろう。


「じっとしていて」
「ありがとうございます、助かります」


 祈りの力を手へと集中させる。それがまがい物の祈りであれなんであれ、力として発言するのだから信仰とは薄いものだな、と思う。
 それでもその力が今は必要だ。薄くとも、そうでなくとも。そう言った意味ではエヴァもこの奇跡を信仰しているのかもしれない。
 手のひらを傷口へと翳す。的確に治療を行える者であればそのような手順すら踏む必要はないのかもしれないが、今は確実性が欲しい。傷口を見ながら治療することを選んだ。


「……うん、これならすぐに動けると思う。私の拙い治療でごめんなさい」
「拙いだなんて……。そんなことはないです、貴方がいてくれなきゃ僕はここで蹲っているしかありませんでしたから……」


 アッシュはそういってくれるが、エヴァは自分自身ではやはり申し訳ないという気持ちにしかなれない。
 エヴァにとっての本職は治療ではない。ゴーティエの家に入る際に基礎的な知識は頭に叩き込んだものの、基本的には使わない知識としてそれを自分の生活に取り入れることもなかった。
 だから恐らく、エヴァのそれは専業として行っている者のそれよりはるかに劣るものである、とエヴァは考えていた。それでもディミトリが頼ってくれる程度には使い物になっている、はずだが。
 アッシュの怪我はその劣等的なエヴァの治療で賄えるものだった。及ばなかったらどうしようという考えも頭に在ったが杞憂だったらしく安心した。


「大丈夫だとは思うけれど……一度動かしてみてくれる?」
「えっと……はい、大丈夫です」


 彼は立ち上がり何度か足を動かしてみせた。その動きに不自然なところはなく、痛みも引いているらしいと推測できる。
 よかった。心を緩め息をつく。ディミトリが信頼してくれたのだから、何もできずに終わるのは避けたかった。
 ありがとうとアッシュがこちらに礼を告げてくる。お礼なんていらない、と返答を口にしようとした時、アッシュの目が見開かれた。


「危ないッ!」
「──ッ、」


 弩に弾かれたように振り向く。鈍い鉄色が月明かりを反射してエヴァの頭上を照らしていた。
 賊の剣だ。そう認識するのに時間はかからない。上段の構え。判別するのにも時間は取らない。
 アッシュが弓を構えるより早くエヴァは姿勢を低くした。そのまま地を蹴る。姿勢が低い分曲げた膝は発条となり、反動でエヴァの体を勢いよく飛び出させる。


「がッ……!!」


 剣が振り下ろされるよりも先にエヴァの肘が賊の鳩尾に入った。勢いの乗ったそれは賊一人を沈黙させるには十分だったようで、賊はよろめきそのまま昏倒する。
 息を短く吐き出す。賊が持っていた剣を取り上げ、そのまま遠方へと投げ捨てた。
 流れる様に行われた一連の動きにアッシュは呆気に取られていたようで、しばらくして彼はっと我に返ったように口を開く。


「だっ、大丈夫ですか……!?」
「大丈夫。ごめんなさい、ちょっと油断していたわ」


 溜息をついた。油断しているつもりはなかったが、それこそが油断だったのだろう。
 自分は今目立つ武器も持っていない。していたのはアッシュの治療で、そのアッシュも持っているのは弓だ。奴らにとっては格好の的だったのだろう。
 格闘術を学んでいてよかったと心底思う。長袖の下に隠した肘当ての位置を正しながら、ぐるりと辺りを見渡した。
 今度こそ、賊の気配はない。代わりに現れたのはこの実習期間中に幾度と見た何人かの白い鎧の姿だ。


「エヴァ殿、無事か!?」
「アロイスさん、それにドゥドゥーも」


 白い鎧の後ろからドゥドゥーが姿を見せ、彼がアロイスを連れて来てくれたのだなと理解した。
 アロイスはセイロス騎士団に所属する騎士の一人で、この実習にも同行している人物である。
 実習中交わした言葉は少なかったが、名前を覚えてくれている辺り律儀な人だと思った。


「無事……なようだな。して、私を呼んだ理由とは?」
「すみません、歩きながら話します。ついてきていただいても?」
「む? 構わないが……」
「ありがとうございます」


 軽く辞儀をし、踵を返す。あ、と思い至ってその足を止めた。
 ドゥドゥーとアッシュの方を見て、彼らに向かって口を開く。


「ドゥドゥーとアッシュは先生方の言葉に従って。私はどこに、と聞かれたらアロイスさんと共にいると伝えて頂戴ね」
「……構わないが、何処に……」
「では、いきましょう」


 ドゥドゥーの質問を躱して歩き始める。その足が小走りなのは気のせいではない。
 彼の言葉には答えられなかった。きっと答えてしまっては、彼もついてきてしまうだろう。それほどまでに彼はディミトリを大事に思っているのだから。
 だが、それはよくない。実習中に何人も生徒が行方を眩ませてしまっては教師たちに負担になる。故に事情をある程度分かっているドゥドゥーとアッシュをその場に置き、混乱を避けたのだ。

 ドゥドゥーとアッシュの姿が見えなくなるころ、声を潜めてアロイスに事情を説明した。
 ディミトリがクロードを追いかけてはぐれてしまった。その二人を追って赤い外套の少女も共に、と。
 アロイスの表情が少し険しくなったのを見てエヴァは走り出す。ついてきて、と示しているのは言わずともわかるだろう。

 走っている最中に近辺の地図を思い出す。この方角には村があったはずだということに気が付いて少し溜息を吐き出した。
 村が巻き込まれていないことを心から祈る。ああ、自分は結局「祈り」から離れられない。