×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

02

 絶対、という言葉はあてにならないとつくづく思う。
 天幕の中、エヴァは一人で呟いた。


「……野外演習は安全だなんて、いったい誰が言ったのかしらね……」


 はあぁ、と大きな息を吐き出した。
 こんなところで嘆いたとしてもこの状況が変わるなどありえないことなのだが、心の奥底に溜まった淀みのようなものは吐き出さなければやっていられない。
 視線の先、天幕の外では混乱と喧騒が渦巻いている。当然のことだとはわかっているものの、その騒がしさが煩わしい。
 きっと誰にも聞かれていないだろう、と思っていたのだが。


「エヴァ、愚痴を言う暇があるなら手を動かせ」
「……やだフェリクス、聞いてたの。どうしてこんなところに」
「この天幕を守れと言われて来ただけだ。……お前がいるのならば俺など居らずともいい気はするがな」
「ちょっとぉ……」


 闇夜に融けるような黒髪を揺らして現れたのは幼馴染のフェリクスだった。
 エヴァは聞かせるつもりのなかった独り言を聞かれてしまい苦い顔をする。一応、いい子のフリをしていたかったのに。
 じとりと彼から向けられる視線から目を逸らす。居心地が悪い。

 彼の視線はあまりにも正し≠キぎて、エヴァはどうしてもそれが咎められている気分になる。それはきっと、彼との出会い方のせいだ。
 彼は間違っていない。間違っていなかった。あの時のフェリクスにとっては確かに自分が不審者だったのだから。それが自分を陥れようとした誰かに仕組まれたことだとしても。
 この思いを抱えてしまっている自分の方がきっとおかしい。いい加減に克服しないとな、とぼんやり思った。

 フェリクスが訝し気にこちらを見ている。長い思考で不信に思われたのだろうか。
 誤魔化すように咳ばらいをしてから話を振った。


「でも本当に、そうだとは思わない? 私たち、安全だからと言われて野外実習に連れ出されている、と記憶しているのだけれど」
「ハ。この方が退屈せずに済むだろう」
「フェリクスはそうかもしれないけれど……」


 私は後ろで退屈なの、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
 大事なのはそこではない。自分の退屈などさして重要な問題ではないのだから。

 イングリットから「大丈夫だ」と聞いていた野外実習は、端的に言うと「大丈夫」ではなかった。
 否、本来ならば大丈夫、だったのだろう。予想外の来訪者が現れるまでは。
 実習の野営中に現れたのは盗賊団だった。それも武装をしっかりとした盗賊だ。手には斧、剣、。魔法こそ使うものが少なかったものの、ひとつ間違えれば死に直結するというのは嫌でもわかる。
 この状況のどこをどう見れば、「大丈夫」などと言えるのだろうか。

 騎士団や教師たちがいるとは言え、こちらは戦闘慣れしていない生徒もいる。
 寧ろ総数としてはそちらの方が多いだろう。たとえ騎士の国ファーガス出身だとしても、だ。
 その生徒らを庇って戦う教師や騎士団の負担は計り知れないものになっている。
 エヴァはそんな負担の中にある教師らに命じられ、この天幕で待機していた。


「お前、戦えるだろう。それを何故こんなところで……」
「先生に頼まれたの。『怪我人を見て頂戴』って」
「……チッ。だから俺は武術だけを習えと言ったんだ」
「……私もそれは考えたのだけれどねえ」


 右の掌に仮初めの祈りを集わせると淡い光が舞う。フェリクスに必要か、と聞けば不愛想に要らん、とだけ返された。
 信仰の力によって為される白魔法は人体の治癒を可能とする。それを使える人間も勿論この場にはいるが、治療が出来る者は多い方がいい、と判断されたのだろう。
 故にエヴァはここで待機していた。自分には戦うだけの力があるというのに、それを揮うことはないらしい。
 どこでだってそうなんだな、と思うと己への嘲笑が漏れる。


「兄様が無事に子を成して私がゴーティエにとって不要になった時、何も出来ませんでした、ってなってはいけないでしょう? ゴーティエの恥晒しにはなれないもの」
「……エヴァ、お前」
「兄様には内緒ね、これ」


 からっぽの祈りを霧散させ、右の人差し指を自分の唇の前に立てた。
 フェリクスは渋い顔をするばかりでそれ以上は何も言わない。彼のどこまでも正しい瞳は、こちらを悲しむように見ていた。

 フェリクスはフラルダリウスの紋章を所持している。
 故に彼は嫡子であり、だからこそエヴァの境遇に共感を示せない。同じ「貴族の弟妹」という立場にありながらも、孕む属性が違いすぎるのだ。
 彼は直系で、彼女は紋章を持つとは言え直系ではない。彼は嫡子で、彼女は嫡子の代替品。彼女に義兄はいるが、彼の兄は──すでに亡い。
 だから、間違ってもエヴァに簡単な言葉をかけることはできない。
 それをフェリクスは分かっている。この数年の付き合いで知った。

 元々人付き合いの多い方ではないフェリクスだ。それでいいのだろう。
 しかし彼の中にある幼馴染の情は、そこまで冷たいものでもない。


「その戦いの腕をこれからも磨くつもりがあるならば、お前は路頭に迷うこともないだろうよ。騎士、兵士、傭兵、護衛……、どうとでもなる」
「普通そこは『教会にでも勤めろ』、じゃないの?」
「どの口が言う。祈りよりも勉学よりも武術の方が──」
「すまない、誰かいるか?」


 フェリクスの言葉が最後まで落ちる前に天幕を覗き込む者の声がした。
 二人は顔をあげる。彼の顔を確認したフェリクスは露骨に舌打ちをし、エヴァは自然と背筋を伸ばした。


「ディミトリ様、どうかなさいました?」
「何の用だ。まさかお前まで護衛に来たわけでもあるまい」


 ディミトリ、ファーガス神聖王国の次期国王であり、エヴァやフェリクスが所属する青獅子学級の級長。鮮やかな金色の髪と青い外套を揺らしたその人は、フェリクスとエヴァの姿を天幕の中に認め少し表情を明るくした。
 しかしその表情もすぐに真剣なものになる。何かよくないことがあった、というのは一目でわかった。


「怪我人だ。足に怪我をしたらしくこちらまで来れそうにない。エヴァ、共に来られるか」
「ええ、勿論。フェリクスは──」
「俺が命じられたのはこの天幕の護衛だ。お前のお守りではない」
「わかってるわよ。天幕、ちゃんと守ってね」


 どの口が言う、とフェリクスに睨まれた。エヴァは苦笑を零す。
 フェリクスの力の心配はしていない。多少心配だったのは彼の性格の方で。自分の身は自分で守れ、と天幕にいた他の人員を放りださないかと心配したのだ。
 一応釘を刺しておいたが効くかどうかはわからない。効いてくれたらいいのだけれど、と頭の隅で考えながら、エヴァはディミトリの背を追った。

 ディミトリがちらとこちらを見る。エヴァがついていけているかどうかを心配して見てくれたのだろう。
 無言のままついていくと自分の所在確認で迷惑をかけるなと思い至り、エヴァは口を開いた。


「怪我人はどちらに?」
「そう遠くない。が、救護天幕に向かう途中に狙われては敵わないからな」
「賢明なご判断かと。どなたか分かりますか」
「青獅子学級の生徒だ。アッシュ、わかるだろう」


 ディミトリから告げられた名前にはぴんと来た。
 アッシュ=デュラン。王国の小さな領地を治めるロナート卿、という人物の養子だと記憶している。この野外演習中、いずこかで身に着けたらしい知識でディミトリやエヴァらのことを助けてくれていた。
 そして弓をよく使っていた。弓は遠方から攻撃を行うことが出来るが、その分近寄られると弱い。そこを狙われたのか、と推測できる。


「今アッシュのことはドゥドゥーが見ていてくれている。多分大丈夫だとは思うが──ん?」
「ディミトリ様?」


 ディミトリの目線が横の茂みに向けられる。敵襲か、とエヴァも身構えたが、どうやらそうでもないらしい。
 エヴァもつられてそちらを見やった。黄色い外套が茂みの奥へと消えていくのが目に入る。


「あれは……」
「クロード!? あいつ、一人で……!」


 クロード。そうだ、クロード。あれは隣の学級である金鹿学級で級長を務めている人間が纏う外套だ。その級長の名前が確かにクロードだった。
 明らかに戦闘の中心部から外れるように茂みに消えたクロードの方をディミトリは見ている。どうしたものか、と思案するエヴァの考えがまとまるよりも先に、ディミトリの口が動いた。


「エヴァ、この先にアッシュがいる。頼めるか」
「えっ? あ、あの。勿論ですが……」
「俺はクロードを追う。アッシュの治癒が終わったら、騎士団の人に俺たちがあちらへ向かったと伝えてくれ」
「ちょ、っと!?」


 エヴァが伸ばした手はディミトリの纏う青い外套に触れたが、それを掴むことは叶わない。
 外套を翻し、エヴァの考えと関係なくディミトリはクロードが消えた方向へと走っていく。
 普段は冷静に見えるディミトリだが、一度そうと決めたら突っ走っていってしまうのが玉に瑕だ。今ならフェリクスが彼を「猪」だと称する意味もわかる気がした。

 アッシュを頼まれた。ならばそれに従うべきなのだろう。だが、ここで王子たるディミトリを置いていってしまうのはいいことなのだろうか。
 エヴァの脳内に疑問が駆け巡る。足が縫い留められたかのように動かなくなった。どうするのが正解なのだろう。

 悩むエヴァの肩に、誰かの手が置かれた。


「貴方は彼に言われたことを果たして」
「っ、」


 聞こえてきた少女の声に弾かれたように顔をあげる。己の肩に手を置いた人物は既にディミトリやクロードの方へと向かっていった。
 彼女の赤い外套が、鮮烈に目に灼けついた。


(あの、外套は)


 ディミトリやクロードのつけているものと同じもの。赤い色が示す学級と出身国は──。


(──それどころじゃない、わね)


 言われたことを反芻する。彼に言われたことを果たす。アッシュの治癒を。
 妙な胸騒ぎを抱えて、エヴァは縫い留められた足を動かした。早く彼を治癒して、騎士団に報告しなければ、と。