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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

大樹の節‐01

「エヴァ! よかった、ちゃんと起きていたのね」
「……心配しすぎよイングリット。私を子供か何かと勘違いしていない? 貴方と同じ歳なのだけれど?」
「えっ? そ、そういうつもりは……」
「あるのよね? 目を逸らして言ってるものね?」
「……あるわ」
「ほぅらやっぱり……」


 1180年、大樹の節。
 エヴァ=リディ=ゴーティエは晴れて士官学校の生徒となる。
 勉強漬けの日々はお世辞にも楽しいといえるようなものではなかったが、ゴーティエの一員になるまでに入れた知識という土台があった為、想像していたよりは苦労しなかった。
 苦痛だったのは勉強そのもの、というよりも、シルヴァンと共に学校に行くことが許し難いらしい女中たちの妨害だ。
 気にかけないようにしていたが、そもそも自分が歓迎されていないのだということを思い出していたたまれない。

 それも、終わりだ。
 シルヴァンの力添えは確かにあったが、それでもエヴァは自分の力でこの士官学校への入学という手形を得ることが出来たのだから。
 たった一年とは言えゴーティエの家から離れることになる。それに不安がないと言うと嘘になるが、それよりも安堵の方が大きかった。

 そうしてエヴァは自覚する。自分は、自分が思っていたよりもあの家での生活を窮屈に感じていたことに。
 あの家に不満は──女中からの嫌がらせを除けば──ない。けれども、自分の「嫌に聞き分けがいい性格」が、自分を押し殺させていることもまた事実だ。

 シルヴァンはそれを悟っていたのかもしれない。想像でしかないが、エヴァにとってはそれが真実であるとも思えている。
 家の中ではシルヴァンがよく守っていてくれたような気がする。シルヴァン本人はそれをエヴァに悟らせないように動いていたようだが、エヴァにはわかっていた。
 そんなシルヴァンがゴーティエの家から出ていったとして。エヴァが健やかなままで暮らせるかと言われるとエヴァ自身も首を傾げることになる。

 だから、あの時シルヴァンが手を差し出してくれてよかったと心の奥底から思う。
 おかげで自分はどうやら壊れずに生きていられたし、幼馴染であるイングリット達と共に学びの機会が得られたのだから。
 それはとても幸福なことで、とても素晴らしいことに思えた。


「まあいいけれど。どうせ小さいわよ、私は」
「もう、拗ねないで。私が悪かったから」
「拗ねていないわ。事実だもの」
「拗ねてるじゃない……」


 自分よりも10cm程高いところにあるイングリットの顔を見上げながら頬を軽く膨らました。

 士官学校での一年がもしもないものだとしたら、こうやって彼女と普通の友達のように軽妙なことを言い合うことだってできなくなっていたのかもしれない。
 そう思うと、こんな何気ないやりとりすらも尊く愛おしく思える。
 口元に自然と浮かぶ笑みが少し恥ずかしい。それをかみ殺してイングリットを見直した。


「それで、えっと……今日から野外活動ね。本当に大丈夫なのかしら……」
「大丈夫よ。毎年同じ時期に同じ野外活動をしているけれど怪我人も出ていないって、先生が……」
「本当に大丈夫ならいいのだけれど……」


 エヴァはひとつ大きく息を吐き出した。
 最悪の事態を想定することは大事だが、それにしたって度が過ぎると自嘲する。恐らく、自分が幼いころから母の顔色を伺って生きていた癖のようなものが今にも影響しているのだろう。
 そんなエヴァの姿に気づいたのか、イングリットは表情を明るく変えた。エヴァの思いを吹き飛ばすように明るい声で言う。


「ほら、心配しすぎないで。集合の刻限までは時間があるのだし、一緒にご飯でも食べに行きましょう?」
「そうね、私もお腹すいた」


 イングリットの気遣いにエヴァは微笑んだ。その姿を見るだけで、エヴァは少し救われた気分になるのだ。





「……? 騒がしい……?」


 食堂について開口一番、イングリットが眉を潜めながら言った。エヴァもそれに肯定の意を示し食堂の中を見渡す。
 朝飯時。人が多いこと自体は何らおかしなことではない。だが、それだけと思うには囂然ごうぜんとしすぎている。

 注文所から離れた机の並ぶ場所。そこに騒ぎがあるのが目に見えてわかった。
 その騒ぎの中心にいるのは、エヴァとイングリットが所属する青獅子学級ルーヴェンクラッセの女子生徒二人と、別の学級に所属しているはずの男子生徒と──。


「……兄様?」
「シルヴァン……!」


 見知った朱色が視界に飛び込んできたのは二人ともほぼ同時だった。その名前を口にしたのも。
 入学早々騒ぎを起こすなどいったいどういう了見だ。その場に飛び出しそうになったイングリットの服の裾を掴んだが、エヴァも同じ思いである。
 けれど、かと言って。何も知らないまま飛び出して自分たちが不利になるようなことがあってはいけない。
 だからエヴァはイングリットを止めた。その行動の意味はイングリットにも伝わったようで、飛び出しそうになっていた彼女は動きを止めてくれた。
 代わりに二人で足を揃えて騒ぎの近くへと向かっていく。そして、騒ぎの中心にいた女生徒たちに声をかけた。


「あの、いったいこれは?」
「あら〜? 貴方はうちの学級の〜……」


 おっとりとした声が頭上から降ってくる。どうやら彼女はこちらの存在を認知してくれているようでほっとした。
 そしておっとりとした彼女の陰から、もう一人の少女が顔を出した。彼女の頭はエヴァのそれよりも低いところにあって、なんだか勝手に親近感を沸かせてしまう。


「エヴァ、だよね? それに、イングリット。あたしはアネット、アネット=ファンティーヌ=ドミニク。気軽にアネットって呼んでね」
「貴方……彼の妹さんよね〜? 私はメルセデス=フォン=マルグリッツ、よろしくね〜」
「あ……よろしくね、アネット、メルセデス」


 すぐに彼女らの名前が出てこなかったことを悟られずに済んで内心安堵した。人の名前と顔を一気に覚えるという経験が殆どなかったため、うまくそれらを一致させることが出来なかった。
 だから先に彼女らが名乗り出てくれて助かった。小さく息を吐き出して心を落ち着かせる。それから、メルセデスとアネットにもう一度問いかけた。


「それで、これはいったい何? 兄様、何かしたの?」
「いいえ〜、シルヴァンは私を助けてくれたのだけれど……」
「助けた? どういうことですか、メルセデス?」


 イングリットの目が困惑に染まっている。てっきりシルヴァンが何かをやらかしたのだろうと思い込んでいたらしい。素行が素行だから、とエヴァは苦笑した。
 けれど、違うのだとすればいったい何故なのか。この状況を作り出した一因であることはわかるが、何があったのかまでは想像がつかない。


「メーチェがね、あっちの男子生徒にぶつかっちゃって……それでメーチェは謝ったんだけど、しつこく絡まれて」
「それをシルヴァンが助けてくれたのよ〜。けれど、それが彼は気にくわなかったらしくて……」


 イングリットと顔を見合わせた。そして同時に小さく歎息をつく。
 納得はした。女癖の酷いシルヴァンだが、同時に人への優しさを彼は持っている。今回もその優しさに基づいて行動したのだろうが、それが裏目に出た形らしい。

 ならば、とエヴァは顔をあげる。その行動に疑問を覚えたイングリットがこちらを見た。
 これはご飯、後回しね。小さく呟いた言葉はきっとイングリットにしか届いていない。


「ごめんなさいイングリット、先に食べておいてくれる?」
「えっ?」


 どういうこと、とイングリットが投げかける疑問を耳に入れつつも、それに応えることはしない。きっと応えてしまうと、彼女は自分を止めるだろうから。
 こちらを掴もうとする手も、するりと抜けて。

 そのままエヴァはシルヴァンの傍へと歩み寄った。
 男子生徒の目がこちらを向いて、それにつられシルヴァンの顔がこちらを向く。何かを言われるよりも先に、エヴァは。


「エヴァ、下がっ──」
「──兄様、今日のご飯は奢ってくれるって言ったじゃない」
「はっ?」


 突然の言葉に男子生徒もシルヴァンも困った顔をした。
 言っていない。そんな約束をシルヴァンと交わしたことはない。けれどそれがさも当然で、当たり前の真実かのように口を回す。


「遅いなって思ったらこんなところで油売って。誰とも仲良くなれてしまうのは兄様の美点だけれど」
「エヴァ──」
「かわいい妹を待たせるの、兄様?」


 じ、とシルヴァンの目を見た。
 自分の言葉に頭が痛くなる。何がかわいい妹だ、今まで自分がかわいかった時などあるか。
 思いもしないことを口から吐くのに神経をこんなにも使うとは思っていなかった。
 だからこそ、ここまでして彼に真意が伝わらなければどうしようと怖くなったのだが──。


「……いやぁ、悪いなエヴァ。これ以上待たせたら倒れちまうな、それは不味い」


 どうやら伝わった、らしい。
 へらりと人のいい笑みを見せ──『妹』に見せるには薄っぺらい──、手をひらりと振る。
 そのまま、言い争っていたらしい男子生徒に視線を向けた。


「と、いうわけで。今日のところはこれで。じゃあな」
「まっ──」
「兄様、早く」


 ぐい、とシルヴァンの手を引いて注文所の方へと体を滑らせる。それにシルヴァンは抵抗することなくついてきてくれた。
 顔をあげて辺りを見れば、周りの視線が集まっている。恥ずかしい。
 イングリットがこちらを不安そうに見ていて、その隣のアネットとメルセデスも心配そうな顔をしている。大丈夫だというのに、と気丈に振舞うには手が震えていて。

 ああよかった、連れ出せた。安堵からか目頭が少し熱くなった。
 シルヴァンを掴んだ手はまだ震えている。きっとこの恐怖は彼にも伝わってしまっているのだろうけれど、気にかけている余裕などどこにもない。


「……ありがとな、エヴァ」
「……いえ。差し出がましいことをしてごめんなさい」


 囁くように聞こえた声に謝ってしまったのは最早染みついた生き方なのだろう。
 でも、本当にそう思ってしまったから仕方がない。

 これであの男子生徒は──というよりもあの場にいたものは、シルヴァンとエヴァが兄妹だということを認知したはずだ。
 それがシルヴァンにどのような影響を齎すかを考えると暗い気持ちになる。
 何もないという可能性も勿論あるが、自分たちが兄妹であることを利用しようと考える人間がいないとも限らないのだから。
 いずれは周知されることだろう。だけれど、あんな発表の仕方をすべきではなかったと反省する。

 そんな反省を、シルヴァンは知らない。知らなくていいとも思う。


「…………」
「エヴァ?」
「いいえ、なんでも。……早く食べましょう、野外実習で倒れて女の子に失望されても知らないわよ?」
「おっ前なぁ……」


 そうやって、知らないまま笑っていてほしい。
 これ以上自分のことで迷惑をかけたくはない。だから、笑顔を張り付けた。