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16

「エヴァ」


 模擬戦が始まる前の声とは違う、言うなれば研ぎ澄まされた刃のようなベレトの声が向けられた。しかしそれはこちらを害そうとするものではないとの判別はつく。
 数拍遅れて顔をあげる。彼の顔はこちらを向かず、おそらくはあちらに立っているヒルダを見ているのだろう。はい、と小さく返答をすれば、その形のまま彼は続けた。


「走れるか」


 その言葉の意図するところを考える。否、考えるまでもない簡単な問いかけだった。
 返答の代わりに体制を立て直す。足はややふらつき、体力も気力も十全とは言い難い。けれど、ここで足を止めてしまってはこの模擬戦に参加した意味がないと己を奮い立たせる。
 自分たちの会話を聞いていたヒルダが、ほんの少しだけ引き攣った笑顔で横入りする。笑顔ではあるけれど、勘弁してほしいと語っているような顔だった。


「もー、先生ってば。女の子同士のお話に割り込んじゃいけないんですよー? ……あたしとしては、二人とも武器をおいてほしいんだけどなー?」
「戦場で容易く武器をおいてしまう傭兵はきっと世界のどこにもいない」
「あははー、ですよねー」
「……いってくれ、エヴァ」


 ベレトの言葉を受けるとほぼ同時にエヴァは駆け出した。足が悲鳴を上げるように痛みが走ったが、今はなんとかそれを無視する。きっと本物の戦場では、そんなものに意識を向けている暇などないだろうから。
 もちろん、それを止めようと一瞬だけヒルダの足がこちらを向いた。しかしそうしたところでベレトに止められてしまうのが目に見えていたからかそのまま通してもらえてしまう。通さざるを得なかった、というのがヒルダ目線だろう。

 走る。
 走りながら考える。
 状況。現状。戦況。そしてこれからどうするのが最善か。

 後ろ──特にエヴァが相手取らなかった金鹿の生徒、ローレンツは大丈夫だろう。そちらが大丈夫だと判断されたから、今ベレトが来てくれたと考えるべきだ。挟撃の心配など諸々を考えるに、脱落したと推察して構わないだろう。
 彼の相手をしていたはずのフェリクスとドゥドゥーはどうだろうか。


(……いえ、きっと大丈夫ね)


 情報の伝達は戦況を大きく左右する、と昔読んだ教本に書いてあった覚えがある。そしてそれはおそらく是だ。
 傭兵であるベレトがそれを知らぬはずがない。そのうえで彼がエヴァに学級の脱落者のことを伝えていないのであれば、それは心配いらないということだろう。要らぬ不安を与えないようにと脱落者を伝えない選択もあるのかもしれないが、彼が今それを行うようにも思えない。
 ならば合流しなかったフェリクスたちの行き先は──。


(多分、黒鷲学級の──……ああ、頭回らない……!)


 駆ける。森に入り、おそらくディミトリがいるであろうところまで。先の平野とは違って足場が悪く、気を抜いたら足をとられそうになるけれど、それでも駆けなければ。
 各個撃破のためなのか、挟撃のためなのか、逆に挟撃を避けるためなのか。考えることは山程あるが、そこまで思考が追いつかない。
 当たり前だ、と自分のことながら思う。戦闘が開始していの一番に戦場を掻き乱し、そこからほぼ休みなくひっきりなしに動いているのだから、そちらに割くことができる体力が残っていないのだ。
 基礎体力の向上が課題だな、と掠めた余計な考えを隅に押しやる。たしかにそれは必要なことで、学級対抗戦に参加して得た今後の目標ではあるけれど、そんなものはあとから考えればいい。
 今はとにかく走らなければ。


(っ、見えた──!)


 ──と同時に、最悪の状況であることも認識した。なるほどベレトが自分に走れといったのはこういうことか、と嫌に冷静な自分が分析をしている。

 翻る青い外套は最早見慣れたと言ってもいい。我らが青獅子学級級長であるディミトリが身につけているものだ。しかしその後ろ姿は普段のように前に進んでいくものではなく、自由を奪われたかのように左右に振れている。
 理由は彼の足元、そして向こう側。進もうとする先には矢が刺さり、それから逃れた先には火の魔法が着弾する。
 考えるまでもない、弓はクロードのもので間違いないだろう。そして魔法は──。


(──うちのベレト先生が参加してるのだから、そりゃあ当然いるわよね……)


 金鹿学級の担任教師であるハンネマンのものだ。
 絢爛ではない。しかし繊細な炎だった。ディミトリの動きの先を読み、的確に「嫌」なところに打ち当てる。
 ディミトリとて無策ではなく、されるがままに打ち込まれるだけということはないが、それでも思い通りに動けなくされていることが目に見て取れる。


(……それに……)


 森の外へ一瞬だけ視線を動かす。走っている上に森の中だ、よく見えているわけではない。──が、感じ取ることはできる。
 ああ、最悪の状況かもしれない──などと考えながら、地面を蹴りわざと音を立てて跳ね上がった。


「!」


 意識がこちらに向けられるのを感じる。目立つ時のこの感覚はやはりあまり好きなものではないが、そうも言っていられないのが戦場なのだろう。
 クロードの一矢が飛んできた。しかし反射的に討ったものだったのだろう、狙いは定まっておらず、エヴァの身体を捉えることはない。エヴァの隣を奔った矢を尻目にディミトリへと駆け寄る。


「彼女は?」


 ディミトリの視線は前に縫い止められたままだった。それでもかけられる声に、「自分である」と認識されたことを確認して少し息を吐いた。
 悟られないよう、気取られないよう、そしてなにより読み取られないように、声を最小限に絞り、開く口も小さくして言葉を紡ぐ。


「ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリルはベレト先生と交戦中です、私はその合間を縫ってこちらへ」
「先生か、ならそちらは問題ないと考えていいのだろう。ドゥドゥーとフェリクスは」
「先生が語られませんでした。戦況の共有をしなかったということは無事でしょう。行き先は、恐らくですが──」


 このように喋りながらでも白魔法は発動してしまうのだから、祈りや信仰なんてものは結局形でしかないのかもしれない。
 それでもその「奇跡」が必要であるが故にエヴァは仮初でも祈り、ライブの魔法を発動する。初級中の初級、基本中の基本の奇跡。それでもディミトリの気づかぬ場所にあったらしい傷は塞がっていく。
 平時ならば礼の一つでも言ってもらえてしまったのだろうが──エヴァがいらないと言ったとしても、だ──今はそうではない。ディミトリの研ぎ澄まされた感覚は、眼前に有る二人へと投げられたまま。
 しかしエヴァはそうではない。ディミトリが「そう」だからこそ、エヴァはそうあるべきではないと判断して森の外へまで意識を張り巡らせている。意識一つですべてを把握できるわけではないが、それでもできることはある。


「おーっと、これは……数の有利はなくなっちまいましたね、ハンネマン先生」
「ふむ。戦場を引っ掻き回した彼女に体力の残りがあるとは考えづらいが──」
「ですが、我々は後退という手が取れます」


 息を吸い、声を張り、前を見据える。クロードとハンネマン、二人の視線が此方へと投げかけられた。
 足が止まる。酸素が頭へと回る。底を見せた体力は身体の中で悲鳴を上げているが、ひりつく思考は止まることを許さない。
 ディミトリは何も言わない。言外に続けろと言われているのだ、と受け取って深呼吸した。


「後ろにはヒルダがいますが、そちらには私達の先生にいます。数的不利ならば敵に背を向けることは叶いませんが、今は同数。無理ではありません」
「そうだな? だから俺達に出来るのは、今お前たちを取り逃がさず倒すこと──」
「クロード様とハンネマン先生のお力を見くびるわけではありませんが、我々とてただ狩られる兎ではありません。我々は十年来の付き合いです、互いの癖は知っていますし、互いの弱点を補うことも叶います」
「……言うねえ」
「それに、この戦場には定められた区切りがあります。私達には広々とした後ろがありますけれど、金鹿学級の貴方がたにはそれがない。退転も、貴方がたには許されない」


 ひどい虚勢だな、と己を嘲る。それを表に出しては虚勢の意味がないのでなんとか飲み下すが。
 確かに十年来の付き合いではあるし、癖も弱みも知っているが、流石に何でもかんでも知っているというわけではない。彼と付き合いがない者と比べれば知っている方だろうが、十全かと問われれば否だろう。
 それでもその誇大な言い分が武器になるのであればそれは使うべきだろう。あとからディミトリに小言を言われるかもしれないが、それはそれだ。


「ですので有利なのはこちらだ、と踏んで金鹿学級のお二人に提案があります。ディミトリ様も聞いていただけますか?」
「お前の提案ならば耳に入れるが……俺の肝を冷やさない提案にしてくれよ」
「とすると、エヴァの独断か? 聞くだけなら構わないが……どうです先生?」
「我輩としては……そうだな、戦場での立ち振舞いとして正しいかどうかは分からないが、興味はあるところだ」


 三者三様、様々な反応が返ってきた。ディミトリの肝を冷やさないかどうかの判断はややしかねるが、多分問題ないだろうと勝手に結論づけた。
 彼らがこれに喜んで飛びついてくれるとは思えないが、ある程度論理的で、多少魅力的な提案になっていると信じて。