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15

(──躱される、)


 予備動作に入ったときには理解していた。ただの勘ではあるが、外れるとも思わない。
 それでも一度動きに入ってしまった以上、簡単に止められる制動装置はついていない。無理をしては逆に隙が生まれて狩られるのが関の山だろう。
 だから無謀だと思っていても、無駄だと分かっていても、無理だと察していても、振り抜くしかないのだ。
 拳は宙を切る。物体を打った時の感覚は無く、やはり、と微かに思った。思考している間などほんの瞬きの間すら無いのだが。
 同時に視界の中でヒルダの手がわずかに動いたのを見る。考える必要もない、あれは反撃のための動きだ。
 ならばどうするか、という考察は生まれなかった。代わりに体が先にあれを避けようと動いている。

 片足を軸に体を捻り、刃の軌道からぎりぎりのところに身を置く。自分の頭よりも先に行動を起こす自分の体が、どことなく自分のものではないように思えた。
 捻った体はその勢いのままエヴァを転がす。体が地面に激突してやや鈍い痛みが走ったが、ここで動きを止めてしまえばこれよりもひどい痛みが体を襲うのがわかっているので泣き言は言わず、力のまま素直に転がってそのままヒルダから距離を取った。
 膝を尽き彼女の方を見る。ヒルダは普段どおりの、いっそ自然すぎる瞳でこちらを見ていた。


「避けられちゃったか、さっすがー!」
「……やっぱり、か弱い女の子同士、とは思えないかもしれない……」
「だめー?」


 笑う姿だけを見るならば確かにヒルダは可愛い女の子だ、と思う。同性の自分から見てもそれは疑いようのない事実だ。
 けれど、と目を眇める。相対する自分が感じるこの気配は、「かわいい」だけではない。
だからこそエヴァはこの場から動けないでいるのだから。

 正直ところ、心はとても逸っている。なにかに急かされているわけでもないのに、早くしなければいけないと頭の中で警鐘が鳴り響いている。
 それは課外授業のときに引き続きまたディミトリを単独行動させてしまった、という自責の念からくるものだと、なんとなくだが理解していた。その自責はどろりとした粘性を持ってエヴァの胸中を埋め尽くしている。
 たまらなく不快だ。けれどそれを解消する術はここにはない。
 あのときは仕方なかった、誰にとっても不測の事態だった──そう言い訳することは可能だが、それで納得できるような無責任を持ち合わせていなかった。

 どうすることが最善か。
 分かっている、今度こそはディミトリの元へ向かうことが必要だ。学級の勝利のため、ディミトリの負荷を軽減するため、そしてなによりも自分の中にあるこの小さな誇りのために。
 けれどそれは叶わない。この、目の前の可愛い女の子に阻まれて。まず彼女の横を簡単に通り抜けることはできないし、そもそも彼女を無視してそのまま通ってしまえば森の中の生徒と挟撃される危険性がある。

 彼女を倒すために援護として後方にいる誰かを呼ぼうか?
 自分が人を呼びに行っている間にヒルダが踵を返して森の中に入られる可能性が高いだろう。そうなるとディミトリは一人で二人の相手をすることになってしまう。いくらディミトリが武の達人とは言え苦戦を強いられることは想像に難くない。
 一番「ない」選択肢だ。

 後方の誰かが、出来れば三人ともが現れるのを待つという手もある。
 そうすればヒルダとの戦いは一気にこちらに傾くだろう。難しいことを考える必要もなく、数の暴力で押し切れるはずだ。油断はしてはいけない、という注釈がつくが。
 しかしあとどれくらいで彼らがこちらに追いつくのか検討がつかない。そう離れた場所ではないし待っていればいずれ、あるいはすぐだろうが、それでも一人で戦っているこの場においてその援軍を期待することはあまりしたくない。
 時間がかかればそれだけ地の利を持つあちらが有利になるのは目に見えているし、エヴァの集中だって続かないだろう。

 自分が一人でこの場を収めることは?
 ヒルダに果敢に挑み、彼女を脱落させる。そうすることで後顧の憂いを断ち、ディミトリの救援に向かうことが可能となる。
 だがそれは決して簡単な道ではない。今の一撃で十分すぎるくらいに、彼女が簡単には倒されてくれない相手だということが分かった。


(他に何か──)


 視線を巡らせかけ、やめる。
 利用できる何かを見つけたところで、それを十全に使えるとは限らない。使えるかどうかもわからないものを探すくらいなら、一秒でも早くに自分ができることをするべきだ、と判断した。

 駆け出すのに躊躇いはない。
 不安がないわけではないと思う。失敗したら、間に合わなかったらという恐怖は脳の裏でその存在をひりひりと主張している。
 だが、それが今この場において不要な感情だと理解していた。迷ってやるべきことすら出来なくなってしまっては、それこそゴーティエの恥だ。そうなるのだけはなんとしてでも避けたい。
 ヒルダの前に躍り出て、握った右拳を彼女の体めがけて突き出す。


「おっと……!」


 当たらない。分かっていた。
 先ほどと同じ光景だ。ヒルダが身体を撓らせて、エヴァの拳は空気を切るだけ。
 再現にすら思える状況の中、しかしエヴァは次の行動に移っていた。
 左に避けたヒルダの身体を追うように左腕を振るう。真正面に繰り出す拳より勢いは洗練されていないが、それでも追撃には十分だろう。
 しかしそれを許してくれるほどヒルダは優しくない。持っている斧の柄で受け止め、そしてそのまま身体同士を弾くように後退した。
 弾かれたエヴァはやや姿勢を崩す。だがそれで動きを止めてはならない、となんとか足を地面に縫い止め、すぐさま再び駆け出す。


「ちょ、っとぉー!?」


 考えている暇はない。ヒルダに考えさせないために。
 右、左、時折足。自分の体に付随するありとあらゆるものを使って、休む隙も与えずに打ち込む。向こうに主導権を与えるわけにはいかない。


「っ、これ……押し込まれてる、よねっ……!」


 ヒルダが斧を振るって体を守っている。気づかれたと理解して、ひときわ強く斧の上から足裏を入れた。

 エヴァが取った手段はヒルダごと森の中に押し込むことだった。最善手、とは言えないがこれなら自分がヒルダの相手をしつつディミトリに合流することを狙える。進行速度は一人で向かうよりも遥かに落ちるだろうが、それならば後ろから誰かが追いつく可能性もあるだろう。
 ──だが、問題ももちろんある。


「っは、──はぁ……っ!!」


 息が詰まる。脳が灼ける。目に汗が入って視界が痛みとともにぼやける。
 打ち続けるということは体力を消耗し続けるということにほかならない。当てるつもりの一撃一撃に体重を込め、それを休む間も無く行っているのだから当然だ。無限ではない体力は確実に底を見せ始めている。
 どうにかこうにか降参してもらえないだろうか、と頭の隅に漠然と浮かんだが、そんなことが起こるなら今エヴァは必死になっていないだろう。

 不意に、声がした。


「エヴァ、そのまま」
「────!」


 幾度か聞いた、低くて落ち着いた声。決して力強く響くわけではないが、それでもエヴァの耳にはよく届く。
 そのまま、という声に導かれるように撃ち込む。一撃、二撃と拳を繰り出し、三撃目の足を斧に弾かれて体を低くしたとき、頭上に何かがはためいたのを見た。


「っきゃ……!!」


 ヒルダの体が大きく飛ばされる。地面に打ち付けられているようにも思えるが受け身を取っているのが見えたので怪我はしていないだろう。
 すぐに体を起こすヒルダだったが、その動きがぴたりと止まる。
 エヴァとヒルダの間に、灰色が静かな空気を携えて立っていた。