シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエの憂鬱
シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエは聡明な子供だ。故に、自分の屋敷に見知らぬ少女がいると知ったその時から嫌な予感がしていた。
予感は当たる。それが嫌なものなのか或いはもっと別なものなのかは今のシルヴァンには分からないことであったが、兎にも角にも今の生活に関わることなのだということは理解した。
《今日からこの子が、お前の妹だ》──。
父からそう告げられてすぐに呑み込めるほど大人ではなかったが、意味がわからないと声を荒らげるほど子供でもない。
シルヴァンは目の前に行儀よく立っている「妹」を注視した。赤い髪に茶色い瞳、たしかに外から見れば自分たちは兄妹に見えるだろう。
自分の視線に気がついたのか、「妹」は口を小さく開いた。そのからだが少し震えているように見えるのは、シルヴァンの気のせいだろうか。
「……はじめまして、エヴァ=リディ……、ゴーティエ、といいます」
たどたどしく告げられた姓に、シルヴァンは眉を顰める。
ゴーティエ。己と同じ姓。自分を縛る、鎖のひとつ。
言い慣れていない様子からして、生まれ持った姓ではないのだろう。遠慮がちな様子からして、好き好んで名乗った訳ではないのだろう。ぎこちないながらに取られた礼は、恐らく本当の親から叩き込まれたものなのだろう。
その瞳は間違いがないのかと怯えるように揺れている。
それでもその名を名乗らねばならぬというのならば、それは確かにシルヴァンの身内になるのだ、ということは嫌でもわかった。後付けであれ、押しつけであれ。
憐れ、だと思った。その感情が優越意識から来ていることをシルヴァンは何となく理解していたが、それでもこの少女を憐れだと思う外なかった。
そうして彼は理解に至る。恐らくは彼女も振り回される側の人間なのだ、と。
逡巡の後に、シルヴァンは手を差し出した。
「……?」
「シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ」
これが正解なのかどうかはわからない。わからないが、少なくとも不正解ではないはずだ。
不思議そうにこちらを見上げていた妹──エヴァはシルヴァンの名前を聞いて、シルヴァンが差し出した手に己の手をおずおずと重ねた。
手を握ってやる。目に見えてエヴァの表情が明るくなって、シルヴァンは心臓の奥が締め付けられる感覚を覚えた。まやかしの感覚ではあるが、それは確かにシルヴァンを蝕む。
「……よろしくお願いします、兄様=v
兄様、などと。
その敬称は自分に向けられることは無いと思っていた。兄らに向けるだけだと思っていた。だからそれが妙にこそばゆい。
手を握り返される。小さく、柔い手だ。少しでも力加減を間違えてしまえば壊れてしまうような。
それを認識した途端、シルヴァンの胸中に何かがせり上がってくるのを感じた。
いったい、何が。シルヴァンは少し思考する。
答えは返ってこない。返ってこないが、目の前のエヴァを見る時の感情が、他の女の子たちを見る時の感情とは別のものだということだけは、思考せずとも気がついていた。
†
あとから聞いた話だ。
彼女はゴーティエの遠縁らしい。自分と見目が似ているのも恐らくはそれが関係しているのだろう。
そして、姿形の話よりも大事なことがひとつあった。
エヴァは紋章持ちだ。シルヴァンと同じゴーティエの小紋章を持っている。
それでシルヴァンは全てを察した。察して、しまった。
彼女は、自分が不良品だった時の代替品だ。自分が後継を成せなかった時の代替品なのだ。
自分の家が──すなわちゴーティエが紋章を重要視していることは知っている。だからこそ紋章持ちである自分は寵愛され、そうでなかった兄は酷い扱いを受けているのだから。
しかし、その紋章を宿した血は既に薄い。紋章を継げない子の方が生まれやすい程度には。
だがそれではいけない。それでは駄目な理由がゴーティエにはあった。
ゴーティエ領はファーガス神聖王国の最北端に位置する。すぐ北には異民族スレンが存在しており、ゴーティエはスレンからの侵略を阻止するという役割を持っている。
そのスレン侵攻を防ぐために必要だったのがゴーティエに伝わる紋章と、英雄の遺産「破裂の槍」だ。
紋章はあるだけでその効力を発揮しているらしいが、その本領は別のところにある。
英雄の遺産の使用資格。それが紋章にある、というのだ。
英雄の遺産は強力な武具である。そのひとつである「破裂の槍」を、ゴーティエは受け継いできた。
受け継いだ「破裂の槍」はスレン侵攻を食い止める要だ。この槍無くしてはスレンの侵攻を止めることはできない、と思わせるほどに大事な部品だった。
故にゴーティエは紋章の有無を重視する。この紋章が無くては「破裂の槍」を扱えないから。
シルヴァンは運よく──或いは運悪く──紋章を所持していた。故にこの家の中では重宝され、大事に大事に育てられてきた、という自覚がある。それと同時に、家を継ぎ紋章を持つ子を作れと聞き飽きるほどに聞いてきた。
ならば。
もし、自分が紋章を持つ子を作れなかったら。
血が薄くなったことだけが要因ではない。
もしかすると子を成す前にスレンからファーガスを守るという使命の元で命を散らすかもしれない。疫病で命を落とすかもしれない。それ以外にも、紋章持ちの跡継ぎを為せないこととなる原因はあるかもしれない。
そうなった時、ゴーティエはどうするのか。
その答えのひとつが、エヴァなのだ。
遠縁だろうとなんだろうと、彼女にはゴーティエの小紋章が宿っている。すなわちそれは彼女が「破裂の槍」の適合者であるという証拠であり、同時に──、同時に、彼女が紋章持ちの子を産める可能性がある、ということだ。
もしもシルヴァンが紋章持ちの後継を為せなかった時。その時はきっと彼女に産ませるのだろう。彼女の意思に関係なく、彼女の思惑に関係なく、生まれるまで何人も。
エヴァの両親の話も聞いたが、あまり気持ちのいいものではなかった。
彼女の父がゴーティエに連なる者で、母が商家の者。そこから紋章持ちのエヴァが生まれ、彼女を立派な¥ュ女に育てあげ──このゴーティエに連れてきた。「ゴーティエの貴族」になるために。
憐れだ。
二度目になるこの感情を、シルヴァンは抱えている。
彼女は両親に利用された。自分たちが成り上がるための道具として。そこに本当の愛があったか否かはシルヴァンの知るところではないが、少なくともそれは真実で。
そして、自分が子を成せなかったその時はまた利用されるのだ。ゴーティエの跡継ぎを生むものとして。
そんなことを知ったから。
シルヴァンはあの日──彼女に手を握られたあの時に奥からせりあがってきた感情を理解した。
こんな自分ではとても、『愛』だなんて綺麗な名前を付けられないから。
これは、庇護欲と名付けるべきものなのだろう。そこに『愛』も混じっているのかもしれないけれど、それはきっと『哀』でもあるのだ。そんなものは傲慢すぎるから、シルヴァンはそっと蓋をする。
厄介な感情を抱えてしまった。
そんなことを思って、シルヴァンは溜息をついた。ああ、憂鬱だ。
シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエの憂鬱
(俺は、俺だけはきっと、彼女を利用してはいけない)(守らなければいけない、だなんて)
(……ああ、本当に、厄介だ)