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11

 大樹の節、30の日。
 週の真ん中、皆に疲れが見え始める頃合。しかしこの日ばかりはそういうわけにもいかない。
 訓練場の片隅に集められた青獅子学級の面々はそれぞれがそれぞれの面持ちで、しかしどこか高揚した雰囲気に包まれている。

 ベレトが青獅子学級の担任として配置されておよそ一週間が経った。今日はその一週間で築いた信頼関係や、そもそもの力をお披露目する場だ。
 学級対抗戦。少し前にエヴァがベレトに参加を検討するように言われた催し。あれから何度も参加するか否かを考えていたが、結局答えは出ず終いだった。
 ディミトリからの推薦、参加することへの不安、ベレトからの期待、ゴーティエの義娘としての振る舞いを心がけねばという重圧。全ての理由を混ぜ合わせて、思考が混沌とするのが常だ。
 このままだとなし崩し的に参加することになりそうだが、それもそれで他の生徒たちに失礼ではないだろうか。人の内心など分からないが、分からないからこそ考えてしまう。
 はぁ、とため息が口から零れた。


「あらあら、ため息? 幸せが逃げちゃうわよ〜」
「……っむ、」


 聞かれていた、と思わず口を塞ぐ。前にもこんなことがあったな、と頭をよぎったがあれは確かため息ではなくて独り言だっただろうか。
 声の主へと視線を向けると、彼女は淑やかな笑みをその顔に携えていた。咎めようとしたわけではなさそうだと判断して口を塞いだ手を離した。


「……ごめんなさい、メルセデス。はしたないところを見せちゃったわね」
「はしたないとは思わないけれど……どうかしたの〜? とても悩んでいるようだったけれど〜……」
「それは……」


 あんなため息を聞かれたらそう思われるのも仕方ないだろうし、悩んでいるのかと尋ねられれば悩んでいるのだろう。
 どうしようと考え始めて自分の視線が泳いだのに気がつく。こんなに表情に出ているのならば誤魔化したところで無意味か、とおずおずと口を開いた。


「……学級対抗戦が、不安で」
「あら〜。それはどうして?」
「……参加しても参加しなくても、ああしておけばと思ってしまいそうなの」


 言語化することで自分の気持ちも改めて可視化されていく。
 後悔、と言えばいいのだろう。自分がどういう選択をしたとしても、適当な理由によって後悔するのだろうと不確定な未来を怖がっているのだ。
 どうせなるようにしかならない、そんなことは分かっている。分かっていても不安なのだから質が悪い。


「エヴァは、後悔するのが怖いのね?」
「怖い、というか……」


 恐怖とは違う気もする。かと言って適切な言葉が見つかるわけでもない。
 視線を宙に彷徨わせ言葉を探す。メルセデスを待たせていると思うと少し心が焦ったが、彼女はその笑顔を崩さなかった。その代わりに少しだけメルセデスが口を開く。


「難しいことを考えるとぐるぐるぐるぐる、同じことしか考えられなくなるわよね〜」
「……メルセデスも?」
「えぇ、そうよ〜」


 メルセデスほどの落ち着いたひとでもそう思ってしまうのかと思うと少しだけ気が楽になった。根本の解決は何にも出来ていないが、その事実が慰めにはなる。
 そして同時に気を使わせてしまったという事実に心苦しくなる。きっと彼女はそんなことを考えてはいないのだろうが、結果的にそうさせてしまったのだからエヴァ目線では変わりない。
 ごめんなさい、と伝えるとメルセデスは首を横に振った。


「きちんと考えていて偉いわ〜、私も見習わなくっちゃね〜」
「? メルセデスが……私を?」


 見習われるようなことは何もしていない、つもりだ。
 むしろこちらがメルセデスを見習いたいくらいだとすら思っている。いつもお淑やかで落ち着いていて、余裕のあるような静かさを持つ彼女は、貴族の淑女としてとても相応しいものだと感じている。


(……そういえば)


 メルセデスの来歴を思い出す。
 詳しいことは何も知らないが元は帝国貴族の出身であったと聞いた。そこから紆余曲折を経て王国の民になったとも。
 彼女の人生がどういうものだったかを知ることはできないが、その歩みが彼女の立ち振る舞いに影響を与えているのであれば恐らくは──。


「あら、先生とディミトリが戻ってきたわ〜。お話、聞きましょうか〜」
「……ほんとだわ」


 メルセデスが視線を移した方につられる。彼女の言葉通り、ディミトリとベレトがこちらに向かってきているのが見える。
 それはすなわち学級対抗戦がもうすぐ始まるという証左でもある。団欒の雰囲気に包まれていた青獅子学級の空気が痺れるように引き締まった。
 ベレトが生徒を見渡す。一瞬目が合ったが逸らすような真似はしなかった。


「皆、そろそろ郊外の方へと移動する。が、その前に作戦会議をしよう」


 生徒達の会話が途切れる。無論、エヴァとメルセデスもだ。皆がベレトの話を聞こうと言う姿勢になっていた。それは青獅子学級の性質というよりは、ベレトの空気感に由来するものだとエヴァは感じる。

 やはり不思議な人だと思う。
 表情が薄い、人間味がない、傭兵上がりは怖い。色んな声があった。
 それでも彼はそれを意に介さず──そう見えるだけかもしれない──教壇に立ち、まだ知り合って数日だというのに人に話を聞かせるだけの力がある。生徒達の感情はそれぞれ違ったものだろうが、それでもこうして纏まってしまうのは彼の力だろう。


「我々は南側から模擬戦を開始することになった。北西にハンネマン先生が率いる金鹿学級、北東にマヌエラ先生が率いる黒鷲学級がいる」
「級長は絶対参加らしいから俺、クロード、エーデルガルトは場に出ている。それを踏まえた上で他の皆には出るかどうかを決めてもらいたい。勿論、俺や先生から参加を願うこともあるが……」


 生徒達がややどよめく。隣の学級の級長が出ることにも、ディミトリが出ることにも。
 この士官学校において身分の差は考慮されない。されていなくとも、彼ら彼女らが王子、次期盟主、皇女であることに変わりはない。自分たちの王子が模擬戦という場で危険に晒されることも、自分たちの刃が次期盟主と皇女に向けられることも、やはり幾ばくかの恐怖を覚えるのだ。エヴァもそれに変わりはない。
 しかし、ファーガスは騎士の国だ。皆が皆、そのことに恐怖を覚えるばかりではない。


「殿下が参加されるのであれば、おれも」
「御託はいい、俺を出せ」


 聞き覚えがある声がした。ドゥドゥーとフェリクスだ。
 驚きはしない、納得の二人だ。
 ディミトリのことを必ず守ろうとするドゥドゥーであれば少しでも不測の事態を避けるためにディミトリが参加する模擬戦に付き添うというのは想像できたし、剣の修練に余念がないフェリクスであればこの機会を逃すはずがない。
 各々の考えの元、はっきりと意思の表現ができる彼らはエヴァの目に眩しく映る。
 ならばとベレトは彼らを出陣に組み込んだようだ。彼らが出るのであれば、同じく前に出る自分に出場の意味はないだろう──と思っていたが、ベレトの目がこちらを向いた。


「エヴァはどうだろうか」
「え」


 確かに打診されていたことではあるがまさかこの場でも提案されるとは思っていなかった。
 誰も立候補していなければともかく、今は前衛であるドゥドゥーとフェリクスの立候補もあるのだし。戦力的には自分よりも後衛としての素質が高いアッシュやアネットの方が適切なのではないだろうか。
 どう返答しようかと視線が地面に落ちた時、背後に人の気配を感じたかと思えば頭に軽い重みが乗った。僅かなぬくもりを感じる。


「先生ー、うちの可愛い妹をあんまりいじめないでくださいよ」
「兄様」


 頭上から降ってくるのはへらりと柔らかな色を混ぜたシルヴァンの声だ。地面に落ちた視線を上げればよく似た茶色がこちらを見て絡まった。
 迷っているのを見て助け舟を出してくれているのだろうと理解して安堵の息を吐く。この優しさに救われるのは一体何度目だろう、と答えの出ない問が頭を一瞬だけ過る。


「いじめているつもりはないのだが……」
「ああいや別に本当にいじめてるって訳じゃなくて。初めての試みなんで問われてもすぐには答えられないからちょっと待ってやってってことです」


 な、と向けられた瞳はとても優しい。自分にはもったいない、と感じてしまうほどに。
 こういう出会い方をしなければ享受できなかった優しさなのかもしれない。だからこそゴーティエに仕える女中達から妬みの視線を向けられていたのだ。けれど、その特別な優しさが嬉しいと思ってしまうのは仕方ないことだろう。
 この優しさに報いたい、と思う。ならばどう行動するべきか、と考える。
 少しでも実戦に慣れて知識を吸収するということは彼の優しさに報いることになるのだろうか、と僅かに思案して。



「……兄様、先生、……あの」
「どうした?」
「……出ます、お力になれるかはわかりませんが」


 こちらを見ていたシルヴァンの目が微かに見開かれたのを見逃さない。
 選択を間違えただろうかと少し不安になるがただ驚いただけらしく本当に大丈夫か? と問いかけられる。そう問われると逆に不安になってしまうが、一度言った手前撤回する気にもなれない。はい、と小さく呟けば暫し考えた後に頭をわしわしと撫でられた。


「無理はすんなよ? 殿下もフェリクスもいるから大丈夫だとは思うけどさぁ……」
「えぇ、ありがとう兄様。……きちんと勉強してくるわね」


 きっとこれが彼の優しさに報いることになる。きっとこれがゴーティエという家の利益になる。きっとこれがファーガスという国の安寧に繋がる。
 そう言い訳をして己をなんとか奮い立たせる。これはわたしのためなどではないと思わなければ立てなくなるなんて弱いな、とまた自嘲した。