09
「学級対抗戦……」
口の中で転がした響きに、エヴァは少しだけ憂鬱な気持ちになった。
大樹の節、30の日。
大樹の節が終わるその日に、「学級対抗戦」は行われる。
難しいことは何もない。エヴァが所属する青獅子学級、そしてその両隣にある黒鷲学級と金鹿学級で実戦による対抗戦が行われる、というだけの話だ。
極少人数で行われるそれは、エヴァら生徒たちの今の実力を見るとともに、生徒と教師の信頼関係を築き、同時に教師……つまり青獅子学級で言うベレトの実力を生徒たちに示す場でもある。
士官学校は士官を養成するための学校である。つまりそういう実戦的な催し物があること自体は知っていたし、エヴァとてそれを望んでいないわけではない。
だからこの憂鬱な気持ちは何もそこから来るものではない。ただ少しだけ、ほんの少しだけ。自分がその場にいる場違い感に頭を痛めるのだ。
自分には突出した才能が特にあるわけではない。剣の才能ならばフェリクスが、槍ならばディミトリやシルヴァン、イングリットが、斧ならばドゥドゥー、弓ならばアッシュ、魔道ならばアネット、信仰ならメルセデスがいる。自分はどうだろう。
自分は、どっちつかずだ。
勿論、相応の想いと覚悟と理由で学んできた。
長い武器を使う幼馴染達の隙間を埋めるために──表向きは護身のために──格闘術を習ってきたし、彼らの怪我を少しでも癒せるようになりたくて白魔法の勉強もしてきた。
だが、一つを極めてきた彼らと比べるとその足元にも及ばないだろう。その事実を改めて眼前に突きつけられることが、エヴァを憂鬱な気持ちにさせていた。
だというのに、この人は。
「学級対抗戦に出ろ、と?」
「だめだろうか」
「だめではないですが……」
私よりも適任はほかに沢山いるのでは。目の前にいる担任教師ベレトに、エヴァは小さくそうつぶやいた。
拭えない劣等感がそれを紡がせる。きっと優秀な生徒ならば「任せてくれ」と言うのだろう。
だが、エヴァはどうしてもそれを言えなかった。そこまで自惚れることが出来ないし、そのつもりもない。
だから、自分以外の人間が学級対抗戦に出る方が実りある結果になると思う。消極的に参加する自分よりも、積極的に参加したがる人間の方がいい結果を齎すというのは必然なのだから。
「参加したくない?」
「したくないというか……」
対抗戦に出ることが自分の向上につながってくれることは分かっている。それを思うと参加すべきだというのは明白な事実だし、実際エヴァだって出たくないわけではない。
けれど、少人数で行われる学級対抗戦の席を、自分などが使ってしまっていいのだろうか。その迷いがエヴァを暗鬱な気持ちにさせていた。
「ディミトリからの推薦なのだけれど」
「ディミトリ様が、私を推薦してくださったのですか」
「ああ」
合点がいった。
大して目立つような行動も彼の前ではしていないはずなのに、学級対抗戦に声がかけられるなど何かあるに違いないとは思っていたが、まさかディミトリの進言だったとは。
あの人は多分、エヴァを信頼してくれている。それは他の幼馴染達や自分の義兄に向ける信頼とはまた別の形をした信頼で、贖罪にも近いものだ。
エヴァの肉親は皆死んだ。あのダスカーの悲劇で、他ならぬディミトリを護って。
それに関してエヴァはディミトリを恨んではいない。あれは仕方のないことで、両親の行動は正しいことだったのだから。
もしも両親が生還してディミトリが没したなどと聞いたら、それこそどういうことになっていたか分からないし。
そうして、エヴァは肉親を全て失った。その状況を真の意味で共有できるのはディミトリだけだ。
確かに、他の幼馴染達にも傷は残った。イングリットの婚約者で、フェリクスの兄である男が死んだ。だが、彼らには肉親がいる。
エヴァにはいない。シルヴァンがいる、ゴーティエの家はある。けれど真に親と呼べるものは、あの悲劇でみんないなくなってしまった。
エヴァは独りだ。周りに誰がいようと、それは変えようのない事実だ。そしてその孤独を理解できるのはディミトリ以外にはいない。
ディミトリはディミトリで、エヴァから両親を奪ってしまったという引け目もあるのだろう。
だからディミトリは信頼と贖罪をエヴァに寄せる。エヴァのためになることを取りこぼしはしないし、寄り添おうとしてくれている。
今回の進言もそういうことだろう。
学級対抗戦に出ることは自分の実力を測ることにもなるし、ベレトにそれを見せることにもなる。
それは間違いなくエヴァの糧になり、今後に繋がってくれる。
だからディミトリは進言した。学級の勝利のためではなく──勿論それもあるだろうが──エヴァのために。
「…………」
小さく息を吐き出す。ほんの少しだけ苦笑をこぼした。優しい人だな、あの人は。
縛りたいわけではない。出来れば、自分の両親のことなど考えずにあの人の思うがままに生きてほしいとも思う。けれど多分、それに互いに救われているうちは無理なのだろうなと自嘲する。この泥のような関係は、割と居心地がいいのだ。
「……わかりました。でも、あまり期待はなさらないでください」
「程々に」
「もう。……私には、皆のような突出した才能はありません。それでも良いというのならば、存分に私をお使いください」
「ああ、期待している」
「ベレト先生……」
本当に分かっているのだろうか。一抹の不安を覚えたものの、彼の薄い表情を見ていると何を言っても仕方がない気がした。
ベレトの顔を見て、改めて彼の人間味の少なさを実感する。
エヴァはそれがあまり嫌いではなかった。人間という奴は怖いのだ。幼馴染や義兄はともかくとして、悪意に晒されてきたエヴァがそう思うのは必然のことだ。
だからだろう。人間味が薄い彼に接するのは、その表情に悪意がないことは、エヴァにとっては随分と楽に思える。
「……あ、すまない、エヴァ。行かなくては」
「お時間を頂戴してしまいましたね、申し訳ありません。どちらに?」
「ハンネマン先生に呼ばれている」
ハンネマンというのは隣の学級の担任をしている教師の名前だ。確か紋章学者で、紋章学の父と呼ばれているほどの人間だった。
学校に入ってすぐの頃、彼に紋章の検査をされたのを覚えている。その検査でエヴァは勿論ゴーティエの紋章を現出させて、なんだかほっとしていた。ゴーティエの紋章は、エヴァが今ここにあっていいという免罪符のようなものなのだから。
兎も角、そんな彼に呼ばれているということはベレトも紋章を持っているのだろうか。それとも担任同士の話し合いという奴だろうか。
ほんの少し、そんな疑問が顔を出した。けれどそれを聞く気にはなれない。紋章はエヴァにとって免罪符であり、運命を縛るものとすら思ってしまうから。もしも紋章のことについて、と言われたらどんな顔をすればいいのかわからないのだ。
故に聞かない。そのままベレトを見送ろうとしたその時、ベレトの方が口を開いた。
「自分には、見たことのない紋章があるらしい」
前者だった。
口角が引き攣ったのは、隠し通せただろうか。