08
彼の剣には目を見張るものがあった。
「ッチ……!」
「ははっ……流石だな先生!」
フェリクスの盛大な舌打ちが聞こえる。愉快そうに笑うディミトリの声が聞こえる。
だがそれらがあまり気にならないほど、彼が振るう剣の軌跡に目を奪われた。
ベレトの振るう剣はフェリクスのそれとはまるで違った。
フェリクスは素晴らしい剣士だ。無論まだ発展途上ではあるが、彼の立ち振る舞いや技術に関してはエヴァも尊敬の念を置いている。
しかしベレトは、そのフェリクスの剣とは似ても似つかない。騎士の国ファーガスの剣術を磨いたフェリクスとは違い、ベレトの剣は見たことも無い軌道を描く。
ひたすらに勝利を求める剣だ。型に嵌り、形式を大事にするファーガスの剣とは違う剣だ。見る人が見れば意地汚いだとか、怖いだとか言われてしまいそうな剣だ。
エヴァにはそれが心惹かれるものとして映る。
ファーガスの剣も嫌いではない。それに励むフェリクスを幾度も見てきたし、それを素直に凄いと思ってきた過去もあった。
だがだからこそ、自由なその剣先に目が縫い止められた。見たことの無い動きでフェリクスとディミトリを翻弄し、そうして彼は二人を相手取る。
美しいわけでも、綺麗な訳でもない。けれど──。
「……傭兵の剣って、自由なのね」
思わず漏れた言葉に気がついてはっと口元を抑えた。皆の視線は三人の模擬試合に向けられていて気が付かれていないらしい。そっと胸を撫で下ろす。
だがそれも皆というわけでもないらしい。あの、と声をかけてきたのは、野外実習の時にエヴァが治療したアッシュだった。
「あの……この前はありがとうございました。お礼を言う機会がなくて……」
「……お礼なんていいのに」
律儀な少年だと思う。あれはディミトリに頼まれたからやっただけのことだし、エヴァがやらずとも誰か──例えばメルセデス──がやったことだろう。
別に、己の正義感に基づいて行った訳でもない。そうしろと命じられたからそうしただけのエヴァには、そのお礼をどう受け取ればいいのかが分からない。きっと無碍にするのもおかしいのだろうとは思うけれど。
それ以上何を言えばいいのかすら分からなくなって、思わず視線を彷徨わせた。口をついて出たのはほんの少しの興味だ。
「……足……」
「足?」
「その後、大丈夫?」
「あ、はい、すっかりよくなりましたよ」
人懐っこい笑みを浮かべるアッシュを見て安堵の息を零す。
少し気がかりだった。あの時はディミトリを第一に考えていたし、その後のことを確認する余裕なんてどこにも無かったが、それでもやはり自分が手を施したのだから気にならないわけがない。
だから、アッシュがそう言ってくれてどこか肩の荷が降りたような気がする。
「……私は、」
「?」
「私は兄様やイングリット、ディミトリ様のように槍一本なわけでも、フェリクスのように剣一本なわけでもなくて……修道士のように深い信仰を持ってる訳でもないから」
貴方をきちんと助けられたか心配だったの。
そんな言葉を吐き出しながら、エヴァはまた視線をベレトたちの模擬試合へと向けた。
流れるような剣の二本の剣と荒々しい一本の槍を見ていると、心の奥で燻っている何かがそっと牙を剥くように思える。
「だから、貴方の怪我が治ったって聞いて……少し、安心したわ」
「エヴァ……」
目の前で試合をしている彼らが傷ついてもいいようにと、白魔法を勉強した。大して信心深くもないのに。
だから多少の怪我を治すことが出来るという自負はあるが、そんな動機で発動する白魔法が果たしてその対象ではなかったアッシュに効力を発揮してくれるのかと、ずっと心に引っかかっていた。
どうやら、それは杞憂だったらしい。
エヴァの声音が少し落ちていることに、エヴァ自身気がついていた。そしてそれはおそらく、隣で聞いているアッシュもだろう。
流石に、幼なじみでもない彼にするような話ではなかったかな。そう思ってエヴァは顔を上げて彼の方を見る。ごめんなさいと一言謝ろうと口を開けたが、その口が音をあむことは無かった。
「エヴァは、凄いと思います」
「……私が? 凄い?」
「はい」
優しい声だ。それでいて憧れを内包した眩しい声だ。
凄いと言われる理由に検討がつかない。
自分は他の皆よりも優れている訳では無いし、何か一つを極めようとしている訳でもない。
この学校に入ったのだってシルヴァンの誘いがあったからで、何か確固たる理由があるわけでもない。強いて言うのなら、その理由を見つけたかったという思いはあるが。
それでもやはり、彼に凄いと言ってもらえる理由が思いつかない。アッシュを見上げて目を瞬かせると、アッシュの瞳がこちらを向いて視線が絡んだ。
「色んな知識を吸収して、そこから出来ることを自分で選ぶ、というのは……きっとエヴァが思っているよりも難しいことなんですよ」
「……そうなのかしら」
「そうなんです。僕、びっくりしたんですよ。あの襲われそうになった時の身のこなし」
「あれは……」
自分が体を動かすのが好きで、その延長に格闘術があって、だから護身術の代わりに身につけていただけのことだ。
あの格闘術がこの先役に立ってくれるかは分からない。だから誇ることでもなんでもないように思っていたけれど──。
「……そう言ってもらえるのは、嬉しい、かな」
「そう、ですか? それならよかった」
常についてまわる劣等感が、なんだか赦された気がした。まだ出会って数日しか経っていない彼にそんなことをさせてしまうなんてと内心思ったが、数日しか経っていないからこそなのかもしれないと感じて自嘲する。
まったく、面倒な性格に育ってしまった。自分のことながらそう感じて、気づかれないように一人で嗤う。
「……あ、話逸れちゃいましたね。ごめんなさい、本当に助かりました、ありがとうございます!」
「いえ、本当にお礼なんていいの。私は私のすべきことをしただけだから……」
「それでも、助けてもらったことには変わりありません」
「……じゃあ、そのお礼は……素直に受け取っておこうと思……」
「おいエヴァ、お前も混ざれ」
「ああ、それはいいな。先生もいいだろう? エヴァは俺たちと違って長柄武器は使わないから、新鮮だと思う」
「あぁ、もう……フェリクスにディミトリ様ってば、本当に情緒が無い……」
いつの間にやら少し休憩になっていたらしい。言い切る前にフェリクスの声がこちらに投げかけられてエヴァは苦笑を浮かべた。
フェリクスやディミトリ様らしいけど、とは思う。いつも通りでいてくれる彼らに少し安心を覚えるのも確かだ。
「ごめんなさい、アッシュ。試合はしないけれど、ちょっとお話してくるわ」
「はい、いってらっしゃいエヴァ。また僕ともお話してくださいね」
「私でよければ、いくらでも」
ひらりと手を振って、制服を翻す。アッシュと話すことは苦痛ではなかった。
シルヴァンと、イングリットとフェリクス、それにディミトリと彼の従者ドゥドゥー。彼ら以外の人と、気を張らずに話すことは随分久しぶりだったように思う。
それが、とても救われた気分になった。
アッシュ=デュラン。
彼が自分と似た境遇──貴族の養子であることを思い出したのは、その日の夜のことだった。きっと彼からすれば、こちらは似ても似つかないのだろうけれど。