06
「なんだその陰気な顔は」
「イングリットしか見てないからいいの、ねえイングリット」
「私は別に構わないけれど……」
イングリットとエヴァの話の間に入ってきたのはフェリクスだった。
彼に「陰気な顔」と言われる自分の顔がどのようなものだったか少しだけ気になったが、恐らく酷かったのだろう。
フェリクスは他人に意味もなくそのようなことを言わないし、そう言われるだけの表情だったということは考えなくてもわかった。
他人にどうこう思われたいなどという思いはあまりないが、自分の表情が誰かに不快な思いをさせる可能性があるのならば改めるべきだろう。
そう思いながら、エヴァは自分の頬を両手で覆った。
そしてそれで、とフェリクスの方を見上げる。
自分たちの話の間に入ってくるのだから、なにかしら理由があってのことだろうと推測してのことだ。
どうやらその読みは間違っていなかったらしい。
「例の傭兵のことについて聞かせろ」
「例の傭兵? って、殿下を助けてくださったって言う……あの?」
「だと思った。大方ディミトリ様から『腕の立つ傭兵だった』と聞いた、ってところでしょ」
大袈裟に溜息を吐き出しながら言ってみたが、フェリクスはなんとも思っていないようにこちらを見ているだけだった。
まあそうよね、フェリクスはそういう人よね。そんなことを心の中で綴りながら吐き出した溜息を苦笑へと変える。フェリクスと共に過ごした時間の中で、エヴァはそれを悟っていた。
剣の腕を磨くことに余念がないフェリクスが、「腕の立つ傭兵」の話を聞けばそれに興味を示すということは自明の理と言ってよかった。
案の定だったことにどこか安堵を覚える。自分が見た彼の像を間違えていなかった、という安堵だ。
少しばかり失礼だろうか。頭の中に浮かんだその考えを隠して、エヴァはひとつ真実を告げるために口を開いた。
「私がディミトリ様たちのところに辿り着いたのは戦闘が終わってから。……戦闘を見たわけじゃないから、詳しいことは何も言えない」
「…………」
「ちょっと、露骨に『使えない』みたいな顔するのやめてほしいのだけれど」
「何も言っていないだろうが」
「どう思う、イングリット?」
「顔が言ってたわね」
「ほら」
無言は何よりも雄弁な肯定だ。フェリクスは確かに何も言っていないが、顔がそう言っている。
自分だってやるべきことがあったのだから仕方がないじゃないか、そもそもフェリクスはエヴァが頼まれたことが何だったのか知っているじゃないか。そう言いたい気持ちをぐっと飲みこんでおいた。何もフェリクスと口論をしたいわけではない。
代わりに何か彼に言えることはないだろうか。記憶を掘り起こしてなんとか出てきたのは、かの傭兵の容姿についてだった。
「……ディミトリ様より少し背が小さい方だった。けど、そこまで変わらなかったから……フェリクスよりは大きかったと思う」
「ほう」
「剣を持っていたわ。だから、多分フェリクスと同じ剣士。鎧でよく見えはしなかったけれど、特別筋肉質というわけでもなかったし……」
「あのように、か?」
「え?」
フェリクスが視線を教室の入口へと向ける。
つられてそちらに目を向けたエヴァとイングリットの視界に飛び込んできたのは、シルヴァンと言葉を交わす深い青緑色の髪を持つ青年の姿だった。
ぱ、っとエヴァが弾かれたように顔を上げ、目をぱちぱちと瞬かせた。
間違いない。きちんと彼と会話をしたわけではないし、よく見ていたのは彼の後ろ姿だったが、あの綺麗な深い青緑を見間違うとも思えない。
イングリットとフェリクスに待っててと声をかけつつ、青年とシルヴァンの方へと歩み寄った。
「ベレトさん」
「……君は、確か」
「エヴァ?」
青年──ベレトとシルヴァンの視線がこちらを向く。
二人の話の邪魔をするのは如何なものかとも思ったが、礼を述べるには早い方がいいだろう。
ベレトの視線がエヴァのことを思い返そうと宙を視る。何を探しているのだろう、と一瞬疑問に思ったが、そういえば自分は名乗っていなかったと思い直して姿勢を正した。
「エヴァ=リディ=ゴーティエです」
「……ゴーティエ?」
「俺の妹なんだよ」
不思議そうにシルヴァンを見るベレトに、シルヴァンが即座に答えた。どうやらシルヴァンも既に名乗りを終えていたらしい。
いもうと、とシルヴァンの言葉を復唱したベレトに思わず苦笑する。見えないのだろうか。
見えなくても当然だろう、自分に流れるゴーティエの血は紋章が発現したとはいえ薄いのだ、シルヴァンとの血縁に見えずとも何ら不思議ではない。
余計な混乱を招く前に、言っておくべきか。
「血はほとんど繋がっていない、義理の妹です」
「……そうなのか」
「見えないでしょう?」
「否。よく似ている。……仕草や、表情」
「ははっ、嬉しいこと言ってくれるねえ、あんた」
似ている。そう言われて驚いた。
グレンとフェリクスを似ている、と思ったことはある。だがその言葉が自分やシルヴァンに向けられるのは初めてだ。
自分たちは所詮、紋章で繋がっただけの兄妹だと思っていた。それでも、時間が自分たちを確かに兄妹に近づけてくれているのなら、それは──。
「……ああ、いえ、そういうお話をしに来たわけではなくて、お礼を」
「礼?」
「はい。ディミトリ様を助けていただいたお礼です」
「自分は、自分の仕事を全うしただけだ」
「それでも、私はディミトリ様を救って頂いたことを嬉しく思うのです。……ありがとうございました、ベレトさん」
ようやく言えたことに小さく息を吐いた。
修道院への帰り道は級長たちがベレトを囲んでいたし、修道院についてから彼は何やら呼ばれていたようでゆっくり言葉を交わすことも出来ずにいて、お礼を述べられなかったことが心残りだったのだ。
ぺこり、と一礼を取った自分をシルヴァンが見ていることに気が付く。なんだか気恥ずかしくなって顔が上げにくいが、このままの姿勢でいても不自然だ。
こほんと一つ誤魔化すように咳ばらいをする。そのまま顔を上げて、イングリットとフェリクスの方に目を向けた。
「彼方にいるのが私たちの幼馴染なのですが……、ディミトリ様を救ったというベレトさんにとても興味を持ってしまって。良かったら、話してやってくれませんか?」
「自分が? 分かった。ではシルヴァン、エヴァ、また」
「はい、また」
「またな」
ひら、と手を振るシルヴァンに倣ってエヴァも控えめに手を振る。
そのシルヴァンの視線がまたこちらに向いたことにどこか気恥ずかしさを感じて、エヴァもシルヴァンの方を見上げる。
目があった。その瞳が、どこか楽し気な色に濡れている。
「……兄様?」
「エヴァ、嬉しそうだな」
「……私が?」
「ああ」
視線を合わせるように少し屈んだシルヴァンに、もう一度きちんと向かいなおす。
嬉しそうにしているのは自分よりもシルヴァンではないだろうか。そう口を開くよりも先に、シルヴァンが言葉を紡いだ。
「兄妹に見えるんだってな、俺たち」
「……はい」
「嬉しいか?」
「兄様は?」
「俺? 俺は……」
ぽんと頭に手を置かれた。その熱がとても優しいことに気が付いて、エヴァは思わず顔を綻ばせる。
シルヴァンはいい兄であろうとしてくれているのだ。ならばエヴァの振る舞いは、決まっている。
「お前の兄になれてよかったよ」
「ええ、私も、兄様の妹でよかった」
へらりと笑った二人の顔は、多分、とてもよく似ていた。