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05

 傭兵はベレトと名乗った。
 偶然ルミール村に滞在していた傭兵団の一員で、父はその傭兵団の団長を務めているという。
 エヴァは始め、彼の父の名を聞いて耳を疑った。自分は、フォドラに住む人間は、その名をよく知っている。

 壊刃<Wェラルト。かつてセイロス騎士団に所属し、歴代最高の騎士と呼ばれた男である。
 二十年前に大修道院を襲った火事で行方を眩ませるその時まで、彼は大司教の元至高の騎士として存在していたはずだ。
 行方を眩まし、社会の表舞台に立つことがなくなって二十年。エヴァにとっては既に歴史の一部となっていたその人が、今ここに立って生きている。
 見間違い、聞き間違い、なりすまし。その何れかであるという疑念もあったが、現在セイロス騎士団に所属しているアロイスが言うには彼はジェラルトその人らしい。アロイスはもともとジェラルトの自称右腕≠セったらしいし、そのアロイスが言うのであれば間違いないだろう。

 そう言った事情もありアロイスは彼らを大修道院に連れて行くらしい。そういうことを独断で決めてしまっていいのかと言いたくなったが、ぐっとこらえて飲み込んだ。
 彼らがどういう存在であれ、エヴァの知らぬ間にディミトリらを助けてもらっていたのは恐らく真実だろう。この場ではそのお礼も出来ないし、大修道院に連れて帰った方が色々と都合がいい気がした。

 ベレトとディミトリらの会話を一歩引いた位置から眺める。エーデルガルトもディミトリもベレトの戦いには心惹かれるところがあったようで、どうにか自国で彼らを引き入れることが出来ないだろうかと言葉を交わしている。結局クロードに止められていたが、恐らくはクロードも似たようなことを考えているのだろう。
 あのディミトリが「優秀」だと言ったあのベレトという傭兵の腕はいったいどんなものだったのだろう。
 そんなことを思ってベレトの方を見ていたエヴァは、彼の目が誰かを見るようにここではないどこかを見ていることに気が付いていたのだけれど。


「エヴァ? どうしたんだ、そんな暗い顔をして……」
「……今から大修道院に戻るのが億劫で。イングリットに何と言われるか」
「それは……すまない」


 きっと自分を心配して叱ってくれる親友のことを思うと、正直な話それどころではなかった。
 叱ってくれるのは幸福なことで、それは自分を大事に思ってくれているからで。その理解はしているし感謝もしているけれど、やはり叱られるという経験はいつまで経っても慣れる気がしない。
 そして何より怖いのが、叱ることも心配もされなくなるということだ。彼女がそういう人格でないことは知っているし彼女を信じてもいるが、時折去来する不安感が完全にないのかと聞かれれば嘘になる。
 申し訳なさそうにこちらを見るディミトリに目を合わせて首を振り、歩むことを促す。視線を巡らせるとエーデルガルトらは先に進んでいた。どれだけ自分が帰ることを億劫に思っても、周りはそれを待ってくれはしない。

 彼が我らのファーガスに欲しいのでしょう。そう問えばああ、とディミトリは頷いた。
 会ったばかりのディミトリにそう言わせてしまうベレトの腕をエヴァも見たいとぼんやり思ったし、同時に少し嫉妬してしまう。何者にも負けないなんていう過大な自尊心は持ち合わせていないが、それでもディミトリの興味をすぐに引いた彼という存在の大きさが少し眩しい。

 自分も随分傲慢になったなと己を恥じ、それでも覆いきれない劣等感の存在を胸の奥に感じたエヴァは、先を歩み始めたディミトリの背を追った。





 大樹の節。
 寒さが弱まり緑が芽吹く時期、フォドラは年のはじめを迎える。
 士官学校の始まりもこの大樹の節で、終わりを迎える孤月の節までの十二節、生徒となった者達は寮生活を送ることになる。
 この度の野外活動は十二節共に過ごす仲間たちとの顔合わせも兼ねており、本来ならばこのような危険はなかったはずだ。

 けれども危険は起こった。盗賊の襲撃という危険が。
 それは教師たちにとっても不測の事態だったようで、更に最悪だったのはその襲撃にて学級の担任教師になるはずだった者が逃げだしてしまったということだ。

 呆れて物も言えない、とはこのことかと思った。
 エヴァの知り合い──ディミトリやフェリクスは少々気が早いところもあるので例外扱いにするが、決して血気盛んといったふうでもないアッシュですらあの場では己や仲間の命を守るために──実戦用の武器ではなく殺傷力も相当低いものではあったが──応戦していたというのに。
 最初からこのような雰囲気で大丈夫だろうか、とよくない想定が顔を覗かせる。尤も、逃げ出した者以外にいた教師、ハンネマンとマヌエラは口論をしながらもきちんと自分たちを導いてくれていたから、誰も彼もがだめだ、というわけではないのだろう。

 そんな波乱に塗れた野外活動は終わり、大樹の節23の日。
 前述の理由で学級の担任は未だ決まらないが、教育指導はしっかりと行われた。限りある時間を無駄にすることはできないということだろうか。
 教育指導もつつがなく終了し、放課後と呼ばれる時間。

 エヴァは、親友の厳しい目に晒されていた。


「……イングリット、あの。そんなに見られたら穴が開いちゃうわ……?」
「私は心配なの、エヴァ。また一人で行動することがあったら相談して」
「それは……うん、ありがとう……?」


 またその話か。内心耳が痛いと少々失礼なことを思いながら、しかしそれを表情に出すことなくイングリットの言葉に応えた。

 離れていた時間はそう長くないというのに、帰って来た時からずっとこうだ。
 彼女の心配がどこから起因しているのか知っているし、だからやめてくれとは言わないが。其れにしたってイングリットの心配具合は少し行き過ぎている気がしなくもないし、これでは自分のことでイングリットに心労がたまってしまうことが何よりも辛い。
 彼女にそれほどの迷惑をかけてしまってることを思い内省する。あの時は恐らくそれが最善だったとはいえ、だ。これからは軽率な行動を控えるべきか。


「もう……本当にわかっているの? いつも貴方は無茶をして……」
「イングリット。私は、私の両親じゃないわ」
「……それはそうだけれど……」


 言い当てられたというような表情をしているイングリットを見て、やっぱりかと苦笑した。
 彼女はきっと、エヴァにエヴァの両親を重ねて見ているのだ。彼女はエヴァの両親を目にしたことなどないのかもしれないけれど、それでも見たことのないあの人たちをエヴァに重ねることは容易なのだろう。
 エヴァの両親はディミトリを護って没した。それは誇るべきことなのかもしれない。少なくとも、騎士というものを志すイングリットにとってはそう見えるだろう。
 だけれど。


(グレンで手いっぱいなはずなのに。……あの人たちの影まで背負わなくていいのに)


 エヴァと親友になってしまったから、イングリットはきっと恐れている。エヴァがディミトリを護り、両親と同じように没することを。
 彼女の婚約者はエヴァの両親と時を同じくして亡くなった。きっと同じようにエヴァに消えてほしくないと思っているはずだ。今のエヴァにはそう見えている。
 碌じゃないものを抱え込ませてしまったな、と自虐した。自分がこの位置にいなければイングリットは自分の生死などで苦しまなかっただろうか。

 押し黙ったイングリットを見てエヴァは少し息を吐き出した。分かっている。彼女だってエヴァに思いを押し付けたいわけではないことも、その思いも自分を想ってくれているからだということも。それは喜ばしいことで、少しだけ申し訳ない。
 浮かない顔をさせてしまうのはエヴァの本意ではない。だからわざと意識して明るい声を作った。


「兄様は、どうだった」
「シルヴァン?」
「私がいないって知って、どうだったの?」


 少しだけ気がかりだった。あの人は自分を心配してくれているのだろうか、と思った。
 けれど心配されていないほうがいいのかもしれないとも思う。自分がシルヴァンの自由を阻害してしまいたくはなかったし、余計な負担にだってなりたくない。
 いっそ自分のことなど忘れて女の子のために行動していた方が、結果として皆の力になる可能性もあるな、と笑った。彼のことだ、女の子のためになることならば本当にやってのけそうだ。

 イングリットの顔を見上げる。その目が迷うように伏せられた。その顔の、意味は。


「……気にかけてはいたわ、けど応戦で精いっぱいだったから」


 イングリットは嘘が下手だ。仕返しに「そっか」と下手に笑ってみせた。