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04

 外套が翻ったのを見た。
 あの鮮明な青い色を見間違えるはずがない。ディミトリがあそこにいる、というのはこの暗がりでもよくわかった。

 しかし様子がおかしい。
 周りにいるのは自分たちを襲った盗賊だろう。けれど、エヴァにはその盗賊たちが逃げていくように見えたのだ。
 まさかディミトリらが退けたのだろうか。あの王子ならばそれもないわけではないだろうが、それにしたって人数の不利は火を見るよりも明らかだったはずなのに。
 エヴァの思考が纏まるよりも先にアロイスがエヴァの横を駆けた。待って、とエヴァが声をかける間もなくその後ろを騎士たちが続く。


「セイロス騎士団、ただ今参った! 生徒を脅かす盗賊ども、覚悟せええ……い?」


 声を張り上げたアロイスだったがその語尾は徐々に小さくなっていく。どうやら彼もエヴァが感じたことに気が付いたようだった。
 アロイスは少し不思議そうな顔をしたのちに、はっと我に返って同行したほかの騎士に逃げた盗賊を追うように命じる。
 私は、とアロイスに問えば返答は私と共にいろというものだったので大人しくそれに従う。エヴァとしても盗賊よりディミトリの方が気にかかるし、内心よかったと息をついた。
 彼らに歩み寄るアロイスを見てその後を追う。アロイスは近くにいた男を見てそちらに気を取られたらしいが、エヴァには関係ない。
 こちらを認識したらしいディミトリの顔がぎょっとしたのをエヴァは見逃さなかった。


「エヴァ、お前……」
「……ディミトリ様……」


 アロイスが近くにいた二人の男──士官学校の関係者ではないように思う──と会話を始めたのを見たが、エヴァはそれに構うことなくディミトリのもとへと進んだ。
 ばつが悪いような顔で目を逸らすディミトリを見てエヴァは思わずため息をつきそうになる。自分の行動が咎められかねないという自覚はどうやらあったらしい。
 そんなものエヴァが出来るような立場ではないのだが。かと言って何も言わないのはゴーティエとして相応しくない振る舞いだと思われてしまうから、とエヴァは口を開いた。


「……一人でのご無理はなさらないよう、お願い申し上げます。貴方がいなくなってしまっては我々は……」
「それは……すまなかった。だが俺だけではなくクロードとエーデルガルトもいたんだ、心配には及ばないさ」


 ディミトリが上げた名前に顔を上げ、彼が顔を巡らした先を視線でなぞる。
 ディミトリの横には黄色い外套を纏ったクロードと、赤い外套をした少女が並んで立っていた。ディミトリのものと色違いに見えるそれは、士官学校三学級の級長の証である。
 そうして、ああ、とエヴァはひとつ思い出した。

 エーデルガルト。それが赤い外套の少女の名だ。
 エーデルガルト=フォン=フレスベルグ。アドラステア帝国皇女であり、今年の士官学校黒鷲学級の級長でもある。
 先ほど「ディミトリの言葉に従え」と助言してくれたのは彼女だったのかと思い至って少しだけ苦い顔をする。他国の皇女に迷惑をかけるなどするべきではなかった。


「先ほどはありがとうございました、エーデルガルト様」
「いいえ、気にしないで。私は私のために行動しただけよ」


 エーデルガルトの表情は至極当然のことをした、とすら言いたげだ。
 ならばきっとこれ以上の礼を言うのも彼女にとって不本意なのだろうと口を閉じた。
 その話の切れ目を見計らったように、今度は黄色い外套のクロードが口を開く。


「はははっ、これは随分王子様思いなお嬢さんだ」
「……お戯れを、クロード様」
「おっと、手厳しい。褒めたつもりなんだがな」


 そういう彼の目の奥は笑っていなかった。

 クロード=フォン=リーガン。士官学校に入る前に行った社会勉強の中にその名はあった。レスター諸侯同盟の次期盟主だと記憶している。
 少し前まで彼が何をしていたのかは明らかになっておらず、その素性についても謎が多い人物だと思った。
 だがその身に宿る「リーガンの小紋章」が、彼を同盟貴族リーガンの者であることを雄弁に語っている。どこでも紋章が重要なのだな、と暗鬱な気持ちになった。
 リーガン分家生まれの養子、という似たような境遇にあることは知っている。だが彼はエヴァと違って嫡子という席についているのだ。
 同類視するのも彼に失礼か、と目を伏せた。


「ディミトリ様は、エーデルガルト様やクロード様が共にいたから心配には及ばないとおっしゃられますが……。王子に皇女に次期盟主だなんて、私たちよりも安全な場所におられるべきではないですか」
「エヴァ……、お前には俺がそんな人間に見えるのか?」
「いいえ。……それでも、今ディミトリ様に進言出来るのは私だけですので」


 本当ならばこんなことは言うべきではない。そんなことはわかっているが、エヴァはどうしてもそれを口にせずにはいられなかった。
 それは義務感でも、使命感でも、正義感でもない。そんな尊ばれるべき感情が自分の中にはない。
 醜い自分だとわかっていても内に湧き出るそれを見知らぬふりは出来ない。


(……私の父と母が、グレンが、ランベール様が守ったその命を、どうか粗末にはなさらないでと)


 そんな意地悪を言えたのならば、どれだけよかったのだろうか。
 けれど言えない。言えるはずがない。一番苦しんだのは生き残った彼なのだ。言っていいことと悪いことの分別くらいはつくし、だからこそその思いは内に秘める。
 そんなことを思ってしまう自分はなんと不敬者なのだろうと自嘲気味に笑った。


「兎も角……、どうかお一人での行動はなさらないでくださいませ。私も兄様も、イングリットもフェリクスもいます。ドゥドゥーだって心配してしまわれます」
「だが今回はそんな暇は、……いや、肝に銘じるよ。すまなかった」


 ディミトリは眉を下げて笑った。
 そんな顔をさせたいわけではないのだ。きゅっと下唇を噛んで、表情が歪むのを何とか耐えた。
 きっと彼だってそんなことは分かっている。分かっているのに改めて口にする自分は、きっと彼にとって疎ましいものなのだろうなと思う。
 情けない。


「そう暗い顔をしなさんなって、幸いにも村には優秀な傭兵もいたことだし。お嬢さん……えっと、エヴァ? の心配はもっともだが、今は無事を喜ぼうじゃあないか」
「クロード、お前はどうしてそう……元はと言えばお前が一人で抜けたのが発端なんだぞ」
「優秀な傭兵……ですか。その方が、お三方を守ってくださったのですか?」
「ええ。あちらでアロイス殿と会話をしている人ね」
「っと、終わったみたいだけどな。おーい、そこのあんた!」


 クロードが手を伸ばし傭兵を呼ぶ。暗がりに混ざった黒い鎧は、辺りのたいまつに照らされその輪郭を浮かび上がらせる。
 深い深い青緑の髪が風に靡き、同じ青緑の目がこちらを見た。

 ぱち、と目があった。
 表情の薄い、しかし整った顔の人だと思う。
 けれどそれ以上にエヴァはディミトリ達を助けてくれた彼をこう思った。信仰の近くにいすぎたのだろうか、とまた自分を嘲ることになったけれど。


(──救世主、みたいなひとね)




夜明けに世界は調和を終える