ゆるやかにけれどはげしく弾ける
「ままならぬものですな」
どういう話の流れで、彼がそういったのかは全て頭から抜け落ちた。彼──ヒューベルトにしては珍しい、落胆を感じさせる声音が、その言葉より前の記憶を飛ばしてしまった。
思わずナマエは顔を上げてヒューベルトの方を見る。ヒューベルトは顔色を変えることも無く、ただ崩落したガルグ=マクを見上げている。
五年前ガルグ=マク大修道院は崩落し、戦争が始まった。他ならぬエーデルガルトの手によって。
転換点はナマエが予測した通り、あの儀式の日だった。聖墓の内部に案内されたエーデルガルトが、軍を率いて内部を荒らしたのだ。
聖墓を暴き、大司教へ背き大司教の怒りを買い──エーデルガルトがセイロス教へ向けて戦争の宣言を行う。そうして起こった戦争はフォドラ大陸の全土を巻き込んだ。
それから五年。
皇帝エーデルガルトが君臨するアドラステア帝国はファーガス神聖王国を制圧し倒れ、着々と領土を広げていた。
だが、それだけだ。同盟は親帝国派と反帝国派の二つに別れており、今は内紛状態にある。親帝国派共々踏みにじれるような余裕はあまりなく、仲間に出来る可能性のある親帝国派がある同盟にはあまり踏み入れない。
王国──現在は親帝国派のコルネリアの手によりファーガス公国となっている──もフラルダリウス領が未だに抵抗を続けている。フォドラ全土統一にはまだ遠い。
そんな最中、エーデルガルトはただ二人の従者──ヒューベルトとナマエを連れ、このガルグ=マクに訪れていた。
時間も猶予もあまりない。それでもガルグ=マクに足を運んだのには今日という日に理由がある。
星辰の節、二十五の日。ガルグ=マク落成記念、その千年目。それが今日という日だった。
エーデルガルトにとってセイロス教は倒すべき相手だ。そんなセイロス教の中央教会があったこのガルグ=マクは忌むべきものだが──それと同時に、五年前に学んだ母校でもある。
あの一年は学校ごっこだった。少なくともエーデルガルトとヒューベルトにとっては。
しかしそれでもそこで育んだ友情までもをごっこ遊びと一蹴するには、あまりに親しくなりすぎた。今でこそ学友らを切り伏せる覚悟は出来ているが、それでもあの一年をなかったことには出来ないのである。
そして、その一年のガルグ=マク落成記念の日。
その日に、エーデルガルトは級長として皆と約束したのである。叶わない、ときっと分かっていたのだろうけれど。
五年後のこの日に、皆でここに再び集まろう。そういう約束を。
それが叶うことは無いのだろう。エーデルガルトは戦争の首謀者で、今はその学友達も、同じ帝国の人間とはいえ敵になってしまったのだから。
それでもエーデルガルトは、誰かの──否、たった一人の影を探してガルグ=マクへと訪れたのである。
ヒューベルトとナマエはその付き添いだ。中へ共に入ろうとしたのだが、今は一人でいたい、と言われてしまい二人で外を見張る羽目になった。
そんな時にふと落とされたヒューベルトの声は、やはりナマエの聞き間違いではなく落胆を孕んでいる。
「……急にどうしたのよ、ヒューベルト。貴方らしくもないわ?」
「いえ、ずっと思っていたのですよ。ですから貴殿にとっては急かもしれませんが、私にとっては唐突でもなんでもありません」
「……そう。それで? 一体何がままならないの」
随分遠い言い回しをする男だな、と改めて思う。彼との付き合いも随分長いものだから、今更それにどうこう文句を言うことは特にないのだが。
ヒューベルトは小さな息を吐き出して、そのまま続ける。
「エーデルガルト様が貴方に策のことを伝えぬよう進言したのは、他ならぬ私なのですよ」
「……でしょうね。エーデルガルト様、随分気にしていたわ。ひどい人」
「くく、私がどういう人間かなどエーデルガルト様も貴殿も知れたことでしょう」
ごもっとも、と皮肉を込めてつぶやく。
エーデルガルトが今この時まで皇帝として振る舞い、侵略戦争を行えているのは間違いなくヒューベルトの功績が大きい。
小さな頃からエーデルガルトを知る身としては、彼女にあまり余計なことを吹き込んで欲しくないというのも本音だったが、それをせねばならぬほどにエーデルガルトが苦しんできたこともナマエは知っている。
だからこそ、ナマエはヒューベルトの振る舞いや行いに文句を言ってこなかった。
それで。付け足したその言葉で、ヒューベルトは言葉を繋ぎ直す。
「真意が知りたい、と?」
「ここまで言っておいて、今更真意なぞありません、はないでしょ。というか、そもそもそのつもりで話を切り出しているのではなくて?」
「くくく、まったく……貴殿には敵いませんな」
「何年一緒にいると思っているの」
「それはもう、私が貴殿のことをナマエと呼び、敬称をつけないくらいには」
敵わないなど微塵も思っていないのだろう。それでもそんなことを言われる程度には多分、仲が良いのだと思う。この関係性を仲がいい、と評していいのかは甚だ疑問だが。
互いのことはわかっている。だからヒューベルトも、恐らくは「こう話せばナマエは反応する」と見越した上で発言しているのだろう。彼の思惑通りに反応してやるのは少し癪だったが、何も知らないままでいられるほど大人ではない。
「私は、貴殿を利用しようとしたのですよ」
「何も話さずに?」
「えぇ。何も話さないからこそ」
何も話さないからこそ。ということは、知ってしまっては知らぬふりで行動が出来ないだろう、と思われていたということだ。確かにナマエは嘘をつくのが苦手だ。きっとヒューベルトの判断は間違っていない。
……やはり少し気にくわない、と知らずに眉が寄る。利用されることが気にくわないのではない。秘密裏に操られていたことに少しの不満を覚える。ヒューベルトがそういう男だというのは、嫌という程知っているのだが。
「……貴方は、私に何をしてほしかったの?」
「簡単なことです。人材の収集……と言えばお分かりになりますかな」
くつくつと喉で笑いながらヒューベルトは言った。対して、ナマエの眉間の皺は一層深くなる。
言わんとしていることはわかった。しかし濁されるのは御免だ。自分の口で言え、と目線で催促すれば肩を竦められる。おお、怖い。そんな言葉も聞こえてきたが無視した。
「貴殿には、黒鷲学級の学友達とのパイプ役を担ってもらおうとしたのですよ。貴殿と絆を深めようと、来たる日に我々のもとへ貴殿が共に歩んでくれると信頼してね」
「……学級の皆と私が仲良くなって、そのうえで私がエーデルガルト様と同じ道を歩めば、学級の皆も同じようについてきてくれる、と踏んで?」
「ええ」
ならばそのヒューベルトの思惑は叶わなかった、ということになる。叶っていたのならば、きっと今頃二人でここで見張りなんてしていない。
黒鷲学級で共に学んだ学友たちとは道を違えた。仕方がない、と割り切っている部分もある。エーデルガルトがしていることは、今までの世界を変えること──つまり見ようによれば侵略と思われても仕方がなく、日常を送っていた彼らにとってはこちらは異物でしかないのだから。
だから彼らと道を違えること自体は、仕方がない。
「……自分で言うのはなんだけれど、人望はあったつもり」
「ええ。私の目から見てもそう見えました」
「……先生さえいなければ、ね」
「くく、まったくです」
溜息を吐き出した。先生、と名詞を口に出したからか、あの頃の記憶が蘇る。
黒鷲学級の担任は、新任の教師だった。賊に襲われたエーデルガルトを助けてくれた傭兵だったという。
先生は、エーデルガルトにとってもナマエにとっても、もしかするとヒューベルトにとっても良き師だった。そしてそれは、同時に他の黒鷲学級の生徒にとっても。他の生徒にとっても良き師であった先生は、人望が厚かった、と記憶している。ナマエの人望が霞んでしまうくらいには。……黒鷲学級の皆が、先生についてこの戦争を、エーデルガルトと対立してしまうくらいには。
恐らくという話にはなるが、もしも先生がいなければその人望を集められるのはナマエだったのだろう。あそこまでの人望を得られたかと聞かれると、素直に頷くことはできないが。
「……悔しい、あなたも先生も……」
「おや、私もですか」
「当然よ。……貴方ばかりエルに頼りにされてずるい」
深くなった眉間の皺を伸ばすことも、隠すこともしない。それはナマエの純然な気持ちの表れだ。
自分はいつも後手を取る。自分はヒューベルトのように頭が回るわけでもなければ、先生のように剣の腕が立つわけでもない。エーデルガルトの命令を第一に動くナマエにとって、それは仕方のないことだ。
だが、その地位に甘んじたくはない。彼女のためになりたかった。
ヒューベルトよりも、エーデルガルトが探す面影──
かつん、と足音がした。手を引かれるように意識が思考の海から戻ってくる。
顔を上げるとエーデルガルトがそこにいた。手がフランベルジュにかかっているのを見て、気を引き締める。
「……何かありましたか、エーデルガルト様」
「いいえ。……戻りましょう。私たちの夜明けのために」
いいえ、というのはきっと嘘なのだろう。それを見抜けぬほど愚かではなかったが、それを深く入り込むほど無粋でもない。
ならば、とナマエは口を閉じる。隠されてしまうのは少々寂しさもあるが、きっとそれはエーデルガルトの柔い部分なのだろう。
いつかそれをも守れるような人間にならねばならない、とナマエは下唇を噛んだ。緩やかに激しく弾ける心の内のこれは、きっと熾烈なる情念だ。
ゆるやかに、けれどはげしく弾ける
(エルを守るって想いだけは、きっと誰にだって負けないもの)
Title...王さまとヤクザのワルツ
2019.09.18