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1-05




 一夜が明けた。
 あの地震や怪物の襲撃の被害は一部のものだったようで、森を抜けた後は穏やかな空気が流れている。進軍の妨げになるような事件や事故もなかった。
 そうして、クロムら一行はフィシカを連れてイーリス王国の王都へと訪れていた。

 人、人、人。あちらを見てもこちらを見ても人の波。ここまでの賑わいは盗賊活動を行っていたフィシカには少し煩わしいのか、クロムを壁にしてその後ろを歩いている。
 対してルフレはその光景を物珍しそうに視線を町の端から端まで動かしながら見ていた。


「ここが、イーリス王都……! 凄いな、人で溢れている」
「ルフレはイーリスに初めてくるの?」
「あ……いや、本当は初めてじゃないかもしれないけれど。僕には記憶がないから」


 ルフレが簡単に零した言葉に思わずフィシカはルフレを二度見した。本当に、と問いかけると小さく頷かれる。今度はフレデリクを振り返ってその目を見ると、「私もそう聞いています」との返答が来た。
 記憶喪失。その真偽を確かめる術は無く、ルフレの発言を頼りにするしかない。だが、彼の言葉を信じるとすれば。


「そ……そんな状態で、あの化け物たちと戦っていたの、貴方」
「そうなるね」
「…………」


 あまりにも簡単に返事をされてフィシカは軽く頭に痛みを覚えた。あっけらかんと答えられたが、普通はそういう状態にあるのならば大人しくしておくべきではないのだろうか。それとも、それがこの国の常識なのだろうか。
 そんなフィシカの思いを知ってか知らずか、「ですから」とフレデリクが続けて口を開いた。


「ですから、ルフレさんも我々に同行してもらっているのです。身元も何もわからない方を放っておくわけにはいきませんからね」
「最初、フレデリクは反対していたがな」


 クロムに指摘されたフレデリクはばつが悪そうな顔をする。どうやら図星らしい。対してフィシカは、それでか、と妙に納得したような顔をしていた。
 フレデリクの警戒心が自分だけに向いていたわけではないことをフィシカは察していた。それがルフレに向けられていたことも。ただ、それがなぜかは把握していなかった。

 しかしルフレが記憶喪失であり、なおかつ以前からの顔見知りでないのだとすれば話は別だ。
 フレデリクがルフレを警戒するのは当然だろう。彼が虚言を弄し、クロムらに害を及ぼそうとしているという可能性が付いて回るのだから。
 人の流れを見つめて小さく息をつく。フレデリクの──フィシカ一人に向けるには大きな──警戒心の理由がわかってどこか安堵した。その隙間に、小さな疑問が顔を覗かせる。


「ところで」
「どうかしたか?」
「昨日のあれ、なんだったんでしょうね。……私がいた大陸でも一度襲撃があって、その時もその襲撃は局地的なものだったのだけれど……」


 人の流れは穏やかだ。昨日の騒ぎなど誰も知らぬと言いたげに、夢だったとでも言うように。
 しかしあれはたしかにフィシカらが体験した擾乱じょうらんだ。それはフィシカらが昨日使った武器の傷が証明している。
 あれほどの地割れと異形の襲撃。どう考えても普通ではない異常事態だったが、それは王都に牙を剥いていない。それがどうしてもフィシカにとっての違和感となっていた。

 だが、世間はフィシカの思いを知らない。故に、フィシカの疑問が解消されるよりも先に事態は動いていく。
 俄かに人々が騒がしくなってきた。皆一様に同じ一点を見ているように思えて、フィシカも釣られその方向を見る。視界の端で、ルフレやクロム、リズらも同じようにしているのが見えた。

 騒ぎの中心で悠然と微笑み立っているのは、美しい一人の女性だった。


「おお……エメリナ様じゃ……!」


 近くにいた老人の声が聞こえた。あの女性はエメリナというらしい。その敬称から高貴な身分だということも伺える。
 エメリナ、エメリナ。口の中で何度か名前を復唱して飲み込む。その名前に思い当たる節がある。彼女を注視すると、額にはどこかで見たような痣が浮かんでいた。
 あれは、とフィシカはクロムへと視線を移す。彼の右肩には、彼女の額と同じ痣が浮かんでいる。
 あの人は? とルフレが尋ねた。


「あの方は、イーリス聖王国の聖王エメリナ様であせられます」


 やはり。
 フィシカの予想通りの答えが返ってきて息をつく。自分の記憶力は衰えていなかった。
 内心安堵するフィシカとは裏腹に、ルフレは少し驚いたような顔を見せている。そんなに驚くようなことがあっただろうか、と言いかけて、恐らく自分の感覚は世間一般からずれているのだろうと思いとどまり言葉を嚥下した。


「え? 王がこんな街中に?」
「ああ、そういうことか……」
「フィシカ?」
「いえ、なんでも。でも、そっか。……あんまり一般的ではないのね、王が出歩くって」


 フィシカの祖国では王はよく外に出歩いていた。だからその行為自体に疑問を持つことは無く素直に受け止めかけていたが、ルフレの反応を見るにそうではないらしい。
 お前のところも? とクロムがこちらを見て問う。小さく頷いた。


「私の国は、ちょっと……隣国との小競り合いが多くて。民が不安になってはいけないから、と王自ら顔を出していたの。イーリスもそんな感じかしら」
「ああ、正しくだな。隣国ペレジアとの関係が緊張していて、皆不安がっている。ああやって表に出ることで、民の心を静めているんだ」


 なるほどと納得すると同時に、やはりという感情も湧き上がってくる。
 王が王都を視察すること自体を悪いなどというつもりはないが、王には王の仕事がある。その仕事の合間に、毎日毎日視察を行うとすると手間と時間と人手かかかる。故に、それを日常的に行っているのならば、それだけの理由があるのだろうと踏んでいた。そしてその読みは当たっていたらしい。

 エメリナは民に手を振っている。裏表のない、美しい顔で。その姿とクロムの話でルフレも感銘を受けたのだろう、微笑を浮かべて彼は口を開いた。


「そうか……良い王がいてくれて、この国の人々は幸せだな」
「えへへー! でしょー? でしょでしょー? だって、わたしのお姉ちゃんなんだもんね!」
「へえ、リズの……ん?」


 ルフレの動きが止まった。何かおかしなことを言ったかなとリズがクロムの方を見る。心当たりのないクロムはリズと二人で首を傾げるばかりだった。
 フィシカがルフレの前で手を振る。反応がない。大丈夫だろうか、とフィシカが心配をし始めた時、ルフレはようやく動きを再開した。ばっと勢いよくクロムとリズを何度も見て、それからフレデリクの方に振り返る。


「え? 姉さん? ってことはクロムたちは!」
「イーリス聖王国の王子様とお姫様。まぁ、そういうことです」
「気づいてなかっ……ああ、記憶がないんだった」


 ルフレがこのイーリス聖王国の住民だったとしても、彼にその記憶がないのであれば王子──すなわちエメリナの弟、クロムのことを知らなくても当然なのだろう。ルフレの驚きも納得だ。
 そもそもクロムも、フィシカに対し己のことを名乗るときに『イーリス聖王国の王子』とは一言も言わなかった。ルフレに対してもそうだったのだろう、と推測できる。人騒がせな王子だ。

 ひとしきり驚き終わったルフレがこちらを見る。今度はフィシカが何かしてしまっただろうか、と身構えてしまった。そして。


「知ってたのにその口調だったのか、フィシカ!?」
「え、まあ……」
「軽率じゃないかな!?」
「気にしてなさげだったし……」
「俺は気にしない。むしろ敬語は苦手だからな、今まで通り話してくれた方がいい」


 ほらね、とルフレを宥める。それでもどこか納得できないのか何かムズムズしたような顔をしていたルフレだったが、やがて諦めたように息を吐き出し肩を落とした。その様子がどこかおかしくて苦笑を浮かべると、今度は恨みがましい視線をルフレから送られて目を逸らす。
 目を逸らした先のエメリナは、いつの間にか別の方向へと歩いていっていた。その先には、ひときわ大きな建物が見えている。恐らくあれが王城だろう。


「クロム、ルフレ、エメリナさんが……」
「ああ、姉さんが王城へ戻るようだ。俺たちも行こう」
「……王城かあ」


 意図せず、フィシカの口から言葉が漏れた。あきらめのような、鬱屈した何かが言葉に籠っている。それを聞き届けた人間は、誰もいない。