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1-03

「……行っちゃったな」


 マルスが去り、沈黙の中で残された一行。初めに口を開いたのはルフレだった。戦闘の緊張が解けたのか、その声はどこか安堵しているようにも思える。
 フィシカもその声に気づいて、ようやく顔を少し上げた。そしてそのまま彼が歩んだ方向に、もう一度視線を投げる。森の奥は、静寂の闇を秘めたままだった。


「あれほどの腕利きならば、また会うこともあるでしょう」


 もしも本当に会えるのならば、フィシカにとってそれは願ってもいないことだ。どうやら彼──あるいは彼女は何かを知っているようだし、それがフィシカにとって有益な情報である可能性が極めて高い。
 故に、会えるのならばそれに越したことはない。しかし、同時にフィシカはこうも考える。自分は彼らと共にいるべきではないのだと。すでにこの大陸ではそれだけのことを行ってきた、と思っているし、それでなくても自分の立場や状況を考えると、そうしていられないからだ。
 フィシカは気づかれないように、なるべく気配を消して踵を返そうとした。だが、一人の男の視線がじっとこちらを見ている。ルフレのものだ。その視線が一瞬でも外れることを願っていたが、どうやらそれも叶わないらしい。戦闘前のあのやり取りを聞かれていたのならば当然か、と苦笑を浮かべて観念した。


「……何か聞きたそうね、ルフレ?」
「当たり前だろう? 君は……」
「はいはい、ちゃんと名乗りますよ」


 不本意だけれど! と付け足して、フィシカはひとつ咳ばらいをした。
 皆の視線が集まる。大衆の面前に晒されるのはとある事情から慣れていたが、それは自分が何者であるかを誰も彼もが知っている場所での話だ。ここではそういうわけではないし、向けられている目線もあの時とは種類が違う。形容するならば奇異の目、というのが当てはまるのだろう。
 ひとつ深呼吸をする。さて、これを言えば何をされるのだろう、とフィシカは思案し、それから口を開いた。


「初めまして。私はこの大陸の東側にあるレストーネ、と呼ばれる大陸から来たフィシカと言います」
「レストーネ大陸……」
「そ。まあ、今は大陸の西側……つまりここと一番近い場所にある国、《闇の国》が情報統制を行っているせいで、ここに情報は殆ど流れていないと思うけれど」
「私も、そう聞き及んでいます」


 フレデリクが付け足した。おかげでクロムもそうなのか、と自分の発言に納得してくれたようだ。そもそもフィシカが言っていることは真実だから、信じてもらえないと困るのだが。

 フィシカの祖国があるレストーネ大陸の最西端、《闇の国》では情報統制が行われていた。あの国の王が何を考えてそんなことを行っているかはフィシカの知るところではないが、そのせいでこの大陸の情報は殆どレストーネには入ってきてはいないし、レストーネの情報がこの大陸に渡っていることもなかった。
 だからこそ、情報を求めるフィシカはこの大陸に渡ってきたのだ。その道すがら、余計なことをしていることもまた事実ではあるが。


「この大陸に何をしに?」
「情報を得るために。主に、さっきの化け物のことね」
「だからマルスにあんな質問を……」


 思ったより語ってもらえはしなかったため、十全な情報を得られたとは言い難い。とは言えなかった。
 これ以上踏み込まれたことを聞かれても答えようがないからだ。どれほどの情報をどういう目的で集めているか、なんてことは言ったところで意味はないし、そもそも言いたいとも思わない。

 そっと溜息を吐き出す。口に出して改めて自覚してしまったのだ。自分がやるべきことを。
 ここに来てからの行動は全て、自分の意思でやると決めたことだ。だからそれに後悔などはしていない。
 だが、時間をあまりかけていられないのもまた事実だ。だからこんなところで時間を食うわけにはいかなかった。
 この問答を後は適当に答え、どうやって彼らと別れるか。そんなところに思考がふらりと旅をし始めたが、クロムの次の一言でその旅はすぐさま終わりを迎えた。


「……重税を課した貴族に盗みに入ったのは?」
「……ぐ、やっぱ聞くよねえ、それ」
「盗みとは。貴族的ではないね」
「きぞ……?」
「ごめん、ヴィオールはボクが見ておくから続けて」


 フィシカとクロムの問答に割って入ったスカーフの男を、赤髪の女騎士が引き下がらせる。貴族的、という言葉はよくわからなかったが、確かに褒められた言葉ではないのだろう。事実、クロムの後方に控えていたフレデリクの目が鋭くなったのをフィシカは見逃さない。
 観念しました、と示すために両手を上げる。袖口には短剣を隠すことすらしていないし、ひとりふたりを出し抜くことはできてもこの人数の前で逃亡を図るのは難しいだろう。逃げるのは、諦めるほうがよさそうだ。


「……別の国の、ましてや一領主が起こしたことに対して首を突っ込むなんて非効率的だけれどね。一宿一飯のお礼に、少し」
「というと」
「その領主さまの領地の村人さんに泊めてもらったの。お客さんだからって美味しいものを食べさせてもらったのだけれど、随分無理していたみたいで……調べると出るわ出るわの重税と違反。あ、勿論これは私が勝手にしたことだから村人さんに非はないわよ?」


 自分の振る舞いで世話になった村人に面倒ごとが行くのはごめんだった。自分が処分されてしまうのは勿論御免だが、それ以上にフィシカはそれを危惧した。
 わかっている、とクロムは頷いたうえで、右手を差し出してくる。意味が分からずフィシカは首を傾げた。まさか握手を求められているわけではないだろうし、なんだろう。その疑問が口から落ちる前に、クロムがそれを口にした。


「領主の重税の証拠は、今あるか?」
「まあ、一応……私がまとめたものでよければ、だけれど」
「なら、それを見せて……いや、しばらく貸してくれ」
「?」


 どうして、と聞きそうになったのをぐっとこらえる。今不利な状況にあるのは自分だ。何か下手なことを聞いて相手を刺激するよりも、おとなしく従った方が賢明だろう。
 ちょっと待ってね、と自分の荷物から書類を探った。先ほどの逃走劇で少し折れてしまっているが、読む分には問題ないだろう。
 一度自分でも目を通す。間違いはない。見間違いかと思うほどの税に嫌悪感を覚える。大きく息を吐き出してから、それをクロムに渡した。
 同じようにクロムもその書類へと目を通す。やはりクロムにとってもその重税は驚いてしまうほどのものらしく、目を見開く様子が見て取れた。
 そして、その書類をフレデリクへと差し出す。


「フレデリク、姉さんの元へ特使をやってくれ」
「この書類を、ですか」
「ああ」


 フィシカが口を挟む間もなく、フレデリクとクロムの会話が進んでいく。自分の資料が絶対的に正しいという保証はどこにもないのに、それを外に持ち出されるのはそこまで責任を持てない、と言っておきたかったのだが、それもどうやら許されない雰囲気らしい。
 呆気に取られていると、フレデリクの近くにいた少女がこちらに近寄ってきた。身に着けた大きなスカートが印象的な少女だ。


「ねえねえっ、お兄ちゃんのこと、助けてくれたんだよねっ? ありがとう!」
「おにい……」
「あっ、わたしクロムの妹のリズっていうの! よろしくね、フィシカさんっ!」


 底抜けに明るい笑顔を向けられてフィシカの毒気が抜けた。彼女──リズの笑顔に、苦笑をこぼしながらよろしく、と返し、リズの姿をじっと見た。
 クロムの妹。そう言われてもそうは見えなかった。癖のある髪の毛はどことなく同じ面影を宿しているが、鍛え抜かれた躯体を持つクロムと、小さく華奢な体のリズではどうしてもそう見ることが出来ない。
 他に似ている部分も探せばあるのだろうか、とリズの方を見ていると、フレデリクから声がかかった。


「フィシカさん」
「あ……はーい? なにかしら、ふれでっきゅん」
「ふれッ!?」
「嘘、冗談。何かしら」
「……我々はこれから王都に向かいます。ルフレさんのこともありますので」
「ルフレ?」


 どうして、とルフレの方を向けば、ルフレが困ったように笑う。何やらわけありのようだが、今聞いていては話が進まないと踏んだので後々聞くことにした。
 フレデリクもそんなフィシカの様子には気づいたらしいが、同じ思いのようで何か言うことはなく話を続ける。


「王都で、貴方が行ったことの是非や真偽を議論することになります。……同行してもらえますね?」
「逃がすつもりはないのでしょう。なら無駄な抵抗もしないわ。戦闘をしにきたわけじゃないから」
「お話が早くて助かります。ソワレさんやヴィオールさんとは道中にでも自己紹介を……もしかすると、長い付き合いになるかもしれませんから」


 にこり、と笑って言うフレデリクだったが、その笑顔は口元だけのものだ。目が笑っていない。きっとフィシカが逃げようものならば、この首は真っ先に彼に狙われるのだろう。
 そんなのは御免だ。自分にとっても、彼らにとってもいい結果にはならない。
 故にフィシカが彼の言葉に従うことになるのは自然で、必然的なことだった。


がらりと音を立てて崩れる