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1-01

「ぐ、う、今日は、ついてない……!」


 レストーネ大陸の西側に存在する大陸の、深い森の奥底にて。夜の帳が落ち、黒々とした闇が森を飲み込んでいる。
 森の中を駆けるのは一人の少女。闇で塗りつぶしたような紫の髪と、満月を映したような黄金の瞳は、もう一つの夜を表しているかのようだった。
 しかしその表情は夜のように静かなものとは言い難い。焦燥が浮かぶような顔は、何かよからぬことがあったのだろう、と想像させるに容易いものだった。


「なんでこういう時に限ってドジしちゃうかなあ……!」


 見た目に似合わぬ舌打ちを一つ。その小さな音を自分で聞き届ける前に、少女はその場から逃げるように走る。

 否、実際彼女は逃げていた。
 後ろから迫るのは蹄の音。それから、数人の人間の足音だ。音の大きさから察するに、それはそう遠くないところにあるのだろう。
 見つかるのも時間の問題だ、と少女はまた顰め面をする。どちらに逃げるのが得策か、それともいっそこの場で捕まっておいた方が後々のためになるか。
 そんなことを考えながら顔を上げ、空を見上げた。


「……あ?」


 ぞわ、と。
 背を這う冷たさは気のせいと笑うには鮮明すぎた。嫌な予感、というのはこういうことを言うのだろう。

 何がおかしいのか、と聞かれれば感覚的なことしか答えられないくらいには、この森は静かだった。……その静けさが、おかしいのだが。
 聞こえていたのは蹄の音と人の足音。その二つだけだった。鳥や虫の鳴く声も、風が囁く声も、何も聞こえない。
 森の奥深くだからかと思っていたこの暗さも、それにしたって暗すぎる。もう少し月明かりや、それを反射した葉で明るくてもおかしくないはずなのに、そのようなものは一つも見えない。

 静寂の闇がそこに鎮座しているようで、少女は思わず顔を引きつらせた。


「……嫌ね、こんなに静かだと、あの戦の後を思い──きゃあっ?!」


 往々にして悪い予感は当たるもの、とされている。少女のそれも当たってしまった。
 地響きが鳴り、地が大きく揺れる。立っているのもやっとな程の揺れが木々を揺らし、ざわめきを奏でる。先ほどまでの静けさが幻だったかのような音が、森を包んでいた。
 遠くの方で木が倒れる音がする。この辺りにその様子はなく、ただ揺れが収まるのを待つだけでよかったのは不幸中の幸いというやつなのだろう。

 しばらくその場でうずくまっていると揺れが止んだ。どれほどそうしていたかはわからないが、それなりに長い時間だったように思う。
 こんなことで時間を取られてしまったのは痛いな、と思いながら体を起こす。この地震で自分を追っていた相手が去ってくれていればいいのだが。


「見つけたぞ、コソ泥!!」
「……まあ、そんなうまくはいかないわよねえ」


 はあぁ、と深いため息が漏れた。自分が地震によって足止めを食らっていたあの時間で近づかれていたらしい。少女が目を向けた先には、彼女が予想した通り、鎧を身にまとい武装した兵士たちがいる。
 心の中で彼らを数え、隙を見せぬようにと不敵な笑みを浮かべた。この笑顔がどこまで通用するかはわからないが、自分から隙を見せるよりは断然よいだろう。


「こんなところまでご苦労様、領主様の兵士っていうのは揃いも揃って暇人なのかしら?」
「ハ、負け惜しみか? どうだ、今なら盗んだものを返しその身を我々に差し出すというのなら、命だけは勘弁してやろう。まあもっとも、命以外のものはどうなるかは……」
「死んでもごめんね。私、権力を傘にしてるやつがこの世で三番目に嫌いなの」


 口では苛烈な言葉を並べながら、頭は冷静に今の状況を分析していた。
 人数は十数人ほど、間を縫って動いて脱出できるような隙間はないが、油断を突けば逃げだすことも容易ではないだろうが可能だろう。
 あとはあの兵士たちが全員油断するその瞬間を待つだけなのだが、そんなものが容易く来てくれるはずもない。どうしたものか、と視線を動かすものの、彼らの気を逸らせるようなものは今ここにない。


「……ふん、まあいい。ならば、盗みを働いた己を恥じながら死ぬといい」
「そりゃあねえ? 盗みを働いた自分が許されるとは微塵も思っていないけれど……、それを言うなら、あなた達の領主様だって、到底許されるようなことしていないじゃない」
「何?」


 リーダー格らしい兵士の眉があがる。ほかの兵士たちも少女の言葉を聞き捨てならない、と思ったのか、少し前のめりな姿勢になった。
 少女に煽るつもりは毛頭なく、それをすればするほど自分が不利になるのはわかっていた。だが、そうすることで時間を稼ぎ、打開の道を見つけることが出来るというのなら、と少女は再び口を開く。


「私が盗んだこれ、国で定められている税を遥かに上回って徴収したものでしょう。お陰で領民は随分苦しい暮らしを送っているらしいわね」
「そんなもの知ったことか」
「いいえ、知らねばならないのよ。それが領主と、それに仕えるあなたたちの役目じゃない。それを放棄して、理解した上で民草を苦しめる重税を課すのは、私のような盗賊風情と同じじゃないの」


 全て事実だった。それを兵士たちも知らぬわけではないだろう。見たくない事実だからと目を伏せてきたのかもしれないが、少女はそれを許さない。

 少女は背負っていた鞄を背負いなおした。その鞄の中には、この兵士たちから追われるようになった理由である、多額の金銭が入っている。
 この兵士たちの雇い主である領主が貯めこんでいたものだ。それも、彼の手腕で儲けたものではなく、領民たちに必要以上の重税を課し集めたもの。
 少女はそれが許せなかった。私腹を肥やし、民の喘ぎを聞き入れず、悠々自適と暮らす貴族の姿が。

 故に少女は盗んだ。それは褒められた行為ではなく、罰を受ける行為だと理解した上で。


「この財は領主のものではなく、領民のものよ。税とは須らくそうあるべきもの。……領主がそれを分からず、自分のものとして使うのであれば。私はそれを許さないし、財をあるべき場所へと返す」
「……貴様、言わせておけば!」


 少女に煽られ、激昂した兵士が武器を構える。図星を突かれた人は怒るか、あるいは黙り込むかのどちらかというが、この兵士は前者だったのだろう。
 このまま全員が怒り狂ってくれないだろうか。戦闘になったらまずいかもしれないが、激高した人間は隙が生まれやすく、逃げるのはたやすくなる気がする。気がするだけで、本当にそうなってくれるかは少女にはわからないことだったが。
 そんな少女の思いは、まったく別の方面から崩れ去ることになる。


「……今の話、本当か?」
「……え?」


 兵士たちがいる真正面とは別の左方向から、人の声が聞こえた。落ち着いた低い声は、しかしどこか息を切らしているようにも聞こえる。

 少女と、その場にいた兵士全員の目が声のした方を向く。そこにあったのは、二人の青年の姿だった。片方は青い髪の男、もう片方は銀の髪の男。
 ちぐはぐな彼らの姿は、どうしてかしっくりくるように思えた。


「国が定めた税を大幅に上回る重税……だったか。その話は、本当か?」
「ああ? なんだお前……」
「しっ! 待て、この青髪の男……」


 目の前の兵士たちがこそこそと会話を始めてしまった。予想していなかった展開に少女は呆気にとられ、その場の空気に置いて行かれる。
 これから先どうしようか、と頭を捻り、あたりの状況を伺う。兵士たちと、二人の男以外の気配がする。
 そちらに意識を向けていると、こそこそと話をしていた兵士たちの話が終わったようだ。その表情は少女に向けていた厳しいものではなく、どこか取り繕うようなものだ。


「……いいえ、私たちは何も……。領主様に確認を取るためにも、今日はこの辺りで引き上げようとしていたところで……」


 調子のいいやつらだ。そんな素振り少女ひとりの時にはひとつも見せなかったというのに。
 とはいえ、彼らが急に態度を変えたのにもきっとわけがあるのだろう。そういうものを感じ取って、深く追及することはやめにした。それで引き下がって帰ってくれるのならばこんなに嬉しいことはない。
 兵士たちの言葉を聞いて、銀髪が少し急いたように口を開く。


「……うん、出来るだけ早くそうした方がいい」
「というと?」
「今この森は少し危険な状況にあって、──ッ危ない!!」
「えっ」


 森の中に銀髪の男の声が木霊した。
 はっと、兵士たちが男の目線をなぞり振り返る。少女はその瞬間を見逃さなかった。

 振り返った先にいたのは、人と形容することが憚られるような異形の存在だった。
 口からは煙が溢れ、目は赤く激しい光を灯す。生気が宿らない瞳は、こちらを見ているようで見ていない。
 異形が持った斧を振り上げている。意図をもって振り上げられたというよりは、ただ無我のままに振り上げられたような斧は、それ故読めぬ軌道を描いて兵士の首を刎ねようと──。


「伏せてッ!!」
「っ!?」


 寸でのところで斧が弾かれる。首の皮を薄く切るだけにとどまった兵士は後ろに倒れこんで尻もちをついた。
 弾かれた斧は少し遠くに落ちる。それを追うようにして落ちてきたのは、鋭い煌めきを放つ短剣。
 いったいどこから、と男たちが声のした方を見る。異形のものがいた、その右後方。そこにいたのは、先ほどまで兵士たちの前にいたはずの少女だった。


「……お前、いつの間にそんなところに!?」
「話してる暇はないの、死にたくなかったら戦うか逃げるかさっさと決めて。西側はまだこいつらがいないから逃げられると思う」


 そういう彼女の手には短剣がある。地面に落ちたものと同じものだ。
 少女の視線はさらに背後の森の方を見ている。銀髪が目を凝らしてみると、その先にはこの異形の気配がある。


「…………」


 命と金と。どちらが惜しいのかと聞かれれば、彼らにとっては命だったのだろう。真に慕われる名君であれば、そういうこともなかったのかもしれないが、終ぞ少女の金を取り返そうとしていた兵士は一人も残ることなく去っていった。
 残されたのは少女と、男二人だった。助かった、とお礼のひとつでも述べたいところだったが、状況がそれを許しはしない。今も、異形たちの気配が森の奥からひしひしとしている。


「あなたたちは、逃げないの」
「俺たちは、あれと戦っている最中でな」
「あら、邪魔しちゃった?」
「……無視できなくてね、盗みを働いたと聞こえたことも、不当な重税のことも」
「私のことは見逃してくれると嬉しいなあ!」
「それはこれからのお前次第だろう」


 うん? と首をかしげる。くるくると手のひらで短剣を回しているが、そこに一片の隙も存在しない。
 男たちもそれぞれ自分の得物を手にしている。戦闘態勢のままするような話でもないが、この戦闘態勢を解けばすぐに異形たちは襲い掛かってくるだろうという共通認識があったため、それを止めさせることはなかった。


「戦えるな、お前」
「まあ、それなりには?」
「なら、手を貸してくれ。僕たちも、あれの処理に手間取っているんだ」
「……そうね、普段なら兎も角、あなたたちには助けられているし、第一今拒否なんかしたら私死んじゃうわよね」
「違いない」


 気配から察するにひとりで処理できる量ではないのだろう。だとすれば、彼らと手を組み共に状況を打破することは最善の手といって過言ではない。
 その後に尋問されるかもしれないという恐怖があるにはある。が、背に腹は代えられぬとこれを了承した。青い髪の男が、こちらに少し視線を寄越して言う。


「俺はクロム。こっちはルフレだ」
「よろしく。君は……」
「私……、私は」


 一本、森の奥へと全力で投げた。手に伝わる感触はなく、また断末魔も聞こえてこない。しかし、少女はそれが当たったと確信している。
 その確信が、彼女はどうも苦手だった。


「フィシカ。よろしくね」


 握りしめた手のひらが熱を持つ。短く息を吐き出して森の奥を見つめるフィシカの瞳から光が消えたことを、クロムとルフレは知らない。
 小さく呟いた言葉は闇夜に攫われていった。冷たい冷たい、「みつけた」、なんて声が誰かに届くことは、永遠にない。