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彼が描いた天国に住みたかった
天使のような少女

「リベラ、それは……」
「おや、なまえさん」


 穏やかな笑顔を携えて、リベラは私を見やる。彼の手元には筆と画布があって、何かを描こうとしていたことは瞬時に理解した。
 したけれど、その画布は真っ白で何かが描かれているということはない。リベラの持っている筆は先が少し乾いていて、長時間その状態だったことが見て取れる。
 珍しい。私に浮かんだ感情は、そんな簡単なものだった。

 リベラはよく絵を描いている。風景画、抽象画、人物画。彼は趣味だと言うけれど、その美しさは玄人のものにも引けを取らない。私が絵に関して素人だからそう思ってしまうのかもしれないけれど、私はそう思っている。
 私は結構な回数、リベラが絵を描いているところを見てきた。そして思い出せる限りでは、その全てで彼の手が止まったことはない。少なくとも、描き始めは。
 勿論、描いている途中で悩むことは彼にだってある。きっとそれは彼が絵に玄人だったとしても在り得る話だろう。
 だけど、描き始め? どうしたのだろう、と真っ白の画布を見ていると、リベラが苦々しく笑った。


「描きたい題材はあるのですが……、だからこそと言いますか、うまく筆が運べなくて」
「題材って?」
「天国です」


 思いもよらなかった言葉に、私は思わず唖然としてしまった。
 天国。死した存在が、永久の祝福を受ける場所。言葉としては認識しているし、私はそれがある、とは思っているけれども。
 リベラは神職だ。イーリス教の教えをよく知らない私が何かを言えるような立場ではないけれど、そういうことってやっていいのだろうか。当然、ナーガ様がそんなことでお怒りになられるとは思わないけれど、リベラの気持ち的にというか。
 ……不思議そうにしている私に気が付いたらしい、リベラは目を移してから微笑んで応える。


「頼まれものなのですよ」
「誰に……」
「孤児院の子に」


 リベラの言葉に合点がいって、それで、と小さく呟いた。
 きっと、孤児院の子にせがまれたのだろう。リベラの絵は綺麗だから、リベラに天国を描いてほしいと願った子がいたのだろう。彼は優しいからそれを断れなくて描こうとしていた……のだけれど、筆が進まなくて困っていたというところか。
 どうしましょう、と画布に再び視線を落とすリベラ。気分転換に何か会話でも、と思ったけれど提供できそうな話題がなくて、結局考えた末にこのは暗視からそう遠くない話題を口にしてしまった。


「どんな子なの? その、孤児院の……」
「そうですね……」


 筆の柄を顎に当てて考えるリベラを見て無思慮にも綺麗だな、と思ってしまった。彼が思案するその姿が既に宗教画的な美しさを備えてるというのもなんだか皮肉なものだ。
 じ、と柳色をした目が私を見る。しまった、まさか口に出していただろうか、と口を片手で抑えたもののどうやらそうではないらしい。ふふ、と笑ったリベラが、どこか愛おしげに口を開いた。


「あなたによく似た、天使のような愛らしい子です」
「あい……っ!?」


 冗談なのか、お世辞なのか。その子が愛らしいというのはよく伝わったけれど、私によく似ただなんて情報をつける意味がどこにあったのか!
 素っ頓狂な声をあげてしまった私を見てくすくすと笑っている。確信犯的にやったわけではないのだろうけれどなんだか恥ずかしくなって思わず顔を伏せる。

 それにしても天国、か。リベラが描くそれがどれだけ綺麗なものになるのか、と少し楽しみにしている私がいる。
 描きあがったら、その子に渡す前に私にも見せてはくれないかな。そんな欲深いことを考えている自分に気が付いて、自嘲気味に笑ってしまった。きっとこんな罪深い人間を、神様を許しはしないだろう。







 罰、というのは案外早くに訪れるものだ、とわかったのはそれから三日後の話だった。 ……それともこんなものを罰だなんて呼んでしまってはそれこそナーガ様にお怒られてしまうんだろうか。それを判断出来ないほどに、私の思考は鈍っていた。
 
 腹部に灼けるような痛みが走る。患部がどくどくと脈打って熱い。
 足は鉛のような重さになってしまっていて、本当にこれは私の身体なのだろうかと突拍子もないことを考えてしまう。足を引きずりながら歩いているけれど、最早その感覚すら曖昧だ。


「……油断してたつもりは……ないんだけどねえ……」


 口を開けばごぽ、と血が零れた。口内に鉄の味がしたけれど、もうそれもどうだっていい。
 戦争をしているのだからいつかこんな日が来るだろうと予測していなかったわけではない。それでもこんなに早いか、と自分に苛立つ。
 とにかく今は遠くに行きたい。下手に心配されても困る。この傷じゃあ助からないのは私が一番分かっているから、私の治療なんかに回す手があるのならそれをもっと救われる人に回すべきだ。
 だから人目のつかないところにこっそりと向かう。誰にも見つからなければ、少なくとも戦闘中は一人になれるだろう。そう思っていたのに。


「なまえさん、なまえさんッ! ……あなたって人は!!」
「……ぁ……リベラ……?」


 視線を落として歩いていたからか気づかなかった。体が何かにぶつかって、そのまま私が包まれる。聞きなれた声が降ってきて顔をあげると、そこには焦燥の色を浮かべるリベラがいた。
 やだなぁ、見つかりたくなかった。そんな言葉を飲み込んで、リベラを振り払おうとする。……体に力が入らなくて、それは叶わなかった。リベラが特別力を入れているわけでもないのに振り払えないのだから、私は相当弱っているのだろう。


「待ってください、今ライブを……」
「だめ……、私は平気だから……」
「本当に平気な人はそんな風に笑ったりはしません!」
「うえ……そんなひどい顔だった……?」


 はい、とばっさり言うリベラに苦笑いする。それくらい遠慮がない方が、私としても好ましい。
 そうやって余計なことを考えているうちに、刺された腹部が温かさに包まれた。ちら、とリベラの手元を見るとその手にはライブの杖がある。

 それでも、やはり。私が助からないだろう、ということはなんとなくわかるのだ。自分の体のことなのだから、リベラよりわかってしまうのは当然のことで。
 脈打つ傷口の熱は未だに収まらない。それなのに指先は段々と冷えてきて、思考があちらこちらに散らばる。
 脳内に浮かぶ言葉の数々を反芻出来るほど頭は冴えていない。だからそれが口から落ちたのも、仕方がないことだったのかもしれない。


「……リベラの描いた天国、見てみたかったなぁ……」
「喋らないでください、傷が……」
「筆……、進んだ……?」
「……いいえ」


 そっか、と言葉が剥がれて、私は目を伏せた。
 リベラが描く天国はどんなものだったのだろうか。それが見られなかったのが心残りだ。今更それを言っても仕方がないのかもしれないけれど。
 ならば、と出てきたのは別の欲。どこまでも私という人間は欲深いのだなと思い知らされるけれど、これくらいの我儘はどうか、許してほしいな。


「ねえ……、……リベラ。……描けそうだったら……、……私が住めそうな、天国……描いて、ほしいなあ……」
「……それは、出来かねます。あなたを、そちらにはまだ連れていけません」
「あは……」


 だったら、私が自分で夢想するしかないじゃないか。私はリベラの天国がいいんだけどな。
 そんなことを言ったらきっとまた怒られるのだろう。……そのリベラのやさしさが、今の私にはどこか痛かった。



彼が描いた天国に住みたかった天使のような少女
(私に似た天使のような子は、本当に私の死期を知った天使だったのかも、だなんて)




2020.01.29
Title...反転コンタクト