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生きてることを蔑んでくれ

※青獅子√
※特定支援により判明する設定のバレ注意






 声が聞こえる。どうしてお前だけ生きているのかと。
 声が聞こえる。どうしてお前は死ななかったのかと。
 声が聞こえる。仇の首を獲って、彼らに差し出せと。
 声が聞こえる。声が聞こえる。声が聞こえる。


「──ああ、分かっている」


 自分の口から底冷えした声が落ちる。俺のものとも思えぬ、低く恨みが篭もった声だ。
 ああ、違う。俺のものと思えぬなど目を逸らしていいはずがない。

 これは、俺の声だ。
 俺から父を奪い、継母を奪い、兄弟子を、友人を、全てを奪った奴らを殺し尽くさんとする俺の声だ。奴らを恨み、滅ぼさんとする俺の声だ。


「分かっている……忘れることなどありはしない」


 あの悲劇の日から一日たりとも忘れたことは無い。俺を責める声が途切れたことは一日たりとも無い。そんなことが、許されるはずがない。
 大丈夫だ、大丈夫。これは俺の復讐で、俺がやらねばならないこと。
 だから安心してくれ。すぐにでも、俺は──。





 目を開く。辺りはまだ暗く、朝になる前に起きてしまったことを悟った。

 戦争は終わり、敵国の皇帝であるエーデルガルトは死んだ。俺が復讐する相手はもう居ない。俺も吹っ切れた、はずだ。先生や皆に随分と迷惑をかけたが。
 だからあれは、過去の俺なのだろう。復讐に囚われ、死者の声に縋るしか生きる方法を見いだせなかった俺なのだろう。哀れだとも滑稽だとも思わないが、ただ、少し寂しく思う。

 窓から外に目をやると、満天の星が俺を見下ろしていた。死んだ人が星になるだなんて信じている訳では無いが、なんだか居心地が悪い。


「……駄目だな」


 悪夢を見たからだろうか、それともこんな夜だからだろうか、いやに頭が冴えてしまった。何も思考せずに眠りの泥に沈みたかったのだが、こうなってしまうとそれも叶わない。
 ベッドから身体を起こし、立ち上がった。眼帯を装着して、引き摺るように足を動かし部屋から出る。
 散歩に行こう。少し疲れたら戻ってきて、そうして眠ろう。





 とん、とん、と、俺以外の足音が聞こえてきた。こんな夜更けに散歩だろうか、物好きだなと思ったが、今現在俺も散歩しているのだと思い至って苦笑してしまう。
 ぼんやりと、廊下の向こう側に薄明かりが見える。よく目をこらすとそれはランタンの明かりで、その向こう側に人影が見えた。こちらに向かっているようで、足音もそのまま近づいていた。

 近づく人影を注視する。ランタンの明かりに照らされ見えた顔は、見知った顔だった。


「……なまえ?」
「ディミトリ様?」


 長いスカートを片手で上げ、もう片方の手でランタンを持つその姿は、幼馴染であり、士官学校時代の学友であり、戦争を共に駆け抜けた戦友であり、今の俺の女中であり、それから、……それから、ダスカーの悲劇を生き残った女のものだ。とは言っても、俺のようにあの場にいたわけではなかったから助かったのだが。
 名を呼べば、なまえは驚いたような顔をする。何をそんなに驚くことがと口を出かけたが、よく考えなくても王族が一人で、城内とはいえ夜に出歩くのは、従者の立場からすれば肝が冷えるだろう。悪いことをした。


「どうかなさいましたか……?」
「いや……、ただの散歩だ。寝ていたんだが、頭が冴えてしまってな」
「それは結構ですが……せめてドゥドゥーや私どもをお呼びつけください、ディミトリ様のお力は信頼しておりますがお一人は危険です」
「ドゥドゥーは休息時間だ」


 ドゥドゥーならば休息中であろうとたとえ寝ていたとしても、俺が呼べば起きて付き添ってくれるのだろう。しかしそんなことでドゥドゥーの手を煩わせたくはないし、そもそもそんなこと頭に入っていなかった。
 案の定なまえは「そうかもしれませんけれど」と目を厳しくする。心配性だな、と口を滑らせば余計に睨まれてしまった。


「王城の警備に抜かりはありませんが、万が一ということも考えて……」
「そ、そんなことよりも、なまえは何故こんな夜更けに?」
「そんなことじゃありませんよ本当にもう……。私は夜の見回りを終えて、自室に戻る前に食堂でお茶を飲もうかと」


 なまえの説教は長い。俺がシルヴァンに説教をする時の長さとは比にならないくらいに。だから露骨に話題を変えてそれを避けた。その意図をなまえも分かっているだろうに、話を逸らすなと怒らずに乗ってくれるあたり、彼女の優しさと甘さが見える。
 というよりも、見回りか。……こんな時間まで。


「夜更かしは乙女の敵、だったか。……学校時代に金鹿(ヒルシュ)学級(クラッセ)のヒルダが言っていたのを聞いたが」
「私がヒルダほど見目に気を使うように思われておられるのですか?」
「…………」
「言葉に詰まりましたね……それが答えです。それに、もう慣れました」
「慣れた?」


 慣れた、ということはつまりそれ程の期間夜間見回りをしている、ということか。……駄目だな、忙しさにかまけて従者の仕事内容の把握すらできていないとは。
 今度従者達の仕事内容の把握と見直しをと考えているうちに、なまえは「それに、」と言葉を付け足す。


「見回り後にお茶を淹れて飲む時間が、割とお気に入りなのです」
「ああ……今もそれに向かうところだったな。悪い、邪魔をした」
「いえ、とんでもありません。というか、ディミトリ様をお一人にはできませんから」
「……お前は少し過保護がすぎるぞ」


 それは俺が王だから、という面も勿論あるのだろう。王としての振る舞いができていないのは俺の方だから、それを悪いとは言わない。だがそれにしても限度というものがある。
 ……分かっている。彼女がそうなる理由なんて。

 しかし参ったな、このままだと俺が部屋に帰るまでなまえも帰らないだろう。俺としても、なまえの休息の時間を邪魔したい訳では無い。
 仕方がない、と踵を返しかけて、足が止まった。


「そうですね、ディミトリ様も寝付けないようですし……お茶を淹れましょうか。一人で飲むのも悪くないですが、ディミトリ様といただくのも吝かではありません」
「いや、俺は──……」
「今日の茶葉は優しい匂いのものにしましょう。良い香りに包まれれば眠気も誘われます」


 淹れてもらっても味がしなくて申し訳ない、と紡ぎかけた言葉を先回りで封じられる。お見通し、というわけか。優しい匂いの茶葉というのも、味ではなく匂いで楽しめればという配慮なのだろう。
 ……ここまでされて無碍にするというのも、失礼な話だろう。お言葉に甘えさせてもらうと告げると、なまえは優しく微笑んだ。





「10年ほど前のお前は、お茶が美味しく淹れられない、とよく泣いていたな」
「……今ではきちんと淹れられています、もう」
「ははは……、ああ、わかるよ。味はわからなくても、匂いで」


 なまえが淹れた適温のお茶は、口当たりが丸くて優しい感覚がした。
 ……味覚は相変わらず働いてくれないが、どこか懐かしい感じがする。もっとも昔のなまえが淹れたお茶は渋くて飲めたものじゃあなかったから、この懐かしさはまやかしか、あるいはなまえの母親が淹れたお茶の記憶と結びついているのだろう。

 ……本当に、懐かしい。


「こうしていると、昔を思い出すな」
「はい……先王がいらっしゃって、グレン様がいて、ロドリグ様がいて……」
「……お前の母親もいた」
「……はい」


 茶の水面を見つめる。死んで行った者達の顔がそこに映るような錯覚を覚えたが、目を逸らしはしない。目をそらしてはいけない、忘れてはいけない。
 復讐に囚われることはもうないが、それでも俺が忘れてしまってはいけないのだろう。

 鼻腔を擽る優しい香りは、奥にこびりついた血の匂いを少しだけ和らげてくれる。
 だからだろうか、心が解される感覚がして、どうも口が緩んでしまった。


「……なぁ、なまえ。少し話をしていいか」
「私でよければ」
「お前じゃなきゃこんなことは零せないさ」


 では、とお茶を継ぎ足しながら、なまえは笑っている。その笑顔は忌憚なく、従者なまえではなく友人なまえとしてここにいてくれていることの証左なのだろう。立場上、なまえはそれを絶対口にはしないけれど。
 ならば、と俺も王としてではなく、ただの一個人として彼女に向き合った。


「まだ聞こえるんだ、皆の声が。死ぬまで一生聞こえ続けるのだろう」
「……先王様たちの声でしょうか」
「あぁ……。幻聴だということは理解しているし、俺が彼らの声を勝手に作り上げているのかもしれないが」


 それでも、俺にとっては彼らの声だった。ダスカーの悲劇の日から、一日も途切れたことは無い。それはきっと俺が俺自身に課した枷なのだろう。
 目を背けはしない。耳を塞ぎはしない。それでも弱ることはある。それすら許されないのかもしれないが、友人の前では許して欲しい。


「あの頃のように自暴自棄になることは無いが……、蔑んでほしくなる時はあるんだ」
「蔑む……ですか?」
「…………」


 これを言ったら笑われるだろうか。怒られるだろうか。あるいはもっと別の反応が返ってくるのだろうか。
 少し怖くなったが、なまえのことは信用したい。……あのダスカーの悲劇を共に生き残り、今まで共に歩んできた盟友で、それから俺にとっては特別な……。


「生きていることを、蔑んでほしくなる」
「…………」
「あの声が俺にそういうように……、誰か一人でいいんだ、今の俺を蔑んでほしい。そうして、蔑まれなくなるように前に進みたい」
「難解なことを仰いますね……」
「はは、だろう? ……皆、優しいからな。無条件……というわけではないが許されてしまって、甘い水の中に溺れてしまいそうで、俺はそれが嫌だ」


 忘れることはない。だが皆の優しさに触れて、そちらに手招きされてしまうのが、俺は少し怖かった。
 人は弱い。故に甘いものがあれば、そちらに流れてしまいそうになる。かつての俺にとっての甘いものは復讐に縋るという生き方で、今の俺にとっては自分で自分の全てを許してしまうことだった。

 ……先生は言っていた。もう自分を許してもいい、と。
 あいつの言葉を疑う訳では無いし、実際、俺は俺を許している部分はある。
 だが、そうしたくない部分があるのも本当だ。少なくとも、全てを許して彼らを忘れたい訳では無いのだから。
 だから、俺は現実で蔑まれることを望んだ。内なる声ではなく、外からの声で蔑まれたいと思った。それならば、俺は俺の絶対的な根幹を揺らがせないで済むと思ったから。

 なまえは目を二三度瞬かせ、それから軽く息を吐き出した。その表情は、呆れとも諦めともつかない。


「私には……難しいかもしれませんね」
「あぁ、分かっている、お前にそれを頼むわけじゃ……」
「ディミトリ様」


 真剣な目で射抜かれる。少し心臓が強く脈打って息を飲んだ。
 怖いわけでも、恋煩いの音でもなく、ただその瞳がどこまでも真っ直ぐで、今の俺には少し痛い。


「貴方に要らぬ心配をかけぬように、と……今まで申し上げたことはありませんでしたが」
「……どうした?」
「私にも、聞こえることがあるのです。亡き母の声が」
「……え」


 息が詰まった。そんな素振りをなまえが見せたことは一度もない。
 いつから、とかどんな声が、とか聞きたいことは沢山あった。沢山ありすぎて言葉にならないくらいに。そんな俺の動揺を知ってか知らずか、なまえは続ける。


「どうしてあなたはディミトリ様の近くにいなかった、どうしてあなたはディミトリ様を守らなかったのか……と、母に責められるのです。ふふ、おかしな話ですね、あんなに優しかった母の声を捏造し自分を責め続けるなんて」
「それは……そんなことは……」
「ディミトリ様」


 緩く首を横に振る。その顔は寂しく笑っていた。
 ……分かっている。そんな彼女の声を否定するのは彼女の否定にほかならず、そして同時に俺自身の否定でもあることは。なまえは優しいから、きっと俺に俺自身を否定させないために首を振ってくれたのだろう。きっと、否定してほしいはずなのに。
 再び視線を茶に落とした。冷めた水面は死者を映さず、ただ俺の顔を静かに投影している。


「だから……私は、私を蔑むことで精一杯で」
「なまえ……」
「でも……」


 なまえは自分の手元の茶を飲み干した。空っぽになった陶器の中を見て、それからまた俺に視線を移す。
 その目の強さは、いつもと変わりがない。あの日からずっと聞こえているのならば随分と苦しめられただろうに、そんな風には見えなかったのは俺が鈍いからではないだろう。


「蔑むことは出来ませんけれど……、その傷口の証明にはなれます。それではいけませんか?」
「……まったく、お前は本当に優しい」
「この優しさを、あなたは望んでいないと思いますが」


 本当だよ、と苦笑を零す。俺は蔑まれることを望んだのにな。
 でもその優しさを煩わしく思うことはない。傷を広げるのではなく証明することで忘れさせてくれないのなら、そういう道も受け入れたい。
 ……それが、共に生き、共に歩んでほしい、他ならぬなまえの手によってもたらされるのなら、尚更。



生きてることを蔑んでくれ
(残酷なまでに優しいな、お前は)



Title...反転コンタクト
2019.08.20