中学時代の親友との再会は、この薄くて、けれどどうしようもないくらいに分厚い画面越しだった。
『MORE MORE JUMP! の花里 みのりです!』
「……え?」
どうしてその動画に辿り着いたのかはよく覚えていない。友達の勧めだったのか、それともたまたま動画サイトのおすすめに流れてきたのか。そんなことはさしたる問題ではなくて、私にとって問題なのは「みのり」というその中学時代の親友がその動画に出ていることだった。
それも一般人ではなくて、配信者ではなくて、アイドルとして。それを象徴するかのように、彼女の隣にはご丁寧に名の知れたアイドル達がいる。
「……どうして……?」
口をついたのはそんな疑問だったけれど、実のところは心当たりがないわけじゃない。
中学生の時からアイドルに憧れて、色んな事務所のオーディションに応募して、落ちても明るく元気に前向きにアイドルになることを目指していたみのり。
だからみのりがアイドルになることは、何もおかしくはない。オーディションに受かることもあるだろうし、みのりは可愛いからスカウトされることだってあったのかも。
でも──これは、何?
「……桃井 愛莉に、日野森 雫に、」
桃井 愛莉。元QT所属の、別名「バラエティアイドル仮面・ハッピーエブリデイ」だったアイドル。
日野森 雫。圧倒的なビジュアルと神秘的な雰囲気で、Cheerful*Daysのセンターを務めたアイドル。
二人とも、テレビを少しでも見るなら名前くらいは知っている。そんな知名度を誇る二人だ。
けれど、でも。桃井 愛莉も日野森 雫も、テレビに出なくなって久しい。桃井 愛莉は事務所を辞めたって聞いたし、日野森 雫はチアデを卒業している。
そんな彼女たちがみのりと並んでいる。テレビではなくて動画配信だけれど。それでも、アイドルとして並んでいる。
そしてみのりの、隣にいるのは。
「桐谷、遥……?」
桐谷 遥。ASRUNのセンターでカリスマ性も凄くて、国民的トップアイドルと言って差し支えのないような存在。そしてみのりが、アイドルを志した一番のきっかけ。
見間違えない。見間違えるはずがない。私はみのりが桐谷 遥について語っているときに、何度も何度もその姿を見たのだから。
だから間違いない。みのりの隣にいるのは、桐谷 遥、だ。
「なに、これ」
知らない。何も知らない。
だって、だってASRUNは解散した、桐谷 遥はアイドルを辞めた! 連日連夜、マスコミがいろんな憶測で話しているのをうんざりするほど聞いた!
そしてマスコミに踊らされた人たちが、SNSで好き勝手何かを言っているのも見た。ASRUNの解散の原因はASRUNが不仲だったから、なんていう勝手な思い込みくらいならまだマシな方で、特定メンバーに向けた罵詈雑言だってあったくらい。
桐谷 遥だって、それを知らないわけじゃないはずだ。なのに、どうして、どうしてみのりの隣に、アイドルとして立っているの。
私は、何も知らない。
みのりがアイドルになった理由も、時期も、桐谷 遥達と一緒にいる理由も、何も聞いていない。
聞かせてもらえるほどの仲じゃなかったのだろうか、それとも忙しくて連絡できなかったのだろうか。
色んな憶測がよぎって、頭を振った。これじゃあ、私も憶測であれこれ言ってた人たちと同じだ。
だから私は知ろうとして、その日からMORE MORE JUMP! の過去配信を見漁ることになる。当時のコメントのリプレイ機能付きで。
「…………酷い、なぁ」
初期の配信は本当に酷かった。
配信の方向性が定まっていなかったのか話はあっちこっちに逸れてめちゃくちゃだし、立ち位置はあやふやだし、言葉は被っちゃうし、笑顔はぎこちないし(後者二つは主にみのりだけど)。
まあ、そこはさすが元アイドルたちの集まりというか。進行がグダったときは桃井 愛莉が軌道修正するし、立ち位置調整は桐谷 遥がそれとなく行っていた。日野森 雫も何があっても笑みを崩さず、凛としてそこにあったから。
でも、それより酷いのは、コメントの方だ。
『誰?』
『雫様の邪魔しないで!』
『愛莉なんで引退したの?』
『ASRUN不仲で解散って本当?』
『雫ちゃんなんでチアデ卒業しちゃったの;;』
『素人が遥ちゃんの隣にいるとかマジでありえん』
無邪気な悪意の針で、邪悪な言葉が縫われていた。
当然だ。
元トップアイドル三人と、素人のみのり。
何も知らない人からしたら(そしてその何も知らないには私も含まれる)彼女は場違いもいいところで、だからその悪意はたくさん、みのりに向けられていた。
歌と踊りの配信も、たしかにみのりはよく踊れているけれど、そしてそれは私が知ってた頃よりも洗練されているけれど、やっぱり三人と比べるとまだ拙いものだ。
だから糾弾できる的が見つかったとばかりに、人は悪意をダーツみたいに投げている。
好奇の目もある。それは主に元アイドルの三人に向けられるもので、配信の内容とは関係のない話ばかりだ。きっと、それらも彼女たちには悪意と遜色ないのだろうけど。
多分それすら了解した上での配信だったのだろう。それすら承知した上でのグループ結成だったのだろう。
だって元人気者と素人のグループなんて、こうなるに決まっている。こうならないはずがない。
そしてコメントを眺めていて、唐突に私はあぁ、と理解する。理解はしたけど、まだ飲み込みたくなかった。
けれど他のアーカイブ配信を見ていくうちに、私の「理解」は正しかったのだと証明されていってしまう。
コラボ配信。イベント。衣装作り。曲作り。それからワンマンライブ。
配信の回数を重ねるごとにみのりは「アイドルの花里 みのり」になっていった。
みのりだけじゃない。
「バラエティアイドル」としてお茶の間に親しまれていた桃井 愛莉はちゃんと「歌って踊れるスーパーアイドル」だった。
逆に日野森 雫は完璧ミステリアスの超人ではなくて「天然だけど努力を重ねて泥の中に輝くひとしずく」だった。
桐谷 遥はどこまでいっても桐谷 遥だったけど。
そして、コメント欄も悪意は減って好意的なものになりつつある。
『雫様今日も可愛い……今日のお味噌汁の具材なんですか』
『愛莉ハッピーペロリやってー!』
『みのり今日の踊り良かったじゃん』
『今日も遥ちゃん見れて幸せ。。。』
好意的になるのはいい。それはみのり達の頑張りが証明されたってことだから。
けれど、さ。
『みのりはオレたちが育てた』
「……なにそれ」
グロテスクだ。
吐き気を催す、とすら思う。
あの悪意のコメント達が?
頑張るみのりの姿を嘲笑い、ミスしたみのりのことを罵倒し、そこに在るみのりの存在を否定したコメント達が?
馬鹿げている。ふざけるな。
みのりの成長は、配信の裏でみのりが頑張った成果でしょ。みんなが育ててくれたんだよっていうのはみのりが言っていいことで、悪意を投げかけた側が言うことじゃないでしょ。
そりゃ、全員が全員、悪意ある言葉を投げかけたわけじゃないのはわかってる。このコメ主がそれをしたかなんか分からない。
けれど、育てたっていうくらいなら、あの悪意たちを見てきたんでしょ。私よりもずっと早く、もっとたくさん。なのにどうしてそんな、無神経なことを書き込めるの。
やっぱり、私の「理解」は正しかった。
「……、……やめよ」
これ以上は毒だ。いや、多分もう蝕まれている。
みのりのことを知りたいがために見ていたアーカイブだったのに、いつの間にか私の心には「みのりがアイドルになっていた」ことよりももっと大きな淀みが出来上がっていた。
この淀みが手につかなくなる前に、見るのをやめよう。そう思って配信アプリを閉じて、スマホをベッドに放り投げ──ようと、して。
スマホがメッセージの通知を知らせるように震えた。
誰だろう、こんな時間に。スマホを見ると、そこに鎮座していた文字は。
「……なんで、今なの」
†
この日空いてるんだけど、久しぶりに遊びたいから会えないかな!
そんなメッセージに十数分なんて返そうか迷ってたのは数日前のこと。結局私は会いたい、と返事していた。悩んでた時間が無駄に思えるくらいシンプルだった。
そして今はどうにもそわそわしてしまって、結局待ち合わせの時間よりも随分早く着いてしまったのでファストフード店で時間を潰してる。彼女にもすでに連絡済みだ。
どうしよう。冷静でいられるかな。だめかもしれない。
そんな風に焦るような気持ちでいる私自身を落ち着かせるために、お茶の入ったカップのストローに口をつけた。
「わーっ! ごめんね、おまたせなまえちゃんー!」
「……あ」
久しぶりに聞いたような、そうでもないような。少し高くて、明るくて、ぱっと花が咲いたような声がする。
ストローから口を離して顔を上げる。やっぱりそこには、久しぶりに見たようなそうでもないような、知った顔があった。
動画で見る「アイドル」の彼女ではなくて、私の中学時代の親友としての、花里 みのりが。
「久しぶり、みのり。私が早く着きすぎただけだから、気にしなくてよかったんだよ」
「でもでもー! もうちょっと通知に気がつくのが早ければもっと急いで来たのに!」
ばたばたと少し慌ただしい様子で席につくみのり。その様子は中学生の頃とあんまり変わってなくて、ああ、やっぱりこの子はずっとみのりなんだな、と当たり前のことを考えた。
真正面に座った彼女は、どこか少しぎこちない……というより、緊張しているような表情だった。私も同じだから、ちょっとわかる。久しぶりに友達と会うときって、こうなるよね。
でもだからといって何も話さない、というのも変だから。少しだけ、私から会話を切り出してみた。
「通知、気づかなかったんだ?」
「ちょっと昨日考えることいっぱいあって夜ふかししてたら、朝、寝坊しちゃって……えへへ……」
「配信の企画とか?」
「そうなの……って、えーっ!?」
みのりのやや大きくなった声が店内に響く。思わずこちらに身を乗り出しそうになっていたけれど、それはなんとか耐えたらしい。
けれど店内の視線が集まっていることに気がついて、少し気恥ずかしそうにはにかんだ。……アイドルとして活動しているんだから、もうちょっと身の振り方というか、バレないようにというか、そういうの身につけたほうがいいんじゃないかな、なんてお節介が顔を出した。
……だめな、兆候だ。
「し、知ってたのなまえちゃん……!」
「この前、ちょうど配信を見つけて」
アーカイブ漁ってましたとは流石に言えなかった。別に悪いことしてるわけじゃないはずなのに、なんとなく後ろめたい気持ちになるから。
そんなほの暗い気持ちを抱えている私とは対照的に、みのりはわあぁっと恥ずかしそうに頬を両手で抑えている。この様子だと知られていない、と思っていたのかな。
「きょ、今日発表するつもりだったのに……!」
「そうなの?」
直接、会って話そうとしてくれたのかな。アイドルになった、ってことを。
……そうだとしたら、私は凄く浅はかだった。勝手に「教えてもらえなかった」という事実を歪曲して、暗くなって、「そうするに値しない関係性だった」と結論づけてしまいそうになっていたんだから。そんな結論が出る前に、もっと大きな感情に溺れそうになってアーカイブを漁るのやめたんだけど。
ああ、でも、そうだ。
そうじゃないと結論付けられて、それでも「こんなこと」を思ってしまっているのは、多分、隠しきれない。
「そうなのー! なまえちゃん、たくさん応援してくれてたから! 心配かけたくなかったし驚かせたくて、大きいことができてから教えようと思ってて……!」
「あはは、みのりらしい。……じゃあ改めて、聞かせてよ」
「え!? 改めてって……恥ずかしいよー!」
無理矢理口角を上げて笑顔を作る。
隠さなきゃ。隠さないと。おめでとうって言わないと。
だってこれは、みのりの意に反する感情だから。わかっている。これは心配なんて、そんな簡単な感情じゃない。
でも、私はアイドルでも女優でも何でもない。だからその笑顔は、全然自然じゃなかったんだと思う。
「……なまえちゃん? どうかした?」
「……どうして?」
「なんだか、辛そうだから……」
私がみのりの顔色でちょっとした不調がわかるように、みのりの方もそうなのかもしれない。自然じゃない笑顔で、みのりは私が辛そうだってことに気がついてしまった。
御せない。隠しきらなきゃいけなかったのに。おめでとうって言いたかったのに。みのりがまっすぐと、私を心配するような目で見てくれるから。
私はこれから、みのりに酷いことを言ってしまう。
「……みのりが、ずっと夢だったことを叶えられて、嬉しいし、応援したい気持ちはあるの。それを念頭に置いててほしいんだけど」
「うん」
「アイドル、やめない?」
怖かったから視線が下がった。けれどそれはちょっとずるいな、って思ったから顔を上げる。
みのりは少しだけ驚いたような、それでもなんとなく予期していたような、そんな顔をしている。それから、どうして? と優しく問いかけるように、眉を下げて首を傾げていた。
やめないよ、って強く言い返してくれたら良かったのに、なんてずるい考えが出てきてしまう。でもみのりは優しくてそうしてくれないから、私はどこまでも醜くなっていく。
「アーカイブ、見たの。コメント付きで。初期の配信、ひどかったね」
「え、えへへ……お恥ずかしい限りで……」
「ううん、みのりじゃない。みのりは……いや、うん、ちょっとそこは置いとくけど。みのりじゃなくて、コメントの方」
「……えっと……」
「分かってるよ。大丈夫。今ファンになってくれてる人たちもいるだろうから、悪く言いたくないと思う。だからみのりは口にしなくていいよ。でも私は言っちゃう。みのりの友達として、みのりに、それから今ファンかもしれないあの頃のコメントたちに酷いことを言う」
なんだかおこがましくて、親友とは言えなかった。……言いたくなかった。こんなに惨いことを言う私が、こんなに良い子なみのりの親友だなんて、そんな傲れなかった。
傷つけてるんだろうな、と分かってはいた。けれどもう止まれなかった。こんなの自己満足でしかないんだけれども、それでも、私は「それ」が嫌だった。
「……人ってさ、酷いよね。画面の向こうのアイドルが傷つかないって思って、平気でグロいことまで言うの。そりゃ直接的な言葉はアプリが止めてくれるけど、そうじゃない言葉は止めてくれないの」
「なまえちゃん……」
「桃井 愛莉が事務所を辞めたとき。日野森 雫がチアデを卒業したとき。桐谷 遥がアイドルを辞めたとき。凄かったよね、SNS。全然関係のない私まで病みそうなくらいだったよ。なのにさ、三人がアイドルに戻ったら手のひら返して。笑っちゃう」
笑っちゃう、なんて言ってるけど、笑えないよ。モモジャンのアーカイブ自体は楽しいけど、コメントを見て笑えた瞬間なんか一瞬たりともなかったよ。
また自然に視線が落ちていく。もう上げることはできなかった。だから誤魔化すように、お茶の入ったカップを握る。もう随分とぬるくなっていた。
「……みんなアイドルのこと、コンテンツとしか思ってない。いや、多分そうじゃない人もいるけど、でも大多数はそうなんだよ」
私の「理解」はそれだった。
みんな画面の向こうのアイドルは「生きた人間」だって、わかったふりをしてるだけ。その実本心ではコンテンツとしての偶像を見ているだけ。
そうじゃなかったら、チアデじゃないモモジャンとしての日野森 雫に前までと変わったなんて言えるわけ無い。バラドルじゃないモモジャンとしての桃井 愛莉にバラドルとしての振る舞いを意味なく求めたりできない。
アイドルは、コンテンツとして見られる。
だから無邪気に悪意のある言葉を投げつけられる。だって標的はコンテンツだから。だから悪気なく邪な言葉を縫い付けられる。だって布地はコンテンツだから。
そして多分、私もそうだった。みのりという友人がアイドルになったから気がつけただけで、そうならなかったら、私はアイドルのことを生きた人間として扱えていたのかわからない。
「……っ、私は、……」
「なまえちゃ、」
「みのりが、コンテンツとして消費されることが、嫌だ……!」
口に出して改めて思う。これは恐ろしく傲慢な祈りだ。恐ろしく幼稚な独占欲だ。
そんな独りよがりでみのりの夢を奪っていいわけがない。小学生の頃からずっとアイドルを目指していたみのりの夢を遮っていいわけがない。
そしてこんな言葉で、みのりがアイドルを辞めることなんかない。
それでもこれが、どうしようもない、毒だった。
アーカイブを見て、コメントを見て、じわじわと私を侵していった毒だった。
自分が大事に思っていた──少なくとも私が親友だと思っていた子が、アイドルであるというただそれだけで、コンテンツとして消費されることが、嫌だった。
コンテンツというものは私が思うよりきっと、もっと苦しい。
大衆の飽きも、悪意も、ときには好意すらも全部敵になってしまう。飽きたら捨てられる、隙を見せれば悪意を投げつけられる。逆に好かれれば「求める偶像」であることを強いられ──それに追随するかはそれこそアイドル本人たちの意思によるのだろうけど──、それから外れればやっぱり石を投げられる。
そうして潰されていった人は、私が思い描くよりもずっとずっと多いはずだ。
耐えられない。
そんなふうにしてみのりが消費されてすり減らされていくことが、私は、耐えられない。
みのりがさっき少しだけ言った「心配かけたくない」というのも、多分このことだったのだと思う。みのりへの暴言コメント、コンテンツ扱いなんか見たら、私はきっと心配するし、怒るから。
でもねみのり、いつ伝えてくれても多分、一緒だったよ。だって私はこんなに、自分勝手だから。
今だってこうやって、心の中でだけど、みのりにこんなこと思ってるわけだし。責任転嫁だなぁ、って、自分でも思うくらい。
しばらくの沈黙が横たわった。
多分傍から見たら異様な空間だったと思う。さっきまで和やかそうにしていた私達の間に流れてるのが、こんな不味さなんだから。
傷つけたかな。傷つけただろうな。
会うべきじゃなかったのかもな、悩んでる時間でやっぱり断るって決断を下すべきだったんだ。
でも、でもねみのり。直接おめでとうって言いたかったのは本当だったんだよ。
もうそれも叶わないな。もう会わないようにしないといけないかもな。じゃあどうやってばいばいをしようかな。これ以上傷つけないようなばいばいの言葉なんてあるのかな。
そんな風に言葉を頭の中で探していると、カップを握っていた手が少しだけ温かくなった。視線をそちらに動かすと、手が重ねられている。
……みのり?
「なまえちゃん、ありがとう。心配かけちゃってごめんね」
「……心配なんかじゃない。これは……」
「ううん、心配だよ! でもねわたし、アイドル辞めないよ」
知っている。
私のこんな言葉でやめるなら、オーディションに五件くらい落ちた時点で諦めてただろうし。
みのりがそうしないのは当然だ。ずっとずっと目指していた夢で、何物にも代えがたい想いだから。
なのに、それをわかってみのりを傷つけることを言った私のこれが、心配なんて綺麗な言葉で飾っていいものか。自己愛じゃなかったらなんだって言うんだろう。
「……えっと、上手くは言えないんだけど! なまえちゃんが言ってくれること、分かるよ。わたしって遥ちゃん達の隣に並ぶにはまだまだだし、それで……ヘコんじゃうこともあるけど」
言葉を選んでいるみのりに優しいな、とぼんやり思う。
凹むこともあるって、つまりそれは悪意を痛がってるって言いたいわけだもん。けれどみのりは、アイドルだからこそ、コメントをコンテンツとして扱わずに、今ここにいないコメ主達を傷つけてしまわないように、大事に大事に扱って言葉を選んだ。
……だから、みのりは、アイドルなんだろうな。
「でも! わたしは大丈夫! もちろん、いっぱいつまづいちゃうと思うけど……」
「…………」
「もっともっと、みんなに希望を届けられるアイドルになりたいの。なまえちゃんが心配なんかしちゃわないくらい、笑顔を届けられるアイドルになりたいの。なまえちゃんが安心して笑顔でいてくれるような、そんなアイドルに」
ぎゅ、と、手に込められる力が強くなる。けれどそれは決して痛くなくて、私を安心させるような、宥めるような、そんな温かい手だった。
でも、でもだ。いくらみのりがそうやって思って、仮にそうなれたとしても、アイドルをコンテンツとして扱う人たちがいることに変わりはないんだよ。
「みのりは、娯楽じゃないんだよ」
「うん」
「私の友達、私の大切な人」
「えへへ、照れちゃうな……」
「だから、アイドルの花里 みのりが、消費されていくのは嫌だ……」
「だいじょうぶ!」
重ねられていた手が取られる。それから今度は、両手でぎゅぅ、と握りしめられた。やっぱり痛くなくて、優しい暖かさだった。
聞こえてきた声は本当に本当に力強くて、これからの先を見据えているような、明るい声だった。
釣られて恐る恐る顔を上げる。みのりは、私を見てまっすぐと笑っていた。
「もしもなまえちゃんが心配することが本当に起こっちゃっても、わたしはだいじょうぶ。だって、なまえちゃんは……なまえちゃんだけは、絶対に、わたしの親友でいてくれるもん」
「……それは……」
一瞬、みのりのこと疑いそうになったのに。伝えてくれない関係性だったんだって、みのりのこと少しだけ恨めしく思っちゃったのに。
そう伝えれば、早くに伝えなかったわたしもダメダメだったからおあいこだよ! とまた笑って。
「なまえちゃんがわたしのこと、花里 みのりだって、わかってくれるもん。だから、わたしはわたしのまま……うん、ちゃんと、改めて言うね」
「……うん」
「花里 みのり、もっともっと、みんなに希望を、そしてなまえちゃんに笑顔を届けられる……そんなアイドルになります!」
「……綺麗事だなぁ、もう……」
「えへへ……」
心の淀みは、まだわだかまったままだったけど。
みのりの笑顔に照らされて、多分いつか本当に、そんなのはどうでもいいものになっていく。……そうしてもらわないと困る。それがきっと、みのりが目指すアイドルになっていくってことだから。
希望を届けられるアイドルになる、なんてすごく途方もない夢だと思う。
きっと、傷つくことだってたくさん出てくると思う。私が想像するよりもたくさん傷ついてきたと思う。
それでも止めたって意味ないんだろうね。むしろ止めた私を引き上げちゃうくらい眩しい笑顔を向けてくれてしまうから。
「……モモジャンのみのりを知ったのはこの前だったけど、『みのり』ファン最古参名乗ってもいい?」
「えっ!? うれしい……けど、でもー! なまえちゃんがファンになってくれるのはうれしいけどー! なまえちゃんは親友だから、えっとー!」
「じゃあ、みのりのファン最古参、兼、親友、で」
止められないなら、せめてみのりが消費されていくその場所で、私だけは彼女を、この観客という場所から守っていきたい。そうしたら、きっとみのりが傷つくことも減っていくかもしれない。
……なんて、私のこれも綺麗事だな。そうやって自嘲するように笑えば、みのりは何か勘違いしたように、嬉しそうに笑っていた。
理想的な綺麗事2024.05.24
Title...反転コンタクト