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同じ顔をください

※夢主≠部長
※夢主に姉がいます。



 ここから「卒業」するきっかけは多分人によって違うのだと思う。
 入学式で違和感を覚えた人とか、大きく姿の変わった知人を見たとか、再会の叶わない人に会ったとか──とにかく、いろいろ。
 とにかく、私も「卒業」した。してしまった。


「……──ちゃん?」


 私のことを別の名前で呼んだのは下の学年に在籍する響 鍵介くんだった。
 その名前は、知らないはずだった。というよりも、多分忘れていただけ。

 鍵介くんが私を呼んだその名を聞いて、私はすべてを思い出す。
 鍵介くんが呼んだその名前は、私の姉の名前だった。


「──あ、ぁ?」


 その瞬間、ざーざーと雑音が耳に届いた。
 世界は変容する。もしくは、あるべき姿を私の目に映す。

 視界にノイズがかかる。
 教室にいる何人かのクラスメイトの姿がみんな同じ顔になる。
 空には果てが生まれて、地に貼られたテクスチャはところどころ剥がれかけていて、──この世界は偽物だ、と目の前に突きつけられた。

 突然のことに脳の処理が追い付かない。
 目まぐるしく変わる世界、私を姉の名で呼んだ鍵介くん、姉を忘れていた私、それから、この、顔は。

 あまりの負荷にエラーを起こしたかのように、私の身体は動かなくなってしまう。
 彼に人違いですと言うことも、この場から逃げ出すことも出来ない。ただその場に膝をついて、がたがたと震える身体を抱くしか叶わない。
 どうしよう。どうしたらいいんだろう。吐きそうになるけれどそれすらできなくて、それから。


「……もしかして、貴方……」
「あ……」
「すみません、保健室にいきましょう。立てますか?」


 彼の優しい語りかけが怖い。姉の名前を知っている彼が、今の私を見て、私が私だと気がついたら、何を言うのだろう。
 けれど今の私はそれにすがるしかなかった。おかしく見えるこの世界で、唯一まともに見えたのが鍵介くんだったから。
 鍵介くんが私の肩を支える。なんとかそれを頼って立ち上がり、彼に導かれるまま私たちは保健室に向かった。





「失礼します、……よかった、誰もいない」


 誰もいない、と鍵介くんは言う。けれど中には何度もみた「同じ顔」の何かがそこにいて、私は思わず鍵介くんの方を見た。
 私の視線を受け取って、私が言いたいことを察したのだろう。鍵介くんは「あれはいいんです」と困ったように言った。いいって、どういうことなんだろう。
 さあ、と彼は私を中に入れる。それから私をソファに座らせて、彼は私の前に座った。じっと私を見ている彼の目はどこか空虚にも見える。


「えっと……、先輩、ですよね。なんとお呼びしたらいいですか?」
「……みょうじ……、みょうじ なまえ……」
「みょうじ、やっぱり……。なまえ先輩ですね。僕は響 鍵介……気軽に鍵介って呼んでください。それから、えっと……アレ、どう見えてますか?」


 アレ、と鍵介くんが指さしたのは保健室の椅子に座る、他のみんなと「同じ顔」を持った人だった。

 どうと、言われても。
 答え方に迷っていると鍵介くんが「保健室の先生に見えますか?」と聞いてきた。私が見ていた先生はもっと違う、綺麗な人だったから首をふる。
 そうですか、と息を吐き出した鍵介くんは言葉を選ぶように視線を宙に彷徨わせて、それからもう一つ何かを言うために口を開いた。


「……アレと同じ顔を、ここに来るまでに見ていますか?」
「……うん……」
「ああ、やっぱり」


 はぁ、と大げさな溜息が聞こえた。
 やっぱり、とは何のことだろう。私がこんな思いをしている理由を、鍵介くんは知っているのだろうか。
 不安な気持ちが顔に出ていたらしい、鍵介くんが「すみません」とまたわざとらしく謝って私を見た。


「まずは、『卒業』お疲れ様です、なまえ先輩」
「え……」
「ここが現実じゃないって、気づきましたよね」
「……うん」
「それを『卒業』って呼んでいる人を見たので、真似して」


 思っていたことを言い当てられて口が淀む。

 鍵介くんが言ってることは本当は信じられないような、突拍子もないこと。ここが現実世界じゃないだなんて、そんなこと急に言われたって嘘じゃないかって思う。
 けど、私が目に入れる世界はとても現実には思えない。……それが、彼の言葉が事実であることの証拠なんだろうな。
 鍵介くんはどうやら困っているみたいだった。当然だろうな、目の前で急に人が、私が膝をついたのだから、それを見て困らないという方が難しい気がする。


「……多分、僕が『卒業』させてしまったんですよね。ここが現実じゃないって気が付いたの、僕の発言がきっかけでしょう?」
「……うん。そう、だと思う」
「ですよね」


 はあ、と大きなため息が聞こえてきて私は思わず肩を揺らした。
 何を思って彼がため息をついたのか、私にはわからない。わからないけど、咎められているような気がした。
 だって、この顔を見て私のことをお姉ちゃんの名前で呼んだんだ。つまりそれは、お姉ちゃんのことを知っているってことだもん。
 だったら、私がこの顔でいる理由とか、いろんなものを彼は疑問に思って、私の浅ましさを怒るはずだ。
 ……怖い。


「怖がらせましたか? すみません」
「……大丈夫、ごめんなさい……」
「いえ、僕の方こそ。もうちょっと気をつけておくべきでした」


 彼は咎めない。
 私を咎めない。
 どうしてと口を挟むことすら許さずに、鍵介くんは私の顔を覗き込んだ。


「ここでの見た目なんて、何にもあてにならないんですからね」


 浴びせられた言葉に、喉の奥が絞まった。

 ああ、思い出した。
 私のこの顔は、偽物だ。
 私がこの世界に来た時に、私をこの世界に呼んでくれたμが私の顔を、お姉ちゃんとおなじものにしてくれたんだ。

 お姉ちゃんは明るくて、誰とでも仲良くなれる人で。
 私は、そんなお姉ちゃんがだいすきで、羨ましかった。
 だから私はお姉ちゃんになりたかったんだと思う。その願いを叶えるためにμは、私をこの世界に連れてきて、私の顔をお姉ちゃんと同じ顔にしたんだ。
 それでそのことを忘れて、私は私の顔を疑問に思わず暮らしていた。
 それをたまたま、お姉ちゃんのことをたぶん知っていた鍵介君が私を見てお姉ちゃんの名前を呼んだことで、私はお姉ちゃんを思い出した。
 そのまま、この世界の形を認識したんだ。ここが現実じゃない、って。

 血の気が引いた。
 なんてことをしたのだろう。なんてことを望んだのだろう。私がお姉ちゃんと同じ顔になっても、お姉ちゃんになれるわけなかったのに。
 こんなことをして、お姉ちゃんのことすら忘れて、そんなひどいことって!

 そう思うと体の震えがまたやってきた。鍵介くんにこれ以上迷惑をかけてはいけないと思って体を抱く。
 けれどそんなことで震えが収まってくれるはずがない。私の震えに気が付いた鍵介くんは、寒いですか、と声をかけてくれた。


「違うの、違う……ごめんなさい、私……」
「……本当に、厄介なことしちゃったなあ……」
「ごめんなさい……」
「ああ、違うんですよ。なまえ先輩が厄介とか、そういうことじゃなくてですね。流石に『卒業』の責任は持ちますよってことです」


 責任って。
 だって鍵介くんは悪くないのに。お姉ちゃんと同じ顔のひとがいたら、その人がお姉ちゃんだと思うことは当然だ。私をお姉ちゃんの名前で呼ぶことだって。
 だから、そんなもの取る必要はないのに。
 申し訳なくなって、情けなくなって、思わず泣きそうになった。ごめん、と再三彼に言うと鍵介くんは眉を下げた。


「いいんですよ、別に。メビウス……ここには多かれ少なかれ願いを持った人が来て、μはそれを叶えている。願いを持つことは、まあ、悪いことじゃないんじゃないですかね」
「……咎めないの?」
「しませんよ、そんなこと」


 少しびっくりしましたけど、と付け足しながら、鍵介くんは私のソファの隣に座った。
 鍵介くんは相変わらず、どこか無気力でけだるげで空虚な目をしていたけれど、私を見る目はどこか温かく見える。


「あんまり、『卒業』したことは言いふらさないほうがいいです。面倒ごとに巻き込まれますからね」
「……鍵介くんも巻き込まれているの?」
「そりゃあもう!」
「……それでも、一人で抱えきれなくなったら?」
「その時は……、」


 んー、と考えるようなそぶりを見せた鍵介くんはすぐに私に笑いかける。
 どこか諦観のようなものを含んだ笑顔で、鍵介くんは言った。


「僕に『かえりたい』って言ってくれたら、それなりに力になるかもしれませんよ?」


 そういう鍵介くんの背に、何か羽のようなものが見えたのは、私の見間違いだったのだろうか。



同じ顔をください




2020.06.28
Title...反転コンタクト