※死に関する表現があります(=死ネタです)。苦手な方はご注意ください。
※男主
ベルナデッタが吹く楽器の音色が好きだった。
俺と彼女は良くも悪くも似たもの同士と言うやつだ。
人見知りが激しくて、外に出ることと引きこもることのどちらかを選べるのなら引きこもることを選ぶ。独りを好むし、多分孤独であっても生きていけた。
でも俺たちは別学級でありながら、他の関係ない誰かよりは関わりあったと思う。
同族意識、と言うやつだ。自分がされて嫌なことはベルナデッタも嫌だとわかっていたし、それはベルナデッタも同じだった。
だから俺たちは互いに必要以上に踏み込まず、それでも稀にある虚しさを紛らわせるために壁越しで会話をしていた。
それを彼女との関わりだと称していいのかは分からないけれど、俺はそれをそうだと認識していたし、ベルナデッタの方も少なからずそう思ってくれていた、と信じたい。
そんな寂しい関わりの中で、俺は何度か彼女の楽器の音色を聞いた。
それは多分、別に何ら特別なことではない。俺以外だって聞いたことがあるだろうし、本当にどうだっていいことのはずだ。
けれど俺はそれを本当に嬉しいことだと思った。たまたま聞いたのではなくて、ベルナデッタが聞かせてくれたその音色が愛おしかった。どうですかねぇ、なんて照れくさそうに言う彼女に情のようなものを抱いたのだ。
俺は、彼女の楽器の音色が好きだった。
†
五年前を回顧しながら歩く。
ベルグリーズ領グロンダーズ平原。そこはかつて鷲獅子戦が行われた場所であり、それから数日前に殺し合いがあった場所。
数多の亡骸が地に転がる。これはあの殺し合いで散った兵士たちだ。
帝国、王国、同盟。それぞれの信念を持って戦った兵士たちは、皆同じような顔を曝して野に伏している。
残酷だ。
帝国と王国、それから教会の戦争に、巻き込まれた同盟。この戦争が起きなければ、この場で死ななかった兵士は果たして何人いたのだろう。
特に思い入れがある訳では無いけれど、少しだけ彼らを哀れに思う。まったく傲慢な話だ、俺はたまたま生き残れただけだと言うのに。
歩く。真っ直ぐ、目的地に向かって。
途中足に当たった骸に意識をやることは無い。弔いのひとつでもしてやればいいのかもしれないが、この数をいちいち弔いなんてしていたら時間がいくらあっても足りやしない。
だから、赦してほしい。必要以上に荒らすつもりはないから、どうか。
心の中で懺悔しながら、俺は尚も歩く。
かつ、と足音が空に響いて顔を上げた。
階段の上にいるのに、空が嫌に遠くてため息をつく。遠いなぁと手を伸ばしたが、勿論それが空に届くことは無い。
当たり前か、なんて嗤いながら歩みを進める。
そのまま歩いて歩いて、たどり着いたのはこのグロンダーズ平原の中央にある高台の上。
高台を構成している木は焦げている。当然だ、ここは数日前の戦闘で帝国軍が火を放った場所なのだから。
沢山の亡骸を俺は無視する。なるべく踏まないように歩くけれど、どうしても踏んでしまった人には心の中で謝っておいた。
高台の上にある弓砲台の前に立つ。
そこだけ不自然に遺体がない。きっと見る人が見ればここに何かあるのだと勘づくだろう。勿論俺だって何にも知らなくても勘づく。
けれどこれは違う。俺が意図的にそうしたのだから。
その不自然に拓けた空間に手を翳して魔力を集める。ぐにゃりと空間が曲がったかと思えば、その空間にひびが入った。
音が鳴る。硝子の割れるような音。魔力が集束していく感覚が手先を覆ってひびが広がっていく。
ばりん、と一際大きな音がした。
反射的に伏せた目を開く。
不自然に拓けた空間は、今はもう自然な元の状態になっていた。
遺体。
遺体が転がっている。
紫色の髪を持った遺体が転がっている。
紫色の髪を持った、ところどころ焼けた遺体が転がっている。
紫色の髪を持った、ところどころ焼けた、──ベルナデッタの遺体が転がっている。
「…………、」
周りにある他の遺体よりも損壊は少なかった。ベルナデッタの命が途絶えたと知った瞬間に発動した魔術で、俺が彼女の体を隠したからだ。だからベルナデッタは必要以上にその体を壊すことは無かった。
なかった、のだけれど。
「これが戦争なんだよなぁ、ベルナデッタ」
ぽつりと呟いた言葉は誰にも聞かれることなく消えていったし、ベルナデッタが返事をすることだって勿論ない。
この虚しさを埋めていたのはいつだってベルナデッタだったのに、今はベルナデッタがそれを生み出しているのだと思うと無性に吐きたくなった。
頬に触れる。彼女の生前には叶わなかったこと。
俺の隠蔽魔法は彼女を外の刺激からは守ったけれど、内からの刺激にはどうにもならなかったらしい。恐らく柔かっただろうその頬はもう冷たい硬さだけを孕んでいる。
彼女がどんな温度で生きていたのかなんて知らないけど、多分もっと、温かだったんだろうなぁ。
顔を見る。この距離から彼女を見るのは初めてだった。
いつもは壁越しで会話していた。別学級の俺が彼女を見る時は決まって遠くからだった。
五年前無造作だった髪は整えられ、今は端々が焼けてはいるもののとても綺麗だと思う。
嫌がられてももっと近くで見ておくべきだったかな、なんて考えてやめた。たらればを考えても仕方が無いし、そもそも彼女はそれを厭うはずだ。
唇を指で押す。
ああ、固い。
俺は、ベルナデッタがこの唇で吹く楽器の音色が好きだった。
俺は、ベルナデッタがこの唇で紡ぐ彼女の声色が好きだった。
俺は、ベルナデッタが好きだった。
「……五年越しで気づくかな、普通」
漏れた本音に応答はない。
この口はもう、騒がしく鳴ることはないのだろう。
この口はもう、甲高く鳴ることはないのだろう。
この口はもう、──。
「どうですかねぇなんて照れくさそうに言うことも、ないんだな」
泣けなかった。
悲しいし、寂しい。けれど泣けなかった。敵軍にいた俺にその資格はそもそもないのかもしれないけど。
きっとこんなことになる前に彼女の手を取って彼女を自軍に引き入れるだとか、そもそも戦争から引き離すだとか、そういうことをしていればこの結末は無かった。
俺が、無力だった。
自分の気持ちに気づかなかった俺は、とてつもなく無力だった。
「……ベルナデッタ」
俺の小さな声が君の高い声と和音を奏でることはない。
きみの和音と手を取り合えない
2020.06.24
Title...ユリ柩