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出遭うべくして

※青獅子長編「鏡花水月」の夢主設定ですが、この小説のすべての記述は鏡花水月に影響を与えません。なにとぞご了承ください。




 平行世界というものがある、らしい。

 このアスク王国では異世界≠ゥら英雄≠ニ呼ばれる存在を召喚し、襲い来る戦から国を守っている。
 その召喚と呼ばれる行動の是非を問うわけではない──此方の世界における紋章や英雄の遺産のようなものなのだろう──し、自分が英雄なんて大それた名前を戴くような器かと疑問に思うことはあれど、自分の力が何かしらの役に立てるのであればそれは喜ばしいことだ。
 故にナマエは召喚を受け入れ、アスク王国の特務機関にて日夜を過ごしていた。幸いなことにディミトリやベレトといった知り合いたちも先に召喚されていたし、不安ではあったが孤独ではなかった。
 また自分の知らない知識を吸収できるまたとない機会であることも事実で、それがいつか自分の世界に帰ったときに生家──ゴーティエのためになれば、或いは用済みとなった自分のためになれば良いと考え、鍛錬や勉学に励む日々を送っている。

 その中で平行世界というものについても学んだ。
 曰く、「殆ど同じだけれども、何かが違う世界」。
 地名、歩んできた歴史、文化。そういったものは殆ど同じだが、何かが違ったり、変わっていたり、起こったり、逆に起こっていなかったりする世界。
 その何かは大小様々で、小さな変化で言えばとある人物が違う性別で生まれていたり──ルフレやカムイ、マーク、カンナ、クリスといった英雄が該当し、ナマエの先生たるベレトもどうやら平行世界に「ベレス」と言う名の女性の同一人物が存在するらしい──、大きな変化で言えば誰か一人の選択でその世界の歴史そのものがまるごと変わるようなものまで。
 それを知ったからどう、ということはなかった。知識として頭に入れておくのは当然だったが、それを利用するわけでも、自分に関係するわけでもなかったから。流石に「ベレス」の存在には驚いたが、慣れたらそう怖いものでもなく、彼女もやはり「先生」だったから。
 本当に、どうということはなかったのだ。この日までは。


「やぁ、お嬢さん。見たところ士官学校の生徒みたいだけど、エクラさんが呼んだ時代が違ったりするのかな? どうだい、俺と一緒にお茶でも」


 どうということは、なかったはずだった。
 目の前の知っているはずの人が、決して自分に向けてこなかった笑顔を浮かべるまでは。
 想定していなかったわけではない。そんな世界もあるのだろうと予測をしていた。していたのに、このざまだ。


「……ぁ、」


 ひゅぅ、と喉から空気が漏れた。声帯は意味のある振動をすることなく、ただ体内から押し出されるようにして抜けていく。呼吸がうまくできないな、と他人事のように思っていた。
 うすい、えがおだった。この人が、「女の子」に向ける笑顔だった。


「おっと、自己紹介が遅れた。俺はシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ」


 紡がれた名前が、遠かった。
 知っている。私は貴方を知っている。そんな言葉を綴れるわけがない。

 きっと彼は──この目の前にいるシルヴァンと名乗った彼は、自分の生まれた世界とは別の、つまり平行世界の人間なのだろう。そこでの彼は、彼と自分は、他人同士なのだ。
 ナマエが紋章を発現させなかったのか、発言させた上でゴーティエに取り入ることができなかったのか、取り入ろうとしなかったのか、そもそもナマエが生まれていないのか。
 その何れかを知る由もないが、兎角彼の世界ではナマエはナマエ=ミョウジ=ゴーティエと名乗ることはなかったのだろう。ナマエは、ただのナマエでしかなかった。彼の義妹になることは、彼が義兄になることは、なかったのだ。

 だからシルヴァンは至って普通に、当たり前のように、自衛のために、ナマエに声をかけた。いずれ来る不自由を受け入れるため、紋章という血を求める女から身を守るため。
 彼にとってのナマエは、その「女」でしかない。義妹には、なれない。

 ならば、自分はどうするべきか。答えは簡単だった。


「……ナマエと申します。お茶のお誘いは有り難いのですけれど、すみません。今はエクラ様に連絡事項があり、手を離せなくて」
「……おっと、そうかい?」


 薄く、うすく、笑顔を貼り付けた。上手く貼り付けられているだろうか、と考えている余裕はなかった。そもそも、そんなに上手く出来ているのならば、今シルヴァンは返答に少しの間を開けなかっただろう。
 なんだかんだ、やはりこの人は「シルヴァン」だ。ナマエが何かを濁したことを察して、深入りするわけでもなく、互いに苦しまぬようにと一線を引く。軽薄そうに見えて、その実ほんとうは優しくて臆病で、周りをきちんと見れる人。それがナマエの知るシルヴァンという人だった。
 そのやり方が義妹であるときのものと女であるときのもので少し違うのがどうしようもなく苦しいのだが、それを悟られるわけにはいかない。だからへらりと笑って、踵を返した。


「またお誘いください。手が空いている時であれば、慰みにお使いいただいて結構ですので」
「使うだなんてとんでもない! 君みたいな可愛い子とお茶出来るなら俺の方が使われるさ」


 うそがじょうずだな、と悪態にも似た感想が頭を掠めた。自分とは大違いだとも思った。その卑下が出てくるのであれば、悪態よりは褒め言葉なのかもしれない。
 自分は、嘘が下手だ。誘われたくない。慰みに使われたくない。このまま、笑っていられない。泣き出すのは時間の問題だったから、すぐにその場を去った。


(……いや、だな……)


 シルヴァンから離れて少し。淑女らしくないと思いつつも、ずるずると壁を伝ってへたり込んでしまう。

 理解はしていたし、実のところその可能性のほうが高いのではないかと思ってもいた。
 ナマエが今ゴーティエ家にいるのは数多の偶然が重なった故の結果でしかなく、その偶然が少しでも重ならなければありえない話だからだ。ナマエの紋章の有無、勉強の出来、父母の出会い、ゴーティエ辺境伯がナマエを認めるか否か……他にもきっとたくさんの偶然が絡み合ったのだろう。
 だから、その偶然が外れた世界の方がきっと多い。むしろ自分のいる世界こそが唯一なのかもしれない。そう考えていた。けれども、考えていたからといって実際にそれを目の当たりにしたときに対応できるかどうかというのはまた別の話だったらしい。


(……会いたくない……)


 わがままだな、と自虐する。伏した目から涙がこぼれそうになって慌てて袖で拭った。
 本当は少しだけ待っていたのかもしれない。ディミトリやベレトがいたとしても、やはりそれは義兄ではないから。なんともないように思っていたが、心の底ではシルヴァンが召喚されるのを待っていたのだと思う。
 けれど、だからといって、と情けない気持ちになる。いざ召喚されたシルヴァンが自分を知らないというただそれだけで、会いたくないとまで思ってしまうなんて。
 情けないし、醜い。今の自分を見られれば、きっと実母からは折檻を受けていただろう。ゴーティエ家の養子になんてきっとなれなかった。


「……その方が良かった……」


 ぽろりと口から溢れたのはいつも押しとどめていた本音。胸の奥底に隠していた、もうないと思っていたそれが、喉の奥からついというようにこぼれ落ちた。
 自分はゴーティエの養子になんてなるべきではなかった。義妹なんてものをあの人に背負わせるべきではなかった。そんなものを背負わない「シルヴァン」を見てしまって、余計にそう思う。
 彼がどのように生きているかは知らないが、彼がシルヴァンである以上──そしてマイクランが紋章を持つ世界でない以上──彼がゴーティエの嫡子であるということに変わりはないだろう。そしてその生き方も多分、義妹が関わらない部分での此方のシルヴァンと早々変わらないはずだ。
 ならばと改めて、義妹なんていう重荷を背負わされてしまった自分の義兄に対し、ものすごく申し訳なく感じてしまうのだ。自分という負荷がなければ多少なりとも楽に生きられていたのではないかと考えてしまうと、もうそれが頭から離れてくれなくなってしまう。


「私は、ゴーティエの養子になってはいけなかった……」
「それをここで言うのはお前の自由だが、元の世界に戻ったあとシルヴァンの前で言うのはよしてやれ」
「……っ!」


 どこか聞き覚えのある声がした。記憶よりも低く、やや達観したような声ではあったけれど。
 弾かれるように顔を上げる。自分がひどい顔をしているだろうという予想が追いついたのはその数秒後だったが、しかしそんなものに構っている暇はなかった。

 金色が揺れる。片方の青い瞳がこちらを見ている。
 その精悍な顔つきは王子様然とした印象はどこか薄れているが、見間違えるはずがなかった。
 自分が知っている彼とは少し違っていて、これも平行世界の賜物なのかと一瞬かけめぐる。恐る恐る口を開いて、その人の名を呼んだ。


「……ディミトリ様……?」
「お前から見て五年後の、という注釈がつくがな」


 ……召喚士エクラから聞いたことがある。召喚される英雄は同じ時代から呼ばれるとは限らない、と。
 わかりやすい例で言うとロイとエリウッド、セリスとシグルドらだっただろうか。彼らは親子で、元の世界では共に戦場を駆けることはなかった。しかし此方の世界に召喚される際に時代にずれが生じ、彼らが似たような年代で召喚された結果、共に戦場を駆けることが叶っている。

 そして彼が今つけた注釈。
 つまりここにいるディミトリは──ナマエからすれば、五年後の未来から呼ばれた英雄だ、ということになる。


「っ、その、……ええと、」


 戸惑いが喉を締め付ける。
 聞きたいことはいくらかある。今まで出会ったことがなかった彼がなぜ今ここにいるのか、五年後の自分たちはどうなっているのか、その眼帯は如何したのか、そもそもこのディミトリはナマエを知っているのか──。
 彷徨く視線を受け取ったらしいディミトリは小さく息を吐いて、項垂れていたナマエと同じようにその場に座り込んだ。慌てて立ち上がろうとしたが片手で制されたのでおとなしく従うことにする。


「……俺達が歩んだ五年を、お前たちに知られるわけにはいかない。俺達の五年を、お前たちに押し付けてはいけない。そう思って、俺達はなるべく五年前のお前たちには接触しないようにしていた」
「そう……ですか」
「それから少なくとも俺は、お前がナマエ=ミョウジ=ゴーティエだということを知っている」
「……っ」


 なぜ、どうして。
 色々な言葉はあったが、全て吹き飛んだような心地だった。ナマエ=ミョウジ=ゴーティエであることを知っている。それは紛れもなく、このディミトリがナマエのことを知っているという証左に他ならない。
 彼の世界のナマエがナマエ=ミョウジ=ゴーティエとして名乗っているのであれば──つまりゴーティエの養子として存在しているのなら、間違いなくディミトリと顔を合わせることになっていただろう。出会い方はどうであれ、だ。

 口ごもる。
 ならば先程の独り言は聞かれるべきではなかった。どういう形であれ、ファーガス王家の人間に「自分はゴーティエ辺境伯の子供であることが嫌です」だなんて聞かせるべきではない。それはファーガス王家への不義として処理されてもおかしくない言葉なのだから。
 こんなところで鉢合わせると思っていなかった、なんていうその場しのぎの言い訳をするわけにもいかない。叱られても仕方ない、と思わず目をぎゅっと瞑った。
 しかし降ってきたのは叱責でも、失望でもなく。


「……あまりお前に干渉するつもりはないのだが、お前がそれを吐き出すことで楽になるなら、聞き役に徹するくらいはしてやれる」
「……え……」
「これでも五年、お前と共にあったからな。……今のお前が何を考えているかは、だいたい知っているさ」


 いったい、五年後の自分はこの人になにをしでかしたのだろう。聞いたところできっと答えてはくれないのだろうし、聞いたとしても多分自分がもっと惨めになるだけだろうと推測出来てしまうのでその疑問が口をつくことはなかった。
 その代わりとでも言うように、彼が──ディミトリが口にした言葉の一つ一つが許しに聞こえたからか、ほろほろと雫が頬を伝うのを感じてしまって、また顔を伏せる。それに伴って重力に従うように、するりと言葉が落ちていった。


「……別世界のシルヴァン義兄さまは、私を知らなかったのです」
「ああ」
「それはつまり、妹という重荷を背負わなかったということで」
「うん」
「……本来の、義妹を得なかった『シルヴァンさま』は、私を守るために行動する必要なんてなかったのです」


 私がいなければ、と口をついた。言うべきでないと理解していても、堰を切って溢れた流れを止める方法を知らない。

 自分に向けられる疎ましいものを見る目。それから守るために前に立ってくれたことがあった。
 自分の両親が、自分以外のものを守って没したと知った日。すべての敵から守ってくれるように抱きしめてくれたことがあった。
 そのどれもが嬉しくて、そのどれもが申し訳なかった。血はほとんど繋がっていない、紋章があるというそれだけで湧いて出た妹に、そこまでさせてしまっているという事実が苦しかった。
 ただでさえ来る不自由を受け入れようとしている彼を、さらに縛ってしまっているようで。

 言葉はやがて嗚咽になる。声帯は意味のない音をあげるだけで、伝達の能力を果たしてはくれない。
 アスク王城の一角に、暫しナマエの泣き声だけが響く。終わりを告げたのは、隣にいる五年後の主だった。


「……それでも、俺はナマエ、お前がいてくれてよかったと思っている」
「っひ、……っく、……っ」
「俺だけじゃない。俺が知るお前の親友も、悪友も、きっと」


 イングリットとフェリクスの顔が過る。
 彼らにも、そしてディミトリにも、自分のせいで何かしらを背負わせたような気持ちはある。けれど、彼らはそれを受け入れてくれている。それはきっととても恵まれていて、幸運なことだ。
 それから、とディミトリは続けた。


「シルヴァンも、な」
「……っふ、うぅ、」
「あいつは躱し方が上手い……いや、女性関係はよく失敗してはいたが。そうではなくてもっと深いところでの躱し方が上手いのは、ナマエもよく知っているだろう」


 こくり、と小さく頷く。吃逆は収まってきたがやはり声はうまく出てくれないので、失礼だとは思いながらもそうするしか出来なかった。
 ふわ、と頭の上に何かが触れる感覚がする。……撫でられて、いた。


「背負いたくないなら、ナマエのことだってうまく躱していたはずだ。そうしていないのは、ナマエが義妹であることを好ましく思っているのだろう」
「……っ、」


 そんなふうに、思っていいのだろうか。
 ディミトリの言葉を、そして元の世界にいる義兄のシルヴァンのことを疑うわけではない。一番信じることができないのは、何よりも自分自身であるだけで。
 義妹であることを、ちゃんと咀嚼していいのだろうか。そうでない世界があることを知ってしまった今、胸を張ってそれを主張できるだろうか。
 はく、と口を開く。何か言うべきな気がして、しかし何を言えばいいのかわからなかった。ここにいるディミトリはそれでもいいと言うように待っていてくれていたが──。


「……長居をしすぎたな、そろそろだろう」
「……?」
「あまり、五年前のお前たちに会うべきではないからな」


 ディミトリはその場を立った。届かなくなる瞬間まで頭を撫でてくれていた手はとても大きく感じたし、何処か優しい手つきだとも思う。
 同じように立とうとしたらまた制されてしまう。主に対する態度としてこれが不適切なのは嫌でもわかるので居心地が悪かったが、それすらも見透かしたようにディミトリは笑った。


「……俺達がここで会ったことは内緒だ。五年前の俺自身にも、先生にも、……ついでに、お前から見て五年後のクロードたちにも言わないでもらえると助かる」
「クロード様たち……」
「そういう取り決めだからな」
「ならば、どうして私の前に姿を表していただけたのですか」
「泣いている幼馴染を放っておけるほど化物ではないというだけさ」


 ばけもの、と己を称するディミトリに喉が詰まった。自虐なのか、あるいは。その真偽はどうあれ、今のナマエにとってはディミトリが化物になんて見えるはずもないのに。
 しぃ、と人差し指を立て、ディミトリは続ける。


「お前はもう少しここにいるといい。……多分、俺達の『先生』が上手くやってくれているだろうし、お前を知らないあいつだとしても、あいつは『シルヴァン』だからな」
「それは、どういう──」
「っと、そろそろ本当に行かないといけないな。……もう戦場以外でお前の前に姿を表すことはないだろうが、俺はお前を気にかけている」


 それは忘れないでくれと言う声が、少しだけ懺悔のように聞こえた。どういうこと、と顔を上げたが、そこにディミトリの姿はなかった。
 自分は幻でも見ていたのだろうか。そう思わせるほどの静けさがそこにあって、けれど頭を撫でられた感覚は消えていない。

 不思議な感覚だ。
 五年後の主人。眼帯。少し変わった雰囲気。そのどれもが、今のディミトリと結びつくような、それでいて何か歪なような──。
 そんな思索に耽るナマエの耳に、なにやら騒がしい、どたばたとした足音が聞こえてきた。
 あ、と立ち上がろうとする。泣き崩れて座り込んでいる姿を──一番見られるべきでないディミトリに見られてるとはいえ──これ以上誰かに見せるわけにはいかない。そう思って行動に移そうとしたというのに、それよりも早くその人影はこちらに現れた。


「……っ、ナマエ!」
「…………!」


 見慣れた朱色が揺れていた。自分によく似た茶色がこちらを見ていた。聞き馴染んだような声が名前を呼んでいた。
 一瞬『義兄』だと錯覚してしまうほどの近似値がそこにいる。走ってきたのか薄い汗を浮かべて、やや戸惑ったような茶色が此方を認めた。
 立ち上がろうとしていたが、その瞳に射抜かれて動けなくなる。代わりに震える口を無理やり開いた。


「……シルヴァン様、でしたね。何か御用でも──」
「……先生から聞いたよ」
「……っ」


 語りかける語尾は「女の子」に対するものだ。だが、その声音はどちらかというと「身内」に対するものだった。その機微がわからないほど蚊帳の外ではなかったし、それくらいには元の世界でナマエはシルヴァンの義妹だった。
 きっとシルヴァンは先生から聞いたのだろう。先生は懇切丁寧に、拗れないようにと説明したのだろう。自分たちの関係を。


「……義妹、なんだってな」
「…………、はい」
「その、……政争に巻き込まれた、って感じで」
「そういうことになります、でしょうか」


 本当に説明をするのなら政争だなんて大きな話ではないのだけれど、今知ってもらう分にはそれで十分だと思った。ベレトも同じ思いでそう説明したのだろう。
 ああ、あの人はどこまでも私達の教師なのだ、と思い知らされる。もしかしたら別の世界の先生なのかもしれないが、それでもやはり、自分たちをよく見て、どうすればうまく導けるのかを考えてくれる人なのだ。
 だからこれは、先生が背中を押してくれている状況なのだろう。ナマエにとっても、シルヴァンにとっても。


「……俺は、その。君が義妹だって知らなくて、だからさっきも軽々しく……いや、悪かった」
「重々承知です。……義兄さまは私のこと口説きませんもの」
「はは……、そっちの俺は随分理性が強いっていうか。こんなかわいい義妹いたら口説いちまうと思うんだけど……いや流石に倫理的にまずいかね?」
「……口説く必要がないくらい、良くしてくださっています」


 きゅ、と拳を胸元で握る。震える手を止めるために。
 ずっと守られてきたのだ。表向き見せる軽薄な顔の裏で、ナマエが少しでも不利益を被らないようにと。ナマエに向けられる妬みや嫉みの視線を少しでも反らせるようにと、ずっとずっと守ってくれていたのだ。
 だから、ナマエはシルヴァンの義妹であれた。そうありたいと思って、そうでない世界に動揺してしまったくらいに。


「それで……その。……俺は義妹とかいないから、君に対する態度も、どうしたって義兄のそれには出来ないんだけど」
「一朝一夕で慣れるものではありませんもの、……どうかお気になさらず」
「あぁー、うん、……いや、でも、なんというか」


 あー、とかうー、とか、なんとか言葉を探そうとしているシルヴァンを見てふと思い出す。両親の死を告げられた日もそうだったな、と。
 この人は、ちゃんと言葉を選んでくれるのだ。こちらを慮って、最適な言葉を、ちゃんと届けてくれるのだ。自分が大事にしたいと思う相手には特に。
 そういった意味でやはりこの人は『シルヴァン』に他ならない。ディミトリが言っていた意味をきちんと理解できた気がした。そしてその『シルヴァン』だからこそ、ナマエも義妹として振る舞えていた。
 言葉を選び終えたらしいシルヴァンが再びこちらを見る。歩み寄って、しゃがみこんで、視線を揃えた。


「君の……お前、のそれも、多分、素じゃないんだろう」
「…………」
「多分、俺が義兄じゃないと理解したから、無理矢理畏まって……、そういうの、あんまりさせたくねえな、って思うんだよ」
「……どうして?」
「どうして、って言われると答えづらいけど。女の子を誑すんなら、君には笑顔が似合うから、とか」
「もう」
「冗談。……ここにいる俺は義兄にはなれなくても、他の世界で義妹をしてくれてたナマエを蔑ろにはしたくねえな、って」


 有り体に言うと、と付け足す。
 此方を見る茶色はまだどこか戸惑いが隠れている。けれど、最初に見せてくれたうすいえがおは鳴りを潜め、そこにいるシルヴァンは、ナマエのよく知る義兄のそれとよく似ていた。


「……『俺』が大事にしていたナマエともうちょっと、仲良くなってみたい、というか」
「……っふ、ふふ」
「おい、俺は真剣に──」
「えぇ、……知ってるわ。私のシルヴァン義兄さまも、そういう人だもの」
「……それが素かい?」
「素、かしら。ちょっと自分でも、わからないけど。でも、義兄さまと関わるときは、こうだったの」


 自分も多分、きちんと笑えている。貼り付けたような笑顔ではなくて、自然に。
 ぱち、ぱち、とシルヴァンが何度か瞬きをする。それからふは、と噴き出したように笑って。


「そっちのほうがかわいいよ、ナマエ」
「──……私を口説く必要はありません、シルヴァンさま」
「あ、いや、だから取り繕うなって──」


 冗談よ、と返せばぎこちない、しかし身内に向ける顔で苦笑いを零す。
 慣れていくのに時間はかかるのだろう。ナマエもシルヴァンも。けれど兄妹として知り合わなくとも、何かきっかけがあればこうして話せるのかもしれないという事実が胸にじわりと暖かく広がった。
 そうしてやっぱり、このシルヴァンという人間が側にいてくれているという事実を、この世界でも、元の世界でも、愛おしく思うのだ。



出遭うべくして



2024.03.11
Title...ユリ柩