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愛だ恋だと声をあげるな

※蒼月以外




「フェリクス様、聞きました。グレン様、イングリット様と婚約なされたのですね」


 ナマエがいきなりそんなことを言うので、握っていた訓練用の剣を落としそうになった。それから少しだけして、意識しないままに息が深く吐き出された。吐き出してしまった、ともいう。
 常日ごろから訓練中に声はかけるなと言っているのに、そもそも従者だからとつきまとうなと言っているのに、この従者は聞いた試しがない。それもよりによって、その話題か。
 このお喋り好きが話題にしないことはないだろうと予測はしていたが、想像していたよりずっと早い。……いや、まあ、隠し事ではなく、家の中の者たちはその話をよく耳にしていたことだろうから、こいつの耳に届くのだって時間の問題ではあったか。
 だからといって、このことに関して何か話したいわけではない。兄上と幼馴染の婚約。ただそれだけであって、何かが大きく変わるわけでもないのだから。
 しかしこの物好きが俺と同じ気持ちであるはずはない。喋っていないと死ぬのか、そういう話がしたいのか、俺にこいつの気持ちはわからないが──そして分かりたくもないが──俺のため息を無視して再び口を開いた。


「愛なのでしょうか、恋なのでしょうか」
「はぁ?」


 年頃の女はそういう話を好むと(主にシルヴァンから)聞いている。こいつも例に漏れずそうなのだろう。
 だとしたら──、否。だとしても、俺にその話を振るのはどう考えたって考えなしだ。
 シルヴァンとその話をするのならいくらでもしてくれればいい、あくまでも俺のいない場所でだが。だが俺にその話を振ったとて、俺がその話に乗り気で会話するはずもないだろうに。


「俺が知るはずないだろう、そんなもの」
「お二人の一番近くにいらっしゃるのはフェリクス様なのですし。案外、ということもあるかもしれないと思って」
「その話は今しなければならんことか?」
「いいえ。それでもただの雑談をしたくなることもありましょう」


 さも当然かのように、素知らぬ顔でナマエは言う。はた迷惑な女だ、と心の中で悪態をついたところでその悪態がナマエに届くことはない。そもそもこの悪態を聞いたところでこいつの態度が変わるとも思わないが。……家の決まりとはいえ、面倒なやつが己の従者になったなと改めて強く思った。
 それで、なんだったか、と話の内容を鼓膜の奥から反芻する。律儀に付き合ってやる必要もないのにそうしてしまうのは、長年の関わりで出来てしまった情と言うやつだろうか。


「愛とか恋とか、そういうものはさして重要でもないだろう」
「……フェリクス様って冷めてますよねえ」
「事実だし今更だ。……そもそも此度の婚約にそういうものは必要ない」


 そう、不要だ。だからこいつを含めた家の者共が騒いでいる理由がわからない。
 俺達ファーガス神聖王国の貴族にとって、「紋章持ち」であることは非常に重要な事柄だ。そしてイングリットはそれを持っていて、血、そして紋章の繋がりを強めるためにフラルダリウス家もそれを欲した。
 たったそれだけの事象。特別なことなど何もない、本人たちの感情など関係ない。感傷を持つ必要だってない。


「それでも、」


 それでも、とつぶやくナマエの目は、何かしらの熱に焦がされているような色をしていた。





「それでもやはり、愛はあったのだと思います」
「…………」


 ダスカーの民に王族たちが襲われた。
 王子であるディミトリだけが生き残り、ディミトリの父である国王も、継母もいなくなった。

 殺された。皆、殺された。
 ……ディミトリに同行していた、兄上も。
 父はそれを騎士の誉れと称した。イングリットも理想の騎士そのものだと言う。

 反吐が出る。
 あんな末路が騎士であってたまるか。あんなものが騎士であるならば、騎士道などというものは吐き気を催すものでしかない。
 父のあの言葉も、イングリットの憧れも、全てが俺の理解の外にあるものだった。
 ついでに、ナマエの今の言葉もだ。


「何が言いたい」
「いいえ、何も難しい話ではありません。グレン様とイングリット様の話です」


 手元の書類に目を通しながら──なんの書類かは知らん──ナマエは言う。
 間が悪いやつだ。狙ってやっているのかもしれないが、国全体が王の死を嘆き、悲しみ、悼む今、それに巻き込まれた男の話を出すナマエの心境が俺には分からない。それもよりによって、弟たる俺に。弟だからなのかもしれないが。


「イングリット様、あれからお部屋に引き篭もっていらっしゃるのでしょう」


 筆を走らせ、次の書類へと目を通す。奴の頭の中でいくつの話が並行で進められているのかは分からないが、よくもまぁそんなにすらすらと処理できるものだ。
 呆れにも似た感心を抱きながら視線だけを移してやる。応えてやるのも馬鹿馬鹿しい話ではあるが、幼馴染の名前を出されて無視してやるほど非情にはなれなかった。今は特に、だ。

 ナマエの言う通りだ。
 あの事件があってからイングリットは部屋に引き篭もっていると聞いた。くだらん会合に顔を出すこともなくなり、あの姦しい声を聞くこともなくなった。……いや、イングリットがそんな声を出すのはシルヴァンが馬鹿をやるからこそ、だったが。
 それほどまでにあの事件は大きな衝撃だったのだろう。だがそれだけなのかと問われると恐らくは違う。

 親しい者。その死。
 それがあって初めて、あいつがそんなにも追い詰められるのだと頭ではわかっている。
 だがだからこそ理解できなかった。奴が兄上を理想の騎士そのものなどと述べた理由も、それを発しながらも己の中に閉じこもってしまう訳も。
 理想の騎士などと宣うのであればそれに近づく努力をすれば良い。死を恐れるのであればそうならぬように鍛錬を行えばいい。
 けれども、奴はあんなことを言いながら、結局一人で泣くことを選んだ。俺にはその理由がわからない。


「愛はあったのです。グレン様にも、イングリット様にも」
「愛故に、その死が苦しみになるとでも」
「それ以外の理由がありましょうか」


 納得はしたが、やはり理解はできずに息を吐く。
 血のための婚約にそんな感情が必要なわけではない。挙句、そのために心を痛めて苦しむ。
 ただの枷でしかない。そんなもの己を阻む呪詛でしかない。そんなものがあるから苦しむのであれば。


「……俺は、一人でいい」


 俺には剣があれば、それでいい。
 俺の側にいろと命じられているはずのナマエのことも剣として見れば、それは俺の枷に成り得ない。
 それで、いい。





「ナマエ。お前が俺について転級をする必要はないと思うが」
「私はフェリクス様の剣ですので」


 あっけらかんとそう言って、ナマエは青獅子学級にあった己の荷物を片した。

 あれから四年。
 途中にダスカー征伐があり──その出陣の際にもナマエは俺について出ていた──、イングリットも一応は立ち直り、それから士官学校に入り……と、様々なことが俺達にはあった。
 死した兄上を置いて、世間の様相は嫌でも変わっていく。

 そんな中でもこのナマエという俺の従者は何も変わらない。否、成長したと思しき部分は多々あるが、そういう話ではない。
 淡々と、あるいは粛々と、彼女は俺についてくる。
 距離感は昔ほど近くはなくなった。というよりも俺にとって最適であろうという距離を取るようにはなったが、それでも彼女は俺の後ろをついてくるのだ。
 士官学校に入学するときも、別にそうしろと命じられたわけでもないのに俺と同じように入学した。俺が隣の学級の新しい先生の元で学びたいとそちらに転級を望めば、ナマエも当然のように転級を行う。
 ごく自然に、当たり前のように、今まであったすべてを顧みることもなく、ナマエは俺の後ろをついて歩む。


「……チッ。俺がお前にこんなことを言ってやるのもおかしな話だが、いいのか」
「何がでしょうか」
「イングリット、シルヴァン、それに猪……。……他にも学友とやらは沢山いただろう、ナマエ。それなのに俺について転級する必要があるのかと聞いている」
「必要ならあります。私はフェリクス様の従者──剣、ですので」


 剣どころか犬か、と悪態が口をつく。猪の犬もそうだが、俺の従者も大概だ。誰に似たのやらと一瞬考えたが、深堀りしていくと墓穴を掘る羽目になりそうなのでやめておいた。
 従者だ剣だとそればかりを隠れ蓑に俺について回るナマエに何かあるのではないかと勘繰るが、そんなに器用なら俺に勘繰らせないように立ち回ることもできるだろうしそれもないと思われる。
 家の決めた主従関係に固執する必要だって無いだろうに、とやや目を眇めた俺に気がついたらしいナマエは、少し考えたように目を伏せ、それから開けた眼を俺に向けた。


「確かにイングリット様やディミトリ様、シルヴァン様……此方に来てから知り合ったアネット、メルセデス、アッシュ……それにドゥドゥー。皆、いい学友です」
「…………」
「それでも、それだけです。私の主はフェリクス様です。それに今生の別れでもありません」


 ならば、と俺は少し意地悪を口にする。
 少しくらい怯めばいいと思った。俺にはその覚悟があるが、ナマエにそれがあるのかは分からなかったから。


「ならば、此度の選択が今生の別れになるとしてもか」
「例えそうだとしても、私は貴方様についていきます」


 それでもこいつは、俺の想像の上を行くのだ。

 呆気にとられて数秒言葉を失った。
 迷いはなかった。戸惑いも、考える隙すらないほどの即答だった。
 これでは本当にあの犬と変わらんな、と眉間に皺が寄る。多少なりとも自分の意志があるように見える分──といっても俺の命令を無視して俺に話しかけてくるだとか、そういう話だ──、此方のほうがマシではあるだろうが。
 一体何がこいつをここまで駆り立てるのか。理解はできないが心当たりがあるものとすれば──。


「それが騎士道などというものか」
「いいえ。ただの愛ですよ」


 さも当然のように言ってのけたナマエに、更に理解できなくなって頭が痛くなった。





 運命、宿命、天命──そう称される物で俺達はある程度縛られる。
 一番分かり易いものは「生まれる場所」だろう。俺はファーガス神聖王国の、フラルダリウス家に生まれた。それらに理由などあらず、理由を無理矢理つけるのであればそういう運命だったから、でしかない。
 だから俺がファーガスの貴族だったのも、そしてそれ故にナマエが従者になったのもそういう運命だった。ナマエがフラルダリウス家の従者として生まれたことすら、そういう運命だったと片付けられる。

 此処から先は違う。

 世界は変わる。あの日死した兄上を置いて。否、もしかしたらあの日が転機だったのかもしれないが、今の俺達にそれを知る術などは存在しない。
 戦争が始まった。御伽噺ではない、現実の中での出来事だ。俺達はその当事者としてこの乱世を駆けていくことになる。

 俺は俺の運命に縛られない。
 国は大事──と思う心は確かにある。しかし今の王を失った国について未来があるとも思えない。
 だから俺は国を出る。戦争が始まったと思しき日、あの先生の元で戦った俺は、俺の歩むべき道はそれだと思ってしまったから。

 五年前の約束事など児戯だ。遠巻きに見ていたあれを本気にしているやつがどれほどいるかなども知れたことじゃない。
 それでもこの日にあの場所へと向かえば、恐らく何かが変わるのだろうという、確信にも似た予感がしていた。そしてそれが的中すれば、俺は完全にこの国を離れることになる。他でもない、俺の意思によって。
 騎士道の観点から見れば俺はとんでもない外道なのだろうな。国を守るべきときに国から出ていくなど正気の沙汰ではない。裏切り者、反逆者、叛徒、国賊──そんな罵声が今から聞こえてくるようですらあった。
 ──故に。


「お前までついてくる必要はない、ナマエ」


 俺の半歩後ろを歩くナマエを振り返ることなく、俺は歩みを進める。
 足音は鳴り止まない。二つ分、妙に揃った速度で鼓膜を揺らす。……止まる気はないらしい。
 軽く頭痛がした。慮ってやる必要などないはずなのに、それでもそんな言葉が口をつくのは情なのか、それとも。


「これは俺の選択だ。お前が振り回されるべきことではない。国の裏切り者だと謗られる道を、お前が選ぶ必要はない」
「お優しいですね」
「寝言か。寝床で言え」
「寝床ならば聞いてくださるのですか」
「馬鹿げた冗談を」


 俺はあくまで真剣に話しているというのに、ナマエはいつもの調子でそんなことを言う。
 優しい、だなんて生温い。これはただの、そして当然すべき最後通告だ。一人でいると決めた俺なぞについてこようとするこの大馬鹿者の目を覚まさせるための、そのためだけの言葉だ。
 だというのに、この女は。


「私はフェリクス様の剣ですから」
「…………」


 わからず屋が。
 一度足を止める。それを予期していたかのようにナマエの足も止まった。
 振り返り、ナマエの瞳を見る。冗談を言っている目ではなく、そしていつものように、真剣な瞳だった。
 一時の気の迷いではない。伊達や酔狂でもない。一点の曇りもなく、ひたすらに真っ直ぐと俺を見る目に射抜かれる。


「フラルダリウス家を出たとしても、か」
「私はフラルダリウス家の方に仕えるために生まれましたが、今仕えているのはフェリクス様です」


 それに、と続けて彼女は微笑う。
 悪戯がばれた子供のような笑みだった。或いは、共犯者に囁くための笑みだった。


「フェリクス様なしに家に戻ったところで勘当されるだけでしょう。出ていったとしても勘当でしょうけれども」
「意地の悪い奴だ」
「主に似たのでしょうね。ご心配なさらず、家がどうとかではなく、フェリクス様がフェリクス様の意思で国を出られるように、私は私の意思でフェリクス様について行くのです」


 減らず口を叩いて、それから真っ当に俺を説き伏せようとする。
 自分の意思などと言われてしまえば、それを理由に国を出ようとしている俺が何かを返せるはずもない。流石俺の従者だ、俺のことをよく理解している。これっぽっちも褒めてはいないが。

 何がナマエをここまで駆り立てるのか。
 運命に、家に定められた約定を越えて、その上で俺に付き従う。俺の理解の範疇に無い言動だ。お国が好きな騎士道とやらでもないらしいのであれば、これは。
 馬鹿げた話だ、と一笑に付しながら口にする。


「愛故に、か?」
「この独りよがりをそう称しても良いならば」
「駄目だといえば」
「恋でしょうか?」


 わざとらしく肩をすくめてナマエは言う。予想外の単語が飛んできたせいで真面目に取り合ってやるのも馬鹿らしくなってきたが、この調子だと何を言ってもついてくるのをやめる気はないのだろう。
 本当に馬鹿だ。間抜けだとか阿呆だとか、そう言ったっていい。事も無げにそんなことを言うナマエも、そのナマエを遠ざけぬ俺も。


「剣が人に恋するものか」
「あら。なら私、人間なのかもしれませんね。それでもお側にいて良いのでしょうか」
「……勝手にしろ」
「ふふ。やはりお優しいですね、フェリクス様」


 うるさく囀る口を、しかし俺は黙れと命ずることはしなかった。


愛だ恋だと声をあげるな




2023.10.17
Title...ユリ柩


蒼月以外と書きましたが多分翠風か銀雪です。紅花だと最後の部分がもっと殺伐しちゃうので……。