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蒼い月夜に逆らって

 蒼い月を見た人は幸せになれる。
 そんな伝承を聞いたのはいつのことだったか、そしてどこで聞いたのか。そんなことはもう忘れてしまっていたが、ナマエは馬鹿の一つ覚えのようにそれを信じていた。
 信じると同時に、バカにしていた。蒼い月なんて来るはずがないと、心のどこかでそう思っていたからだ。実際生きてきて十数年、そんなものは一度も見たことがない。
 ……それに、自分が幸せになるのはきっと許されないことだ。ナマエにとっての幸せというのは──。


「────!」


 剣を振り抜く。素振りではあるが、空気が切れる音がした。この呪術の国ペレジアに置いて剣使いたるナマエはある種の異端だったが、それと同時にペレジア軍団員として重宝されていた。
 それでいい。そのために、それだけのために剣技を磨き続けてきたのだから。イーリスの民の皆殺しなんてものは望んでいないが、それでもこのペレジア軍団員にならなければならない理由があった。


「……やぁ、ナマエ。頑張ってるね」
「! ……ギムレーさま」


 聞こえてきた声にゆっくりと振り返る。隣国の軍師と同じ顔をした最高司祭がそこに立って、笑っていた。
 ギムレー。それは破滅をもたらす邪竜の名。その邪竜と最高司祭の名が同じなのは偶然ではない。ここにいる最高司祭は、ギムレーそのものだ。

 歩み寄ってくるギムレーを見て、ナマエは剣を鞘に収める。敵意がないと示すためだ。無論、斬りかかったところで敵うはずもないが。
 傅こうとすればギムレーは片手でそれを制した。堅苦しいのはあまり好きではないからね、と一言付け足した彼はナマエの目をじっと見る。


「今日も鍛錬か、流石だね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「君みたいな強い剣士がいればイーリスに負けるはずがない」


 そうだろう? そう問いかける彼の目には確かな狂気が潜んでいた。否、狂気と形容するのも違う気がする。狂気なんて言葉では形容できないほど悍ましく、深く、狂った気配がそこにある。
 その瞳に見つめられ、ナマエの心臓はどくんと高鳴った。ああ、この目だ。この瞳が好きなのだ、と。

 ナマエはギムレーに恋をしていた。敬愛なんて言葉では片付けることはできない、確かな恋愛の感情だ。そばに居たかった、必要とされたかった。彼に必要とされるためだけに剣技を磨き、結果このペレジア軍においてもらえている。
 イーリスの民の皆殺しや、世界の破滅なんてものに興味はない。むしろそんなものは起こらないほうがいいと思っているが、それでも、それを引き換えにしてでも、ギムレーという存在のそばに居たかったのだ。それが、ナマエにとっての幸せだった。


「ただ、君は自分を蔑ろにし過ぎだ。もう少し自分の欲に忠実になって、君自身の幸せを求めてもいいんじゃないか?」
「私の幸せはギムレーさまのおそばに居ることです。それ以上なんて何も求めません」
「ははは、そうか。なら、その望まぬ幸せとやらを僕がこの手であげよう。それに、今日はブルームーンだ」
「……え?」


 ばっと空を見上げる。浮かんでいた満月は、確かに蒼かった。この世のものとは思えないほどに蒼く神々しい月は全てを照らす。まるで現実ではないようなその空間に、解離したような感覚に陥った。
 思わず見とれてしまうが、はっとしてギムレーの方を見る。薄く笑みを携えたギムレーは愉快そうに口を開け、そして言う。


「この蒼い月は、どれだけのイーリスの民が見ていると思う?」
「…………」
「わからない? わからなくて当然だ、僕にだってわからない。
 ……けど、そうだな、そのイーリスの民たちがこの蒼い月を見て、幸せを望んだとしたら」
「……知っているのですか、ギムレーさま」


 当然と一言漏らしてから、ギムレーはナマエに歩み寄る。彼の手がナマエの頬に触れ、反射的に目を閉じてしまった。優しく頬を撫ぜるその動作は、まるで壊れ物を扱うかのようにやさしい。
 ギムレーさま? と問いかければ彼はクツクツと喉で笑って、ナマエの頬を軽く抓った。


「奴らに幸せは来ない」
「……?」
「僕とナマエが共に蒼い月を見たんだ、僕らが幸せになるんだから。……僕らの幸せは、イーリスの民がいる限り叶わない」


 ああ、そういうことか、と妙に納得し頷く。彼はそういう存在だ。イーリスを滅ぼし自らが頂点に君臨することで、自分の幸せを満たす。それがギムレーという存在だ。
 そしてそれはイーリスの国民の幸せとは真逆の未来像だろう。滅ぼされた彼らが自分自身で幸せというはずがない。イーリスの民たちの幸せとギムレーの幸せが共存することは、絶対にないのだから。
 そこにナマエの名前が刻まれているのが何故かはわからなかったが、ギムレーはナマエの頬から手を離し、ナマエをかき抱くように引き寄せた。


「蒼い月が彼らの味方をするのなら、僕はそれに逆らう。……君と二人で幸せになるためにね」
「……私と?」
「そう。愛したものと幸せになりたいだなんて、生きとし生けるものすべてが願う幸せだ」


 ギムレーの右手が優しくナマエの頭を撫でる。彼は自分を好いているのだと理解するのに時間はかからなかった。
 ナマエの耳元で邪竜は囁く。悪魔のようなその声は、ナマエの脳を甘く痺れさせた。



蒼い月夜に逆らって
(君と幸せになるためなら、僕は手段を選ばない)



Title...反転コンタクト
2015.06.17 執筆