裏稼業だとか汚れ仕事だとか、そう呼ばれる事をしていると正しくない道を選んで歩むことやおかしなとこに潜むことが多々ある。
見張りの者の目をかいくぐったり、そこに住んでいるものに気取られないようにしたりと、その理由は様々ではあるが特段珍しいことではない。
イーリス聖王国で闇稼業を行っているガイアもその例に漏れず、忍ぶためにそんなところに足を踏み入れる。
そういったところでは、極稀に同業者と鉢合わせることがある。「他人を避けるための場所」というのはそう多くないからだ。
もしもそうなった時、彼らは──自分の目的の阻害にならない限りは──知らぬふりをする。相手の仕事の邪魔をしないことで、こちらの仕事の邪魔をされないようにするために。
今回もそうしたいと思っていたし、そうすべきだとも思っていた。
だがそれは叶わないと悟って、ガイアは口に咥えた飴を噛み砕きたい衝動に駆られている。
同業者相手ならば、その暗黙の了解を理解してくれていただろう。だが、この貴族屋敷の屋根裏で出会った少女は同業者ではないと、その闇稼業者には見えない身なりが教えてくれている。
それに加えて、彼女は警戒を露わにした目でこちらを見ている。下手に動けば敵と判断されるだろう。否、実際彼女のことを思うと敵なのだろうが。
彼女の手には立派な短剣がある。ただしその持ち方は拙く、恐らくガイアに傷をつけることは出来ないはずだ。むしろ失敗して彼女自身が傷つく可能性の方が高い。
ならばどうするか。その答えは思考する間もなく浮かび上がり、それに倣ってガイアはそっと両手を上げた。
「敵意はない。それを下ろしてはくれないか」
「……信じられるとでも?」
「まあそりゃあそうだよな……」
危機管理能力がしっかりしているお嬢さんだ、と感心してしまう。それどころではないのですぐに頭を切り替えたが。
こちらに敵意がないのは本当だ。だが向こうがそれを信じてくれないというのならば、こちらが出来ることは彼女を刺激しないことだけだろう。
意識を巡らせなるべく身体を動かさないようにする。その様子を見る彼女の目は、こちらを探っているようだった。
「目的は何ですか? ……殺されてやる気はありませんが」
「バカを言わないでくれ、そんなことをする理由がこっちにねぇよ」
「……どうでしょう」
すぐに信じてもらえるとは初めから思っていないが、随分な警戒心だと思う。
仕方ないと一つため息を吐き出して、ガイアは続けた。
「俺の目的は盗みだ」
「……盗み?」
「ここの領主が不当に得た金で私腹を肥やしていると聞いてな? その金の出処……つまるところ領民が大層お怒りだ。多少でいいから取り返してくれと頼まれた。無けなしの金を積んでな」
「…………」
「そういうわけで、命とやらに興味はない。自分の命より領民の金、だなんて甘いことは言えないしな。が、圧制に苦しむ民がいるのは俺の目からすれば明らかだった」
本来ならば手の内を明かすことはご法度だ。彼女の立ち位置も分からないし、それで不利になることも否めない。
本当の目的は、その言葉を信じるかどうか彼女が迷っている間に活路を見出すことだった。のだが──。
「……貴方は、父の政を『惡』だと断じてくださるのね」
「──ああ」
ほんの少しだけ眉を動かしてガイアは答えた。
然程驚きはしない。心の中で彼女の正体に目星はつけていたためだ。
貴族屋敷の屋根裏に少女が一人。
見るからに武器の扱いが拙いため同業者ではなく、屋敷の護衛でもない。
また身なりもいいため、この屋敷に盗みに入った浮浪児でもない。
それらの要素を繋ぎ合わせると自ずと答えは絞られるし、その選択肢の中に彼女の回答は存在していた。
ただ予想外だったのは、その瞳から少しだけ警戒心が消えたことだ。
なぜ、と問う前に彼女が動いた。
彼女がこちらに握りこぶしを差し出す。何を意図するのかわからず、じっと彼女を見た。彼女は言葉を選びながら口を開く。
「父が領民から徴収した首飾りがここにあります」
「それは……」
「随分と綺麗なものですから、恐らくはどなたかが大事にされているものかと。これを渡しますので、領民にお返しください。そして、今日はそれで去ってください」
「随分と甘い申し出だな。悪いがこちらも仕事なんだ、騒がれでもしたら流石に逃げるが、そうじゃないなら……」
「三日。三日ください。三日後に、ここに来てください」
「……何?」
彼女の言葉の意味が汲み取れなかった。三日後にこの屋根裏に来いと、彼女はそう言ったのか。
訝しむように眉を顰めれば、彼女がこちらに近づいてガイアの手を取った。
ガイアの手に首飾りが落とされる。彼女が言ったようにそれは汚れの無い綺麗なものだ。
それをガイアに握らせて、彼女はガイアの目を見つめた。
「貴方が望むものを、私がここに持ってきます」
「は?」
「貴方が屋敷を動くよりは、私が屋敷を動いた方が安全だと思いますが。いかがですか?」
「いやいや、待て。お前は何を言って……」
彼女の申し出を二つ返事で受けることはできない。
彼女の言っていることを真っ直ぐ受け取るのならば、彼女はガイアの仕事に加担すると言っていることになる。
それはとても褒められたことではない。ガイアが行っている事は罪を犯していることに違いはないのだし、それに加担するということは彼女も大なり小なり罪を背負うことになる。
そもそも、ガイアが標的にしている人物は彼女の父親だ。彼女が積極的に加担するべきことではない。
「お前が今言っていることは、父親を裏切るってことだぜ」
「父の悪政を見て見ぬふりしてきた私は、領民を裏切ってきたも同然です。今更、何を恐れる必要があるのですか」
そんなことを言われてもな、と内心ごちる。
彼女は恐らくまだ親の庇護下にあるのだろう。
ならば彼女がこの領地の政に口出しを出来ないのは当然のことで、見て見ぬふりどころか気にかけているだけ偉いと褒められるとすら思う。
第一、帖地では領主の話を嫌という程聞いたが──それも悪い話ばかりだ──、彼女の話は一切と言っていいほど聞いていない。それは悪評が広まっていないという証拠であり、同時に領民が気にかけていないという証左でもある。
いい意味でも悪い意味でも、彼女がそれを気に掛ける必要はないはずなのに。
「私を信じられないのならば、三日経つより先に屋敷に入り込めばいいです。けれど信じてくださるというのならば……三日後、お待ちしております。どうか、今はお引き取りを」
彼女の目は真剣だった。
半端な覚悟で口にしたのではない。遊び半分で口にしたのではない。
彼女は本気で、父を裏切ろうとしている。
それがわかってしまうのは、イーリス軍の中で何人もの本気を目にしてきたからだろうか。
罠の可能性も考える。だがそんな回りくどいことをするならば、今ここで叫んで護衛でも呼び込んだ方が確実だろう。
それだけの覚悟で、彼女はガイアにその話を持ち掛けたのだ。危機管理能力がしっかりしている、という評価を勝手に改める。
そうして結局、ガイアは自分の甘さにやるせない気持ちになりつつも来た道を引き返した。
†
屋敷内部の警戒度合は前に来た時と変わらない。
無論自分に気取られないようにしているだけで変わっているのかもしれないが、少なくとも今のガイアにそれは感じ取れなかった。
結局あれから三日経った。
仕事の期日にはまだ余裕があるため、もし彼女が嘘を述べていたとしても、或いは持ってくることが出来なくても挽回できると踏んでだ。
なるべくそうならないことを望むのだが。
そんなことを考えながら、ガイアは三日前と同じ道で屋根裏へと侵入する。
彼女はいた。
「こんにちは」
「……よう」
三日前よりは動きやすそうな格好で彼女はそこにいた。
思わず警戒しそうになるが、彼女の目はこちらを警戒していないことに気が付いて気が抜ける。
前は緊張と警戒で固まっていた彼女の表情が、今は随分と穏やかだ。それはこちらを信用しているからなのか、それともこちらを罠に嵌める算段がついているからなのか、ガイアにはわからなかった。
「来ていただけたんですね」
「仕事だからな」
「わかっております」
彼女の背後に麻袋を見つける。恐らくは目的のものがそれだ。
本当に持ってきてしまったのか、とある種の感心をする。危機管理能力がどうとか、とんでもない。無謀に無謀を重ねる少女だったとは。
ガイアの目が麻袋に向いたことを察したらしい少女がそれを隠すように前に出る。視線があからさま過ぎたかと内省しつつ、彼女に向けて言う。
「それで、報酬は。こんなことに加担させておいて、まさかただってわけじゃあないだろ」
「そうですね。その方が信用できるでしょう?」
こちらの考えまで見透かしたような言い分に背筋が寒くなった。
その見目からは考えられないほどの観察眼に、思わず引き攣った笑いをこぼしてしまう。
彼女の、言う通りだ。
「そんな顔なさらないで。何も取って食おうってわけじゃないんです」
「じゃあ何を?」
「私を領地の外まで連れ出してほしい」
「正気か?」
「本気です。父を裏切った私がここにおめおめといられるわけがありません。それに、この領地の圧制を止めるには、父よりも大きい力……つまり国の力が必要なのです」
「国に親を告発するつもりか?」
「はい」
きっぱりと言い切る。これではこちらが説き伏せることも難しそうだ。
面倒な案件を引き受けてしまったのかもしれない、とようやくガイアは思い至る。この屋根裏で彼女に密会を持ち掛けられた時に気が付くべきだった。
そもそもあの日、彼女は何故こんな屋根裏にいたのだろうか。
気になって問うと、「誰にも気づかれずに外に出る算段をつけていました」と答えられる。
つまり、ガイアがいてもいなくても、恐らく彼女はいつか告発していたのだろう。そこにガイアが現れたから、より安全に事を為すための手段としてこの取引を持ち掛けたのだ。
強かな女だな、と思った。
「報酬としてこの裏切りでは足りませんか?」
「俺はそこまで甘くないんだが……まあ、その心意気は気に入ったぜ、お嬢さん」
「ナマエです。そうお呼びください」
「じゃあ、ナマエ。……俺はガイアだ」
「はい、ガイア様」
これで彼女を見捨てても目覚めが悪い。
それに、きっと彼女の行動で救われる領民がいる。それはとても喜ばしいことなのだろう。
麻袋をもう一度見る。その意味を彼女──ナマエは理解したようで、麻袋を手に取った。こちらに渡す様子が無いのは、外に出てからということなのだろう。
重いだろうに。だが、彼女がそうしたいと思うのであれば、ガイアはそれを尊重しよう。
「行こうか。言っておくが、外の世界は甘くないぜ?」
「承知しております。頼りにさせていただきますね、ガイア様」
そうして、ガイアとナマエは共に屋根裏を抜け出す。
共に出た先の空は、いつもより少しだけ明るく見えた気がした。
屋根裏の密会
2020.06.19
Title...ユリ柩