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オディウムの枝葉

※医学的に事実と異なる記述がありますが意図的です。混乱を招く表現となっている可能性がありますがご了承下さい。




 みんな金鹿学級のあの人のことを子供扱いする。
 確かに彼女は私達の中で一番背が低くて、歳が少なくて、反応は子供っぽいし、金鹿学級を──ううん、私達士官学校に通う生徒全員を半分にわけて、どちらかに子供の分類を与えるとしたら、彼女の属する組が子供になるといってもいいだろうけれど。それでも私はあの人のことを子供だとは思わない。
 長くて光に透ける白い髪、微かに欠陥を思わせる色素の薄い肌。何かに取り憑かれたように知識を貪る姿に、時折瞳の奥でさざめく色。そのどれもがただ子供だと断ずるには暗すぎる。
 その暗さが、私にはとても好ましく思えるのだ。
 水を蒔かねば、と思った。そんな暗いところでだけ育つ、草花の種に。

 食堂で彼女の姿を探す。美しい白の髪はよく目立つし珍しいのでそう苦労することもなく見つけることができた。うちの級長様も白い髪をしていらっしゃるけれど、まあ、あの人の近くには常に黒い従者もいらっしゃるのでそれとはまた違う話だ。
 席を確保しようとしている彼女に手を振った。げ、と嫌そうな顔をされて少し悲しいけれど気づいていないふりをしておく。


「リシテアさーん! お昼ごはん食べた? まだなら一緒にどうかな?」
「……あんた、黒鷲学級ですよね。よくもまあ、毎日毎日飽きもせず……」


 私のお誘いをリシテアさんは鬱陶しそうな顔で一瞥する。普通なら精神をやられそうな顔だ。実際私も最初の頃は何回かめげたし、今だって別に傷つかないわけじゃない。めげる以上に仲良くなりたいなあ、という気持ちがあるだけで。
 食堂にいる他の面々はそんな光景を気にも留めていない。いつもの光景、いつも通りすぎる風景。だから特段意識する必要もない。きっと皆の中ではそういう風に処理されているのだろう。そりゃそうだ、これだってもう一節くらい続けているんだから。
 というかリシテアさんもリシテアさんだ、こんなに付きまとわれて鬱陶しい顔をするなら先生に相談すればいいのに。それをしないから私みたいなのが調子に乗っちゃうのに。なんていう質の悪い責任転嫁はこころの中にしまっておく。これ言ったら本当に先生に相談されそうだし。そうされると困るのは私だ。
 私はリシテアさんと仲良くなりたい。その気持ちに嘘も偽りもないし、そこに関してとやかく言われたりしたら泣いちゃいそう。


「はあ……まあいいですけど。その代わり、」
「ベリー風味のキジロースト、それから桃のシャーベットでしょう? 任せて」
「はい、お願いします」


 リシテアさんは子供じゃないけれど、食の好みは可愛らしいと思う。……まあ、そんなことを直接言ってはめちゃくちゃ機嫌を損ねてしまうのもわかっているので口に出したりはしないけれど。
 とにかく、彼女の分のベリー風味のキジローストと桃のシャーベットと、それから自分の分の魚のバター焼きを注文しに行く。結局はあんなことを言いながら、注文の肩代わりだけで席を一緒にさせてくれるのだから甘いなあ、と思わないでもない。ありがたくその甘さに付け入らせてもらっているわけだ。
 暫く待っていると注文した通りのものを渡される。ありがとうございます、となるべく人の良い笑顔を浮かべて受け取り一例。注文三つだからやや重いけれど、リシテアさんのためを思うならこれくらいどうってことない。
 振り返って席をずらっと眺める。端っこの方で席を確保しているリシテアさんになんとなく笑みがこぼれた。らしいというか、なんというか。あまり人付き合いは好きじゃなさそうだし、多分うるさいのもそこまで好きじゃないだろうし。そういった意味で、リシテアさんに似合いの場所だ。それに私もそちらの方がいい。別に隠れるようなことでもないのかもしれないけれど、私も端っこの方で密かにリシテアさんと話すことのほうが好きだ。

 こぼさないように、慎重に食べ物を運ぶ。桃のシャーベットがあるからやや急ぎ気味に。シャーベット、食後の方がいいと思うんだけど、まあリシテアさんは先に食べるみたいだしいいか、なんて思った。好きなものは最初に食べたい人なのだ、リシテアさんは。
 席に近づいて気がついた。リシテアさんはなにかしらの本を読んでいる。おそらくは書庫から借り入れたものだろう。表紙だけじゃ何もわからないけれど、なんとなく難しそうな本だということだけは察した。リシテアさんが読むのだから物語とか、絵本とか、そういう類いのものじゃないということは当然なのだとは思うけれど。


「何を読んでいるの?」
「……ああ、おかえりなさい。別に、なんてことはない本ですよ」


 私のご飯を取ってからお盆をリシテアさんの目の前に置く。そのお返し、というわけでもないだろうけれど、交換するようにリシテアさんは私に本を差し出した。表題は──「紋章と人体の関係について」、だ。
 リシテアさんは本当に勉強熱心だなあ、と感嘆した。私たちの生きるこの世界において紋章というのはとても大事なものなのだ、だから授業でも紋章の話はするし──先生によって偏りはあるかもしれないけれど──、その内容で事足りるはずなのだ。本来ならば。
 けれどリシテアさんはそれで満足しない。もっともっと、と知識を貪欲に求めるし、本来ならば癒やしの時間であるはずの食事の時間でもこんな本を読み込んでしまう。例えばこれが趣味の範疇であるのならば、私だってここまで彼女のことを褒めたりはしない。けれど違う。彼女のこれは趣味なんかではない。焦燥と、不安と、憎悪を込めた目で読んでいるこれが単なる好奇心からくるものとは到底思えない。確かに知識欲はあるのだろう。けれど、そんな生温いだけのものであるはずがない。私はそれを知っている。
 ああ、端っこの席でよかった。こんなこと他人に聞かせる話じゃない


「……ねえ、リシテアさん」
「? ……なんですか」


 リシテアさんの丸っこい桃色の瞳がこちらを向く。
 皆はこの奥に囁く色を知らないからこの目を可愛いとか子供みたいだとか言える。違うのに、馬鹿だなあと思った。この色が、この音が、本当に純粋無垢なただの子供に出せると思うのだろうか。──いいや、絶対に無理だ。子供がこんな大きすぎる感情を抱いたりなんかできるものか。
 結局本質を見れる人なんて一握りしかいないのだろう。そういった意味で、青獅子学級のメルセデスさんとか、多分とても良い人なのだろうけど、彼女の本質は見れても理解することができないので、やっぱり私はリシテアさんと仲良くなりたいのだ。リシテアさんは私を理解できるし、私はリシテアさんを理解できると思うから。


「ゆで卵ってわかるよね」
「……いくらなんでも馬鹿にしすぎでしょう、怒りますよ」
「ああごめん、主題はそこじゃないから怒らないで」


 別にリシテアさんを馬鹿にしたいわけじゃない。ただ土地柄馴染みのない食べ物だったりすると知らないということも有り得るわけで、その確認だったのだけれど。うーん、気持ちが逸るとどうしても言葉足らずになってしまうなあ、と少し反省した。
 でも、だって、仕方がない。一節こうやってお誘いしてきて、ようやくこの話が出来るのだと思うと甘ったるい欣快が顔を覗かせるのだ。
 いけない、私一人で喜んでいても仕方がないのだから、そんなこと顔に出さずにお話しなければ。ここまで来たのだから、それを無駄にするような真似をしてはいけない。
 ゆっくり魚のバター焼きを口に含んで噛み砕く。普段ならやや煩わしい小骨も今は気にならなかった。


「人間の体もね、あれと似たようなことが起きるんだよ」
「は?」
「熱で固まって、生卵に戻らなくなるの。……ほら、青海の節とか翠雨の節とか、暑さでやられた人って倒れるじゃない。あれ」


 そんなまさか、と言いたげなリシテアさんだったけれど、しばらくして反論できる材料がないと自分の中で結論付けたのかなにか言い返すような素振りはなくなった。
 まあ、でもそうよね、私だっていまのを初めて聞いたら急に何言っているの、と言いたく気持ちは湧くでしょう、きっと。実際それを知った時の気持ちはもう忘れてしまったけど、今ならそう思うはずだ。基本的に自分の常識の範囲でしか物事を考えられないようにできているのだ、人間は。


「……人間と卵は違います」
「でも構成する物質は似通っているんだって。だから熱で不調を起こすし、戻らなくなる、と」
「誰から聞いたんですか、そんなこと」


 呆れたような、疑うような、リシテアさんのそんな声。自分の知り得ないことを話す私への、好奇とそれ以上の悍ましさを孕んだ目。
 ああ、よかった、ちゃんと興味を持ってくれている。私がリシテアさんに目をつけたのは間違いじゃなかった。
 緩みそうになる口元を必死に正して、ゆっくり、小さく、リシテアさんにだけ聞こえる声で言う。それはきっと、彼女にとっては甘美で、恐ろしい音色だろう。


「闇の魔法使いさん」
「……っ、あんた」


 リシテアさんの桃色が吊り上がる。怒気と、それからどうしようもない焦燥が声に籠もった。どろりとした湿度は、彼女自身の暗い部分を写したように粘ついている。
 やっぱり、やっぱりリシテアさんはそうだ。見つけられてよかった、と筆舌に尽くしがたい狂喜が胸中を走る。
 苛立ちを抑えないリシテアさんが私を見ている。桃のシャーベットがやや溶けているのを気にしていない程度には、私の言葉に心が動かされているのだろう。でもきっとリシテアさんは知らないんだ、リシテアさんが私に心を動かされるのと同じくらいに、私もリシテアさんに心を動かされているって。それってとても対等で、素敵なことだけれど、これを知っているのは今は私だけ。ずるいだろうか、とちょっとだけ思うけど、どうせすぐにリシテアさんも知ることになるのだからいいだろうと勝手に結論付けた。


「……何を、どこまで知っているんですか。あんたはあの時の……」
「私ね、ちょっと前まで今のリシテアさんと同じ髪色だったんだよ。今は染めているけれど」
「! …………」


 は、とリシテアさんの顔から表情が抜けていく。そしてそれから、同情とも悲愁とも、或いは落胆ともそれから安堵とも見えるような色を灯した。
 申し訳ないなという気持ちはほんの少しだけある。私は「それ」ではないのだ。どちらかというと、「それ」から被害を受けた側。そしておそらくは、彼女も。だから私は彼女を理解できるし、彼女も私を理解できるはずだ。
 勿論全てではない。私は平民で、彼女は貴族で、彼女には彼女にしかない苦しみもあるのだろう。けれど、それでも私はきっと誰よりも彼女に近いのだ。


「……あんたが私に付きまとっていたの、そういうことだったんですか」
「付きまとっていた、なんてひどいなあ。否定はしないけれど」


 溶けているよ、とシャーベットを指し示せば慌てたようにシャーベットを口に運ぶリシテアさん。怒りは冷やされたようで、雰囲気に溶けていた粘性は少しだけなりを潜めている。
 ちらちらとリシテアさんがこちらを見ているのに気がついてにっこりと笑った。心からの笑顔だったのだけれど、リシテアさんは少しだけ居心地が悪そうにしていた。まあ分からないでもない、あんなことを言われたあとに笑顔を浮かべられてもどうしたらいいのかわからなくなるだろう。
 それでも私は笑っている。ようやく見つけられた同じ土壌の存在に笑わないでおくことがどうしてできようか。すごくすごく嬉しい、これが笑わずにいられるか。


「……目的はなんなんですか」
「目的? リシテアさんと仲良くなりたい」
「嘘おっしゃい。それだけで一節こつこつこつこつと……」
「嘘じゃないってば」


 嘘ではないけど、ちょっとした下心は隠した。
 同じ痛みを知る人、同じ土壌、同じ種を植えられたもの。この世界にそう多くないはずの同志。
 私たちのこの感情はきっと互いに一人で持つには重すぎるもの。ならばそれを支え合って生きていく人を見つけたいと思うのは、過ぎた願いのはずでもないけれど。そんな下心を見せてリシテアさんに嫌われたら、それはとっても辛いことだから。
 お近づきの印、というわけでもないけれど。ちょっとした味変になれば、と魚のバター焼きの一欠片をリシテアさんのキジローストのお皿に載せた。
 先に芽吹いた者として、私は。


「──改めて、これからよろしくね、リシテア」
「……そうですね。改めてよろしくお願いします。あんたとじゃなきゃ話せないこともあるでしょうし」
「それから、私とじゃなきゃ成せないこともね」


 リシテアの憎悪が芽吹くその時を、私はここで見たいと思うのだ。




オディウムの枝葉



2023.03.20
Title...ユリ柩