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もうひとりの世界

「……、っ」
「……おはよう、ナマエ?」
「お、まえ、は、」


 暗い昏い意識の底から戻ってくる。眠っていた私が目を開ければ、そこにいたのはルフレ──の見た目をした、誰か。
 何故かは分からないけれど、彼はルフレじゃないと、直感がそう言っていた。

 ルフレなのにルフレじゃない、そのなんとも言いがたい状況に私は思わず跳ねるように起き上がって彼から距離を取る。
 ぎっと彼を睨み付けて、持っていた銀の剣を握れば、くすりと彼は笑って一瞬で私の近くに詰め寄り、私の右手を押さえつけた。

 あまりの出来事に硬直。
 落としてしまった剣がカツンと大きい音を立てて地面へその影を落とす。しかしその大きい音なんてどうでもいいくらいに私は動揺していて、目を見開きながら目の前にいるルフレの顔をしたルフレじゃない誰かを見つめることしか出来なくなっていた。


「……っ!」
「……そんなに警戒しなくてもいいじゃないか、なぁ?」
「誰……っ!?」
「……僕のこと、忘れた?」


 ぎらりと彼の目が冷たく光る。口元は確かに笑っていたけれど、その目はどこまでも冷淡で、私の言葉に怒っているということは明白だ。
 私の顔を品定めするかのように私の顔をまじまじと見つめて、今度こそは目もとも一緒にふっと嗤った。ぞわ、悪寒が、背筋を這う。


「僕はルフレ」
「ちが、」
「そして──我はギムレー」
「……?!」


 どういう、ことだ。
 彼から紡がれた言葉に私はただただ狼狽えるしかできなかった。

 だって、だってルフレはギムレーを拒否したんだ。父親のファウダーの支配に何とか逆らって、ギムレーの器になることを拒んだんだ。
 だから、私の知ってるルフレはギムレーじゃない。

 でも、じゃあ彼は?
 ルフレは冗談でこんなことを言う人じゃない。だとしたら、彼は本当にギムレー?
 なんで? あの時確かにルフレはギムレーを拒否したのに。
 一緒にギムレーを滅ぼすって、約束したのに。

 混乱する私の耳元に彼が口を寄せる。
 逃げたかった、だけど恐怖からか、はたまた何かの術をかけられているからかはわからなかったけれど、私は一歩も動けなくてその行動を許してしまう。
 くす、と愉快そうに笑みをこぼした彼は、そのまま言葉を紡いだ。


「ここはイーリス城」
「っ!?」


 びくりと肩が震えた。そんなことない、そんなこと、あるはずがない。
 だって私の知っているイーリス城はもっと明るいんだ。廊下にも部屋にも電気がついてて、こんなに血の匂いが、しなくて。

 そこまで思考を張り巡らせて気づく。
 頭が血の匂いを意識したからか急に血なまぐさい匂いが私の鼻に届き──実際はずっとこの匂いを嗅いでいたわけだが、それどころではなくて匂いをあまり感じていなかった──、噎せ返る。
 気持ち悪い、気持ち悪い。
 今まで血の匂いは何度もかいだけど、ここまで強烈な匂いを嗅いだのは初めてだ。迫り来る嘔吐感に耐えるように唇をかんで両手を手に添えながら、辺りを見渡す。

 そこは確かに私の知るイーリス城だ。内部構造だけでしか判断はできないが、ここは謁見の間だ。置物配置も、床の模様も、何もかも変わっていない。
 ただ、変わっているとすれば異様なものが床に転がっているということだ。

 至るところに落ちている鋼の欠片。
 血痕。
 骨。
──死体。

 嘘、でしょ。
 なんで、私が寝ているあいだに何があったの。ばっと彼の方を見てみれば酷く楽しそうな顔で彼は私を見ている。
 やはり、彼はギムレーだ。ルフレは今まであんな顔を見せたことがない。ギムレーが、そこにいるんだ。

 どうして、と紡げばギムレーは小さく首を横に振った。その行動の意味がわからなくて首を傾げれば、ギムレーはその楽しそうな笑顔を少しだけおとなしくして言葉を紡ぎなおす。


「ここは……そうだな、お前から見れば……未来の世界だよ」
「みら……っ!?」


 未来。私にとってこれから来るはずの世界。それが未来。

 私から見てそうである未来にいるということは、私はタイムスリップでもしてきたのか?
 タイムスリップなんて、にわかには信じ難い話だ。
 だが私は知っている。時を越えて世界を変えようとした戦士たちのことを。絶望から逃れるためにやってきた王女──ルキナのことを。
 彼女の事を知っているが故に、私はそのタイムスリップを「そんなバカな」ということは出来なくなっていた。

 でも、なんで。
 まだ湧き出る疑問を口にすることはない。口にする前に、彼がすべてを答えてくれたから。


「僕が連れてきたんだよ、ここに」
「……!? なんで……っ!?」
「好きだから」


 しれっと答えるギムレーに、私は思わず大きく口をあけてしまった。その私の顔が面白かったのか、ギムレーはまた愉快そうに笑う。
 意味が、意味がわからない。

 好きだから?
 誰が?
 ギムレーが?
 誰を?
 ……私を?

 なぜ好きなのかとかはこの際どうでもいい。それよりも、それよりも大事なことがある。
 だって、この時代にも私はいたはずだ。なのに何故、なぜ?


「この時代の、私は? ルフレと一緒にいるんじゃ……」
「……ああ、この時代のナマエなら、死んだよ」
「……え」


 私が、死んだ。
 何度反芻しても飲み込めない事態に私はどうすることも出来なくなる。この時代の、私は、死んだ。

 何故死んだ。何故、ルフレを残して死んだ。
 キャパオーバーした私は錯乱しそうになって、いやいやそれでも、と唇を噛み締めて。なんとかして出せた言葉は罵倒のものだった。


「いい加減にして、ふざけないで……ッ!」
「本当に、ふざけていると思っているの?」
「っ!」


 彼の明るい茶色の目が私を見ている。その目線はその体がルフレの物であるときと全く同じもので私は思わず息を呑んだ。

 私はあのルフレの目を知っている。あの目は、冗談なんて言わない時の目だ。
 この言葉は本当なのだと気付かされて、心の奥底にぽっかりと大きな穴があいた気分になる。
 彼は私から視線を外し、そのまま続けた。


「僕が殺した」
「……!」
「『死ぬならルフレの手で死にたい、だから、殺して』と懇願をされて、なぁ。
 憎いか? 僕が。未来の自分を殺されて、そのうえこんなところにまで連れてこられて、憎いか? ほら、憎いなら殺せばいい。ただ──」


 憎いか、と聞かれれば確かにそうだ。
 私は憎い。彼が。
 未来のとはいえ自分を殺されて、……恋人たるルフレの体を乗っ取られて、にくくない訳が無い。

 ふつふつと殺意が沸き上がって、抑えきれないほどに膨らんでいく。
 やがてその殺意がはじけた瞬間、私は落ちた銀の剣を拾い上げ再び握り直し、彼の首に突き刺した。

──はずだった。

 その手は意図せず、切っ先が首に刺さる前に止まる。切っ先は知らぬ間にがたがた震えていて、自分でも驚いた。

 どうして、だ。
 こいつを殺せば、コイツさえ殺せば、この時代での戦争は終わる、もしかしたらわたし達の世界での戦争も打開策が見つかるかもしれないというのに!
 がたがたと震える手を抑えるように深呼吸をすれば、彼はニッコリと笑って私に一言。


「……ただ、君に僕は殺せない」
「なんで……ッ」
「だって」


 彼の指先が、切っ先に触れる。すっと切っ先を撫でると、間もなくして紅が滴り落ちた。

 血だ。
 ギムレーの、だけど、ルフレの、血。


「我はもうひとりのルフレだから」
「ッ!」


 そうだっ、た。
 未来の世界の、もうひとりのせかいの、ルフレで。ルフレの体の、ルフレの、ギムレーで。
 嗚呼、ああ、ああああああ。そうだ、私に、彼を殺せるはずは、ないんだ。

 私が、ルフレを、好きになってしまったから。
 そうやって、ふと笑った顔が、ルフレのままだから。

 だから、私は自分で死を選んだんだ。私がルフレを殺せるわけが無いから、それならばルフレに殺してもらおうとして。
 戦争を止められない自責の念と、ルフレを愛してしまった後悔と、ルフレを愛してしまった喜びを抱えて、死を、選んだんだ。

 ルフレ、ルフレ、ルフレ、ルフレ、ルフレ!
 どの時代にいても、どの世界にいても、ルフレは、ルフレなんだ。私が恋した、彼なんだった。

 彼を殺せれば、どれだけの人が助かるだろう。殺せれば、きっと沢山の命が救われる。
 だけどそれをしない私は、どれだけ残酷なんだ。

 自然と流れる涙。ごめんなさい、ごめんなさいナーガ様、私は悪い人です。
 殺せば助かる命があると知りながら、私はこの人に刃を向けることは二度とできません。

 ぼろぼろと流れる涙を、彼の指が拭う。人の体温よりは冷たい彼の指は、まるで彼はもう人間ではないと示しているようで、それでも、それでも。


「……あぁ、話せて、よかった」
「え──」
「我が殺したお前に、僕はまだ恋してたって、ちゃんと、愛してるって思えたから」
「ルフ──」


 近づく彼の体を、拒むことはできない。拒むのがひどく怖かった。そのまま私は静かに、目を閉じる。

 唇が、重なる。
 ギムレーからの口付けだけれど、これはルフレからの口付けでもあって。ああ、拒めない、なぁ。
 こんな状況なのに、彼からの口づけを喜ぶ私がどこかにいて。こんな気持ちを誰かに悟られてしまえば、私はいったい何人に罰されるんだろう。

 ゆるりと離れ、そっと目を開ける。優しく笑う彼の顔はルフレのままで、離れ難い。
 わかってる。彼は私の恋人のルフレでないことくらい、分かっている。分かっているけれど、どうしても、……どうしても、割り切れなかった。
 彼は一層笑みを深くして、私の肩を押す。そのまま離れる体に、私はどうすることもできなくて。


「サヨウナラ。次に会うときは──敵同士だな。
 ……絶対にない話だけれど、もしまた、恋人として、会えたら──……」
「ルフレ──……!」
「……いいや、違う。僕は──我はギムレー=v


 暗い闇が、放たれた。









 次に目を開けたとき、私はいつも自分が使ってる天幕の中にいた。
 あまりにも現実離れしているせいか、私はさっきの出来事が夢のように思えてしまう。
 それでも、彼が私の頬に触れ涙を拭ったあの感覚はしっかりと頬に残っている。人間のものよりは冷たくて、だけどしっかり体温を持って触れられた私の頬は、ずっとそれを覚えていた。


「ナマエ、いるかい?」
「! ……ルフレ……」


 天幕の外から聞こえたのは、愛しい声。さっきまで確かに聞いていたのに、ひどく懐かしい感覚に陥る。
 この天幕の向こうにいるルフレは、ルフレだ。ギムレーじゃないのは、分かっている。


「……ん、いるよ」
「入ってもいいかな?」
「うん」


 天幕を開けて彼が私の空間に入ってくる。あの世界で見たギムレーと変わらない姿に安堵するような、安心するような、そんな感覚になってほっと息をつく。すると彼は私の顔を見た瞬間、ぎょっとしたように目を見開いた。
 ちょっと、失礼ね。そう言いたくて口を開いたけれど、頬に何かが伝って口に入る。塩っぱい味が私の口を満たして、ああ、涙、だ。


「ナマエお前、なに泣いて……!? 怪我でもしたのかい!?」
「っ、っ」


 違う、そうじゃない。そういう意味でぶんぶんと首を横に振ればさらに心配されて困った。
 こんなこと言って、信じてもらえるのかはわからないけれど、言わなきゃ余計に迷惑になりそうで。仕方なくなって私はゆっくり口を開いた。


「もうひとりの、ルフレにあったんだ」
「え……?」
「そのルフレは、ギムレーだったんだ。……それでも、私はあなたのことを愛していたよ」


 それは紛れもない事実だった。嘘は一つもついてない。そのことに自分自身どこか嬉しくなって、思わずルフレを抱きしめる。

 大丈夫、ルフレはここにいる。確かにあの世界でも、ルフレはいるけど、この世界の私はギムレーのルフレじゃない、彼を愛し続けるの。



もうひとりのせかい
(私はこのせかいで、あなたと生きていく)




title…Cock Ro:bin
2015.07.17 加筆修正