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いくつかのはかないもの

「……それで? 俺に頼みたいことってなんだ」


 ガイアは目の前の珍しい客人にホットチョコレートを差し出しながら首を傾げた。相手が全く知らぬ者だったとしたら、ガイアとてこんなにも無防備に対応などしなかっただろう。
 客人はガイアの旧友で、信用に足ると判断されている人物。長く闇稼業を行ってきたガイアにとって、そう思える相手は多くない。闇稼業を行う前からの知り合いか、或いは「あの戦争」でともに戦場を駆け巡った者くらいだ。
 目の前にいる彼は後者である。


「聖王の軍師様が俺みたいなのとつるんで大丈夫なのか、ルフレ」
「君はまたそうやって茶化す……。クロムの軍師、だからだよ」


 目の前の男はあの戦争の頃と同じように、屈託のない笑顔で応えた。
 全く、これで前の戦争の黒幕になりかけていたというのだから末恐ろしい。もっとも、あれは彼であり、彼ではない邪悪なものでしかなかったが。

 前の戦争で勝利を収めたイーリス軍、そこにガイアは在籍していた。元々ペレジアに雇われていたのだが、依頼人が隠し事をしていたり、本当の内容がガイアにとって気に入らないものであったりと、そういう巡り合わせがあってイーリス軍に身を置くことになった。
 そのイーリス軍で軍師を務めていたのが、この人の良い笑みを浮かべる男、ルフレだ。彼の立てる策は間違いなくイーリスを勝利へと導いてくれた。人を信じ最善を尽くすルフレを、ガイアは好ましく思っている。事実、いい友人だ。
 彼は今、聖王──前の戦争ではガイアの雇い主であり、軍の将を務めていた聖王クロムの軍師をしている。クロムとも友人ではあるのだが、向こうは一国の主でこちらは闇稼業家。会えるはずもない。
 本来ならば、そのような立場にあるクロムの相棒、ルフレもガイアに会いに来るべきではないのだろう。しかしそれでも、──それでも彼がここに来るということは、きっと。

「ただの友人として君に会いに来たいんだけれどね、ガイア、君はそれをよしとしないだろ?」
「当たり前だ。こっちとつるんで悪い印象持たせるわけにはいかないだろ」
「気にすることないのに……」


 そうは言われても、ガイアは自分の立場を理解しているし、そのせいで友人達が何かを言われるのは我慢ならない。自分が何かを言われるだけならば好きにさせるが、自分のせいで彼らの評判を貶めるわけにはいかない、と肝に銘じていた。
 それはルフレも知っていることで。だからこそ彼がここに来るのは、そういうこと≠ネのだ。


「……仕事の依頼だ」
「あぁ」


 ルフレの声のトーンが落ちる。ゆっくりと、しかしはっきりとした響きを持つそれは、紛れもなく自分を勝利に導いた声。彼がそれだけ真剣で、それだけ様々なことを考えてここにいる、ということが手に取るようにわかる。
 いつの間に用意していたのか、彼は手元の資料をこちらに寄越した。そこに羅列されてある文字は、イーリスではそこそこ有名な貴族一家について。


「これは?」
「今度、その家が収めている領地にクロムと僕が向かうことになったんだけど、あまりいい噂を聞かなくてね」


 無論、ガイアも知っていた。仕事柄よくない噂はガイアの元によく集っていて、その中に貴族一家のよくない噂というのもある。過度な徴税、行き過ぎた罰、闇賭博……。これらはまだマシな方で、もっと酷いものもあったから、そのインパクトで覚えている。
 噂は噂といえど、火のない所に煙は立たないというし。そんなところにクロムが向かって大丈夫なのだろうか、と一瞬考えたが、そのための己なのだろう、とガイアは思考を巡らせた。


「……ここに、何をしに行けばいい? 情報収集か、なにか不正の証拠でも探してくるか。或いは……」
「いや、そういうのではなくて──」


 すっと細められた目がこちらを向く。金色は妖しい光を灯して、しかしそれでも少し迷っている風だった。彼は基本的に秩序側、混沌に身を浸す己に頼るということは、秩序ではどうにも出来ないことだったのだろう。故にそこに迷いが生じるのは、何もおかしくはなくて。
 すう、と息を吸ったルフレ。数秒後に彼がこぼした言葉は、流石のガイアも信じ難いものだった。





「……ここか」


 領主の邸宅の裏側を見上げて、ガイアは少し息を吐き出した。こんなところに来ているのは当然、ルフレから寄越された仕事に関連してなのだけれど、流石に今回の仕事は緊張する。今までやってきた盗みとは訳が違うのだから。
 普段ならいるのだろう見張りたちは、どうやら今日訪れるクロムの方へと全員回されているらしい。だからここに来ること自体は簡単だったし、盗みを実行するのも……普通なら簡単なのだろう。
 しかし違う。今回ルフレに仕事として盗め、と言われたのは、「普通」ではないのだ。


「……さて、いくか」


 覚悟を決めて行動を開始した。木を登り壁を伝い、目的の部屋のバルコニーまで簡単にたどり着く。これくらい、ずっとこんなことをしてきたガイアにとっては赤子の手をひねるも同然な作業で。あんまりに簡単だから、ここの領主はきっとこんな風にされることを想定していないんだろうなぁ、なんて考えながら、ロックピックを取り出して窓を開けようとして──やめた。
 どうやら鍵は無用心にも開いているらしい。手間が省けて結構なのだが、こうも不用心だと逆に罠を疑ってしまう。どうやら、そこまで頭の回る領主でもなかったらしいが。

 窓からそろりと中を窺う。部屋は貴族女子の部屋そのものといった様相で、予想通り──否、計画通り無人ではなく、一人の少女がベッドの上に横たわっていた。こちらには気づいていない様子で、何をするでもなくぼうっと天井を見つめている。
 痩せぎすの身体は血色がよくなく、まともな食事をろくにとっていないことがわかる。また、そんな細い身体には似つかわしくない、重々しい首枷が鈍い光を放っていたことも。


(──ああいうのは、)


 ああいうのは、重罪人がつけるものだ。例えば己のような。間違っても、貴族屋敷の──牢ではない一室にいる少女がつけるようなものではない。その首枷はどうやら、部屋の壁に繋がれているようだし。恐らく自由など、ないのだろう。

 思わずため息が漏れ出た。まったく、俺にこんな案件を持ってくるなんて、と内心ルフレに愚痴を零しながらこんこんと窓をノックした。別に無言で中に入ったっていいのだけれど──よくはないが闇稼業家として仕事をしている時点で良いも悪いもない──、騒がれても面倒だし。
 ノックの音に気づいたらしい少女がゆっくりとした動作で身体を起こしこちらを見る。しばらくわけがわからない、と言った様子でじっとこちらを見ている。……あまりに見られて居心地が悪くなりそうだ。
 叫ばれたりして下の……ルフレやクロムらがいるところまで聞こえたら困るし、領主に聞かれるともっと困る。そうされないように先にしぃ、と人差し指を唇へ当てれば、向こうも何かわからないなりにこくこくと頷かれる。叫ばれることはなかった。


「……さて」


 窓を開けてくれ、とジェスチャー。少女は訝しげにこちらを見たまま動かない。繋がれた首枷は窓まで来るくらいの余裕はあるし、ただ単に警戒されているだけのようだ。警戒されて当然なことをしている自覚はあるので、傷ついたりはしない。
 そもそも、こんな窓開けてもらわなくても自分で開けられるのだが。住人がいる中でそんなことをするのは憚られる。義賊を気取るつもりは無いが、筋は通したい。
 しばらくそうして待っていると、観念したのか少女がおずおずとこちらに歩み寄ってきた。無理に突破しなかったからある程度信頼してくれたのかもしれない。……信頼してくれること自体は喜ばしいことだが、もう少し警戒しなくていいのかと心配してしまった。

 かたり、と軽い音がして窓が開く。部屋に入るように促されたのか少女は一歩引いたが、ガイアは首を振ってそれを拒否した。長居をするわけにはいかない。
 少女にもその意思が伝わったのだろう。また窓に近寄ってガイアのことをじっと見た。対話をしよう、としてくれているらしい。


「……あなたは?」
「名乗るほどの者ではないんだが……」


 しばし逡巡。窓を開いて招いてくれた彼女に名前を伏せるのはおかしい気がする。しかし、だからといって名前を伝えてしまうとこのあとがやりにくい。闇稼業家として、名が広く知られてしまうのは宜しくないことだ。……前の戦争で随分と広まってしまったから、こんな心配今更なのかもしれないけれど。
 義理堅い自分と、保身する自分。せめぎ合ってせめぎ合って勝ったのは。


「……ガイア」


 義理堅い自分だった。
 律儀に本名なんて名乗らなくてもよかったのかもしれない。それでもなんとなく、まっすぐ見つめてくる彼女を蔑ろにしたくはなくて。


「そう、ガイア……さん。私は──」
「ああ、ストップ。名乗るなら本名でな。ここの娘、としての名前はいらねえぜ?」
「……え」


 彼女の気だるげそうだった目が一気に見開かれた。驚きの顔なのか、不信感の現れなのか、ガイアには検討がつかなかい 。
 つかないから、気付かないふりをして。彼女をまっすぐ見ながら、こう告げた。


「──あんたを盗みにきたぜ、元ペレジア王女」







「盗んでほしいんだ、人を」
「……人!?」


 素っ頓狂な声を上げた。ここが戦場なら、間違いなくルフレに咎められているだろう。幸いなことにここはガイアが拠点としているところだから、その心配はない。だからこそこの声だったのだが、ルフレにはどうやら予想外だったらしく、耳を塞ぐポーズを取っていた。そんなことをしても大して変わらないだろうに、と思ったが声には出さない。
 否、今大事なのは己の声ではない。己の声のことなどどうでもいい。問題なのは、ルフレが「盗んでほしい」と言ったものだ。

 人を。盗めと。
 彼は確かにそう言った。冗談でも何でもない、本気の瞳でこちらを見ながらそう言った。
 そもそも、おそらく。ルフレはこの手の――人が関わる関わらない、のような冗談は苦手だ。軍師としていつも振舞ってきたから、そんな性質の悪いことは冗談でも言えるはずがない。
 だからこそ、この言葉が本当の言葉だということをガイアは理解した。それと同時に、この言葉を発するだけでも悩んだのだろう、ということも。
 一度深い息をついて心を落ち着かせる。彼がこう言う、ということはそれなりの理由があるからと踏んでだ。何か、国全体に影響を及ぼすことを言われてもいいように。


「……なんでまた、人を。人さらいは専門外なんだが……」
「うん、……百も承知だ。でも、僕は君に任せたい。……信頼している君だからこそ」


 そう言われると弱い。
 闇稼業家として過ごしてきたガイアにとって、信用は兎も角――闇稼業は信用商売でもあるし――信頼は一番遠いところにあったものだ。一生縁がないもの、とすら思っていた。……あの戦争で、ルフレやクロムらと出会うまでは。
 だから、そんなにまっすぐに信頼をぶつけられると、何も言えなくなってしまう。その信頼を裏切りたくはないし、応えたいとすら思ってしまう。


「……甘いな、俺も」
「知ってる」
「ったく、お見通しってわけか。で、なんで人を盗め、なんて。理由なしってわけでもねえだろう?」
「…………」
「おいおい、ここまで来てだんまりは無しだぜ?」


 わざわざ茶化して言ったのは、彼が言い淀んでいたから。それなりに大きな、しかし言いにくいことなのだろう。だからガイアは茶化した。こちらは気にしない、という意思表示のために。
 無論、それなりに長い付き合いのあるルフレもそれを読み取ってくれたのだろう。暫く目を泳がせていたルフレだったが、やがて息を少し吸ってから言葉を零した。


「……酷く、私的なことなんだ。少なくとも、聖王の軍師としては、言ってはいけないような」
「なら『ルフレ』として俺に頼めばいい。……そういうモンだろ、友人って」
「ああ……そうだね。だから僕は『ルフレ』として友人の君に頼みたい。――僕の姉を、浚ってほしいんだ」
「…………姉?」


 初耳だ。
 ルフレにそんな人がいる、なんて、この数年の間に一度も聞いたことがない。が、それを訝しむことはなかった。ルフレは記憶喪失で、身内のことさえ忘れていたのだ。ならば、その『姉』とやらの話が今まで出てこなくてもおかしくはない。
 だが、何故、という疑問はいくらか出てくるもので。


「どういうことだ? お前の姉ってことはペレジアの……」
「ファウダーが国王だったこともあるから、肩書的には元王女……ってことになるのかな」
「……なんでペレジアの元王女を盗み出すことが、このイーリスの貴族様と関係してくるんだ? それに……」
「順に説明していくから……」


 説明の難解さも彼の口を堅くしていたのだろうなとなんとなく察した。実際今の状況だと何もわからないし、それを説明しなければならないルフレの負担も大きいだろう。
 それだけの負担を押してでも自分を頼りに来た、ということは余程のことなのだろうが。


「僕に姉がいた、というのを思い出したのは数ヶ月前の話だった。母に連れ出された当時の僕は赤子だったから、姉のことなんて知らないし、顔を合わせた記憶もない。母から、少しだけ話を聞いていた、というだけで。だから思い出しても実感はなくて、クロムにも言えなくて」
「…………」


 己と相手のことを片割れ、半身、と称するクロムに対してすら言えなかったということは、余程そのことに確信を持てなかったのだろう。
 当然だ。顔を見たこともない、記憶もない、そんな中から出てきた手がかりが亡き母の言葉、なんて。どこかで見た小説とか夢とか、そういうものと話が混ざってしまっているのではと疑いたくもなるのも必然だ。


「しばらく、一人で情報を集めていたんだ。……こういう時ばかりはファウダーが国王だったことをありがたく思うよ、調べたら情報が出てくる出てくる」
「そりゃ、一国の国王ともなればな。既に死んでると来たら検閲もなにも無い」
「多すぎて溢れるくらいだったけどね。……そんな中、姉……ペレジア元王女に関する記述も勿論あった。……あった、んだけど」


 淡々と言葉を連ねていたルフレの表情が曇っていく。喜ばしい記述ではなかったのだろう。
 ルフレが手からホットチョコレートを離した。よく見ると、小さく震えているような気がする。


「……前の戦争の時に、彼女はその家に連れ去られた。人質とか、そういうのだったんだろうね、きっと」
「…………」
「あの戦争の疵が、思いもしないところに及んでいた。それだけでも結構きついものはあるけれど、……それが顔もわからないとはいえ実姉だと、余計に、さ」


 ルフレが眉を下げてこちらを見る。慰めるべきなのだろうが、そんな優しい言葉は思いつかなかった。そしてきっと、ルフレもそれを望んではいないのだと思う。
 だから、ただ気付かないふりをして話を進める。それがガイアに出来る精一杯の優しさだった。


「……で、それでその家はどうしたって。ペレジアが敗北した以上、彼女に人質の価値なんてないと思うが」
「あぁ、普通なら解放するなり殺すなりするんだろうけど、そうはならなかった。その家の領主が、どうやら子を成せないらしくて」
「……養子として育てた、とか?」
「当たり。偽名を使わせてね。表向きは、だけど」
「?」


 子を成せない貴族が、養子を取り家の存続を確かなものにする。それ自体は決して多い案件ではないものの、納得できる。勿論、正式な手順を踏んでいないこの場合は褒められたことではないが。
 しかしルフレは「表向き」と言った。裏を返せばそれは、別の何かがあるということで。


「……あんまり使いたくない言葉だけど、奴隷……とか」
「……あー」


 なるほど、理解した。きっとその奴隷には何重もの意味があるのだろう。言い淀むわけだ。
 イーリスの地でそんなものが行われているという事実をまざまざと見てしまうだけでも、国を大事にしているルフレにとっては大きなダメージだろうし、その対象が実姉ともなると、そのダメージは計り知れない。
 つまり、この依頼は。


「盗むとは名ばかりで、助けてこい、ってことか」
「そんな大それたものじゃ……」
「いーや、大それたものだね。友人の姉を救出する、か。いいねえ、そう甘くいくかはわからねえけど」


 奴からすれば娘を攫われた、というところなのだろうが、元々奴のものでもない。
 軍が助け出せればよいのだが、貴族が相手で対象が元王女だとそういうわけにもいかない。拗れる。
 ならば、だというなら。


「請け負ったぜ、ルフレ。報酬はそうだな、甘いものをたらふく。お前と、姉と一緒に食いに行こうか」


 そんな条件でこの依頼を受けて、今に至る。







「私の、こと。知ってるんですね」
「ああ、……クライアントがよく調べていたぜ」


 依頼をする以上きっちりと調べあげていたらしいルフレと、依頼を受ける以上きっちり調べあげるガイア。この二人がやっていることなのだから、抜けなんてあるはずもない。
 彼女の名前も、邸内にいるだろう時間も場所も、全て徹底的に把握している。


「……何故、私を? 義父様への当てつけ、とか」
「そんなわけあるか」


 きっと彼女がいなくなったところで当てつけなんかにはならない。そんなことは彼女自身も理解しているだろう。だから何も言わなかった。
 じっと彼女の瞳がこちらを見ている。品定めするような視線に晒されて、なんとも言えない居心地の悪さを感じるが、ここでなにかアクションを起こして怖がられたり、衛兵を呼ばれたりされても困るので大人しくしておいた。
 それが幸をそうしたのか、彼女は少しだけ警戒を解いた。完全とは言わずとも、上々だろう。


「……ナマエです」
「ナマエ」


 聞いていた、そして調べた名前と同じ名前が出てきて安堵する。これで違ったらどうしようかと心の中では少し不安だった。そんなことはなかったが。
 こちらを見る目はまだ怯えに濡れている。何をされるのか分からず怖がっているのだろう。別に何をするつもりもないが、ここでの経験がそんな怯えを植え付けているのだというのなら。


(──到底許せるようなものでもねえな、なぁルフレ?)


 届くはずもない言葉を心の中で呟いて、なるべく優しい顔をナマエへと向けた。


「首のそれ、とってやろうか」
「……え」
「大方逃げ出せないように繋がれてるんだろ。というか盗むんなら取らねえと盗めねえからな。どうする」
「どう、って」


 取れるものならとってほしい。瞳がそう言っていた。だが義父の存在が彼女の中でちらつくのだろう、その言葉を発することはない。
 別に本当は、彼女との会話などなく攫ってもいい。ルフレにその辺は指定されていないのだから。

 それでも。


「──ナマエ」
「……な、んですか?」


 名前を呼んで利き手を差し出した。彼女も今までの所作で利き手に気づいていたらいいが。
 害意がない証だ。武器も持たず武器になりうるものも持たず、ただ彼女に差し伸ばしただけ。
 何をされているのかわからないらしいナマエが少し不安げに首をかしげた。説明不足だったなと苦笑して、ガイアは凛とした瞳でナマエを見返す。


「俺はあんたを解放してやれる」
「…………」
「あんたのその、靴下すらを履かない足に取っておきの靴を履かせてやれる。壊れそうな程に儚いあんたという存在を、あんたに近しいもののところまで送り届けられる」
「…………、」
「でも、あんたが望まないなら、今の生活を享受しているのなら、俺はあんたを盗まない。もしも、俺の今の言葉を望むのなら──」


 その先の言葉を紡ぐ前に。
 彼女はガイアの手を取っていた。

 ぐっと手を引いて、彼女の体を抱き寄せる。バランスを崩し、倒れ込んできたナマエの首の後ろに、利き手とは逆の手を近づける。その手の中に輝いていたのはロックピックで。


「きゃ……っ」
「ったく、甘い甘い……俺も、あんたも、この錠も」


 がしゃりと音を立てながら錠が外れる。鈍い輝きがようやく彼女の首元から落ちて、そして。


「……あ、まずい」
「え?」
「この錠外したら連絡が届くタイプの魔法がかけられてるっぽいな……流石にそこまで甘くはなかったか」
「え、えええ、どうするんですかっ」
「どうするもこうするも──」
「ひゃあ!?」


 横向きに抱いた。やはり良い扱いを受けていなかったのだろう、彼女の体は驚くほど軽くて少し拍子抜けした。思いのほか勢いよくあげたせいで、彼女も驚いてしまったようで少し大きな声が出る。
 しかしそんなことを気にかけている暇はなく、ガイアはくるりと踵を返した。


「歯ぁ、食いしばってろ、舌噛むなよ」
「待って、待ってガイアさん、もしかして──」
「そのもしかして、だ!」
「────!?」


 彼女の言葉を待たずして、ガイアはバルコニーから飛び降りた。
 次第に屋敷は騒がしくなっていく。ルフレとクロムもその場にいて──ほんの少しだけ、気づかれないように笑っていた。

 盗みの依頼は、成功したようだ。




いくつかのはかないもの
(甘い甘い、この俺がそう簡単に捕まるとでも?)




Title...ポケットに拳銃
2018.02.11 執筆