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神は私に振り向かない

※CP表現があります
※救われない




 がしゃり、ずり。がしゃり、ずり。
 重い金属がかち合いながら石畳に引きずられる音がする。初めはこの音に聞き覚えがなくて怯えたこともあったけど、随分慣れたものだ。
 鎧を纏った人が歩く音。それも、足を引きずりながら。幽霊か、と怯えていた頃が懐かしい。幽霊が足音を立てて歩くわけがないから、こんな音だってするはずないのに。
 周囲の温度がほんの少し下がった気がする。それと同時に音は止まった。私の近くで。


「──……ナマエ、か」
「おはようございます、ベルクト様」


 声をかけられる。それは私があちらもとの世界にいた頃とはだいぶ違う声音で。それでも、その人──ベルクト様は私の主だった方だから、一礼をすることは忘れない。
 顔を上げてかの人の瞳を見る。綺麗だった栗皮色の瞳は、何かに取り憑かれたような赤くおぞましく、そして美しい輝きをしていた。ただ、そこに彼の意思は存在していないようにも見える。


「……なんだ、その目は。何か言いたげだなァ、ナマエ?」
「いえ……そのようなことは、何も」


 ……ような、ではない。実際彼は、ドーマ神のあまりに強大すぎる力に取り込まれている。私は、……私は、そんな彼の末路を知っているのだから、目を逸らしても仕方が無い。
 仕方が無い、とわかっているはずなのに。どうしてもその瞳をまっすぐと見ていると、胸の奥がざわざわと鳴る。

 分かっている、これは既に決定されたことだ。
 たとえどこかの異界にそうならなかったベルクト様がいるとしても、私の世界の──そしてこのベルクト様は、既に遅い。
 分かっている。分かりたくなくても、分かってしまっている。


「……お前も、なのか」
「……え?」
「お前も、俺を、ずっと笑っていたのか……ッ!」
「……ベルクト様……違います、私は、ナマエは……」
「煩い、煩い煩い煩いッ!!」


 届かない。
 彼の精神は既にまともなものとは言い難い。皇帝になることを志にし今までを送ってきた彼のその精神は、皇帝になれないと知ったその日に限界を迎えてしまった。
 ドーマ神の言葉を聞き入れ、その力に溺れた彼には、ただの一臣下である私の言葉なんて、届くはずがない。それでも無様に否定の言葉を連ねるのはまだ届くだろう、と心のどこかで期待しているからか、それとも──。


「ナマエも……お前も、リネアも! ずっと、俺の事を……」
「ベルクト様……、どうかお聞きください、私のことは信じられずともリネア様のことは……」
「……リネア……そうだ、リネア……」


 普段から狂気に囚われた彼の言葉は支離滅裂だけれど、今日は一段と酷く感じる。……狂気に堕ちていないベルクト様はそんなことはなく聡明なお方なのだけれど。
 そんなことを考えたって仕方がない、か。だってここにおられるベルクト様は、そうではないのだから。
 
 片手で頭を抱えるようにその場に踞られた。どうかなさいましたか、と近寄ろうとすれば、その赤い双眸が私を射抜く。近寄るな、と言外に言われてその場に立ちすくんでしまった。
 頭が痛い、のだろう。だけれど私に出来ることは何もない。その頭痛は病的なものではなくて、きっと彼の内よりいずるもの。


「ぐ、ぅ……っ」
「……リネア様を、お呼びしましょうか……?」
「……リネア……」


 嘘だ。リネア様はここにはいない。召喚師がどこかの世界にいるリネア様と運良く縁を結ぶことが出来れば可能性は無くはないかもしれないけれど、今はまだこの世界には来ていない。
 こんな嘘をついてしまって罪悪感がないとはいえないけれど、こう言うとベルクト様の意識がリネア様に集中されるから、度々私はこう言っていた。


「……ナマエ……貴様、俺の……」
「はい、貴方のリネア様です」
「…………」


 ぎろり、と赤い瞳がまたこちらを向く。今度は拒絶の意ではなく、連れてこい、という意味だろう。ほんの少しだけ、彼本来の栗皮色が見えた気がする。
 失礼致します。そう小さく伝えて一礼。彼をこの場に置いておくのはなんとなくいたたまれなかったが、一人で冷静になる時間を作らせた方がいいのは今までの経験から知っている。だから、私はその場を半ば逃げるようにして去った。

 しばらく歩きベルクト様から私が確実に見えないところまで来て、私は壁に背をつけて崩れ落ちるように座り込んだ。周りに人がいれば何事か、と思われたかもしれない。
 肺に溜まった空気を吐き出すようにはぁー、と深くため息をついた。それでも胸の奥にある淀みのようなものは消えてくれない。……そんな簡単に消えてくれるのであれば、私だってこんな深く悩みはしなかっただろう。


(……慣れない……)


 あのベルクト様と私は別の世界の存在だ。広い目で見れば同じ世界だけれど──基盤となった土地や辿った歴史はほとんど同じものだからだ──、細かな違いがある世界からそれぞれ呼ばれている。
 私はあのベルクト様と違う世界から来ている、ということを認識している。あのベルクト様がそれを認識しているかは分からない。聞いていたとしても、あの錯乱状態の時にそれを思い出せているとも思っていない。
 だから私は何も気にしないように振舞っている、けど。それでも自分自身の心の内は騙せない。

 私の世界のベルクト様は亡くなった。ソフィア解放軍の、……ベルクト様の従弟であるアルムに討たれて。否、それだけならばきっと、アルムはベルクト様を助けただろう。でもそうはならなかった。
 ベルクト様は、ドーマ神の力を授かった。……婚約者であるリネア様を捧げて。無論、その代償はリネア様だけで事足りるはずがなく、アルムとの戦闘後にベルクト様は亡くなられた。ベルクト様も、それはきっと承知だったのだろう。

 だからこそ、私は今の状況をどうしても上手く飲み込めない。違う存在だ、と割り切ればいいものなのだけれど。
 目の前に死んだ主がいる。ようやく諦めが着いたところだったのに、そんな時に彼が召喚されてしまって私の心はぐちゃぐちゃだ。


「……どうせあの方が召喚されるのならば、」


 ぽつり、と口の中から漏れたのは酷く浅ましい考えだった。そんなの、叶えられるはずがないのに。叶えられたとしても、こんなことを思う私がそれ以上の幸せを掴めるはずもないのに。
 はぁ、とまたため息が零れた。ため息を着くと幸せが逃げる、と召喚師に言われたことはあるけれど、逃がすような幸せも私には無い。


「──……ドーマ神よ、私もどうか、貴方のお力で……」


 そんな小さな私の呟きは誰に聞かれることも無い。応えてもらっても戸惑ってしまうからそれでいいのかもしれないけれど、やっぱりベルクト様のように選ばれた人間じゃあないのだな、と実感して嗤ってしまった。
 ……リネア様をほんの少しだけでも「彼女がいなければ」なんて考えた私が、そんな力を手にしてしまってはいけない。



神は私に振り向かない
(ドーマ神も、ベルクト様も)(お願いだから、こんな醜い私を見ないで)



2019.05.25 執筆
Title...累卵