「ナマエさん、今日ご飯どう?」
「お誘いありがとう。けれどごめんなさい、シルヴァンとの約束があるの」
「シルヴァンー、一緒に遊びましょうよー」
「あぁもちろん! 夜にはナマエとの話があるからそれまでになるんだけど……いいよな?」
彼女と暗々裏に奇妙な関係を結んでおよそ一節。
効果があったのかなかったのかと問われればもちろんあった、と即答できるくらいにはあった。そりゃぁ多少聞き分けの悪い子がいたりはしたが、それでもこうなる前よりは随分やりやすい。
イングリットにはめちゃくちゃに怒られた。そりゃあもうとんでもないくらいに怒られた。
けれどナマエが理由を説明して、ついでに自分から吹っ掛けた話だと言ったら一応は落ち着いてくれた。……本当に一応は、だけど。まぁイングリットもイングリットで俺を、そしてナマエを心配してくれているってことはわかるんだけどさ。
……確かに仲良い連中には言っておいた方が混乱させないよな、あと風紀的な意味で先生にも。と思ってイングリット、フェリクス、そして殿下と先生には伝えておいたので、今この辺りの事情──とは言っても表向きナマエが疲れているって話だけであり詳しい話は俺たちの秘密だ──を知っているのはその三人と先生、そして俺たちということになる。
フェリクスには凄く怪訝な目をされたし殿下は理解出来ないものを見たという目で俺を見ていたけど。ナマエにはしないのに俺にはするんですねその目。幼馴染の特権かな嬉しいなあ。いややっぱり嬉しくはない。
そういうわけで俺たちはこの密かな関係を続けていた。
過干渉は無く、しかしかと言って何にもしないと疑われるから週に一度一緒に飯を食う。そんな感じに緩くて、割と心地のいい関係だ。
ナマエと飯を食うのは嫌いじゃない。向こうはこちらの事をわかっているし、その逆もまた然り。幼馴染たちといる時とはまた違った自然体でいられる気がして楽だ。向こうがどう思っているかは知らないけれど、嫌なものとして認識されていないといいと思う。
今日は五度目の席だった。
込み入った話をすることもあるから場所は学校の食堂ではなく最初に飯を食った飯屋と同じ。一応こんな関係とはいえ女の子との逢瀬なんだからもうちょっと雰囲気のある場所でもと考えない訳でもないが、これはこれで俺たちらしいんじゃないかということでここになっている。
席に着いて注文を済ませ、運ばれてきた料理を口にする。それからが俺たちの会話の始まりだった。いや、そりゃそれまでだって話はしているけど、踏み込んだ話はしないというか。とにかく、飯を口に入れ始めてから喋ることの方が俺たちにとっては大事だったというか。
「最近どう、シルヴァン」
「いやぁお陰様で。叩かれる頻度はだいぶ減ったなぁ」
「……貴方もすごい根性よね」
根性というか、したいことをしているだけと言うか。そのために叩かれることが必要なら受け入れていただけ、というか。もちろん痛いしなるべくなら受けたくないものだから今の環境はとてもありがたいしナマエにはすごく感謝しているわけで。
ブルゼンを行儀よく小さく分けて口に運ぶナマエを見ていると本当にこの子があの提案をしたのか、なんて気分になる。この席に着いていることが答えではあるんだが、やっぱりなんとなく不思議な気分だ。
俺の視線に気がついたらしいナマエが少しだけ目を逸らした。
「……シルヴァン、見すぎ」
「おっと悪い。可愛らしくてつい、な?」
「私の事まで口説かなくていいわよ……」
「本心なんだけどなぁ」
寧ろ偏見の目無しで見てくれるナマエのことは俺も嫌じゃないし、こちらとしても偏見無しで見られるし、そういう意味でも掛け値なしの本心なんだが。自分の素行とか今の関係とか諸々考えて社交辞令として受け取られるのは想定の範囲内だ。
とはいえこういう会話をしていても実りがないのも事実なので、そういえば聞いていないなと思ってこちらからも問いかける。
「ナマエの方は?」
「私? ……同じような感じかしら。一人諦めない人はいるけれど、それでもだいぶ減ったと思うし……」
「諦めないやつ、ねえ。こっちも似たようなもんだけど、あの情熱はいったいどこから出てくるのやら」
「私たちが必死なように、向こうも必死なんでしょうね」
その必死が俺たちにとっての害になっているということに気がつければとても嬉しいんだけどな。寧ろ必死だから気づかないんだろうな。
ため息が出る。もちろん人にはそれぞれ事情があり、それぞれの思惑で動いているのだからそれをどうこう言ったり操作することは不可能だ。けれどそれと同じように、こちらだって色々思うことはあるわけで。
「……シルヴァンに迷惑がかからないようにしなくてはね」
そう呟きながら最後のブルゼンを飲み込んだ彼女の顔は、かなり疲れているようにも見えた。
†
そんな話をした昨日の今日でそんなことあるのか。あるんだろうな。だから今それを目の当たりにしてるんだろうな。
授業が終わり、それぞれの自由を謳歌する時間。我が青獅子学級へとやってきたのは金鹿学級の男子生徒だった。他の生徒には目もくれず真っ直ぐにナマエの所へと行ったものだから、奴の目的が何なのかはもう考えるまでもない。
ちら、とナマエに目をやればとてつもなく嫌そうな顔をしていた。うん、間違いなく話に出ていた「諦めない人」はそいつなんだろう。
そう思ったのが数分前の話だ。
「なぁナマエさん、今日こそいいだろ? 別に何も自室に来てくれって言ってるわけじゃないんだしさぁ」
「そうは言われても……私も私でやりたいことがあるの、お願いだから……」
あんな明確に拒否されてるのに誘うなんて逆に凄いなと思わないでもないが、確かにあれは辟易する。
世間体とか立場とか、そう呼ばれるものがあるから強く拒絶できないし、恐らくあれがナマエに出来る精一杯なんだろう。
さて。
実情はともかく、俺たちは表向きは恋人同士である。過度な干渉は互いにしないことにしているとはいえ、全く干渉しないとそれはそれで「理由」の説得力がなくなってしまう。それはこの関係においてもっとも避けたいことだ。
今ナマエは困っていて、俺はその現場を今見てる。しかも相手はめちゃくちゃ執拗そう。
恋人同士、なんて建前がなかったとしてもここで見捨てるほど非道な男であるつもりもあんまりない。あと普通に俺が嫌だった。ナマエが気分を害されることも、それに気が付かずに無遠慮な態度を見せるあの生徒も。そりゃあっちも全力なのはわかるけどさ。
極々自然に、そうすることが当たり前だと言うように、そして恋人に近づくように、俺は体をそちらへと滑らせた。机に手を付き、声音を変えて。
「ナマエ、今日のご飯どうする? あぁでも、やりたいことあるんだっけ」
「シルヴァン……」
俺に声をかけられたナマエは少しだけ表情に安堵の色を乗せた。対してあの男子生徒は俺に向かって露骨に嫌な顔をする。露骨も露骨すぎていっそ恐ろしい。
俺の行動の意図をきちんと察したのだろう。ナマエはしおらしく俺の服の袖を握る。
「……そう、さっきの授業の復習をしたくて。シルヴァンはさっきのところ分かった?」
「まぁだいたいは? 教えてやろうか」
にこにこと人のいい笑顔を浮かべながら交わす会話はとても自然なものだろう。何せ上っ面で生きてきた二人だ、そりゃあ上手に見えなきゃおかしい。
さてどう出てくる、と男子生徒の方を向けば凄く睨まれている。話に入ってくるどころか話を奪われたようなものだもんな、そりゃ怒るよな。でもそうさせるくらいナマエを困らせてたのはお前だぜ、と内心毒づいた。
その毒が届いたのかそうでないのかは知らないが、というか届いてたら怖いので偶然だろうが、男子生徒は俺を見ながら言い放つ。
「こんな奴のどこがいいんだよ」
言うに事欠いてこれかよ。
言いたいことが分からない訳では無い。今の俺の世間評価は恋人がいるのに女遊びをする不埒者、ナマエの方はそんな俺に惚れた馬鹿な女、というところだと思う。俺たちはそれも承知でこの関係を築いたし、それにどうこう思うことは無い。
無いが、それでもそれを刃として向けてくる奴らはいるのだろう。それこそこいつみたいに。
俺にとっては慣れた話だ。こんなやつ、あんたなんか、今まで死ぬほど聞いてきた言葉だ。だからどうだっていい事だ、気にかけることもない。
これ以上話していても多分どうしようもないな、と思ってナマエを席から立たせようとした。
「シルヴァンは、素敵な人よ」
え、何それは。
こんな奴のどこがいい、なんて聞き飽きた言葉への反論だと言うことに気がつくのが遅れてやや目を見開いてしまう。え、今のナマエが言ったんだよな?
ナマエのそんな言葉が聞こえるまでは本当に立たせようとしていたのに、いきなりそんなことを言うものだから立たせるための言葉が喉の奥に引っ込んだ。
「私を助けてくれるの。今も私が困っていたから声をかけてくれて」
「それは……」
「とても優しいわ。周りを見て、配慮が出来て。悩んでる時にはちゃんと寄り添ってくれる。だから好きになったの」
この場を収めるための美辞麗句だということは分かってる。分かってるけど、こんなにも褒められることなんて滅多にない──素行が問題なのは分かってる──ので凄く胸の奥がそわそわする。恥ずかしい、ってこういう気持ちのことを言うんだと思う本気で。
この辺りで引いてくれると助かる。主に俺の情緒的な問題で。色んな意味で情けない気持ちを抱きながらナマエを見ると目線が絡まって、それから微笑まれて。
「私の一番、大切なひと」
──とどめを刺された。
いやそれはもう反則だって。嘘、誤魔化し、お世辞、社交辞令、それからええっと。
必死に頭の中で自分を納得させるための言い訳を連ねる。俺たちはただ互いの煩わしいものを少しでも軽くするために関係を結んだわけで、そういう感情はないはずで。
でも彼女の言葉が嘘では無いとわかってしまう。
同族の言うことやること、それが薄っぺらなものかそうじゃないかくらい手に取るようにわかる。その上で彼女の言葉が本心だとわかってしまう。
お互い鬱屈した内面をさらけ出し、それでも出てくる好意の言葉とこの表情は嘘じゃない。
それに心を動かされるのは、もう、仕方なく無いか?
「ねぇ、シルヴァン。復習、ご飯を食べながらでも?」
「え? ……あ、ああ。もちろん」
そういやそんな話の流れだった。受け取った言葉が衝撃的すぎて頭からすっぽ抜けていた。
我ながら挙動不審になっちまった、と思っていたら手を取られる。行きましょう、と付け足されて退室を促されているのだと理解した。そっと男子生徒の方を見れば随分とまぁ悔しそうな顔をしている。やや可哀想だとは思わなくもないがそんなこと気にしていられないというかなんというか。繋いだ手が汗をかいていないか嫌に気になる。
それから歩いて数分、校舎から離れた所で足が止まる。ここまで来たらあの男子生徒に見つからないだろうと踏んでのことだろう。
手を離されて、ほんの少し名残惜しいと思ってしまった。けれど俺はそれどころじゃない。なんでって、あんなことを言われて心臓が早鐘を打っていて、平常心でいられるわけがない。
なんとなく熱を持った顔を両手で覆うようにして、そのまましゃがみこんだ。
「ごめんなさい、ありがとう。無理に連れ出しちゃった」
しゃがむ俺に合わせるようにナマエがしゃがんだ気配がした。申し訳ないが今はそちらを見れないので視線を地面に落としながら口を開けた。
あ゛ー、と詰まった息が喉を震わせてしまう。
「……なぁナマエ、いや、大丈夫だと思うけど、ああいうの他の男にはやめとけよ……」
「ああいうの?」
「割と本気で内面褒めてたろ、ああいうのされると人間誰しも落ちちまうって」
男性嫌いを自称しているのなら尚更だ。いや、ナマエの男性嫌いは男性そのものというよりも紋章にしか価値を置かない男共ってことなんだろうけど。そうやって好きになった奴は紋章関係なしにナマエのこと好きになるのかもしれないけど、だ。
それでも望まぬ想いを抱かれるのはナマエだって望むところじゃないだろう。人に好意を告げられることとか、その演技力とか、そういうのは凄く尊重されるべきものなんだけどさ。
「俺だって危ういんだぜ? 本気で好きになっちまうとこだったって」
気恥しさから零れた言葉は茶化すように震えている。うん、いやでも、だって、ほら。俺たちはそういうのじゃないもんな、と誰にするでもない言い訳を頭の中で反響させる。
一瞬の沈黙の後、ああ、とナマエがどこか楽しげな声で呟く。何か面白いこと言ったっけ、と覆っていた顔を上げると、こちらをのぞき込むナマエと目が合った。
「いいのよ? 好きになってくれても。本気で口説きにいったもの」
「……え、」
「全部本心よ、気づかなかった?」
……同族なんだ、気づかないわけあるか。
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(お前ほんとそれ俺以外にやるなよ? ……な?)(貴方にしかしないわよ、心配性なんだから)
2023.01.24
Title...ユリ柩