※3万ヒット記念リクエスト(ヨリ様)
何処をどう生きりゃ、好ましいと思っていた女にそんな申し出を受けることになるのだろうかね。目の前にいる元凶のことを一瞬だけ忘れてそんなことを考えた。
そんな俺の事を目の前の元凶はじっと見ている。まったく、人の気も知らないで。いや、知られないように振舞ってたのは俺だけどさ。
はぁ、とひとつ息を吐き出した。目の前の女が肩を揺らしたのを確認して、俺はもう一度女を見る。
「悪いナマエ、もう一回言ってくれ」
「……一節の間だけ、恋人のふりをして、とお願いに来た」
「はぁー……」
聞き間違いであれ、と少しだけ思っていた俺の願いは見事に打ち崩された。女神様よ、これはどういう試練なんだ。
ナマエの顔を盗み見る。その顔は冗談を言ってる風には見えない。
両手には小さい袋があって、時折しゃらしゃらと金属同士が擦れる音がしている。それが「お願い」の報酬だと言うことは考えるまでもなかった。
恋人のふりをしてほしい、期間は一節の間。
ナマエに言われた言葉の意味を噛み砕いて咀嚼する。一口目と変わらない味がしてまた頭を抱えることになるわけだけど。
そりゃあまたなんで。至極真っ当であるはずの疑問を投げかけるとナマエはぽつぽつと話を始めた。
「……父が決めた人との縁談を断りたくて」
「縁談、ねえ」
おうむ返しをすると申し訳なさそうに眉を下げられた。別にそういう顔をさせたくて復唱したわけじゃねえんだけどなぁ。
ナマエは地上に住む、小さな貴族の子供だと聞いた。嫡子ではないらしいが、まぁ縁談話が転がってくるのも当然だ。
そういうわけで、ナマエの元にも縁談の話が転がり込んできた。だがそれを断りたい、断るためには理由が必要。その理由として俺を使いたい、というわけか。
分からなくもない。自分の預かり知らねえところで勝手に結婚相手が決まってました、なんていうのはちょっとばかし無理があるし、そうやって婚姻して仮面夫婦している貴族なんかごまんと見てきた。
俺だってナマエのことは気に入っているし、ナマエがそれから逃げたいって言うんなら理解はするけど、さ。
「それで? なんで俺様なわけ」
「そ、れは」
問い詰めたいわけではねえけど、それが気になるのは当然のことだろ。そう思って彼女にそれを問えば、彼女はみるみる内に小さくなった。
そんなに聞かれたくねえことなのかよ。というか、聞かれたくないことを俺に依頼なんかするか? 普通。
どうしたものか。本来なら内容が不透明な「お願い」だなんて聞くべきことじゃない。俺は別に何でも屋なわけじゃないし、言うことを聞いてやる必要だってない。
だが、ナマエに今恩を売っておくことも悪くないとは思う。小さいとはいえ貴族の子だ。利用できるものは利用できるようにしておきたいし、……まあ若干下心も含めて。
どっちに天秤が傾くか、なんてのはすぐに答えが出る。自分の現金さに少しばかり腹が立った。
「別に、言いたくないなら言わなくてもいい。お前悪だくみとか下手だし、俺をハメたりする理由もないだろうし」
「し、失礼な……。……地上のみんなは大なり小なり名前が通り過ぎてるし、恋仲のふりをしてもらうには都合が悪くって」
俺なら都合がいいのかよ。喉を掠めた悪態は飲み込んでおく。今突っかかっても俺に益がねえ。
確かにナマエの言うことも一理ある。地上の士官学校生は皇族王族次期盟主、そうでなくとも貴族の嫡子やら臣下やら、恋仲のふりをさせるには名前が大きすぎる。平民出身の奴等だって、貴族の恋仲にするには何かしら障害がある。
その中ではまあ、俺はいい方なんだろう。貴族に媚びを売るために貴族社会の常識ってやつをある程度頭に入れているし、顔だっていい。
調べれば悪事が出てくることもあるが、ナマエだってそれを知らないわけじゃない。そのうえで俺にこんな話を持ち掛けてくるってことは、ナマエの家は嫡子じゃないナマエの恋人にそこまでしないんだろうな。結婚となりゃ話は別かもしれねえが、あくまで恋仲なわけだし。
「一節ってのは? 長くねえか?」
「……父がこちらに来るのが一節後。それまでにそれらしく$U舞えるようになっておきたいの」
「成程な。疑われてバレちまえば恋人ごっこの意味がなくなる」
案外ちゃんと考えているらしい。
なんの思い出も思い入れもない状態で親に紹介なんてしたら、ちょっと深い質問をされるだけですぐにばれてしまう。縁談の破棄のためにそれを避けたいと思うのは当然のことか。
そこまで考えてんのに頼るのが俺か、と少し苦い顔をしそうになった。これを種に俺に利用されるかもとか考えなかったんだろうか、こいつは。
まあ、いいか。そこまで信頼されてんなら応えるのも悪かねえ。それに、俺以外の誰かに頼まれるのもいい気がしねえし。
「いいぜ、受けてやるよ」
「……いいの? まだお金の話とかしてないけど……」
「どうせ一節分先払い、それだろ?」
小袋を指さす。図星だと言いたげに口を閉じるナマエを見て苦笑が漏れた。分かりやすいな本当。
それくらいの「お願い」なら金を払え、なんていうつもりはないんだけどな。俺がそういうよりも先にナマエは俺に袋を押し付けた。
どうせ要らねえって言ってもこれくらいはさせてくれって言うのも目に見えてるし、有り難く頂戴しておくか。
「確かに受け取った。じゃあまあ、これから一節よろしく頼むぜ、恋人さん?」
「ユーリス……ありがとう」
へらりとはにかむナマエにまた溜息を吐き出した。
そんな全部無事に終わったみたいな顔されても、むしろ始まるのはこれからだってのに。
どうせだ、存分に利用させてもらうとするか。
†
「これは、うん……一節分の時間を取ってて正解だな……」
「……そ、そんなに……?」
「そんなにだ。一人分も空いてりゃ他人に見える」
休日、町のちょっとした店の中。縮こまったナマエと俺の間には一人分の間が空いていて、少し離れたところで飯を食うような形になってしまっていた。
これが恋人に見えるだろうか、と聞かれると正直俺は「いいえ」だと思う。
ナマエと契約を交わしてから数日間、こいつのことを間近で見続けてきて気づいたことがある。
ナマエは男慣れしてない、というより恋愛事に疎い。
俺が生きるための武器≠ニしてそういうことに多少慣れすぎてるってのはあるのかもしれねえが、それにしたってこの距離はないだろ。知らねえ奴が間に一人座っても文句言えねえ距離だぞこれ。
地上で普通に生活している時にナマエが男と隣同士で座っているのを見たことがあるから、男嫌いってわけじゃあないんだろうが。
本当に、一節分の時間を取ってて正解だ。これで両親になんか会ったら間違いなく疑われる。俺の口先だけでどうにもならねえだろ、これは。
男嫌いってわけではない、けど兎に角慣れていない。それが俺の思うナマエだ。多分時間をかければどうにかなるんだろうが、このままじゃあ親と会う日には間に合わねえだろう。
まずはこの空白を埋めることからだ。ナマエの方も頑張って近づこうとしているのは見てわかるんだが、この速度だとちゃんと隣に座る頃には店を出る時間になっちまう。
思わず出そうになる溜息を呑みこむ。ここでそんなもんを吐き出しても何にもならねえし、ナマエを委縮させたら恋人らしさがもっと遠のく。それは俺も、ナマエも本意じゃねえ。
仕方ないな、と自分に少し言い訳をする。だって、この契約を持ち掛けたのはナマエの方なんだからよ。
身体を椅子から浮かせ、ナマエの方へと滑らせた。驚いて少し距離を取ろうとしたナマエの肩を抱くようにしてその動きを止める。
これ以上逃げられたら俺が困る。自分の飯を寄せようと手を伸ばしたらもう中身はなかった。食べ終わったんだった。
「ゆ、ユーリス……近くない?」
「これくらい普通だろ、恋人なんだから」
「そう、だけど、その……」
顔を赤くしているナマエを見て俺はけらけらと笑った。いい気味だ、なんて思ってる俺は多分いい性格なんだろうな。
まったく、本当に先が思いやられる。別にいきなり抱きしめたわけでもないのに(肩は抱いたけど不可抗力だろこれ)、こんなに赤くなっちまって、まあ。
初心なのは結構だが、これで本当に縁談を破棄してもらえるところまでいくんだろうか。破棄させたいとは思うから俺だってやれるだけやるけどさ。
抱いてた肩から力が抜けたことを確認して手を離す。最初からそうしててくれたらいいのにとは思ったが、折角の役得を不意にしたくもないので黙っておいた。一応時間はまだあるし。
ナマエの顔はこっちを向かず、視線は必死で目の前のグラタンに注がれている。逆に不自然だろ、面白いからいいけどさ。
じっとナマエの方を見ていると俺の中の悪戯心が顔を出した。
「ナマエ、あ」
「ユーリス? ……え、なに」
「一口くれよ」
「……ほんとユーリスっていい性格してる……」
「褒めてもこの顔を見る権利くらいしかやれねえなあ」
「そもそも苦手なんでしょ、グラタン」
「よく見てるなー……」
口を開けて待機すればその真意が伝わったようで。恋愛事に疎いといってもこれくらいは流石にわかるか。
とはいえ本気で慣れていないらしい、ナマエは俺の顔を見てすぐにグラタンの方に視線を戻してしまった。
揶揄いすぎたかとは思うけど恋人だしなあ、なんて。ごっこだけどさ。
ここまで恥ずかしがるんなら多分一口も無理だな、と視線をナマエから外した。その直後に「ん」と言われたからすぐに戻すはめになったけど。
なんだ、とナマエの方を見る。眼前に差し出されたのは匙と、それに乗ったグラタンだった。
「……は?」
「くれっていったの、ユーリスじゃない……!」
「……健気だなお前」
「要らないならあげない」
「はいはい、いただきます」
ナマエの匙に口をつける。本当に恥ずかしいのか匙が震えているのには気づいたが、それまで茶化してやるほど俺は残酷でもない。
若干冷めたグラタンだった。あ、これナマエの食器だ。まあいいかナマエ気が付いてねえし。
どう、と俺の顔をそっと見るナマエに笑みがこぼれる。まるで本当の恋人みたいだな、なんて感想は胸の奥にしまっておいた。
「食堂のグラタンよりはこっちの方が好みだ」
「あれは……ゴーティエのチーズを使っていたのだっけ」
「あの風味がどうもなあ……。直接口に出して苦手だって言った覚えはないんだが、本当によく見てんな」
そう声をかければすぐに視線を逸らしてグラタンを自分の口の中に入れだした。
何かまずいことを言っちまったかねえ。言葉の内容を思い返してみたが、あんまりまずいことは言ってない気がする。
じゃあ何が引っかかったんだろう。そう考えているうちにナマエも飯を食べ終わっていた。
長居をしてもな。店を出るか、と立ち上がってナマエに手を差し出す。
ナマエは相変わらずその意味が分かっていないような顔をしていた。流石にそれくらいは気付け、なんて思ったが無茶なんだろうかね。
手を差し出したまま俺ばかりが恥ずかしいのは御免だ。というわけで、恋人らしくナマエの手を取った。ちょっと、と抗議の声が聞こえてきたが聞こえてないふりをする。
互いに手が熱いのは、気のせいだってことにしておこう。
†
一節、なんてのはすぐに過ぎる時間だと痛感した。
それは俺にとっては楽しい時間だったからなのかもしれねえが、少なくとも俺はそれを「すぐに過ぎた」と認識している。
ナマエにとってはどうだったんだろうか。俺がそれを知るすべはない。
この一節、ナマエは俺の行動になんとかついてこれるようになった。まだ恥ずかしがるが、それはかわいらしくご愛嬌ということにしておいてやる。
いや、本当に。隣に座るのに時間をかけていたあのナマエがここまで出来るようになったのは随分な進歩だとは思うぜ。未だに自分から手を繋ぐとかはできないけど。
明日は期日。ナマエの父が士官学校にやってくる日で、俺たちの恋人ごっこは明日まで。
本当に短いな。俺としてはもう少し長くてもいいんだけど、とバカみたいなことを思ってしまった。口には出してやらねえけどさ。
そんなことを思いながら明日の支度をする。こんこんこん、と部屋の扉が叩かれた。
「……ユーリス」
「ナマエ? 呼んでくれりゃ行くのに」
俺の部屋をナマエが覗き込む。バルタザールは今日はどこかに出かけていて、間がいいのか悪いのか。
本当なら男の部屋にナマエを入れるのもまずいんだろうけど、まあ一応まだ契約内だ。
追い返すのもよくないし、だからと言って立ち話も変な話だと思って部屋に招き入れた。
部屋の椅子を差し出してナマエを座らせる。俺はその前に立った。
居心地悪そうにされたが知らんふりをした。やっぱり俺が行くべきだったなとは思ったが今更か。
「で、どうしたんだよ」
「ちゃんと、今までありがとうって伝えなきゃいけないと思って」
「別に? ちゃんと金貰ってやったことだし」
「でもほら、最初の私、隣にいくことすらままならなくて……」
「酷かったなあ、あれは」
思い返すたびに苦笑がこみ上げる。ナマエは必死だったってわかってるから馬鹿にしたりはしねえけど。
もう、と頬を膨らませるナマエに軽く謝った。先に話題に出したのはナマエだけどまあ、笑われていい気がするもんでもねえか。
「それを伝えに、わざわざ?」
「ええ。……お金が足りないって言われたら追加をしようとも思って」
「言わねえよ、馬鹿。これでも楽しんでたんだぜ?」
思ったままを伝えれば信じられないとでも言いたげに目を見開かれた。
そんな顔されても本心は本心だ。否定も訂正もしねえよ。
俺が否定しないことにナマエも気が付いて、それからそっかと笑う。その笑顔が本当に嬉しそうに見えたことに俺は少し安堵した。
「しかしまあ、明日までと思うとちっとばかし寂しいなあ」
「明日が一番大事な日なんだけど……」
「分かってるって。それを見越して、演技が出来そうな俺様に頼んだんだろ? そうじゃなきゃこんな悪党にこんな願いごと──……、」
貴族に取り入る方法は知っている。媚びる方法だって知っている。
だからそういう演技だって俺は出来るし、それを見越して頼まれたと思っていた。
──のに。
「……ほんっと、ユーリス、貴方って……いい性格してるのか鈍感なのか、どっちなの……」
「…………、」
「グラタン苦手なのだってなんで知ってると思って……ああ、もう……」
真っ赤な顔で、目を逸らしながらそんなことを言われるもんだから。
まさかそんな、冗談だろ。俺の隣に座れなかったのは恋愛事に疎かったからとかじゃなく俺だったからとか自惚れるじゃねえか。
完全に俯いてしまったナマエを見る。髪の間から見える耳が赤い。両手で彼女の頬を覆ってこちらを向かせた。
「……『ごっこ』、やめるか?」
否定の言葉はない。顔を動かそうとした力が手に伝わるが、俺が掴んでいるものだから動けなくてナマエは困ったように視線を動かす。
それから彼女は瞼を伏せて、小さく肯定の言葉を口にした。
恋人ごっこもあしたまで
2020.06.03
Title...確かに恋だったあとがき(折り畳み)
拙宅比ではほのぼので甘いとは思いますが、予想よりもほのぼのじゃない・甘くないということがあればすみません。砂糖を吐けるような甘さを書けるように精進したいです。若干冗長めで申し訳ありません。
「恋人ごっこ」をやめて、あしたにはきっと今日よりも幸せそうにご飯を並んで食べている二人がいてくれるんじゃないかな、と思います。いてほしいです(願望)。
いかがでしたでしょうか。お気に召していただけますと幸いです。