※3万ヒット記念リクエスト(手鞠様)
※「かれるまであいして」の続編
あれから俺たちは晴れて交際を──ということにはならなかった。別に想いを伝えなかったとかそういう訳ではなくて、そういうことになる雰囲気ではなくなったというのが理由だ。
あの次の日、旧礼拝堂が襲撃されて先生の親のジェラルトさんが殺された。俺達も世話になったジェラルトさんの死は学級に少なくない影響を与えたし、何より先生が今までにないくらいに落ち込んでいて、正直誰もが浮かれた空気になる余裕がなかったというのが正しいところだったかもしれない。
それから時間が経って色々あって、先生は復活を果たしてくれたんだが。
息をつく暇もなく世界の様子は悪い方向に変わっていく。何があったって、口にしたくもないくらいにひどい話だ。
だって戦争が始まりそうなんだぜ? うちはスレンの侵攻で手いっぱいなんだからやめてくれって話だ。まあ嫌だって言ったって、きっと帝国は攻めてくるんだろうけどさ。
しかも最悪なことに教団に喧嘩を売った張本人、アドラステア帝国の皇女……いや今は皇帝だっけか、皇帝エーデルガルトは殿下の逆鱗に触れてしまったらしい。真偽は俺の預かり知るところじゃないが、少なくともうちの大将……ディミトリ殿下はそう思っているし、彼女を討ち取ろうと躍起になっている。
それが、いい方向に行くかどうかは……それこそ女神様のみぞ知る、ってやつなのかね。
孤月の節。皇帝エーデルガルトが軍を上げておよそ二週間、学校を、ガルグ=マク大修道院を取り巻く空気は一変しちまった。
慌ただしく駆ける教師たち、右往左往する騎士団、信仰を拠り所にして逃げてきた市民。そのどれもが俺たち生徒にとっては不安要素になる。
だって、戦争だ。そんな御伽噺でしか聞いたことがないような現実がここにある。動揺するなって方が無理だろう? 先生たちはそう言うけどさ。
それから、生徒の中でもいろいろ変わったやつはいる。
帝国が故郷の奴等はそれが顕著だ。なにせ自分の国の皇帝が起こした戦争なんだから無理もない。
それにさっきも言ったがうちの殿下も。今までだって危うい空気の時はあったけど(幼馴染なんだしそういうところもよく見てきたけども)、今はその比じゃない。どうやってあの皇帝の首を取ろうかとずっと考えているみたいだし、あのイングリットですら今の殿下は別人のようだと。
目に見えて変わった奴はそういう、戦争への不安や怒りやどうしようもない思いで変わったんだけれども。
それとは別に、だ。それ以外の理由で変わったやつもいるということを、俺は知っている。
今日もまた微かに溜息が聞こえてくる。発生源を探して教室を見渡すと──いた。思い描いたその人が、そこに。
「よう、ナマエ」
「シルヴァン様?」
教室の隅に座っていたナマエの横に座る。前までは少し話せばすぐに目を逸らされていたけれど、今の彼女は俺の目を見て話してくれるようになった。
自己嫌悪と、卑下と、羨望と、憧憬と、情念。それから、今は少しだけそれらを認めた色。そういったもので満たされた目は、きちんとこちらを向いている。
──けれど。その奥に隠したほの暗い光を、彼女を見続けてきたこの俺が見逃すはずもない。
「どうしたんだい、ため息なんてついて」
「……気づいておられたのですね」
「安心しな、俺以外気づいちゃいないさ」
他の奴らはきっと今は自分で手いっぱいだろう。だからこうやって教室の片隅で俺たちがて密会みたいなことをしても誰も気が付かないんだが。
俺? まあ父上が領地で慌てふためいているだろうなと想像はつくがそれだけだ。殿下のことも気がかりだし、この先どうなるのだろうねという漠然とした不安とかそういうものはあるが、目の前に好いた女の子がいて、それを見過ごすようになるほど溺れてもいない。
そういうわけで俺は変わらず彼女をずっと見てきたし、傲慢にもナマエに寄り添いたいと思ってしまうわけだ。こんな、窮地真っ只中にも関わらず。
不謹慎だと思われても仕方ねえなあ、とか。そういうことはわかっているんだけどな。
こればかりは最早染みついた癖なんだよ。正直よかったとすら思ってるんだぜ、ナマエのため息に気が付くことが出来て。
何か教えてくれねえかな。そういう淡い期待を込めて俺は彼女を見つめる。しばらく見つめ合う形になっていた俺たちだったけれど、ナマエはふう、とひとつ息を吐き出して己の懐から何か紙を差し出した。
俺は経験的にこういう場面で出される紙が碌なものじゃないと知っている。一人、身近な人間がそういうもので悩んでいたからだ。
「これは……」
「家からの手紙です。卒業を待たずに帰って来いと、そう書かれておりました」
「そりゃあまたなんで……って、野暮か。この状況下ならわからない話でもないが……」
ナマエの家はガルグ=マクに近いと聞いていた。それなら帝国にここが攻められるよりも先に家に帰ることも叶うだろう。この短期間で手紙が届いたくらいなんだから。
けれど、だ。彼女の目は、表情はどうもそれを望んでいないように見える。顔色は良くないし、手紙を持つ手が震えてるのだって隠せていない。きっとナマエは誰にだって悟られないようにしていんだろうけど、まあ残念ながら視野の広さとものを見る目には長けてる俺がいた。
「嫌なんだろ」
「……はい」
「理由を聞いてもいいかい」
「くだらぬ話でよければ」
「フェリクスじゃあるまいし」
聞く前から「くだらん」だなんてフェリクスでも言わねえよ、なんて。
そんな冗談を交わせば彼女はふふと笑った。その笑顔は少し疲れているようにも見えたけど、無理矢理笑ったという風でもない。少しでも彼女の安らぎになれていればいい、と思った。
だけど彼女の顔はすぐに曇る。ああ、本当に碌なものじゃないんだろうな。
「あの土地は、私には少々窮屈で。家族は恐らく知らぬと思いますが、その、近くに住む人々が……」
「……言いにくい?」
「……いえ、シルヴァン様は既にお知りになられておりますから」
「あー……」
察してしまった。自分の察しの良さが時々嫌になる、本当に。
俺が彼女について知っていること。それはこの十二節彼女を見続けて理解したことと、あの女神の塔で語ってくれたこと。思い当たる節があるのは後者だ。
ナマエは元来暴力の対象になりやすい性質を持っている、と彼女に聞いた。
それは恐らくきっと誰から見ても事実だ。少なくとも、幼い日の俺が見た彼女の姿はそれを如実に表していたし。
ならその暴力を振るってきたのは誰か。その答えがきっと、ナマエの「帰りたくない理由」だろう。頭が痛い。もう少し考えて聞くべきだった。
俺の後悔を知らないナマエは、ですから、と続ける。
「お恥ずかしい話ではありますが、私が学校に来たのはそれから逃げるためで。……その一年の間に、あの土地から逃げる方法を得たいと、そう思っておりました」
「逃げる方法?」
「いえ、逃げた先でも暴力に合わないという保証はどこにもないのですが……そういう性質ですから。でも、例えば別の土地で仕事を見つけるとか、例えば誰かのお嫁さんになるとか」
彼女が紡いだ言葉に思わず姿勢が崩れた。
どうしました、と不思議そうに見上げるナマエに俺は必至で誤魔化した。
お嫁さん。その言葉の響きに柄にもなくどきっとした。
別にときめいたとかそういうわけじゃない。そういう乙女的な感覚は俺には備わっていない。だからこれはただ、その見てこなかった事実を叩きつけられたことへの動揺だ。
「そうしてあの土地から逃げることが叶えば、と思っておりました。この時世では難しいでしょうし、家もあてがないなら早く帰ってこいと言っていますし……」
そうやって笑う顔は、いつか見た寂しい笑顔だった。
色々、考えることがある。
俺は紋章持ちの貴族の嫡男で、彼女は同級生ってだけの平民。俺の好意にその隔たりはないが、きっと俺の家は許さないだろう。ナマエが紋章持ちの子を産むという既成事実があればそれも許されるかもしれないが、そんなものは子が生まれるまで分からないし、そういうのは多分よくない。
そもそも彼女はどういう相手と結婚を望んでいたのか。他の女の子みたいに「紋章持ちの男」を望んでいるのだろうか、でもナマエに限ってそんなことはとか、ぐるぐる思考が回る。
だけども俺は多分、そこまで賢く理性的な人間にはなれない。
ぱ、と手を取った。吟味していた言葉も、駆け巡った思考も置き去りにして。
「俺のところに来ないか」
「……シルヴァン、様?」
口の端から零れた言葉は突拍子もないことで、きっと彼女も驚いている。
俺だって驚いてる。今までそんな、自分のために人の人生を動かすようなことを言ったことなんかないのに。
「仕事……そう、仕事。俺はゴーティエの嫡男で、だからお前を雇うことも……いや違う、悪い、そうじゃないんだ」
いつものナマエに語るための口調すら忘れて、俺は俺とほんの少し彼女のために言葉を落とす。
建前なんて要らない。掛け値なしの本音だ。
「……こんな世だから、今すぐお前を幸せにするとか、大それた無責任なことは言わない。だけど、お前が……」
きっと俺に告白してきた女の子たちも今の俺みたいに緊張してたんだろうなと余計な思考が脳を掠めた。それを踏み躙ってきた俺が、こんなことを言うのは許してもらえるんだろうか。
つくづく最低だと自嘲した。けど、でも、それでも伝えたいって思ったんだから仕方ないだろ。
恨み言なら後で聞くし、自己嫌悪だってしてやる。だから今は、今だけは赦してくれよ!
「もしナマエが、その逃げ道を俺でいいと思ってくれるなら、俺と一緒に来ないか」
「──……、」
「……ご両親には、俺が無理矢理に連れ帰ったとでも説明してくれたらいい」
ぱち、ぱち。ゆっくり瞬きをしたナマエは俺の言葉を咀嚼するように息を呑んだ。
それから瞬きと同じように、ゆっくりと首を横に振る。マジかよ。
一世一代の告白の敗北が、こんな、と絶望的な気分になる。けどナマエは俺の頬に手を添えて、それから。
「シルヴァン様『で』いい……のではなくて、シルヴァン様『が』いい……です」
「……え」
「両親にも、きちんと言います。私が、私の意思でシルヴァン様に着いていったのだと」
言葉を絞り出すように恥ずかし気に、顔を赤らめて言う彼女があんまりにも愛おしく思えた。
その微笑みはあの女神の塔で俺が見たいと望んだ笑顔だ。
そんな、俺の欲した答え以上の答えが来るだなんて思っていなかったのに。まだ未来だって不安定なのに。こんな幸せがあっていいのかよ。本当に、こんな世の中が大変な時に恋愛にうつつを抜かすなと怒られても文句は言えないな。
「お慕いしております、シルヴァン様」
「──ああ、ナマエ、……俺も愛してる」
俺の頬に添えられたナマエの手に自らの手を重ねる。温かくて、少しくすぐったかった。ナマエを見ると彼女は少し泣いていて、俺もそれにつられて涙を流してしまう。
ほほを伝った涙はあの時みたいに情けない思いを携えたものではないけど、多分それが枯れるのは随分と先のことだろう。
憂鬱のため息、それもまた誘惑
Title...反転コンタクト
2020.05.31あとがき(折り畳み)
どのタイミングでのお話かとても迷いましたが、色々考えた果てに辿り着いたのが「戦争がはじまり切ってしまう前」でした。
この時期はそれぞれ未来とかそういうものに不安を抱いてる時期で、その時期にある彼女は、シルヴァンは何を思って過ごすだろうと思いながら書いたものになります。
溜息に誘われ惑い、辿り着く先が二人の幸せだったらいいな。
いかがでしたでしょうか。お気に召していただけますと幸いです。