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君が求めるだけの愛を

※3万ヒット記念リクエスト(ごとう様)
※紅花



 私は婚約者に恋をしています。
 とても素敵な人で、この方の婚約者であれることに幸福を感じていました。

 けれど勿論、親同士が決めた婚約に今更意味などないことは私もわかっています。
 彼の父は更迭され、宰相の地位を失いました。私の親も何やら帝国の暗部に関わっていたようで、それ相応の処分を受けました。
 幸いにもエーデルガルト陛下は、親の罪を私たち子に問わないお方なので今日も生きていられているのですが。

 世界は変革します。ほかならぬ私たちの手によって。
 貴族制度も形を変えることになるし、そこに私たち──つまり今まで貴族だった者に席が用意されているとは限りません。

 だから本当に、今私の左手にある「婚約」の二文字は意味を為さないのです。
 ただ親が決めた「家のため」の婚姻は必要なくなり、残ったのは絆と呼ぶことすら烏滸がましい形骸化した何かでした。
 そんなことは彼──婚約者フェルディナントも分かっているでしょうに。


「おはようナマエ、今日もいい朝だとは思わないかね?」
「おはようございます、フェルディナント。はい、とても」


 宮城に与えられた私の部屋から出て、一番初めに顔を合わせたのは件の婚約者でした。
 これは最早毎日の光景となりつつあります。きっと彼がこちらに気を使って私に顔を見せに来てくれているのだろうということは分かっていますが、それでもやはり嬉しいものです。
 彼はとても律儀な方です。こうして毎朝、私に挨拶をくれるのですから。誰かが決めたわけでも、私たちが約束をしたわけでもないのに。
 そういうフェルディナントの律儀なところが、私は好きです。律儀なところだけではなくて、真っ直ぐ陛下に進言する強さも、常に高みを目指す志も、その全てが眩しくて素敵に見えるのです。
 ですから、私はずるいと分かっていてもこの関係を続けています。
 この婚約が形だけの、実体のないものだと分かっていても、それを彼にそう言えないのはただの甘えなのでしょうか。
 けれど、あと少し、もう少しだけ。


「そうだ、ナマエ。今日君は休暇を貰ったとエーデルガルトに聞いたのだが」
「はい。……本当はそうしている場合ではないのでしょうけれど、陛下が『上に立つ者が休まなければ下の者が休めない』と仰られて……」


 それを陛下が言うのでしょうか、と零れるように落ちた言葉にフェルディナントはくつくつと喉で笑ってくださいました。彼も同じことを思っていたのですね、と分かって何故だかとても嬉しくなります。
 でも、どうしてそれをフェルディナントが知っているのでしょう? 私が自分でその答えを導き出すよりも前に、フェルディナントが話題の続きを口にしました。


「では、今日は私に付き合ってはくれないだろうか」
「私が? 勿論構いませんが……」
「すまないね、助かるよ。下付金調整のための視察に行きたいのだが、私一人では視点が偏ってしまいそうでね」
「私で力になれるでしょうか」
「勿論だとも!」


 私はフェルディナントのように高尚な精神を持ち合わせていないし、きっと視点だって普遍的で代わり映えのしないもの。
 それでも私の力を必要としてくれるフェルディナントが、私はとても好きです。それが同情であれ、哀れみであれ、私はそれが嬉しいのです。
 ああでも、それならば陛下に私とフェルディナントが外に行くことを伝えなければいけないかしら。
 私が考えていたことを見通したように、フェルディナントは私の手を取って微笑まれました。


「エーデルガルトには私から既に伝えているよ」
「まあ」


 私がもしも「是」と言わなかった場合はどうするおつもりだったのでしょうか。
 いえ、そんなことはあり得ないのですけれど、先約があったり、とか。
 私を、信用してそういうことを先にしていたのでしょうか、なんて。
 彼の本心を捻じ曲げて推測してはいけないとは分かっているのですけれど、恋する乙女とはそういうものなのだと思います。

 それでは参りましょう。そう言って足を動かそうとすると、フェルディナントが手を差し伸べてくださいました。
 いいのでしょうか。一瞬迷ってしまいましたが、ここまでされてお断りするのもきっと違うのでしょうね。
 恐る恐ると手を重ねますと、彼は優しい力で私の手を引いてくださいました。
 本当に、お優しい方。





 帝国領は戦闘の舞台にならなかったこともあり、目立った戦争の傷跡というものは残されていませんでした。
 ただそれは目に見える範囲でのことなのでしょう。
 例えば経済、例えば農作、そういったところへの影響は確実に出ているものだと私は知っています。
 だからなのか、どこか暗い顔をした民が目立つようにも思えました。

 けれど、彼らは私たちに──いいえ、フェルディナントにはその姿を見せませんでした。
 我々は戦争を仕掛けた者。罵られたっておかしくはないのですけれど、誰もそうはしません。
 それは私たちが怖いから、ではないのでしょう。だって、フェルディナントにかけられる声はとても明るい声なのですもの。
 店の人、農家の人、果てはどこかの貴族の人。様々な方がフェルディナントに声をかけていくのです。
 それはたぶん、とても喜ばしいことなのでしょうけれど──。


「エーギル様!」
「おや、君は確かヴァーリの分家の……」


 彼に笑顔を見せる者は沢山いました。
 そうして私は改めて思い知るのです。彼は人に慕われる人物なのだということを。

 魅力的な人間というのはこのアドラステア帝国に多く存在します。
 陛下も勿論そうですし、ミッテルフランク歌劇団の歌姫ドロテアにそう思う方もいらっしゃることでしょう。勿論それは女性だけのことではありません。
 そして、フェルディナントも彼らに負けず劣らず魅力的なのです。
 ですから、彼が慕われるのは当然のことでしょう。
 私だって彼の魅力に恋をした人間です。それが私だけであるはずがない。
 そんなことは、分かっていたはずですのに。

 フェルディナントに声をかけたのはベルナデッタの遠縁の方でした。
 彼女はフェルディナントと顔なじみだったようで、フェルディナントとどうやら昔の話がしたいらしいのです。
 私はその話に割って入るべきではないと分かっていたので、黙ってその様子を見ていました。
 だからこそ私は気が付いたのです。
 彼女は、フェルディナントに恋をしているのだと。
 彼女はフェルディナントを恋をする女の目で見ているのです。きっとそれは、私がフェルディナントを見る時と同じ瞳なのでしょう。

 ああ、またですか、とすら思いました。
 こんな場面に出くわしたのは一度目ではありません。
 フェルディナントの婚約者として彼の隣に並び立って生きてきた私は、フェルディナントがそういう目を向けられている場面に幾度も出会いました。
 その度に私はきゅっと、胸を締め付けられるような思いをするのです。

 私がここにいられるのは、私が彼の婚約者であるから。
 幼いころは優越感もあったのでしょう。けれど、今となってはそれは醜い私を映す鏡しかなりません。
 ──ああ、それでも。このもやもやは嘘ではないのです、ただ「婚約者だから」という事実だけで湧き出る感情ではないのです。
 貴方が好きだから、嫉妬してしまうのです。

 きゅ、と。手に力を込めてしまいました。彼と繋いでいた手が、じんわりと熱を持ちました。


「ん?」
「……すみません」


 しまった、と思ったのですが遅かったようです。
 私の手の力に気が付いてしまったフェルディナントが不思議そうに此方を見ています。
 誤魔化すように謝ってみせましたが、きっと彼の目に映る私は随分と可笑しく映っていたのでしょう。
 手を離すべきなのでしょう。きっと彼女もそれを望むはずです。恋した男性の婚約者なんて目障りでしょうから。
 だけれど私はその選択を選ぶことが出来ません。狡いとは分かっているのですけれど、それでも私は、この繋いだ手を離すことが名残惜しくて。
 こんな我儘、淑女としては失格なのでしょうね。

 そんな風に一人悶々と思考を巡らせていると、繋いでいた手が再び握り返されました。
 え、と顔を上げるとフェルディナントは微笑を頬に携えたまま、彼女に向かってこういうのです。


「すまない。私は見ての通り最愛の人との逢瀬を楽しんでいる最中でね」
「……っ!?」
「君との会話も楽しみたいところだが、今日のところはこれで失礼させてもらいたい。では行こう、ナマエ」


 そう言って手を引くフェルディナントの顔を見て、私は言葉を失いました。
 そんな私を連れて、フェルディナントは歩きだします。
 私を紹介する言葉が、心のどこかで望んでいた言葉で。
 私との行動を意味する言葉が、調査という仕事を表すものではなくて。
 私に気を遣って? でも人前で、私のためだけにそんな言葉を使うだなんて考えにくいでしょう。

 言葉の意味を咀嚼して、顔にぶわっと熱が集まってしまいました。
 ああ、お願いですフェルディナント、今は私を見ないで。きっととても情けない顔をしています。
 そう思っているのに、心とは裏腹に私の口は言葉を落とすのです。


「フェルディナント、今、あの、逢瀬って……」
「……調査は先ほど終えたんだ。だが、私はこのまま宮城に戻るつもりはない。今日一日、私に付き合ってほしい」


 歩くことは止めずに、フェルディナントは言葉を紡ぎます。
 は、と私は気が付きました。フェルディナントの歩く速さが決して早くないことに。
 彼は身長が高く足が長いので、普通に歩くと私は追いつくのがやっとになるはずです。
 けれど、私は私の速度で歩けていました。
 つまりそれは、彼が私に合わせて歩いてくれているということの証左に他ならないのです。


「今まで、君には婚約者らしいことをしてあげられなかったからな。私としても心苦しかったのだ」
「フェルディナント、でもそれは……婚約者というのは……」
「ナマエ。君は、親が決めたから私を好きになったのかね?」
「それは違います! ……お気づきになられていたのですね」


 隠していたつもりはありませんでしたが、直接言われるとやはり恥ずかしいものです。
 あまりにも迷いなく言われてしまったので、思わず素直に告げてしまいました。恥ずかしくて声は小さくなってしまったのですけれど。
 そうか、とフェルディナントが小さく呟いて足を止めました。私もそれに倣ってその場に立ち止まります。
 繋いだ手は未だ解かれぬままでした。


「君がそう思ったのも、先ほど彼女に嫉妬したのも、私の今までの態度がそう思わせてしまったのだろう」
「……そういうことは分かっていても、口にはなさらないでください、もう……」
「はは。恥じらう姿も愛らしいな」


 そんな恥ずかしいことを言いながらフェルディナントは繋いだ手を離して、それからその手をもう一度手に取りました。
 そのまま私の手の甲に顔を近づけて、壊れものを扱うように唇で触れて。


「私も君と同じだ、ナマエ。父のために君を婚約者にしたのではなくて、私は私の心で君を愛している」
「フェルディナント……」
「これからは不安にさせないと約束しよう。私のすべてを以て」
「……求めてもいいのですか、フェルディナント。貴方を恋しいと思っていいのですか」
「勿論だとも」


 彼の優しい微笑みは、ほかの誰もが見たことないくらいに美しいものでした。



君が求めるだけの愛を





2020.06.07
Title...シュレーディンガーの恋



あとがき(折り畳み)

ごとう様にリクエストいただきました「フェルディナントの婚約者、慕われるフェルディナントに嫉妬してしまう」お話でした。
拙宅比甘めではありますが一般的に糖度は多分低いです、すみません。
勝手に紅花ルートにしてしまって申し訳ないです……。「貴族」という立場じゃなくて「貴方」に恋して恋される二人が書きたくて。

エーデルガルトにお膳立てしてもらって(休日を知ってる理由ですね)、そうしてようやくまっすぐ向き合えた二人ですから、きっとこれからは「求めるだけの愛」を与え与えられする日々になるのだと思います。
いかがでしたでしょうか。お気に召していただけますと幸いです。