※3万ヒット記念リクエスト(青様)
これだから真剣というのは面倒くさい。
目の前の女子生徒から浴びせられる罵声を聞き流しながら、シルヴァンはそんなことを思っていた。
女の子と遊ぶのは嫌いではない。けれどその女の子達がシルヴァン自身ではなく「大領主ゴーティエ」を見ていることだって知っている。
だからこそ彼女達は真剣だ。シルヴァンという人となりを愛するのではなくて、貴族に取り入るためにシルヴァンを愛するふりをする。
故に面倒だ。此方が最初から遊びだと言っていても向こうはあわよくばを狙っている。シルヴァンがそれをどれだけ厭おうと彼女らには関係がない。
こうなると話を穏便に終えるということが出来ないのは経験上知っている。どうしたものか、と思わず溜息を吐き出して、それからしまったと息を飲み込み直す。
「ちょっと! 真面目に聞いてるの!?」
遅かった。
己の浅はかさをほんの少しだけ恨む。迂闊に溜息などついてはこうなることは目に見えていたはずなのに。
シルヴァンの溜息を「話を蔑ろにしている」と受け取った女子生徒は激昂する。こうなってはシルヴァンの言い分など耳にいれることもしないだろう。
これは、甘んじて一発受け止めるしかないか。
シルヴァンがそう考えるとほぼ同時に、彼女の手が振り上げられた。
仕方ないな、とまた息が零れそうになる。痛みや衝撃に耐えることはしなかった。
シルヴァンの頬を叩こうとしたその手が音を奏でることはなかった。
呆気にとられる女子生徒と、特になんの感慨も抱いていないシルヴァンの間には一人の少女が立ち、その少女が女子生徒の手を掴んでいる。
シルヴァン側から見る少女は後姿だったが、顔を確認せずともそれが誰なのかは容易に想像が出来たし、間違えているとも思わない。
一瞬の静寂の後、少女は声を落とした。
「そこまでです。お気持ちはわからなくもありませんが、どうかお引き取りを」
「なんなのあんた……!」
「シルヴァン様の護衛です」
「ごえっ……」
女子生徒がこちらを確認するように見ている。嘘をつく必要も特に見当たらなかったのでへらりと笑っておいた。
シルヴァンのその表情を肯定と捉えたらしい女子生徒の顔が段々と青ざめていく。
呆れた。護衛の存在を全く考えていなかったらしい。
大領主の嫡子に手をあげるということはそういうことだ、と分かっていなかったのだろうか。それともこの護衛がそんなにも冷たい顔をしているのだろうか。
しばらくの深閑の後、女子生徒は護衛の手から逃れて去っていった。こちらに軽蔑の目と、「最低」という言葉を寄越すのも忘れずに。
そんな風に言われても、とシルヴァンは思わず苦笑いを零した。最低なんて言われても、こちらは最初から遊びだと言っていたのにな。
それよりも護衛の彼女を巻き込んでしまったことの方がシルヴァンにとっては大きな問題だった。彼女を巻き込むつもりは毛頭なかったというのに。
一瞬の逡巡の後、シルヴァンはいたっていつも通りといった様子で護衛に声をかけた。
「いや、悪いなナマエ。助かった」
「小さい頃からの役目ですから」
「はは、そーだよなあ……少しくらい怒ってくれたっていいんだぜ?」
「その必要があると判断すればそうします」
ナマエの返答にシルヴァンはまた苦笑いをこぼした。
対するナマエはさも当然のことかのように無表情でいる。
ナマエは互いに物心ついた頃から共にいる護衛だ。
彼女はシルヴァンにとても忠実である。多少の揉め事ならば何も文句を言わないし、こうやって己を守ることもしてくれる。例えシルヴァンが命じなくても、だ。
それは二人にとって当たり前のことで、シルヴァン個人としては──。
「お前もよく飽きないよな、ほんと」
「飽きる、飽きないではありませんから」
「やめてくれたっていいんだぜ、護衛」
「お戯れを」
不服なことでもあった。
ナマエは真面目だ。真面目過ぎるくらいに。
シルヴァンに降りかかる災難を全て振り払う。どれだけシルヴァンに非があることでも、シルヴァン自身が罰せられることであったとしても、ナマエはそれを払おうとするし、結果として彼女が少なくない怪我を負ったこともある。
それがシルヴァンは不満だった。
自分で行ったことの後始末を自分でしたい、などという崇高な考えではない。もっと自分勝手で、醜い思考の上にその想いはある。
けれど彼女はそれを許さない。彼女に植え付けられた当たり前は、シルヴァンが傷つくことを厭う。
そんな当たり前をシルヴァンは嫌っている。
愛想を尽かしてくれればいいのに、そうして自分の護衛だなんてものをやめてくれたらいいのに。
シルヴァンはそれを願っているが、どうも彼女はそうはしてくれないらしい。
「俺だっていい加減、自分の身くらい自分で守れるぜ?」
「……シルヴァン様」
ふ、と彼女が微笑む。傍から見れば珍しい、優しい笑みだろう。
しかしシルヴァンにとっては違う。長く一緒にいたせいで、その奥にある真意に気が付いてしまうもの。
これは意地悪だ。護衛の彼女が主人の自分にだけ向ける、自分にだけわかる意地悪だ。
「私に護衛をやめろと命じればよいのです。そうすれば、私はそうせざるを得ないでしょう」
「──……」
本当に意地悪だ、とまた笑う。
実際そうだろう。シルヴァンがそれを命じれば、彼女は無表情に分かりましたと言って護衛の身分を外れるのだろう。
だが、それは。そんなことは。
「俺にそんな度胸がないってのは、ナマエが一番知ってるだろ?」
同じような笑みを返してみせる。ナマエはまた無表情に戻り、その後ろ姿をこちらに向けた。
†
前を歩くナマエの背中を見ながらシルヴァンは思考する。
恋をしている、のだと思う。
それを自覚したのは随分と小さいころだ。
ナマエは当たり前に隣にいて、当たり前に「自分」を見ていた。
始まりは確かに互いの身分だった。だが彼女はゴーティエとしての自分ではなく、シルヴァンとしての自分を守ってくれている。
ナマエがシルヴァンの前に立ちその後ろ姿を見せる時、ゴーティエの利益になるかどうかではなくシルヴァンに害を及ぼすかどうかで判断をする。
だから彼女は最低限までこちらに干渉してこないし、シルヴァンを自由にさせてくれている。
それがシルヴァンにとってどれほどの救いだったか、きっとナマエは知らないのだろうけど。
そう理解したとき、シルヴァンは確かに彼女に恋をした。
けれどきっと世間は、そして互いの家はそれを良しとしないのだろう。
自分はゴーティエの人間で、彼女はそのゴーティエに仕えるミョウジ家の人間。
その関係は絶対的な事実であり、不変的な壁である。余りにも高い、壁だ。
やめてくれ、どうかその背を向けないでくれ。
いつも願うのはそのことばかりだった。
もしも彼女がその背をこちらに向けずに向かい合ってくれるのならば、もしも彼女と護衛として出会わなかったら。
ほかの女の子たちと同じように彼女を口説くことが出来たかもしれないし、シルヴァンだってこんなに真剣にならずに済んだのかもしれない。
恋の痛みだって、知らずに済んだのかもしれない。
或いは、もしも彼女が護衛ではなくなったら。
その時は身分のことも考えず、彼女に好きだと伝えることが出来るのかもしれない。
だが護衛を止めろと命令をすることはできなかった。
シルヴァンは臆病だ。卑怯だと思われても仕方ないな、と自嘲する程度には。
だからいつも戯れを口にする。
護衛をやめてもいい、と。いつも同じ返答が寄越されるのだけれど。
「……真剣、ってのは……」
本当に、面倒くさい。
彼女と共に過ごして十五年以上。
積もり積もった想いは年を重ねるごとに密度を増す。そしてその度に自分の想いの面倒くささに辟易する。
ため息が零れた。
それ以上に我慢ならないことがある。
「…………」
周りに意識を向けていると世間話が耳に届いた。学級の女子集団の会話らしい。
あそこの学級の誰々がかっこいい、誰々がかわいい、誰々が好きだ──そんなたわいもない、ありふれた世間話。
それだけならきっとシルヴァンだって気にも留めなかっただろう。
だがシルヴァンはそこに混ざる悪意を見落とせない。
誰々が嫌いだ、誰々が憎いだ、そういった悪意はシルヴァンが厭うもので、それから。
(……いっそ清々しいな、堂々と陰口とは)
護衛が一身に受けるものでもある。
あいつがいなければ成功した、あいつがいなければ失敗しなかった。そういう的外れで謂れのない理不尽な悪意を、ナマエは受け続けてきている。
それがシルヴァンの素行によるものだけならば、シルヴァンが態度を改めるだけで変わるだろう。けれど世間はそんなにも甘くない。
根も葉もない噂を立て、ナマエを嘲笑する。それが日々の精神的負荷を軽減させることに一役買っているのは理解するが、とても同調できそうにない。
今日の内容は特にひどい。
シルヴァンの護衛になるためにあくどい手を使っただとか、本性がどうとか。
その逞しい想像力だけは称賛に値するとすら思ってしまうが、聞いているこちらはいい気がしない。
きっとナマエはそれらを一切気にしていないのだろうが。
どうするか、と冷えた脳が考える。
ああいう手合いには注意したところで逆効果だ。余計な僻みや嫉妬を買いかねない。
それはシルヴァンとしても避けたいことだった。自分のせいで余計に悪意を受ける彼女を見たくはない。
ならば、と息をひとつ吐き出して足を止めた。
「なあ、ナマエ。隣歩いてくれよ」
「……? 構いませんが、どうされました」
「手が寂しいんだよ」
「はあ……」
振り返ったナマエは不思議そうな顔をしている。だがシルヴァンのお願いには素直に従って隣に来てくれた。
よかった、と内心安堵しながらその手を取る。小さい頃はよく繋いでいたが、最近は滅法そういうこともなくて久しぶりだ。
大きくなった自分の手と、小さいころからさほど変わらないナマエの手の大きさの違いに、少しだけ笑う。自分たちは、その差がわかるほどに長い時間を共に歩んできたのだ。
「……そんなことも知らねえのに、好き勝手言うなって話だよなあ……」
「何の話です?」
「いーや、こっちの話。それよりナマエ、本当にまだ護衛でいるつもりか? 俺、そろそろ君の後ろ姿も見飽きたんだけどなあ」
「なら私の横姿を見られるように、普段からこうして横に並び立ってくださいな」
「はは、それもいいな」
そのためにたまには真面目に鍛錬でもするかな、と呟けばナマエはくすくすと笑う。
二人分の背は傍からどう見えているのだろうか。その背に向けられる言葉は無くなっていた。
きみの後姿はもう見飽きたよ
2020.06.09
Title...王さまとヤクザのワルツあとがき(折り畳み)
シチュエーション以外の指定がありませんでしたので、私の書きやすいように書きたいように書いたらこのような感じになりました……。
凄く分かりにくくなってしまいましたが、最後のアレはシルヴァンが意図的に「牽制」してる形です。
如何でしたでしょうか。好き勝手書いてしまったせいで少ししんみりとした一人語りの雰囲気が強くなってしまいましたが、お気に召していただければ幸いです。