×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

あの日にかえりたい

※蒼月


 首筋に突きつけられた槍の切っ先の冷たさにナマエは顔を顰める。目線の先にいるディミトリは、かつての面影を宿していない。
 目線が何故、とこちらに問うている。小さな頃から彼に付き添って生きてきたナマエにとって、それはあまりにも明白だ。
 しかしナマエはそれに何がと問えるほど愚かではなく、また答えを持ち合わせるほど賢明でもなかった。何を言っても今の彼に響くはずもない、としか思えないのである。
 重い沈黙が影を落とす。二人にとって、永遠にも思えてしまうような長く苦しい時間が流れている。きっとどちらかが口を開くか、或いは外的要因でもない限りこの瞬間は続いてしまうのだろう。そんな緊張感の元、ナマエとディミトリは対峙していた。

 その空間は突如として終わりを迎えることとなる。双方どちらかが口を開いたことに起因するのではなく、外部からの干渉によるものだ。


「だーっ! 何やってんですか殿下! いくらなんでもそれは不味いって!」
「……シルヴァン」
「……チッ」


 二人の視界の端に朱色が揺れる。声のする方を確かめるとそこにいたのはナマエが名を呼んだ通り、ナマエにとって──そしてディミトリにとってもよく見慣れた、幼馴染の一人だった。
 思わぬ乱入者で調子を狂わされたのか、ディミトリが手に持っていた槍を収める。いくら彼が常に使っている槍──魔槍アラドヴァルでないとは言え、あんなものが首筋に当たっていたのかと思うと肝が冷えた。首に残った違和感は、おそらく恐怖の表れだろう。

 大丈夫か、とシルヴァンが駆け寄ってくる。あまりに心配そうな顔をしているものだから、自分の体の調子を確認した。
 打ち合ったときに出来た打ち身はあったが、それ以外は特に目立った傷もない。手加減されていたのだろうか、と思うと少しだけ残念だ。兎も角、自身の無事を確認できたのでその旨はシルヴァンに伝えておく。

 そうしているうちにディミトリは踵を返していた。ディミトリ様、と声をかけたものの、彼はこちらを一瞥をくれただけで視線が交わることはない。
 この部屋を出る寸前に「醒めた」とだけ言い残したディミトリの背中が遠い。思わずため息が零れ落ち、そして即座に隣にシルヴァンがいたことを思い出して姿勢を正す。


「……ありがとうシルヴァン、助かりました。……どうしてここに?」
「メルセデスがな。殿下とお前が派手にやらかしてる、って」
「メーチェが?」
「たまたま通りがかったんだと。で、メルセデス一人じゃあうまく止められるかわからないからって、俺に声がかかったわけ」
「そう……、メーチェもよくわかってるのね。あとでお礼を言わなきゃ」


 そうだな、と呆れたような声で言うシルヴァンの横顔が少しだけ頼もしく見えた。
 彼とはイングリット、フェリクスと共に幼馴染だ。その中でも年長者は彼で、自分を含めた幼馴染たちとどう関わっていくのが良いか、というのはきっとシルヴァンが一番詳しい。
 メルセデスはそれを分かっていたのだろう。だからここにシルヴァンを寄越した。もしもそれがフェリクスだったら余計に話が拗れていただろう、イングリットならば拗れはせずとも大きく状況が変わったりはしなかっただろう。そういう点で、メルセデスの判断は正しかった。
 ただ、シルヴァンが扱いを心得ているのは何もディミトリのことだけではなくて、同じように幼馴染であるナマエも、である。
 故に、彼は問う。


「で? 何があったんだよ、ナマエ。殿下とお前があんな……、下手すりゃ死んでただろ、アレ」
「……価値観の相違。それだけ……」
「いやいや、今の殿下でも流石にそれだけじゃあ首に槍は突きつけねえって。特にお前にはな」
「…………」


 誤魔化しても無駄だ。直感がそう言っている。そもそも、彼相手に誤魔化したところで、という話ではある。それでも誤魔化そうとしてしまったのは、ナマエなりの意地といったところだったのだろう。
 歎声を落とす。仕方ないな、と浮かんだ力ない笑顔は、ある種はシルヴァンに向ける信頼の証だ。


「ディミトリ様が、出ていこうとしたから」
「出ていこうったって、どこに?」
「……今の彼が行こうとしているところなんて、決まっているじゃない」
「あぁ……そりゃあ、止めるよな……」


 シルヴァンからの同意を得られたことに安堵しつつも、ディミトリの危うさを再認識して頭が痛む。
 今のディミトリは爆薬のようなものだ。帝国という刺激によっていつ爆発してもおかしくないもので、この瞬間にだって爆発する危険はある。それを抑えられているのはシルヴァンやフェリクス、イングリットといった仲間や、五年前にディミトリ達を導いた先生、それにナマエの尽力があってこそである。

 しかしそれとて完璧ではない。目を離せば一人で行動し、この拠点たるガルグ=マク大修道院を抜け出して爆発──すなわち、エーデルガルトへの復讐を果たそうとしてしまう。
 彼の怒りはわかる。もっともだ、とすら思う。詳しいことを聞けたわけではないが、彼の身内──そしてナマエの親が亡くなったダスカーの悲劇を引き起こしたのが、彼女らだというのだから。
 ナマエも同じ怒りを抱いている。肉親を失った元凶がそこにあるというのならば、それに一矢報いたい。

 だが、それを軽率に為してはいけない。今このフォドラの大地は戦争の最中で、ディミトリは一国の王子。
 王子がそのようなことを起こし成功したとなれば、戦争の激化は必至だ。そうでなく失敗したとしても、ディミトリの命が危ない。無論、それは最悪の結果を生むことも有り得る。
 最悪の結果だけは避けなければならない。たとえそれがディミトリの意に反する結果になるとしても。


「……首筋に槍を宛がわれている間、ディミトリ様の目は私に問いかけていて」
「ん?」
「『なぜ邪魔をする』、って。『お前も俺を阻むのか』……、あの目は、そう」


 ナマエはディミトリのあの目を、そうとらえていた。暗い明かりを灯し、血に飢えたような瞳をしていた彼は、きっとそのような問いかけをしていたのだろうと。
 そしてきっと、それは間違っていない。ナマエにはその確信があった。確証はないというのにそんなことを思ってしまうのは、自分の都合の良いようにディミトリを描いているのかもしれないという懸念はあったものの、考えれば考えるほど、それを否定できなくなる。
 だけれども、それに答えを返すことはできなかった。


「あの殿下が、ねえ」
「……なぁに?」
「いや……、愛玩されてるなぁ、と思ってさ」
「……どこをどう見てそう思ったの……」
「いやいや、マジなんだって」


 含みのあるシルヴァンの言い方のせいか眉間に皺が寄る。彼に悪気が無いのは明白である上、茶化す気配も全くないので余計に当惑してしまう。
 確かに、自分たちをよく知っているシルヴァンの言うことならば耳を傾けるに値する。女性に声をかけている時は兎も角、自分はシルヴァンをよく知る幼馴染だ。向こうも余計な気を遣わずに接してくるのだから、その言葉に偽りはないのだろう。
 だというのならば、愛玩されているというその発言は──少なくともシルヴァンにとっては──真実なのだと推測できる。

 だからこそ、よくわからない。あのディミトリが自分を愛玩している、など。
 確かに昔からディミトリと共に生きてきたナマエは、一般人とは程遠い立場にいるのだろう。ディミトリに親愛の念を向けられている、という自覚すらあるくらいには。

 しかし今は違う。臣下を失い復讐を誓った彼は、周囲に心を閉ざしてしまった。
 今までならば訓練以外でナマエに槍を向けることなどありえなかっただろう。そうされてしまったということは、今の彼は昔ほどの情をこちらに向けていないということの証左に他ならない。
 心の奥底がじくりと灼ける。いったい彼は何を見て、自分がそうされているなど思ったのだろうか。


「大切に思ってねえ奴の言うことなんか、耳にも入れないだろ、今の殿下はさ」
「……それは」
「もうちょっとさ、自信持っていいと思うぜ? ナマエは」


 ふと笑うシルヴァンの顔を見て、心の奥の痛みが少しだけ和らいだ気がした。






 とは言え、疑問や悩みが解決したわけではない。
 シルヴァンが何を見て、ナマエがディミトリに愛玩されていると考えたのか。ディミトリの危うさも依然として残ったままだ。特に後者は、何かきっかけが無いと変わることはないのだろう。


(とはいえ、このままだと退転していくことは間違いないわけで)


 かつん、かつん。寮の自分の部屋に向かう。二階に自分の部屋があるのが恨めしい。階段に足をかけて、体を上へと運んでいく。
 思考をしながら歩いていては危険だということは理解しているが、その時間すら惜しい。

 ディミトリの爆発にばかり気を回していられない、というのが現状だ。

 大陸の中心部に位置するこのガルグ=マク大修道院は山の頂に存在する。故にここを拠点にしている王国軍に攻め入ることは容易ではなく、ある程度の時間的余裕、戦力的余裕を得ることが出来ている。
 しかしそれもある程度、の話だ。フォドラのすべての人物が王国軍の拠点にガルグ=マクを用いていることを知っているはずだし、攻め入るのが難しくても方法がないわけではない。
 故に、王国軍はなるべく迅速にこの戦争を収束させたい。ディミトリの爆発を制しながらではじわじわと疲弊していくだけなのである。

 ああ、そういえば忘れ物があった。足を翻して階段を降りる。


(かと言ってディミトリ様をエーデルガルトに直接向かわせるわけにはいかないし……)
「──……い、」
(次の行軍はどこだったか、ああまた先生に確認しなくては……そのついでに、ディミトリ様のことも──)
「──おい、……ナマエッ!」
「へぁ、」


 がくんと視界が一瞬揺らいで、それから認識をする間もなく体に感じたのは浮遊感だった。
 落ちる。そう思ったときには足は地から離れていて、空中に投げ出されていた。


「──チッ、このッ……!」
「──、」


 痛みに備えて目を閉じる。その刹那に腕に強い力を感じた。重力方向とは逆に引っ張られる力だ。
 しかしそれだけで体が抗ってくれるはずもない。源ごと重力に引っ張られる感覚がして、全てが地に落ち──。

 痛みはなかった。
 その代わり背には何かが自分を捕まえるように回されていて、自分の前面には何か温かなものが敷物のように自分の下敷きになっている。


「……あ、れ」
「……考えながら歩くな。お前、死にたいのか」
「──……でっ?!」


 降ってきた声と、開けた視界で全てを察した。
 聞き慣れてしまった低く冷たい声。ずっと昔から見てきた金色の髪。こちらを見下ろす空の色は、ずっと慕ってきた人のもの。理解しないほうが難しい。
 跳ねるように体を起こして距離を取ろうとする。しかし背に回っていたのはその人の腕で、閉じ込められるように力を込められているものだから距離を取ることは叶わなかった。


「ディミトリ、様……! 申し訳ありません……!」
「……死にたいのなら放っておいてやったが」
「そんな、滅相も……っ」


 彼──ディミトリは相も変わらず暗い光の灯る目でこちらを見ている。底冷えするような色のそれは、昔の紳士的な彼を忘却させるほどだと錯覚してしまう。

 助けられた。
 階段から落ちた自分を、せめて少しでも無事なようにと自分が下敷きになって共に落ちてくれたのだろう。そう理解するのに時間はかからなかった。
 かからなかったが、だからこそ血の気が引いた。このようなことを、自分の主であるディミトリにさせるわけにはいかなかったというのに。


「す、すみません……ッ! お、お怪我は……!」
「……お前には、俺が。受け身のひとつも取れない人間に見えるのか」
「そういうわけでは……」


 それでも自分を庇っていたのだから、と言いさして飲み込んだ。それ以上言ったところで適当にはぐらかされて終わるのが関の山だろう。
 今のディミトリは楽しい話をしたいわけではなく、むしろそういうものは煩わしい、と彼の機嫌を損ねてしまうことは手に取るように分かった。故にそれ以上の反論をすることなく、申し訳ありませんでした、と付け足す。


「……あの、ディミトリ様。失礼ながら一つ、良いでしょうか」
「なんだ」
「……なぜ、私を助けたのですか……。私がいなければ、貴方を止める煩わしいものがひとつ……減るのでは、と」


 あと腕を外して頂けないと離れられません、と加える前にディミトリの表情が不快を示したので黙り込む他なかった。
 しかし受けた質問を流すほど無情でもないらしい。小さな溜息が聞こえてきて、その口がゆるりと開かれる。まだ根っこの部分がナマエの知っているディミトリのままなのだ、と実感してしまって息が苦しくなった。


「お前ひとり死んだところで、俺を止めようとする有象無象は変わらない」
「それは……」
「それと、」


 ばちりと音がなった気がする。彼の空の目が、久方にナマエと交わった。
 今までの表面を撫でるだけの視線とは違う、奥を見る目だ。──ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッドが、目の前の相手と会話をするときの瞳。それを、ナマエが見間違えるはずがなかった。


「……お前にまで死なれては目覚めが悪い、ナマエ」
「……っ」


 声にほんの少しだけぬくもりが戻った気がして、目頭が熱くなる。鼻の奥に走る痛みを知らぬふりして、ディミトリの顔を見上げた。
 その次の瞬間には表情にも声にもそれらは消え失せ、昔の影はどこにもなくなってしまうのだけれど。


「……それだけだ」


 ディミトリの腕が離れた。慌ててその場から立ち退くと、なんともなかったかのようにディミトリも立ち上がる。一応同じように落下したのに、全くと言っていいほど損傷が無いように見える。
 そのまま、ディミトリはナマエを見返すこともなく階段を上っていった。その背に一礼をして、呼吸を整える。

 背が見えなくなって、ナマエはその場に崩れ落ちた。
 不覚だった。まさか階段から落ちるだけではなく、それをディミトリに救ってもらうことになるとは。しかも主を下敷きにする形で。
 従者失格だと自嘲する。否、それよりも。


「……ディミトリ、様……」


 彼に一瞬戻ってきた温かさが、昔のディミトリを想起させてしまってどうしようもないくらいに苦しくなる。
 あの日にかえりたい、などと嘆いても仕方がないことはわかっている。だが、ディミトリがあの温かさを取り戻してくれる日を想い描けるほど強くなれない。そんな自分が恨めしくて、寮の階段で声を殺して泣いた。




あの日にかえりたい
(なあ、言っただろ?)(お前は自分が思うより、殿下に大切にされてるよ)
(自分以外の手で死んでほしくないと動くくらいには、さ)




2020.02.01
Title...王さまとヤクザのワルツ