「──ナマエッ」
「え?」
はし、と手を取られて思わずナマエは目を丸くする。
自分を呼ぶ声に覚えはある。それは自分の学級の級長の声なのだから、わからないはずがなかった。
でも、なぜ。その理由が分からず、えっとと思わず口を開いた。
「クロード……?」
「……あ、悪い」
手を掴んだ張本人に声をかけると、クロードはパッと手を離す。その顔には何の不自然さもあらず、ナマエは微かに首を傾げた。
クロードの顔にはへらりと人のいい笑みが浮かんでいる。だがその奥にこちらを伺うような色が浮かんでいることを、ナマエは見逃さない。
彼はいつもこうだ。こちらに笑みを見せながらもその奥に何か別の感情を隠している。
いったい自分の何が彼の琴線に触れたのだろう。手を取られ、その表情を見せるに至った意味は何なのだろう。
じっとクロードを見つめる。しかし彼はそんなことくらいで心の底を晒してくれるほど甘くはない。
「おっと、照れるなあ……。そんなに見つめたら穴が開いちまうだろう?」
「…………」
「無言止めてくれ、悪かったから」
恥ずかしがるくらいなら最初から言わなければいいのに。そう思ったが口には出さないでおいた。口に出したら出したで、きっと彼の領域に飲み込まれてしまうだろうから。
小さく息を吐き出す。兎にも角にも、手を掴んだからには用事があったのだろう。それを思い出して彼に向き直る。
「それで……クロード、どうかしたの」
「ああいや、別に何かあったってわけじゃあないんだが……」
「?」
歯切れの悪いクロードの声にナマエは眉を顰めた。彼が意味の分からない行動をするのは常だが、その裏には常に彼にしかわからない理由が潜んでいるからだ。
で、あるならば。今の彼の行動にも裏に何かあると推測するのはとても自然なことで、だからこそ疑うのも当然だった。
そしてそのことをナマエの表情から読み取ったらしいクロードはばつが悪い顔をしている。暫くそうして考えた後、目を逸らしながら答えた。
「時たま、浮いてどこか行きそうに見えるんでなあ」
「……浮いて?」
何を言っているんだろう、とまたナマエの目が丸くなる。
そういう顔されるから言うつもりなかったんだって、と珍しく恥ずかし気に吐き捨てたクロードがどことなく面白くて思わず笑いそうになった。きっと笑ったらその次を続けてくれることはないだろうと予測してなんとか耐え、彼の言葉の続きを待つ。
「ナマエ、存在自体がふわふわしてるし」
「ええ、なにそれ……」
「お前は気が付いてないかもしれないが、学級の奴らの共通認識だぜ?」
どういう意味だろう。
存在がふわふわしている、など初めて聞いた。それに、その印象は自分よりもむしろ──。
「私よりも、クロードじゃないかな……」
「何がだ?」
「ふわふわしているの」
「はは、俺ほど地に足ついてるやつもいねえだろ」
「どの口が言っているのか……」
笑って言う彼をじっと見て、やはりその形容は自分よりもクロードの方がふさわしいと思ってしまう。
彼は人のいい笑顔を浮かべている。だがそれだけだ。自分の中に一定以上踏み込ませないし、その心根を知っている人はきっと誰もいないのだろう。
「風みたいで、ふわふわしてて、すぐにどこかいっちゃいそうなの。私よりクロードじゃない」
「そんなことはないと思うんだがなあ」
「……私、そんなにふわふわしている?」
「ああ」
ならばと今度はナマエからクロードの手を取った。え、と驚いたように目を見開いたクロードと目を合わせてふっと笑った。
「手繋いで、一緒に飛んでこっか」
「──はは、それもありかもしれないな」
「ばか、冗談」
「分かってる分かってる」
けらけらと笑うクロードの姿を見てまた笑う。
繋いだ手はしっかりと質量を持っていたけれど、やはりその表情がどこか遠くを見ているようにも見えた。
浮遊病
2020.07.25
Title...ユリ柩