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戦いながら舞い踊る女神

 私はあの髪色の意味を知っている。
 私はあの目色の意味を知っている。
 あの色は私とは相容れないもの。私が打ち滅ぼすべきもの、女神の色。
 だから目を奪われてはいけない。髪を引かれてはいけない。心を許してはいけない。
 知っていた。知っていたのに。





 彼女は私が級長を務めることになった黒鷲学級の一員としてガルグ=マクに在籍することになった。
 勿論、私は国民全員のことを把握しているわけではない。そんなことが出来る存在なんているはずがない。だから、私が知らない帝国民がいても当然でしょう。
 でも、その見た目は。私がそれを把握していないはずがない。否、把握していなければならない。

 森の奥深くのような緑の目。若葉を思わせる髪の色。……ヘヴリング家のリンハルトも確かに緑の髪だけれど、あそこまでの鮮やかさではなくて。だからこそ、私はそれを厳しい目で見ることになっていた。
 あの色は人のものではない。人ならざるものが持つ異端の色。私の、敵の色。
 つまり彼女は私の敵。人間ではない悍ましき何か。いずれ私が殺すべきもの。

 でも、なぜ。
 この士官学校に入学するにあたって、入学しそうな帝国民のことは調べ上げた。その中に彼女の記述はひとつもなかったし、そもそも私がこの道を歩み始めた時にその色を持つ者のことはすべて調べ、見逃しているはずもない。だというのに、なぜ私が知らない彼女が、黒鷲学級にいるの。
 それがわからない。分からないからこそ、私は。


「エーデルガルト様」
「ヒューベルト」


 従者が私の隣に現れる。気配をなるべく消して現れたのは、きっと私の命じた仕事のせいでそうすることが身についてしまったから。
 私の声の温度に気づいたのでしょう、ヒューベルトはいつもの薄い笑みを崩すことなく、それでいていつもよりも静かな声で口を開いた。


「例の生徒のことですが」
「ナマエのことね? ……ええ、簡明にお願い」
「では、率直に申し上げましょう。彼女の情報は帝国にはありません」


 帝国にはない。ヒューベルトの発言は私にとって想定内だった。この士官学校に来る前に、徹底的に洗い直したのだもの。あってもらっては困る、というのが正直なところ。もしも彼女の情報が帝国内にあるとすれば、それは私の調査に不備があった、という証左に外ならないのだから。
 でも、だったらなぜ彼女は帝国民が集う黒鷲学級に。その疑問が消えることはなくて、私はもう一度ヒューベルトを見た。クク、と喉で笑う彼は、私の視線の意味を読み取ったらしい。


「……ですが、帝国内でのことです」
「……つまり、帝国の外側にはある、ということね?」
「ええ。そしてそれは、ガルグ=マク大修道院の中に」


 修道院の中の情報。なるほど、木を隠すなら森の中とはよく言ったものね。女神の使途の情報を隠すなら修道院の中、ということなのでしょう。
 ほんの少し眉間に皺が寄った気がして、思わずため息をついた。……敵の本拠地を調べるなんて真似は、さすがに大々的には出来なかったもの。ある程度は調べていたとはいえ、私が直々に赴き調査を行う……、ということが出来ないのであれば、見逃しも当然なのかもしれないわね。
 続けて、とヒューベルトに促す。私とは違って、彼は表情を変えることはしなかった。


「意図的に改竄されている情報もありましたが。彼女が帝国民なのは間違いないでしょう。生まれの時期は不明ですが、恐らくはここ十数年の話ではなく、もっと遡ることになるかと」
「女神の使途ならばそれも当然ね。不思議なことではないわ」
「ええ。……彼女の立ち位置がわからないのが少々痛いですな」
「立ち位置……」


 その通りね、と私はまた溜息をついた。帝国の生まれで、しかしその情報はガルグ=マクのみにある。状況だけを見れば、彼女は女神の手先だと見るのが自然なこと。だけれども、果たして彼女が私たちを脅かす存在であるかどうかというのはまた別の話。
 無論その牙が私たちに向けられるのであればそれを切り払うことに躊躇いなどないけれど、万が一にでも私たちと手を結ぶ存在であるというのならば、それを振り払うことはできない。私の歩む道には、確かな力が必要なのだから。


「そして──……おや、噂をすれば影が立つ、というのはこのことですかな」
「え? ……あら、ナマエ」
「こんにちは、エーデルガルト様、ヒューベルト様」


 ヒューベルトが表情を変えた。私も倣って、ただの友人に接するときの表情に戻す。向こうから人良い顔を見せて現れたのは、私たちがちょうど話していた件の生徒ナマエだった。きっとただの偶然なのでしょうけれど、まさか話を聞かれていたのではないかと身構えてしまった。
 そんな私の考えをまったく知らないかのようにナマエは振舞っている。……本当に聞いていないのならば、それでいいのだけれど。


「どうかしたの?」
「先生がエーデルガルト様のことを呼んでいたのでお伝えしに来たのですけれど……、お邪魔でしたか?」
「師せんせいが? ……いいえ、大丈夫。ありがとう」


 本当に、と内心訝しむ。それを表に出すことはしないけれど。疑心暗鬼になりすぎている、という自覚はあるけれど、疑わないせいで足元を掬われる、なんてことは絶対に避けるべきだもの。
 ヒューベルトに視線を送る。受け取った彼は私の言いたいことを組みしてくれたようで、だけれど不自然にならないようにと私は建前のためにまた口を開いた。


「ヒューベルト、ナマエを送って行ってあげて。丁重にね」
「えっ? でもこの後は寮にいくだけですし私は……」
「いいの。師と私のためにここまで来てくれたのでしょう。ならば、それに報いるのは普通でしょう? いいわね、ヒューベルト」
「ええ、勿論」


 額面通りの言葉ではない。それはヒューベルトも理解している。本当に、ただ寮に行くだけなら送迎だって必要ない。
 だからそれ以外を頼んでいる。具体的には、彼女の監視を。事前に調べられないのであれば、今調べる。それはあまりにも当然のこと。だから改めてヒューベルトに向かって言う必要はないし、彼も確認しないのでしょう。……もっとも、彼は私が言わなくても、仮に止めたとしても行うのでしょうけれど。
 ではお言葉に甘えて、とヒューベルトの横に並び立つナマエの緑色が、何故か胸の奥底に触れた気がした。





 それから時は経ち、私たちの計画も徐々に進み始めていた。胸糞、……気分の悪い事件があったけれど、私たちの計画に狂いはない。あるとすれば、それはナマエの素性を未だに調べられていないこと。
 気持ちが少し逸る。前節のルミール村の事件を思うに、早くしなければ私は『彼ら』を制御しきれなくなるのでしょう。だから、早くしなければならない。全てを円滑に進めるため、不安の芽は摘んでおかなければならない。
 そういう意味でも、彼女の素性を調べることは急務になりつつあった。

 彼女の素性に関する手がかりを探して、私は書庫に寄っていた。勿論、こんなところにナマエの正体がわかるようなものはないのだけれど。
 無駄足だったかしら、と長嘆息する。夜も更けてきたから、そろそろ寮に戻ろうと書庫を出た。

 寮に戻る途中、私は異変に気付く。何か不規則な音が聞こえてくる。中庭の方から地を踏み締める音。こんな夜更けに、いったい誰が。
 不審者、ということはないでしょうけれど、少し気になる。もしもの時のことを考えて短剣に手をかけつつ、私は中庭を伺うように見た。

 そこにいたのは、緑色を月に煌めかせたあの子。まるで──こんな言葉を使いたくはないのだけれど──本物の女神のような美しさを携えて、彼女はそこにいた。
 目を奪われる。髪を引かれる。心を惹かれる。
 駄目。いけない。彼女の色の意味を知らないわけではない。彼女が女神の使途の色を持っていると私は知っているのに。

 ナマエは踊っていた。そういえば、今年の白鷺杯の代表に任されたのは彼女だったわね。師がナマエを任命したのをヒューベルトから聞いていた。確かにナマエは所作のひとつひとつが細やかで、そういう場には相応しい。
 師の目は確かだったのでしょう。流れるような動きは美しく、見る人を全て魅了できてしまうのではないかと錯覚させられる。思わず息を呑むほどに、ナマエの踊りは洗練されていた。

 ふとナマエの動きが止まる。
 人が変わったかのように厳しい雰囲気をまとって、彼女は腰の剣帯に手を駆けていた。その動きすら踊りの一部かのように見えて、その行動の意味を理解するのを数拍遅らせてしまう。


「誰?」


 視線がこちらに投げられる。そうしてようやく私に──というよりも、恐らくは『今自分を見ている誰か』に──向けて言われたのだと気づいた。
 彼女から向けられる敵意が痛い。ここで短剣に手をかけたまま出て行っては、彼女を余計に刺激してしまう。そう悟って、私は手を短剣をしまい込んでから彼女の前に出る。


「覗き見してごめんなさいナマエ、私よ」
「……エーデルガルト様!?」


 私の姿を認めたナマエは、慌てて剣帯にかけていた手を身体の横に着けて綺麗な一礼をした。無礼を働いて申しわけない、ということなのかしら。勝手に覗き見した私が悪いのだから、そこまで綺麗な角度で一礼する必要もないと思うけれど。
 口で言っても聞かないような気がしたから、こちらからナマエに歩み寄る。話を聞いてくれればいいのだけれど、高望みかしら。


「盗み見するつもりはなかったのだけれど……」
「……いえ、すみません。こちらも気が立っていました。近頃、……というよりも、数節前からずっと人の気配を感じていて」


 なるほど、と私は一人で感心してしまった。素性調査が進まないわけね。こうも警戒されていては、素行調査もままならないでしょう。ヒューベルトが苦戦するのも納得した。これは最初から備わっていたわけではなく、私たちが彼女を調べるうちに彼女が自ずと身に着けた自己防衛なのだろうけれど。
 顔をあげたナマエに、入学当初のような柔らかな雰囲気はない。それでも洗練された美しさがあるのは、白鷺杯に向けての練習がそうさせているのかもしれない。

 ……いいえ、違うわね。


「……何か言いたげね?」
「…………」


 きっとナマエは気づいている。彼女の表情が物語っていた。身体の横につけた手は、いつでも剣を抜ける位置にある。
 彼女を監視する気配が誰の差し金なのか。何のために彼女を監視しているのか。それをすべて、彼女は悟っているのでしょう。そのうえでこの場から逃げ出さないというのは、いったいどういうことなのでしょうね。


「私の予想が当たっているという前提で話を進めるわね。……いつから気が付いていたの?」
「気配自体は最初から。貴方やヒューベルト様の差し金だということは……青海の節に先生があの剣を手に入れた時くらいでした。あの頃から人の気配が濃くなって……、あの時期に誰かが私に探りを入れるならば、貴方くらいしか思いつきません」
「……そう」


 彼女の言う通りだった。師が天帝の剣を手にしたあの時、確かに私は焦ったのかもしれない。師という不確定要素が増えてしまったことで、先に判明していた不確定要素であるナマエをどうにかして確定要素にしたかったのだと思う。故にその焦りが指示に影響して、ナマエに私のことを感づかせてしまった。
 まったく、こんなことではいけないわね。過ぎたことを後悔しても仕方がないのだけれど、これは次への糧としましょう。
 それよりも、ね。彼女に申し開きをしたとしても何にもならないし、どこまで話したものか。


「どうして私をお調べに……というのは、聞くだけ野暮でしょうか」
「……分かっているのね?」
「推測ですが……」
「それがきっと答えよ」


 彼女の推測が外れていることはないと思う。彼女自身、『それ』以外のことに心当たりなんてありはしないでしょうから。もしもあるのならば、調査の中でひとつやふたつボロが出ていなければおかしい。
 だから、彼女の推測は当たっている。聞かなくともそれくらいはわかった。
 でも、そうね。そこまで分かっているのならば、こんな回りくどいことをする必要は無いのかもしれない。


「なら、直接聞いてしまうわ。あなたは一体、何者なの」
「私は……」


 彼女の緑がこちらを見る。忌まわしい色だと分かっているけれど、その鮮烈さが私を捉えて離さない。
 向こうは一体何を思ってこちらを見ているのか、想像すらもつかなくて居心地が悪くなる。


「……ガルグ=マクに素性を預けていたのは、そうしなければこの世界では生きづらいからと言うだけのことです」
「それは、あなたの正体が関係しているの?」
「……そうですね。私は人よりも歳を取りにくいですから、何年も何年も同じ名同じ場では暮らせません」
「……そう」


 凡そ予想通りの言葉が返ってくる。彼女が人でないのならば、そうなるのは必然で、そう暮らすのだって当然のはず。
 だからこそ私は危惧している。そのためにガルグ=マク大修道院に身を預け、今まで暮らしてきた彼女はいったいどの立場にいるのかと。

 私がそれを聞いた事の意味を図っているのでしょう、ナマエは目を厳しくして私を見る。
 分かっているわ、探られていい気がしないことは。恨むなら恨めばいいし、気持ち悪いならそう思ってもらって構わない、けれど。

 ほんの少しだけ。


「……あなたにそんな顔をさせたいわけでは、ないのだけれど」
「ええ、はい、分かっております。貴方にも、言えぬ事情がおありなのでしょう」


 そんなことを言われてしまっては、止めてしまいたくなる。そんなことではいけないのだけれど。
 罪悪感が渦を巻く。彼女に不快な思いをさせたという事実が妙に痛い。この覇道にそんなもの必要ないとわかっているから、これは私に残った最後の良心なのかもしれないと思ってしまって自嘲する。


「私は、エーデルガルト様、あなたを害するものではありません。ガルグ=マクに情報を預けてはいましたが、帝国に位置する場所で生まれ、その故郷に殉ずると決めたものです」
「…………それは」
「ええ、分かっています。今何を言っても、きっと貴方は私を信用しないでしょう。でも、これは本当」


 信用しないでしょう、と言われて何かが抉れた音がする。仕方がない、とわかっているのに。
 彼女は私のことをよくわかっている、信用しないのもその通り。
 緑の髪を持つあなたを、簡単に信用してはいけないから。その事実を彼女自身の口から言われて、改めて突きつけられて、何故か悲しくなってしまう。……当然のことなのに。

 ナマエが私に一歩近づく。彼女の手は既に、剣の傍からは離れていた。まるで私に対し、自分は無害だとでもいうように。
 私は何も言えない。彼女の言う通りで、私が何か言う必要はない。彼女がこちらに歩み寄ってくるのをただ見ているだけ。その距離があと一歩のところまで近づいて、それからナマエは私の手を取った。取られた手が、彼女の胸元へ。微かに伝わる心音が、彼女の生を示している。


「……私が貴方を害するようなことがあれば、その時はその剣で私を好きなようになさって」
「……ナマエ」
「勿論、今でも構いませんよ。でも、もし私の命に少しでも利用価値を認めてくださるなら、私は最後の日まであなたの隣で舞いましょう」


 勝利の女神になれるかはわかりませんが、と彼女は薄く微笑んで述べる。女神なんて、とは言えなかった。だけれど、短剣を握り直すこともできなかった。
 そうすべきだと分かってはいた。不穏分子は排除すべきだと分かっているはずなのに、どうしてもできない。
 私の目の前では、ナマエがただ柔らかな笑みを浮かべている。ざわりとした胸騒ぎは、きっと彼女を滅ぼす日まで消えてくれはしない。

 そんな日が来るのか、と自問する。答えは返ってこなかった。



戦いながら舞い踊る女神
(運命の日、彼女は果たしてどこで笑っているのでしょうね)



2020.02.16
Title...累卵